肌を刺すような冷気が、痛いほどに全身を叩きつけている。分厚い毛皮すら通り抜ける風は、体温を容赦なく奪っていった。
思わず瞑ってしまった目を開けようとすれば、水滴が凍った睫毛の分、瞼が重くなっていたことに気づく。
視界が開けたからといって、一面に広がるのは鮮やかとは正反対の景色ばかり。ここに長く留まっては気が狂いそうだ、と学者は思った。
「うわっ」
鋭い氷柱と薄い皮膜の靡く広間を抜けて、二つ目の段差に差し掛かろうとした時、先導する編纂者が足をとられた。凍りついた金属と深い雪ばかりの道は、人間には歩きやすいとは言えない。
「この先は雪に加えて重力もおかしくなっていて、足を取られやすい。気をつけてください」
編纂者に手を貸しながら、ハンターが振り返る。彼もまた、防寒具から出ている鼻先が真っ赤に染まっていた。
「まったく、酷い悪路だ。せめてセクレトを借りられたら良かったのですが」
「仕方がないよ、皆別の調査に出払っているんだから」
口調こそ柔和だが、二人の目は「よりによって異常気象に、偏屈な学者の調査へ駆り出されるなんて」と言外に告げている。依頼者当人である学者は黙って歩いた。
ふと視線を外すと、ドドブランゴ率いるブランゴの群れが死骸に群がっていた。長く保温性に優れた体毛を持つ彼らは、こんな気候など意にも介していない。
今でこそ、これが異常気象と呼べるが、ここの元主が幅を利かせていた数年間は、延々とこの寒さが続いていたのだという。むしろ、明るい晴れ間の差す豊穣期の方が、彼らにとっては異常気象なのだろう。
「それにしても、本当にこの辺りなんですか?」
「ええ。ここを抜けたところ」
編纂者の問いに、学者は下を指差した。それから、導蟲の虫籠を軽く指で叩く。すると、しゃらら、と一斉に緑に光る蟲らが一筋の道を照らし出した。
編纂者とハンターは、目的地がそこまで遠くないことを察し、安堵の表情を浮かべる。どの行き先も暗く氷で閉ざされたこのエリアは、地図があっても迷子になってしまいそうな不安を煽った。
まるでカーテンのような氷柱と共にぶら下がっているのは、植物の蔦ではない。そしてどこからか聞こえてくる、金属のような不気味で冷たい音もまた、おそらく生き物の咆哮ではない。
「……あれ、場所が変わっている」
「なんですって?」
蟲は、人どころかモンスターも通れるような橋のさらに先を指していた。当初の目的はここだったが、短期間のうちに変わってしまっていたらしい。
学者はマフラーを巻き直し、橋を渡り始めた。人工物が朽ち果て、自然に覆い尽くされること自体は珍しくない。
だが、なぜこんな寒風が吹き荒ぶ地でスパークが生じているのか。それ以前に、何故空中に大岩が浮遊しているのか。その答えとなるものは、この大地のあちこちで顔を出している。氷霧に包まれるここでは、氷なのかそれなのかは判別しにくいが。
「大分下層まで来たけれど、導蟲はまだ先を示していますね。これなら、メルノスを頼った方が良いのでは?」
まるで宮殿のような建造物が並ぶ層を過ぎ、無骨な基盤のようなものばかりが見えるようになった頃、ハンターが提案する。だが編纂者は首を横に振った。
「いや、彼らは匂いを辿っている筈。空中に行ってしまっては、霧散してしまう」
「私もあなたに同意する。このまま行きましょう」
学者の言葉に、編纂者は頷いた。セクレトの足が無いため迂回することにはなるが、降りるだけならば人の足でも歩ける。
ハンターは頷き、ポーチにしまっていたホットドリンクと携帯食料の包みを二人に手渡した。
氷霧の断崖は、下層に降りれば降りるほどに様々な虫たちの巣窟となっていく。そこらじゅうに張り巡らされる蜘蛛の巣に足が触れれば、たちまちその振動を感じ取った主たちが襲いかかってくるだろう。
現に、影蜘蛛ネルスキュラの幼体が金網の隙間からわさわさと落ちてくるのを既に数度見かけた。
三人は、雪を塗した隠れ身の装衣を纏い、子蜘蛛たちが通るたびに息を潜ませた。
彼らの親であろうネルスキュラをやり過ごしたところで、急に学者が足を止めたことに気づき、ハンターは編纂者に呼び掛ける。編纂者はハンターと目を合わせ肩をすくめたが、学者の傍へと歩み寄った。
一見、それまでの金網と同じように見えるもの。だがそれらのあちこちには、白く滑らかな結晶がこびりついていた。雪に溶け込んで目立たないが、よく見るとほのかに発光している。
