もしも庵歌姫に加茂家の同級生がいたら 作:暇人
お腹も心も満たされた二人は、トレイを片付けて店を出る。ジャンクフードの強烈な余韻に浸りながら歩く理央と、それを見て満足げな歌姫。
そしてフロアを移動する途中、不意に賑やかな電子音とリズミカルなビートが響くエリアが視界に入る。
「あ、そうだ理央、あんた前に言ってたわよね。ゲームとか、囲碁将棋くらいしかやったことないって」
「はい。それらも嗜む程度ですが」
理央が不思議そうに首を傾げると、歌姫はニヤリと不敵な笑みを浮かべ、迷わずその騒がしい空間――ゲームセンターへと足を向けた。
「じゃあ決まり! 今日はとことんあんたの知らない世界を叩き込んであげるわ!……ほら、行くわよ!」
戸惑う理央の手を引くようにして、歌姫は光と音が渦巻く空間へと踏み込んだ。
「ここは、ゲームセンター……ですか?」
「そう! 現代っ子の社交場ってやつよ」
立ち並ぶ巨大な筐体、激しく点滅する画面、そして格闘ゲームに熱中する若者たちの熱気。
理央は情報量に圧倒されながらも、隣で楽しそうに瞳を輝かせる歌姫を見て、頬を緩めて一歩を踏み出した。
「はいはい、まずはこれね。格闘ゲーム! ほら、あんたもそこに座りなさいよ」
歌姫はそう言うと、空いていた対戦台の片側に滑り込み、百円玉を投入した。
理央は促されるまま反対側の席に座り、レバーと6つのボタンが並ぶコントロールパネルを、たどたどしい手つきで触ってみる。
「……なるほど。このレバーで移動と防御、そしてボタンで攻撃の種類を使い分けるんですね。不思議な感覚ですが面白そうです」
「理解しただけで勝てるほど甘くはないわよ!」
レディ、ゴー!の合図とともに、歌姫のキャラクターが画面狭しと動き回る。
彼女の手つきは淀みなく、レバーを小刻みに弾き、ボタンをリズミカルに叩いた。
対する理央は、画面上の自分のキャラクターを動かすだけで精一杯だった。
「ほらほら、画面の端っこで固まってちゃ一生勝てないわよ?」
「…………」
レバーを倒す方向と画面内の移動が、頭の中でまだ完全にはリンクしておらず、歌姫の放つ連続技をまともに食らって、理央のキャラクターは呆気なくK.O.された。
「ふふーん、いい? 呪術のセンスとゲームのセンスは別物なのよ。普段の私の気持ちが少しはわかったでしょ?」
自身の勝利を噛み締めるように、歌姫は満足げに勝ち誇る。理央はそんな彼女の煽り文句を聞き、少しだけ口角を上げた。そして、静かにレバーを握り直し、画面を凝視し続けていた。
「…………なんとなく、わかってきました」
百円玉を再び投入し、二戦目が始まった。
歌姫は先ほどと同じように、攻め立てた。だが――。
「えっ……?」
歌姫が放った跳び蹴りを、理央のキャラクターが完璧なタイミングでガードした。
それだけではない。理央は歌姫の硬直を見逃さずレバーを半回転させ、ボタンを的確に押し込んだ。
画面上のキャラクターが、歌姫も見たことのないような鮮やかな大技を繰り出し、彼女を画面端まで吹き飛ばした。
「ちょっ……! あんた、今どうやったの!?」
「フフフ、どうやってやったんでしょうね?今度はこっちから行きますよ」
「…………っ。こっちのセンスもあんのね! でも、面白いじゃない……!」
そこからは、一進一退の攻防が続いた。
歌姫の経験の攻めと、理央の超反応と直感的な攻め。
電子音の爆音の中で、二人の間には奇妙な熱気と対抗意識が生まれていた。
「ハァハァ……中々やるじゃない……理央」
「ハァハァ……歌姫こそ……結局一勝しかできませんでした……」
数戦を戦い抜き、少し上気した顔で対戦台を離れる。歌姫は乱れた前髪を無造作に払いながら、顔を上げた。
「何言ってんのよ、初めてでこれだけ食らいついてきたんだから十分でしょ」
そして歌姫が次に目をつけたのは、フロアの隅に置かれた、ピンク色の派手なカーテンで覆われた巨大な筐体だった。
「次はこれ! プリクラ!」
「……プリクラ? 歌姫、この箱はどういう……」
「いいからいいから、入りなさい!」
歌姫は理央の腕を掴むと、ピンク色のカーテンで仕切られた狭い筐体の中へと半ば強引に押し込んだ。
二人が入るにはやや狭い空間でカーテンが閉まると、外の喧騒が嘘のように遠のき、代わりに歌姫の肩や彼女の髪から漂う、微かに甘い、花の蜜を思わせる香りが理央の鼻腔をくすぐった。
「う、歌姫、これはいったい……? 」
「いいから! 制限時間内にポーズ決めて! ほら、ピース!」
戸惑う理央の肩を引き寄せ、歌姫はレンズに向かって弾けるような笑顔を作った。カウントダウンの数字がゼロになる瞬間、理央は困惑しながらも歌姫を真似てピースをする。直後——フラッシュが狭い箱の中を真っ白に染め上げた。
「……ふぅ。撮影終了! ほら、次はこっちよ!」
筐体の横にある小さな画面へ移動すると、先ほど撮影した二人の姿が映し出されていた。
「えっと、これをどうしたらいいんですか?歌姫」
「なんだっていいわよ!ほら、この辺になんか書いたら?」
「……じ、じゃあ、この余白に『
