転生して型月版・沖田総司になったけど、労咳を克服したら明神弥彦の母になっていた件 〜るろ剣世界で最強のママやってます〜 作:だいたい大丈夫
そして明かされる、新たな敵の存在。
夜明け前、二つの決戦が幕を開けます。
私の右手の中で、クシャクシャという情けない音を立てて、一枚の和紙がひしゃげる。
それは、我介が震える手で差し出してきた、ふざけた内容の『斬奸状』だ。
私の頭の奥底で、プツン、という、何かが決定的に切れる音がする。
「抜刀斎!!!」
「貴様ッ! 貴様のその、くだらなくて甘ったるい決断が、この最悪の事態を呼んだのよ!!」
私の背丈よりも少し高い彼を、強引に私の目の高さまで引きずり下ろす。
緋村さんの赤い前髪が揺れ、その下にある十字傷が月明かりに照らされている。
「あの時!さっき鵜堂刃衛を追い詰めようとした私を、お前が余計な手出しをして止めなければ!!あの狂人の首を、私がきっちりと胴体から切り離してあの世へ送っていれば、こんなことには絶対に、絶対にならなかったのよ!!」
「私の弥彦を!私の宝物を!お前のその『不殺』なんていう、独りよがりな偽善のせいで、危険に晒したのよ!!わかる!?卑劣で薄汚い連中の手に、あの子が落ちたのよ!!薫ちゃんだってそうよ!!あんた、自分が何をやらかしたのか、本当に理解しているの!?」
普通なら、これだけ罵倒されて胸ぐらを掴まれれば、いくら温厚な人間でも手を払い除けるなり、反論するなりするはずだ。
しかし。
「…………」
緋村さんは、私の激しい揺さぶりにも全く抵抗しない。
「……済まない。返す言葉も、ないでござる」
その声には、一切の言い訳が含まれていない。
でも、そんなしおらしい態度を見せられたところで、私の中の煮えたぎる怒りが静まるわけがない。
むしろ、無抵抗なその態度が、余計に私の神経を逆撫でする。
「すまないで済むか!!バカ野郎!!」
「すまないで済むなら、この世に警察も新選組もいらないのよ!!今すぐそこで腹を切って詫びろ!!お前がその逆刃刀で腹を十文字に掻き捌くっていうなら、私が慈悲で介錯くらいはしてあげるわよ!!」
「いや、切腹の準備をしている時間すら惜しいわね!今ここで、その素っ首を、叩き落として、私の怒りの鎮痛剤にしてやるわ!!」
緋村さんは殺されるならそれも本望だ、とでも言いたげな、腹の立つ顔をしている。
「姐さん!落ち着け!!」
「離しなさい、左之助!!」
怒りのままに右腕を振り払おうとするが、左之助は全身の体重をかけて私の腕にすがりつき、決して離そうとしない。
「離さねえよ!頼むから落ち着いてくれ、姐さん!!」
「気持ちは痛えほどわかる!姐さんが弥彦をどれだけ大事に思ってるか、俺だってウチの組で毎日見てるから知ってる!剣心の甘さのせいでこんなことになったのも事実だ!だがな!!」
「今は、内輪揉めしてる場合じゃねえだろうが!!剣心の首を刎ねたって、弥彦も嬢ちゃんも帰ってこねえんだぞ!!誰がアイツらを助けに行くんだよ!!弥彦たちを、あの狂人どもの手から助け出すのが先決だろうが!!違うか!?」
「…………ッ!!」
左之助の言う通りだ。
ここで私が緋村さんを斬り殺したところで、自己満足の怒りを発散できるだけで、状況は一ミリも好転しない。むしろ、強力な戦力を一つ失うことになり、弥彦の救出確率が下がるだけだ。
「……ふうーっ」
「…………そうね。あんたの言う通りだわ、左之助。ごめんなさい、ちょっと頭に血が上りすぎたわ」
「まずは弥彦の救出。……それに、巻き込まれた薫ちゃんも。お説教と腹切りは、二人を安全な場所に連れ戻してから、たっぷりと時間をかけてやらせてもらうわ」
「で、我介」
地面に這いつくばったまま、ハアハアと荒い息を吐いている我介の前にしゃがみ込む。
「道場を襲撃して、弥彦と薫ちゃん達を攫ったやつは、一体どんなやつだったの??人数は?流派はわかる?なにか特徴的な……」
「……って我介!あんた、顔の泥ばかり気にしてたけど、お腹のあたり、血まみれじゃないの!斬られてるんじゃないの!!」
