2026年、スマートシティ「セントラル・コア」。
この街の朝は、あまりに白く、あまりに静かだ。
地上数百メートルを貫くセント・ソリューション社の本社ビルから見下ろせば、網目状に張り巡らされた高架道路を、音もなく電気自動車(EV)が滑っていく。街路樹の葉一枚に至るまで、ナノマシンによる自動洗浄システムが行き届き、アスファルトには塵一つ落ちていない。
そして何より、この街には「匂い」がなかった。
路地裏に漂うはずの湿ったゴミの臭いも、朝の排気ガスの焦げた匂いも、道行く人々が纏うはずの体臭や生活臭さえも。セント社が街中に張り巡らせた「環境衛生管理システム」――通称『クリーン・ベール』が、発生した端からあらゆる芳香粒子を分解、中和、消去してしまうからだ。
「……気持ち悪いほど、無機質だな」
街の喧騒から少し外れた旧市街の一角。そこにひっそりと佇むアンティーク調の洋館、香水工房『エッセンティア』の二階。
かつて、この街にはもっと多くの匂いがあった。
雨上がりのアスファルトが放つ土の香り、夕食時に換気扇から漏れ出すカレーのスパイス、誰かが通り過ぎた後に残る安物の石鹸の余韻。だが、人々は不快を排除することを望んだ。汗の臭いは不潔として忌避され、調理の匂いは騒音ならぬ騒香としてクレームの対象となった。セント・ソリューション社はその市民の欲望に完璧に応えた。彼らは全域脱臭を公約に掲げ、この「無菌の楽園」を築き上げたのだ。
「馨くん、朝ごはんできたよ」
階下から、鈴の音のような澄んだ声が届く。
だが、馨の鼻は、普通の人間には聞こえない「悲鳴」を聞き取っていた。
栞の淹れた紅茶の香りが、部屋の隅に設置されたセント社製の「パーソナル・脱臭ユニット」に吸い込まれ、瞬時に無価値な風へと変えられていく。香りは記憶だ。紅茶を飲んだ安らぎ、パンを焼いた幸福感。それらすべてが「空気の汚れ」として処理される世界。
「今日のパン、少し焼きすぎちゃったかな? 匂いが分かればいいんだけど……」
栞が少し困ったように微笑む。
生まれつき嗅覚を持たない彼女にとって、この街の「無臭化」は、むしろ生きやすい環境なのかもしれない。しかし、馨には分かっていた。彼女の肌からは、この無機質な街に似つかわしくない、陽だまりのような「温かな無臭」が漂っていることを。
「いや、最高の焼き加減だよ。……鼻に付く『不純物』もない」
馨が紅茶を一口含んだその時、窓の外で不協和音が響いた。
それは物理的な音ではない。馨の特殊な嗅覚――
建物の外、写真館の跡地が広がる広場。
そこでは、セント社の重機が古いレンガ造りの建物を今まさに取り壊そうとしていた。
写真館の店主である老人が、重機の前に立ち塞がり、声を枯らしている。
「待ってくれ! この中には、まだ現像していない写真が、街の人たちの想い出が残っているんだ! 壊さないでくれ、せめて……せめて匂いだけでも、ここに残させてくれ!」
警備員たちは無機質な動作で老人を排除する。
「おじいさん、ここはすでに『潜在的異臭発生源』として指定されています。古い紙や薬品の臭いは、近隣住民の快適な生活を阻害する。速やかに滅菌されなければなりません」
老人の悲しみ、怒り、そして愛着。
それらが逃げ場を失い、無臭の空気の中で限界まで圧縮されていく。馨の視界には、老人の体から「どす黒い霧」が溢れ出すのが見えた。
それは、誰もが不快として目を背け、消し去ろうとした感情の澱だ。
行き場を失ったその想いは、行き過ぎた無菌化への反動として、最悪の形で実体化を始める。
「……始まったか」
馨はカップを置き、店の奥へと向かった。
背後で栞が「馨くん?」と呼ぶ声が聞こえたが、振り返ることはなかった。
彼の指先には、すでに真鍮とクリスタルで組まれた、どこか懐かしく、同時に未来的なデバイス――オードライバーが握られていた。
街のいたるところに設置された脱臭センサーが、異常な数値を叩き出し始める。
「不快指数:測定不能」
「異臭レベル:SSS」
「プロトコル『ステリライズ』の発動を推奨」
無機質な街の、無機質なアラートが鳴り響く中、馨は静かにエッセンティアの扉を開けた。
外に出た瞬間、肺を刺すような、吐き気を催すほどの悪臭が彼を襲う。
それは、街がひた隠しにしてきた、人間の「生」の腐敗臭。
黒い霧の中から、巨大なレンズのような眼を持つ怪物、スティンクが這い出してきた。怪物が咆哮する。その声は、消された記憶たちの、形にならない叫びだった。
馨は雑踏の中、スティンクを見据えて不敵に微笑む。彼はすでに、この孤独な戦いを何度も繰り返してきたのだ。
「……一滴、希望を垂らしてあげようか。君のその腐りかけの記憶に」
彼はオードライバーを腰に据え、シトラス・フラコンのキャップを軽快な音と共に捻った。この「無菌の地獄」を塗り替えるために。かつて自分が失い、そして今も守り続けている「本当の香りの世界」を取り戻すために。
