機動戦士ガンダム ダブルバード 「Rewrite」 作:くろぷり
ウッソの記憶
古い木製の椅子は長い年月を経て表面が滑らかに磨り減り、座るたびに微かな軋みを上げる。
ウッソ・エヴィンは軋む椅子に腰を下ろし、膝の上に広げた書物を静かにめくり始めた。
表紙には、くすんだ金文字で「リガ・ミリティアの軌跡」と記されている。
まるで古い雑誌のように、ページの端が黄ばみ埃の匂いが微かに漂う一冊だ。
部屋は簡素で、木製の机が中央に据えられるだけ。
窓からは柔らかな陽光が差し込み、埃の粒子を金色に輝かせていた。
外にはV2ガンダムの白い機体が静かに佇み、過去の戦いの記憶を無言で語っているように見える。
ウッソの視線は、ページを追うごとに深みを増していった。
ウッソの心には長い間くすぶっていた疑問が、再び疼き始めている。
あの頃……Vガンダムで戦っていた少年時代に、バルセロナの小さな漁村で出会った老漁師ロブ爺さん。
白髪混じりの髭を蓄え、潮風に焼けた肌の老人だったと記憶している。
ロブ爺さんは自分を見て「ニコル!」と叫び、死んだ息子と間違えたのだ。
最初は、ただの見間違いかと思っていたが……ロブ爺さんは、その後もウッソを「ニコル」と呼び続ける。
最期の瞬間……ベスパの銃弾に倒れながらも、ロブ爺さんは自分の手を握ってくれた。
「しかしなぁ、おまえを戦争にとっていった軍隊はなぁ、ありゃ許せんのだ」
ロブ爺さんの言葉が、脳裏に甦る。
ロブ爺さんは死んでしまった息子の代わりに、ウッソに未来を託したのだ。
大人になった今、その記憶は心の奥底で温かな光となって灯る。
ウッソはページをめくりながら、静かに涙を流す。
書物に記されたリガ・ミリティアの戦いの記録が、自身の記憶を呼び起こす触媒となっていた。
(シャクティも……なぜ、地球に降りてきたのか? それも、結局分からずじまいだったな……)
シャクティ・カリンの穏やかな笑顔が、脳裏に浮かぶ。
純粋で、時に神秘的な少女。
ウッソはため息を漏らし、ページを進める。
あるページに、シュラク隊の勇敢な女性たちの写真が掲載されていた。
マヘリア、ケイト、ヘレン……彼女たちの温もりが、懐かしい。
厳しい訓練の合間に笑顔で頭を撫でてくれたり、戦場での恐怖を共有してくれたりした。
短い時間だった……それでも、あの頃の温かさが胸に甘い痛みを呼び起こす。
女王マリアとの出会いも、鮮やかに蘇る。
崇高で、しかし哀しみを湛えた瞳。
女王マリアは、何か知っていたのだろうか?
ウッソは、瞳を閉じた。
そうすると、自然と蘇る。
Vガンダムを、初めて操縦した時の感覚。
コクピットに座り、コントロールを握った瞬間……身体が軽くなり、まるで風に運ばれるような浮遊感。
エンジェル・ハイロゥでの激戦では、死の影がすぐそばに迫っていた。
爆音と閃光、仲間たちの叫び声。
ウッソは書物を閉じ、椅子の背もたれに身体を預けた。
軋む音が、静かな部屋に響く。
瞳を閉じていると、記憶の断片が次々と浮かぶ。
そして、あの夢……クロノクルからシャッコーを奪った、少し前に見たもの。
夢なのか、現実なのか……境目が曖昧な幻。
暗闇の中で、謎の男がウッソにバトンを渡す。
男の顔はぼやけていたが、その声は鮮明に覚えている。
「君が、希望の翼になるんだ。オレの力の全てを、君に……そして、息子と女王の娘さんを頼む。光の翼と共に……」
手触りは冷たく感じたが、しかし確かな重みがあった。
「あれは……現実だったのかな?」
ウッソは、独り言のように呟く。
窓の外、陽光に照らされたV2ガンダムが佇んでいる。
汚れながらも白く輝く機体は、過去の守護者のように見えた。
ヴィクトリーを……そしてV2を操縦している時に、感じた不思議な感覚。
誰かに後押しされているような、不思議な力。
亡き母ミューラ、マリア、オデロ、シュラク隊の仲間たち……すべての人々が、機体を通じて支えてくれていたからだと思っていた。
だけど、それだけではない気がする。
「V2……お前は、知っているのか? 僕たちに、希望と光を残してくれた人たちのことを。お前を造るために、母さんに力を貸してくれた人たちのことを……」
ウッソの声は震え、涙が頬を伝う。
ヴィクトリー・タイプは、量産機だ。
あった筈なんだ……雛型の機体と、試作機が。
リガ・ミリティアの軌跡には記されていない、自分達の前に戦っていた人達がいた筈なんだ。
その人達がバトンを繋いで、V2は生まれたんだと思う。
ウッソは軋む椅子から立ち上がり、ゆっくりと窓辺に近づいた。
V2ガンダムの翼が、陽光を受けてきらめく。
その瞬間、ウッソの瞳に違うモビルスーツの映像が飛び込んだ。
目を擦り、窓の外に改めて視線を移す。
「やっぱり、V2だよな……でも、今の機体は?」
ウッソは、静かに微笑む。
「そうか……ニコルさん。ロブ爺さんの息子さんが、僕に力を……そして、ダブルバード・ガンダム。それが、お前の親の名前なんだな」
地球育ちの、ニュータイプか……
だけど、今の一瞬で何か納得できた。
ウッソは深く息を吸い、部屋を後にする。
足音が木の床に響き、扉が静かに閉まった。
朧げながら、ウッソは確信する。
二つの翼が、一つになった瞬間を。
そして希望の翼を残すために、闘った人々がいたことを……
それは、決して消えない希望の翼だった……