よく見ると、彼の両手は自身の腹部を強く押さえており、その指の隙間からも、生温かい血がポタポタと地面の砂利に滴り落ちているではないか。
草履が脱げているのも、全力疾走したからだけではなく、痛みのせいで足元がおぼつかなかったからだ。
「へ、へえ……」
「ご心配をおかけしやす、姐さん……。でも、大丈夫です。ただの、ちょっと深いかすり傷です……。姐さんのシゴキや、真剣白刃取りの特訓に比べりゃあ、こんなもん、蚊に刺されたようなもんでさぁ……」
「バカ言ってるんじゃないわよ!!」
「強がらないの!着物がこれだけ血を吸ってるんだから、出血量がかすり傷なんて可愛いものじゃないわよ!!下手したら内臓まで達してるかもしれないじゃない!!」
「誰か、清潔な布を!左之助、あんたのシャツ、破いて寄越しなさい!早く止血をしないと、このままじゃ我介が死んじゃうわ!!」
「お、おう!わかった!」
「我介、ちょっと痛いけど我慢しなさいよ!」
左之助から受け取った布を、我介の腹部の傷口に直接強く押し当て、ギュッと縛り上げて圧迫止血を試みる。
「ぐっ……!」と短く苦悶の声を漏らすが、これでなんとか致命的な出血は抑えられるはずだ。
「……でも、不思議ですね」
「僕、我介さんの剣の腕、少しだけ見たことがありますけど、その辺の道場の師範代くらいなら軽くあしらえるくらいには、かなり強いですよね」
「そんな我介さんや、他の若い衆たちを何人も斬り伏せて、しかも、抵抗する人間二人を抱えたまま、逃げ去るなんて……」
「物理的な重量と逃走速度を計算しても、なかなかの手練れですね。ただのチンピラやゴロツキの集団じゃ、絶対に不可能な芸当です。集英組の人たち、普通の剣客よりよっぽど強いのに。相当な達人が混ざっているとしか思えません」
「………そうね。宗次郎君の言う通りだわ。弥彦は子供とはいえそれなりに体重があるし、薫ちゃんだって師範代で、簡単に攫われるようなタマじゃない。それを二人同時に抱えて逃げるなんて、異常な筋力と歩法が必要よ」
「我介。無理して喋らなくていいから、簡潔に答えなさい。相手は何人だったの?大男の集団だったの?」
「……それが……」
「……攫ったのは、たった1人です。……しかも、女でした」
「はあ!?」
「女!?女がたった一人で、あんたたちを斬り伏せて、弥彦と薫ちゃんの二人を同時に担いで逃げたっていうの!?」
「……へい。すいません、姐さん。俺たちが不甲斐ないばかりに……あんな女一人に、坊っちゃんたちを守りきれなくて……」
「女が、一人……?」
「刃衛は、さっきまで谷の屋敷で私たちと直接対峙して戦っていたわ。いくらあいつの縮地まがいの足が速いからって、屋敷から逃げた後、こんなに短時間で組の本部周辺まで先回りして、二人を攫えるはずがない。アリバイは完璧に成立している」
「つまり、その『女』っていうのは、黒笠の完全な協力者……実働部隊の共犯ってことね。でも、女一人でそこまでの戦闘力と運搬能力があるなんて……一体何者なのよ」
「それが…………」
我介が、ガタガタと震える手で地面を掴み、恐怖に引きつった顔で空を見上げる。
「ただの女じゃねえんです。……俺たちの想像を絶する、得体の知れないバケモノでして……」
「バケモノ……?」
◇◇
時は少し遡り、数十分前の関東集英組本部。
外の暗闇とは対照的に、広間の中は明るい行灯の光に包まれ、とても和やかで温かい時間が流れている。
「あの……夜分遅くに、私まで突然お邪魔しちゃって本当にごめんなさい」
薫が、出された高級な玉露のお茶を申し訳なさそうにすすりながら、広間の上座に座る恰幅の良い男に頭を下げる。
「良いってことよ!気にしなさんな!」
関東集英組の組長、多西が、豪快にガハハと笑いながら、長くて立派な煙管(きせる)をスパーッと吹かす。
「琴の友達、しかも弥彦がいつも世話になってる道場のお嬢さんってんなら、それはウチにとっても一番大事な客人だ。極道の家に上がり込むなんて少し怖いかもしれないが、遠慮はいらねえぜ。好きなだけくつろいでいってくれや」