馨は、腰に据えたオードライバーの中央スロットへ、琥珀色の液体が満たされたシトラス・フラコンを迷いなく叩き込んだ。
『
重厚な真鍮の歯車が噛み合い、蓄音機から溢れ出すようなクラシックと現代的なビートが混ざり合う変身待機音が、不快な咆哮を掻き消して響き渡る。馨は、暴走するカメラスティンクの巨大なレンズが放つ、どす黒い閃光を真っ向から見据えた。
「……変身」
馨がアトマイズ・レバーを力強く押し込むと、ドライバーの四方のノズルから超高圧のミストが噴射された。
『
黄金の霧が馨の全身を包み込み、光の粒子が幾何学的な結晶構造を成して、彼の肉体を強靭な装甲へと変えていく。霧が晴れた中心に立っていたのは、クリスタルガラスのような透明感と、熟した果実の色彩を併せ持つ戦士、仮面ライダーオード。
その姿が現れた瞬間、広場を支配していた重苦しい腐敗臭が、一瞬にして爽快なシトラスの香気によって上書きされた。
「ギ……アァッ!? ヌゥゥ……ッ!」
カメラスティンクが苛立ちを見せ、胸のレンズから閃光を放つ。当たったものを即座に腐食させ、セピア色の塵に変える光の弾丸。だが、オードの動きはそれを遥かに凌駕していた。
『
足元から噴射されたミストを推進力に変え、オードは黄金の残像を残して広場を駆ける。物理的な質量を持たないはずの香気そのものが、彼の意志によって超高圧のエネルギーへと変換され、空気を切り裂く。
オードは一瞬でカメラスティンクの懐へ飛び込むと、腰に帯びたアトマイザーと剣が融合した武装・パフュームセイバーを抜き放った。
斬撃が走るたび、シトラスの火花が散り、怪物の体にこびりついた「悪臭の記憶」が剥がれ落ちていく。オードの戦いは、単なる破壊ではない。それは、複雑に絡み合った悪臭の成分を解きほぐし、元の純粋な想いへと戻すための、極めて精密な調香作業だった。
「苦しいだろう。……本当は、こんな匂いを撒き散らしたかったわけじゃないはずだ」
オードの声は、喧騒の中でも静かに、直接老人の意識へ届くように響く。
怒り狂うカメラスティンク。怪物は自身の腕を巨大なフラッシュランプに変え、全方位に大規模な「汚染爆発」を仕掛けようとした。広場全体を二度と消えない悪臭で塗り潰し、街の脱臭システムさえも物理的に焼き切ろうとする最後の一撃。
広場がどす黒い光に飲み込まれようとしたその瞬間、オードはドライバーのアトマイズ・レバーを三度、深く押し込んだ。
『
パフュームセイバーの刀身に、大気中の全エネルギーを凝縮した黄金の香液が集束していく。オードは地を蹴り、高く跳躍した。夕日に溶け込むような輝きを纏い、彼は空中から急降下する。
「
『
放たれた必殺の回し蹴りが、スティンクの核である「古いカメラ」を正確に捉えた。
強烈な衝撃波と共に、広場全体に爆風が吹き荒れる。だが、その風は熱くなかった。それは、高原を吹き抜ける風のような、瑞々しく、どこか懐かしい「雨上がりの午後の匂い」だった。
黄金の飛沫となって霧散するカメラスティンク。怪物の姿はどこにもなく、そこには傷一つなく磨き上げられたカメラを抱き、安らかな寝息を立てる老人の姿だけが残されていた。
オードは静かに着地し、ドライバーからフラコンを抜いた。変身が解除され、馨の姿に戻る。
街の脱臭ドローンが遅れてやってきて、残ったシトラスの香りを慌てて吸い込み始める。だが、人々の胸に刻まれた「守られたという実感」と「温かな記憶の残り香」までは、機械の力では決して消し去ることはできなかった。
馨は手首の匂いを一度だけ嗅ぐと、野次馬が集まる前に、静かに路地裏へと消えていった。
その様子を、遠くのビルの屋上から冷徹な目で見つめる男がいた。
セント・ソリューション社の
彼は人工嗅覚デバイスを調整し、オードが残した成分データを無機質に読み上げた。
「……
漣は傍らに置かれたセンスドライバーを手に取り、無表情に空を見据える。
「これより、エリア302の
街に漂うシトラスの香りが、夜の無機質な風に溶けて消えていく。
それが、二人の仮面ライダーが激突する物語の、静かなプロローグとなった。
ご無沙汰しております。
山都撫子です。
仮面ライダーソニックを現在執筆しておりますが
息抜きに新たな仮面ライダーのパイロット版小説を投稿いたしました。
多分気付いてるかと思いますが
「香水」がモチーフの仮面ライダーです。
現段階で構想しているのが
・「怪人を撃破する」のではなく「怪人を浄化する」事
・1号ライダーは「香水」2号ライダーは「薬剤」をモチーフにする事
位です。他にも案がありましたら
感想等でご助言いただけると嬉しいです、、、。
もし続きを執筆するときはソニックが完結してからの予定になるので
しばらくはパイロット版でお楽しみに下さい。
引き続き、仮面ライダーオードと仮面ライダーソニックを
よろしくお願いいたします。