「ぷっ、ッハハハ!!あんた渋すぎでしょ!しかもすっごい達筆!」
理央は画面上のデジタルペンを迷いなく走らせ、流麗な行書体で四字熟語を刻み込んだ。
歌姫が腹を抱えて笑う横で、彼は至って真面目な顔をして、ペンを元の位置に戻す。
「アハハ…僕の座右の銘ですので」
「いや、それにしてもプリクラに不撓不屈って、どんな覚悟で遊びに来てんのよ!」
歌姫はひとしきり笑い転げた後、画面端で点滅する「残り10秒」のカウントダウンに気づいて顔色を変えた。
「あーもう、時間ない! 仕上げにこれ押すわよ!」
歌姫は『ズッ友』と書かれたファンシーなスタンプを理央の書いた武骨な文字の隣に強引に叩き込み、空いたスペースに素早く『2002・6・8』と書き殴った。
「よし、送信! ……ふぅ、ギリギリだったわね」
数分後、機械の取り出し口からジジジ……と音を立てて、親指の爪ほどの小さなシールが滑り出してきた。
「……すごいです。本当に書いた通りの写真が、こんなすぐに作れるなんて…」
「写真じゃないわよ、シール! ほら、これで半分こ。ハサミで切って、携帯の裏にでも貼っておきなさい」
歌姫は慣れた手つきでシールを二つに切り分けると、理央の掌にそっと乗せた。
理央はそれを、宝物でも受け取るかのような手つきでじっと見つめ、それから大切そうにポケットへと仕舞い込んだ。
その後、二人はフロアを回遊するように遊び倒した。
リズムゲームでは、理央がその超人的な動体視力を発揮してパーフェクトスコアを叩き出し、周囲のギャラリーからどよめきが上がる。
エアホッケーでは、歌姫が放った高速の円盤が理央のガードをすり抜け、「どうよ!」と実力を見せつける。
点滅するネオンの下、二人の笑い声は絶え間なく響き、任務や呪術など、どこか遠い出来事のように思えた。
「……ふぅ、ゲームセンターとはこんなに楽しいものなんですね!時間が過ぎるのが早く感じます……」
理央は少し乱れた髪を指先で整えながら、心地よい疲労感を湛えた瞳でフロアを見渡した。リズムゲームのパーフェクト達成で得た高揚感、ポケットに大切に仕舞われた小さなプリクラの感触が残っていた。
「でしょ? あんた、最初は借りてきた猫みたいだったけど、後半は私よりノリノリだったわね」
歌姫は、エアホッケーの激闘で少し上気した頬を手の平で仰ぎながら、満足げに隣の同級生を見上げた。
「でも、まだ終わらせないわよ?今日は『休日』をやり切るって決めたんだから!」
フロアの出口へ向かいながら、歌姫は意気揚々と胸を張る。
映画、ハンバーガー、そしてゲームセンター。
一つずつ日常のピースを埋めていくたびに、理央から呪術師としての重圧が剥がれ落ちていくのが分かった。
それが、歌姫にはたまらなく嬉しかった。
「最後はここよ! フフン、あんたの喉の準備はいいかしら?」
歌姫が指差した先には、色とりどりの看板が並ぶビルの入り口。
「カラオケ……確かこれも歌姫の趣味でしたっけ」
「そうよ、難しい理屈はいらない。好きな歌を歌って、スッキリすれば合格! 私がカラオケの極意を叩き込んであげるからついてきなさい!」
受付を通り、案内された個室のドアを開ける。防音壁に囲まれたその狭い空間は先程のゲームセンターとはまた違った、濃密な非日常の気配を孕んでいた。
「いい、理央? カラオケっていうのはね、日頃の鬱憤を全部マイクに乗せて吐き出す場所なのよ」
歌姫は手慣れた手つきで分厚い歌本を広げ、リモコンのボタンをリズム良く叩く。
「まずは私がお手本を見せてあげるわ。しっかり聴いてなさいよ!」
「はい。楽しみにしてます」
イントロが流れた瞬間、歌姫の纏う空気が一変した。
マイクを両手で包むように握り、彼女は迷いのない発声で鮮やかなメロディを紡ぎ出す。
お気に入りのロングフレアスカートを揺らしながら、リズムに身を任せてステップを踏む彼女は、いつになく眩しく、そして自由だった。
理央はその光景から、一瞬たりとも目を離せなかった。
高らかに響く歌声は、透き通るような流麗さと明るさを内包し、その場を支配していく。
(……綺麗だ)
理央は静かに、けれど確かな衝撃と共にそう心の中で零した。
普段の任務で見せる凛とした姿とも、学校で自分を気遣ってくれる快活な姿とも違う。
自分の心にある音をそのまま空気に乗せて放つ彼女の歌声は、引き込まれるような生命力に満ちている。
「♪〜〜ッ!!」
サビに差し掛かると、歌姫は理央の方を向き、手拍子を促すように悪戯っぽく片目を瞑ってみせた。
その屈託のない笑顔と、世界で一番この時間を楽しんでいるような輝きに当てられ、理央は鼓動が速まるのを感じる。
圧倒され、聞き惚れ、けれど置いていかれないように。
理央は、自然と彼女の刻むリズムに合わせて掌を打ち鳴らしていた。
歌い終わった歌姫が、満足げにマイクを下ろし、自慢げに胸を張る。
「……驚きました。歌姫という名に恥じない歌声ですね。本当に……とても綺麗でした」
理央の口から零れたのは、飾り気のない、けれど重みのある率直な感想だった。
「ふふーん、でしょ?