「おう!」
多西組長の言葉を受けて、弥彦が腕を組み、座布団の上でこれ以上ないくらいに偉そうにふんぞり返る。
「母さんが『刃衛の件が片付くまでは、念のためこっち(組)に避難していた方が安全だ』って言うからな!特に神谷道場は狙われやすいってよ。だから、俺が集英組の若頭候補として、お前のことをバッチリ守ってやるんだから、泣いて感謝しろよブス!」
「誰がブスよ!この生意気弥彦〜!!少し剣の腕が上がったからって調子に乗らないでよね!」
ふんぞり返っている弥彦の頬を両手でムニィーッとつねり上げる。
「痛てててて!!離せこの暴力女!!客分としての自覚を持て!!」
「いやあ、良いですねぇ」
「普段は野郎ばかりでむさ苦しい組の事務所も、嬢ちゃんと弥彦坊っちゃんがいると、一気に賑やかで華やかになりますや。毎日遊びに来てくれてもいいんですよ」
「おう。全くだな」
「薫嬢ちゃん、面倒見もいいし気立ても良さそうだ。弥彦にはちょっと勿体無いくらいの、いい姉さん女房になるんじゃねえか?どうだい嬢ちゃん、次期組長の嫁に来る気はねえかい?今なら結納金弾むぜ?」
「おや、親分」
我介がわざと全員に聞こえるような大声で言う。
「親分、それがですね。薫お嬢ちゃんは、弥彦坊っちゃんじゃなくて、居候してるあの赤い髪の緋村さんに完全にホの字なんでさぁ。毎日道場でデレデレらしいですよ」
「が、我介さん!!」
「ち、違います!!私は別に、剣心のことなんて、そんなんじゃないですから!!ただの居候だし、流浪人だし、私が面倒見てあげてるだけで……!!」
「オヤジ(組長)もふざけないでくださいよ!!」
弥彦も、なぜか顔を赤くして、フンッとそっぽを向く。
「こんな……料理もめちゃくちゃ下手くそで、すぐに手が出るブス嫁なんか……頼まれたって俺がもらってやるかよ!!絶対に嫌だね!!毎日黒焦げの飯なんて食えねえよ!!」
「すまんなぁ……」
多西は、薫と弥彦のあまりにもわかりやすすぎる初心(うぶ)な反応を見て、さらにニヤニヤと笑いを深くする。
「お前ら二人とも、顔に書いてあることが全部わかりやすいぜ。若いってのは良いもんよなぁ、我介」
「へえ、親分の言う通りで」
広間に、平和な笑い声が満ちる。
誰もが、この和やかな夜がそのまま朝まで続くのだと疑っていなかった。
コンコン……。
不意に、表の庭に面した障子が、とても静かに、遠慮がちに叩かれる音がした。
「ん?なんだ??」
我介が、笑いをピタリと止めて首を傾げる。
「こんな夜更けに誰だ?表の門には若い衆を立たせてあるはずだが……取り次ぎもなしに、いきなり中庭まで入ってくるなんておかしいぞ」
「……ここに、神谷薫と明神弥彦という人間がいると聞いてきたのだけど……ちょっといいかな」
障子の向こうから、ひどく感情の抜け落ちた、平坦で冷たい女の声が聞こえる。
スーッ、と。
返事も待たずに、障子が音もなく静かに横にスライドして開く。
「な……!?」
我介が息を呑む。
そこに立っていたのは、黒髪の中に白髪がメッシュのように不規則に混ざった、腰まで届く長い髪の女だった。
年齢は十代半ばくらいだろうか。しかし、その顔には表情というものが全く存在せず、能面のように不気味なほど整っていた。
だが、何より異様で、目を引くのは、その細身の女の腰に提げられた一本の刀だ。
彼女の体の七割、いや、八割ほどの長さはあろうかという、異常な長さの巨大な『長太刀(おおだち)』が、白い鞘に納まったまま、無造作に背中に下げられている。
あんな長大で重い武器を、あんな細腕でどうやって振るうというのか。
「……表の門で見張ってた、ウチの組のモンはどうした??」
「てめえ、何者だ?勝手に人のシマに土足で上がり込んで、二人に何の用だ?」
「え?」
女は、我介の殺気に満ちた威嚇を受けても、表情の筋肉をピクリとも動かさず、ただ淡々と、首をわずかに傾けて答える。
