洞窟の奥に、空の水槽が運び込まれたのは、夕方だった。
あなたが両手で抱えて、慎重に足元を見ながら歩く。
ギデオンは後ろから、揺れないようにそっと支えている。
「重くない?」
「大丈夫。」
石の床に、水槽を置く。
がらん、とした透明な箱。
中には何もない。
天井から落ちる水滴の音が、空洞の中で反響する。
ぽつん。
ぽ……ん。
あなたは少し笑う。
「これ、川の水入れようか。」
ギデオンはうなずく。
二人で洞窟の外へ出る。
川は月明かりに照らされ、ゆっくり流れている。
あなたは水をすくい、水槽に注ぐ。
ギデオンは小さな石をいくつか選んで入れる。
水草も少しだけ。
水はすぐに澄み、
川の匂いが洞窟の中に広がる。
「魚、いるかな。」
あなたが言う。
ギデオンは川辺にしゃがみ込む。
しばらくじっと見つめてから、
小さな魚を両手ですくう。
逃がさないように、でも握らない。
水槽にそっと入れる。
魚は驚いたように一瞬止まり、
それから小さく泳ぎ始める。
最初は元気だった。
水草の間を抜け、
石の影に隠れ、
時々水面近くまで上がってくる。
二人は水槽の前に並んで座る。
ぽつん。
天井の雫が、遠くで落ちる。
「きれい。」
あなたが言う。
ギデオンは黙ってうなずく。
しばらくして、魚の動きが変わる。
同じ場所を往復する。
石の端まで行き、
ガラスに当たり、
引き返す。
また当たり、
引き返す。
ギデオンの視線が、少しだけ曇る。
「……狭い。」
あなたも気づく。
川ではもっと広く、
流れに乗っていた。
今は透明な壁の中。
死ぬことはない世界。
それでも、どこか窮屈そう。
魚は再びガラスに触れる。
止まる。
方向を変える。
あなたは水槽に近づく。
「戻そうか。」
ギデオンはすぐにうなずく。
「うん。」
水槽から魚をすくうとき、
ギデオンの手は最初よりも優しい。
川へ戻す。
魚は一瞬止まり、
それからすっと流れに溶ける。
月明かりの中、
もうどこにいるかわからない。
二人はしばらく川を見ている。
風が草を揺らす。
「自由なほうが、きれい。」
ギデオンが小さく言う。
あなたは笑う。
「うん。」
洞窟へ戻ると、
水槽は空になっていた。
水だけが、静かに揺れている。
ぽつん。
ぽ……ん。
あなたは考える。
「魚じゃなくて、まりもはどうかな。」
ギデオンが首をかしげる。
「丸いやつ。」
川の近くの静かな水辺で、
小さな緑の球体を見つける。
水の中で、ゆっくり揺れている。
流れに逆らわない。
閉じ込められても、
窮屈に見えない。
そっと水槽に入れる。
緑の丸い影が、水の中で転がる。
何も急がない。
何もぶつからない。
ただ、そこにある。
ギデオンは水槽の前に座り込む。
「……これなら。」
あなたも隣に座る。
まりもは、水流に合わせて少しだけ動く。
ぽつん。
「……ぼくも、これくらいでいいのかもしれない。」
ぽ……ん。
洞窟の中に、また雫の音が広がる。
魚はいない。
でも、水はある。
緑はある。
狭くない。
急がない。
ギデオンが小さく言う。
「いい。」
あなたはうなずく。
水槽の中で、まりもがゆっくり転がる。
それを、二人でずっと見ている。
完結したら同人誌にしようか迷ってる
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本で持ちたい
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電子書籍がいい
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ここだけで十分