毛糸玉は、いつの間にか部屋じゅうを旅していた。
青い線が床を走り、
椅子の脚をくぐり、
テーブルの角を回り込んでいる。
ギデオンはその中心に座っていた。
糸を両手に持ったまま、少し途方に暮れた顔。
「……こんなに伸びるとは思わなかった。」
そのとき、扉がそっと開く。
あなたが、その光景を見つける。
青い糸の迷路。
真ん中に、小さなギデオン。
目が合う。
一瞬の沈黙。
「……何してるの?」
ギデオンは糸を少し持ち上げる。
「……研究。」
少し間があく。
あなたは笑う。
「編み物は?」
ギデオンは毛糸と棒を見比べる。
「編んでない。」
ぽつり。
「転がしてた。」
あなたはゆっくり部屋に入る。
足元の糸を踏まないように、慎重に。
しゃがんで、糸をひとつ拾う。
少しだけ懐かしそうに見る。
「ずいぶん旅したね。」
ギデオンがうなずく。
「洞窟より長い。」
あなたは笑う。
「じゃあ、片付けよ。」
ギデオンは少しだけ安心した顔をする。
「……うん。」
あなたが毛糸玉を持つ。
ギデオンは伸びきった糸を両手で持つ。
「くるくる巻けばいいんだよね。」
「たぶん。」
糸をゆっくり引く。
ギデオンも真似をして少しずつ巻き取る。
くる、くる。
最初は少しぎこちない。
巻きがゆるい。
形がいびつ。
あなたがそっと言う。
「もう少し斜めに。」
ギデオンは真剣な顔で角度を変える。
くる、くる。
今度は少し丸くなる。
「……難しい。」
「うん。でも、楽しい。」
糸はまだ長い。
あなたが少し離れて引く。
ギデオンが巻く。
距離が縮む。
青い線が、ゆっくり消えていく。
「ほどくのは簡単なのに。」
ギデオンが言う。
「巻くのは時間かかるね。」
あなたは笑う。
「でも、巻いたほうがまた転がせるよ。」
ギデオンは小さく目を丸くする。
「……また?」
「また。」
少しだけ、口元がゆるむ。
くる、くる。
糸はだんだん丸くなる。
最初より少し歪だけど、
ちゃんと玉の形に戻っていく。
最初より少し小さい。
でも形は、さっきよりあたたかい。
あなたが言う。
「きれいに巻けてる。」
ギデオンは少し照れたように毛糸を抱える。
「転がすより、こっちのほうが難しいね。」
少し間。
「でも、嫌いじゃない。」
最後の長い一筋。
あなたは隣に座り、
残った糸をくるくると巻き取っていく。
さっきと同じように、
でも今度は整っている。
静かな午後。
ただ、糸を巻く音と、
小さな笑い声だけがある。
ふと、あなたは手元を見る。
そして少し首をかしげる。
「……あれ?」
毛糸玉が二つある。
同じ青。
同じ大きさ。
あなたの手元と
ギデオンの手元。
途中から別々に巻いていたせいで、
いつの間にか糸は二つに分かれていたらしい。
ギデオンもそれを見る。
少し考える。
それから、静かに言う。
「……増えた。」
あなたは吹き出す。
「最初は一個だったよね。」
ギデオンは二つの毛糸玉を見比べる。
そして、片方をそっと転がす。
ころん。
もう一つも転がす。
ころん。
「……二倍、転がせる。」
あなたは笑う。
ギデオンも、少しだけ笑う。
静かな午後。
青い毛糸玉が、
今度は二つ、
ゆっくり床を旅し始める。