「面倒だから、門の人は無視した。誰にも気づかれないように、屋根を伝ってここまで来ただけ。まだ誰も斬ってないよ。安心して。……でも、中に入ったら人がたくさんいて、二人がどれかわからないから、とりあえず聞こうと思って」
「ふざけんなよてめえ!!」
我介が、ドスを半分引き抜き、怒号を上げる。
「この関東集英組の本部にコソコソ乗り込んできてただで済むと思ってんのか……!ぶっ殺されてえのか!」
「我介、あまりがなるな」
多西組長が、我介を片手で制止し、鋭い、鷹のような極道の眼光で、障子の枠に立つ女をギロリと睨みつける。
「相手が女だろうと何だろうと、デカい声を出すのは極道の男が下がるぜ。……で?嬢ちゃん」
「何の用でえ?そのデカくて物騒なモンをぶら下げて、まさかただの夜の挨拶やご近所付き合いじゃあるめえ。誰の差し金だ?」
「あの二人に、私と一緒に来てもらう。……そういう依頼だから」
広間の奥で固まっている薫と弥彦を指差す。
「大人しくしていれば、とりあえず明日までは生かしてあげる。……だから、抵抗しないでついてきて」
「な、何を言ってるの!!」
薫が、恐怖を押し殺して叫ぶ。
「おい!ちょっと待て!」
弥彦も、持っていた木刀を構えて前に出る。
「『明日までは』って、それって結局、明日には殺すつもりだって聞こえるぞ!!誰がお前みたいな気味の悪い奴にホイホイついて行くかよ!!」
「え?」
「二人とも、今すぐここで死にたいの? それはちょっと困ったな……。依頼主の用が済むまでは、一応生かしておく予定なんだけど……死体じゃ役に立たないって言ってたし」
「ねえ。人間って、両手と両足を斬り落としても、血を止めれば死なないで明日まで生きられる?動けなくなれば、逃げないし、運ぶのも楽だから、そうしようかなって思うんだけど……どうかな?」
淡々とした、純粋な疑問。
それが逆に、彼女の人間としての異常性を際立たせ、広間の空気を氷点下まで凍りつかせた。
「……ッ!! この狂人(キチガイ)が!!」
「出合え!!!!!このイカれた女を叩き出せ!!殺しても構わねえ!!」
我介の号令に応え、広間の奥の襖や、廊下のあちこちから、集英組の腕利きの若い衆が十数人、一斉にドスや木刀を構えて雪崩れ込んできた。
あっという間に、障子際に立つ女を、半円状に幾重にも取り囲む。
「……たくさん出てきたね」
女は、自分を取り囲む十数人の屈強な極道たちを見回し、やはり全く表情を変えずに呟く。
「やっちまえ!!」
若い衆たちが一斉に怒号を上げ、女に向かってあらゆる方向から一斉に飛び掛かる。
「二人以外は、殺せと言われていない」
「……だから、手足は、ごめんなさい」
次の瞬間。
女の細い身体が、異常なほど深く沈み込む。
片膝が完全に床板に擦れるほどの、常軌を逸した超低空姿勢。そこから、彼女の体長と全く不釣り合いな巨大な長太刀が、神速のスピードで抜刀される。
ガシャン!! ザシュッ!!
まばゆい銀色の閃光が、低い位置で円を描くように広間を薙ぎ払う。
長太刀の抜刀術による、相手の目測や射程の常識を完全に狂わせる、恐ろしく広範囲の変則的な斬撃。
「ぎゃあああッ!!」
「ぐわぁッ!!足が!!」
一瞬にして、女を取り囲んで飛び掛かろうとしていた十数人の若い衆たちの、膝下の筋や、刀を構えた腕の筋が、恐ろしいほどの正確さで次々と浅く斬り裂かれる。
大動脈は外されているが、戦闘能力を完全に奪う、剣閃が舞う。
あちこちから赤い血飛沫が広間の壁や障子に飛び散り、十数人の男たちが、次々と悲鳴を上げながらドサドサと床に倒れ伏していく。
そして、その見えない剣の軌道がようやく眼球に映ったと思った次の瞬間には。
女はすでに、その長すぎる刀を、血を払う動作すら見せずに、一呼吸でスッと鞘に納め終わっていた。
「てめえら!!この野郎!!」
我介が背中を見せている女に向かって、長ドスを上段に構えて背後から飛び掛かる。
「あんたは、他の人より少し動きが速くて強い」
女が、背後からの我介の気配を感じ取り、振り返りざまに、再び超低空からの抜刀モーションに入る。
「……でも、死んだらごめん。……逆薙ぎ」