私の歌声は『名実共に埼玉の歌姫』って評判だったんだから!……さあ、次は理央の番よ! あんたも一曲入れなさいな」
歌姫はそう言ってリモコンを差し出すが、理央は差し出されたマイクを前に、どうにも居心地が悪そうに視線を彷徨わせた。
呪術師として修行していた以上、『呪詞』『舞』『楽』などは収めているが、娯楽としてポップな歌を歌うなど、彼にとって未知の領域であり、同時に形容しがたい気恥ずかしさを伴うものだった。
「……いえ、僕は。……歌姫ほど上手に、心を乗せて歌うことはできませんから。……歌姫が歌ってるのを聴き続けたいというか……」
「あー、もう。そんなにしおらしくならないの! 誰だって最初は上手くできないんだから!」
歌姫は理央の気恥ずかしさを吹き飛ばすように明るく笑うと、アップテンポなデュエット曲を予約し、無理やり理央の手にマイクを渡す。
「しょうがないから、最初は私が一緒に歌ってあげる。二人なら怖くないでしょ?」
そこからは、まさに二人のステージだった。
最初は消え入りそうだった理央の声も、隣で楽しそうにリズムを取る歌姫の熱に当てられるうちに、次第に芯の通った響きへと変わっていった。
「ちょっと理央、あんた普通にいい歌声じゃない!もっと自信もって歌いなさいよ!」
歌姫が茶化すようにハモりを重ねれば、理央の頬がわずかに緩む。 彼女の声は、理央の声を優しく包み込み、狭い個室の空気をいっそう熱く塗り替えていった。
一曲終わるごとに二人の距離は、共犯者めいた親密さで満たされていく。
家の呪縛も呪術師の重圧も届かない、防音壁に守られた二人だけの聖域。
重なり合う声が一つの旋律へと溶けていくその時間は、命を削り合う呪い合いよりも、理央の心に『生きている』という確かな鼓動を刻みつけた。
カラオケボックスを出ると、京都の街はすっかり深い茜色に染まっていた。
駅へ向かう道すがら、理央は何度も無意識にポケットをなぞる。そこには、歌姫が『半分こ』にしてくれた、あの日付入りの小さなシールが眠っている。
「……今日は、本当にありがとうございました、歌姫。あなたがいなければ僕は、あんなに美味しいものも、あんなに心を揺さぶる歌も知りませんでした。……僕はこの日を一生忘れません」
駅の改札前、足を止めた理央が夕日で包まれた景色に目を細めて、静かに告げる。その瞳に今朝までの空虚な凪はなく、今日一日で取り込んだ色彩が、確かな光となって宿っていた。
「ふふっ、分かればよろしい。でも『一生』は少し大袈裟じゃない?……このくらいまた何度でも付き合ってあげるわよ」
歌姫はいたずらっぽく口角を上げ、余裕のある笑みで理央を見上げた。
その顔には、理央を外の世界へ連れ出せたことへの、隠しきれない満足感が表れていた。
「それに今日の遊びなんて、まだほんの序の口なんだから。この世にはあんたの知らないことが、まだまだ山ほどあるのよ。……これからもたくさん叩き込んであげるから、覚悟しなさいよね!」
「はい。……楽しみにしています!」
理央と歌姫は背後に残る街の喧騒を後に、迷いのない足取りで、自動改札へと一歩を踏み出す。
ポケットの中の、不器用な『不撓不屈』と『ズッ友』が並ぶ小さな魔法。
それらがこれから始まる過酷な呪術師としての日常に、消えることのない灯火を、そっと灯してくれるような気がした。