学者はそれに触れた。特に何かが起きるわけでもないが、目視できないだけで、身体の中では反応が起こっているのかもしれない。その結果を知ることができるのは一体いつになることだろうか。
「大地の背骨」や「練龍脈」などと仰々しい呼び名を持つこの代物は、遥か昔に人類が創り出したものだという。この螺旋から染み出して結晶化したものは、エネルギーを増幅する物質として、現地の人々の生活にごく普通に受け入れられていた。
「こんなものが生きているとは。末恐ろしいですね」
「生きている、という定義に当て嵌めるには早急。まあ、その辺りは専門家に任せるけど」
学者がピシャリと言い放つと、ハンターは微妙な顔をした。こういう人間だと分かっているため、別に言い返そうとは思わないが。やり取りを見ていた編纂者は「後で一緒に飲もうな」と相棒に耳打ちした。
危険性が高いからと迂回していた蜘蛛の塒に向かう道中、急に導蟲たちが輝きを増した。三人は光の筋を辿り、そちらを見やる。
糸の中に溶け込んでいるが、僅かに他所と色が違う。学者は一目散に駆け寄った。
「ちょっと、勝手に行かないでくださいよ!」
ハンターが周囲を警戒しながら声を掛けるが、学者は気にも留めない。マスクを上げ、自身の手袋に穴が空いていないことを確かめてから、見つけたそれを手に取った。
「あった……!」
ゲリョスやネルスキュラの毒が結晶化したものよりも、はるかにどす黒い紫色をしている。それなのに光を吸収するどころか弾き返す、不思議な性質。
これこそが、学者が探し求めていたものだった。欠片どころの大きさではなく、結晶そのものだ。
学者の手元を覗き込んだ編纂者は、目を見開いた。
「狂竜結晶! 本当にあったなんて……」
それは、蜘蛛の巣のほうへ点々と続いている。辿ろうとした学者の肩を、ハンターが掴んだ。
「それ以上はいけません。丸腰で巣に入るのはあまりにも危険だ。ここからはハンターの仕事です」
学者は軽く舌打ちをする。ハンターは溜め息を吐きながら、編纂者を見た。
「狂竜結晶の調査を正式にクエストにしてくれ。学者先生は安全に拠点に返さなきゃいけないからな」
「了解。念の為、狂竜化モンスターの討伐許可も一緒に出しておこうか?」
編纂者がリュックサックから分厚い本とペンを取り出す。ハンターは少し考え、首を横に振った。
「いや。痕跡はこれしか無いし、まだそこまでしなくても良いだろう。いざって時には頼んだぞ」
「はいよ」
勝手に話が進んでいくのを、学者は不機嫌を隠そうともせずに眺めていた。ここに来てから、編纂者の資格も取っておけば良かったと何度思ったことだろう。
「それにしても、どうして狂竜結晶がこんな所に? もしかして、あのぐるぐる巻きの死体の中にこれの主が居たりして」
「ウエッ」
編纂者が呟くと、ハンターは腕をさすった。一方で、学者は溜め息を吐いた。
「あなたの身体、大きな尿酸の結晶がそのまま大量に出るわけ? これは通常であれば、狂竜化したモンスターの体内に生成されるもの。それがこんなところに落ちているのはおかしいでしょう」
「このッ……!」
「ドウドウドウ……」
侮辱と正論を同時に食らった編纂者は、こめかみに青筋を立てた。今度はハンターが彼を抑える。
学者は意にも介さず指笛を吹き、翼竜を呼んだ。スリンガーの弦を張ったのち、ハンターに向き直る。
「先日の狂竜化モンスターの大量発生、あなた達も討伐に参加していたと聞いた。日を置いてから別のモンスターが発症するのはおかしくないけど、これは明らかな異常。私はファビウス先生に報告して、対策本部を立てる」
ハンターは編纂者を抑える腕を解き、頷いた。編纂者も大きな溜め息を吐きながらも、納得した様子を見せる。
「調査協力、感謝します。帰還まで同行をお願い」
「言われなくても」
学者の言葉に、ハンターと編纂者は仕方ない、と目を見合わせ、首を縦に振った。
猛吹雪の中を、三匹の翼竜が潜り抜ける。浮遊する瓦礫やらモンスターやらに紛れるその姿を、遠くから見上げる視線があった。
Monster Hunter Wilds1周年おめでとうございます!
MRも楽しみです。
という訳で、新連載です。よろしくお願いいたします。
※旧バージョンはあまりにも内容がサブクエストと被っていたので、リメイクいたしました。