今度は、鞘から抜かれた長太刀が、下から斜め上へと、我介の胴体を撫で斬るようにしゃくり上げる。
「がっ!!」
我介は、咄嗟にドスで防御しようとしたが、長太刀の異次元のリーチとスピードに対応しきれず、腹部を横一文字に深く斬り裂かれる。
「ごふっ……!!」
我介の口から鮮血が散り、その場に力なく崩れ落ちる。
「我介!!」
「……逃げろ弥彦!!薫嬢ちゃんを連れて、今すぐ裏口から逃げろ!!この女はバケモノだ!!」
多西組長は、弥彦たちを逃すための時間を稼ぐべく、自らの身を呈して、丸腰のまま女に組み付こうと突進する。
「ぐあああ!!!」
「おじさん、私の仕事の邪魔したらいけない」
「人が仕事で困ることはしてはいけないって、お母さんに習わなかったの?ヤクザの組長だから、そういう常識は習わなかったのかな?」
女は空中で体を捻り、長太刀の重い鞘の先端を、多西組長の脳天めがけて容赦なく振り下ろす。
鈍い音が響き、多西組長は白目を剥いて、床に倒れ込む。
「……じゃあ、一緒に来て」
女が、血塗られた長太刀の鞘をだらりと下げたまま、広間の奥で身を寄せ合って震えている薫と弥彦に向かって、無表情のままゆっくりと、一歩一歩近づいていく。
「明日死ぬときは、苦しまないように、ちゃんと一緒に首を切ってあげるから」
「…………薫、逃げろ」
弥彦は、恐怖でガタガタと震える足を踏ん張り、両手で木刀を強く握りしめ、薫を背中に庇うようにして前に立つ。
「俺がこいつの足止めをする!その隙に、表通りへ走れ!!」
「弥彦……そんな、私だけ逃げるなんてできないわよ……!私だって、神谷活心流の……!」
薫も、床に落ちていた若い衆の木刀を拾い上げ、弥彦の横に並んで構える。
「逃げられない」
「……ふっ!」
女が短く息を吐いた瞬間、その姿がフッと二人の視界から消える。
「なっ!?」
弥彦と薫が反応するよりも早く、女は二人の背後に音もなく回り込んでいた。
そして、長太刀の柄頭で、二人の首筋の急所を打ち据える。
「かっ……」
弥彦は、木刀を振り下ろすこともできず、白目を剥いてその場に倒れ込む。
「うう……」
薫も、短い呻き声を上げ、膝から崩れ落ちて意識を失う。
「よし、と」
女は、気絶した薫と弥彦を、軽々と両脇に抱え上げる。その細腕のどこにそんな筋力があるのか、物理法則を疑いたくなる光景だ。
「……じゃあ、任務完了だから行くね」
「あ、そこのお兄さん」
女は、腹部から血を流し、虫の息で床に這いつくばっている我介に向かって、振り返りもせずに声をかける。
「ちょっと痛そうだけど、まだ生きてるよね」
懐から、『斬奸状』を取り出し、我介の目の前の血だまりの中に投げ落とした。
「このお手紙、後で帰ってくる、壬生の野良犬に渡しておいて。ちゃんと渡さないと、あの二人が死んじゃうからね」
女の言葉は、最後まで感情の起伏というものが一切存在しなかった。
そして、女は二人を抱えたまま、夜の闇の中へ、文字通り音もなく、幻のように溶けて消え去っていった。
◇◇
「……という訳でして」
我介は、脂汗にまみれた顔を歪めながら、途切れ途切れの荒い息の中で、必死に言葉を紡ぎ出す。
「あの女……あれほどバカみたいに長くて重そうな刀を振り回しておきながら、必ず『一呼吸』の間に、スッと鞘に戻すんでさぁ。まるで、最初から刀なんて抜いていなかったみたいに……」
「どうやってあんな長い刀で、しかもあんな床スレスレの体勢から神速の抜刀術をやってのけているのか……正直に言います。極道として毎日姐さんにシゴかれている俺たちの目にも、全く、何一つ見えませんでした。気づいた時には、若い衆がみんな血を吹いて倒れてたんでさぁ」
「……わかった。もう喋らなくていいわ。状況は十分に伝わった」
私は、宗次郎君と左之助に指示を出した。
「あんたたち、我介をすぐに組のお抱えの町医者のところへ運びなさい。戸板に乗せて、絶対に振動を与えないように運ぶのよ。……いいこと、我介。あんたは絶対に死んじゃダメよ。もし勝手に死んだら、地獄の底まで追いかけていって、三途の川のど真ん中で延々とスクワット百回の刑にしてやるからね。わかったわね」
「へ、へえ……姐さんのスクワットよりは、死ぬ方がマシかもしれねえですが……意地でも生き残ってやりやす……」
我介が引きつった笑顔で冗談を返し、左之助たちに抱えられてゆっくりと夜の闇の中へ運ばれていく。
「……」
先ほどの我介の証言。
『極端な低空姿勢からの、長太刀による抜刀術』
長い髪、無表情。そして、体の七割を占めるという異常な長さの刀。
『普通に考えて、あり得ないわ。物理法則を完全に無視している』
私は脳内で、その女に刀を抜かせてみる。
低い姿勢から長い刀を抜こうとすれば、当然、刀の切っ先は床に激突するか、鞘から完全に抜け切る前に自分の体に引っかかるはずだ。
しかも、広範囲の変則的な斬撃。そこからの、一呼吸での神速の納刀。
『長い刀を扱うなら、佐々木小次郎の「物干し竿」みたいに、上段から大きく振りかぶるか、背中に背負うのがセオリーよ。それを腰に差したまま、超低空で抜くなんて……』
『鞘引きだわ。鞘ごと後ろに極限まで引きながら、同時に体を前に弾き出す。それだけじゃない、刀の反りを利用して、円を描くように抜いているんだわ。しかも、スピード。純粋に、人の急所を広範囲に一瞬で刈り取るためだけに特化した、特異で異端な実戦剣術』
『ただの『人斬り』の技じゃない。……完全に『暗殺者』のために洗練された、特化型の技ね』
「……とりあえず」
手に持っていた『斬奸状』をもう一度広げ、そこに書かれた文字を睨みつける。
「……とりあえず、このふざけた果たし状の文面と、さっきの我介の話を総合すると、明日までは二人を殺さずに生かしておく、っていうことみたいね。敵の目的は、私たちをおびき寄せることなんだから」
「指定された時間は明日の夜明け前。場所は二箇所。一つは町外れの廃屋。もう一つは、山奥の廃寺よ」
「緋村さん。貴方は、指定されたこの薫ちゃんのところ……廃寺の方に行きなさい。……私は、弥彦が捕まっていると思われる、廃屋の方に行く」
「琴殿……!それは……」
「反論は許さないわよ」
「私たちが二手に分かれることが、敵の最大の狙いなんだから。わざわざその狙いに乗ってあげるのよ。……刃衛は、間違いなく私か貴方との一騎打ちを望んでいるはずよ。だから、どちらかに刃衛本人がいて、人質にしている可能性が高いわ」
「そして、もう一つの方にはさっき我介たちを斬ったあの不気味な女の暗殺者がいるはずよ。…上等じゃない」
「……承知したでござる。薫殿は、必ず拙者が守り抜く。……琴殿も、どうかご無事で」
「心配無用よ。私は幕末からこっち、負けたことなんて一度もないんだから」
「……もしも」
「もしも、私の愛する弥彦に……指一本でも、髪の毛一本でも触れていたら。その可愛いほっぺたに傷でもつけていたら」
「黒笠だろうが、あの謎の長太刀の女だろうが、雇い主だろうが……全員まとめて、私がこの手で、原型を留めない肉片になるまで、コンビーフみたいに細かく刻み刻んでやるわ。お母さんの怒りを舐めるんじゃないわよ」
夜の闇に、二つの修羅の道がクッキリと示された。
一人は、かつての罪を償い、「不殺」の誓いを貫きながら大切な人を守るため。
もう一人は、我が子を奪われた「母」としての、純粋で残酷な怒りを完膚なきまでに晴らすため。
「行くわよ、野郎ども。気合入れなさい。夜明けまでに片付けるわよ」
「おう!!」
「はい!」
私たちは、指定された決戦の地へ向けて、夜の東京をそれぞれ別々の方向へ向かって駆け出した。
ついに敵の正体の一端が見えてきました。
黒笠の狂気に加えて、
長太刀を操る謎の女暗殺者。
そして弥彦と薫を巡る二つの決戦。
次回は
・沖田 vs 長太刀の女
・剣心 vs 刃衛
という二つの戦いになります。
よろしければ
・長太刀の女の正体は?
・沖田と剣心の対立
・今後の展開予想
など、ぜひ感想を聞かせていただけると嬉しいです。
この謎の女、誰だと思いますか?
-
元維新志士
-
元新選組
-
わかる人は感想でピンポイント