転生して型月版・沖田総司になったけど、労咳を克服したら明神弥彦の母になっていた件 〜るろ剣世界で最強のママやってます〜   作:だいたい大丈夫

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阿片の精製技術を持つ女――高荷恵を巡り、
関東集英組の本部に、一人の男が現れる。

青年実業家・武田観柳。

そしてその背後には、
江戸城御庭番衆最後の御頭――四乃森蒼紫。

極道と商人。
そして剣客。

静かな広間で、
刃よりも鋭い交渉が始まろうとしていた。


極道の契約

「水野の兄貴!!宇佐美の兄貴!!大変です!」

 

慌ただしい足音を立てて、組の若い衆が一人、血相を変えて裏口から走り込んできた。

 

その声に反応し、ゾロゾロと顔を出したのは、緋村剣心、相楽左之助、明神弥彦、そして昨日から神谷道場に居候(という名の軟禁)をしている高荷恵。さらにその後ろから、フリフリのメイド服を着たお彦さん(河上彦斎)がトテトテとついてきている。

 

「どうした?そんなにデカい声出すな。近所に聞こえるだろ」

 

「それが……!」

 

「とにかく本部へ来てくだせえ。とんでもなくヤバい連中が、親分のところへ乗り込んできやした……!」

 

「ヤバい連中?」

 

本部へ向かい、大広間に面した障子の隙間から中の様子を窺った。

 

「……ありゃあ」

 

広間の下座には、昨日、水野と宇佐美が賭場でボコボコにした観柳の私兵二人が、顔面を腫らしたまま、ガチガチに緊張した様子で正座させられていた。

 

上座にデンと構える多西組長の対面には、仕立ての良い高価な洋装に身を包み、眼鏡をかけた、ひどく神経質そうで不敵な笑みを浮かべた男――悪徳青年実業家、武田観柳が座っていた。

 

だが、何より異様なのは、その観柳の斜め後ろに、まるで彫像のように微動だにせず控えている長身の男の存在だった。

 

季節外れの長い外套(コート)を羽織り、氷のように冷たく、そして鋭い眼光。その背中には、明らかに実戦用の小太刀が二本、交差するように背負われている。

 

その男から放たれる、底知れない、肺の奥まで凍りつくような冷気。それは間違いなく、数多の修羅場をくぐり抜けてきた本物の『殺し屋』の気配だった。

 

「……私兵を連れて、わざわざ自ら詫びを入れに来た……ということでいいのでござるか?」

 

「だろうな」

 

「いくら成金で軍隊並みの私兵団を抱えてるとはいえ、この関東最大の武闘派組織である『集英組』と、真っ向から全面抗争になるのは避けたかったんだろ。ウチの組と戦争になれば、いや日本の筋モン全部を敵に回すことになりかねねえからな。商売にも響くし、分が悪いと踏んだんだろうぜ」

 

「すじ……?」

 

「私、牛すじの煮込みは大好き。大根とこんにゃく、赤味噌で甘辛く煮る、すごく柔らかくて美味しい。……え?お昼ご飯、牛すじ煮込みにする?」

 

「食い物の話じゃねえよ!!」

 

「『筋モン』っていうのはヤクザの隠語だろうが!お前は少しは場の空気を読め!なんでこんな緊迫した状況で、今日の献立の提案ができるんだよ!!」

 

「……」

 

お彦さんは、弥彦に怒鳴られても全く動じず、「牛すじじゃないなら、豚の角煮でもいいよ」と、的外れな妥協案を提示している。

 

「……それにしても」

 

「オヤジ(組長)、大丈夫か?観柳の後ろに立ってる奴……あの長いコートの男。むちゃくちゃ強そうだぞ。ただの用心棒の気配じゃねえ」

 

「あ、あれは……!」

 

「……御頭!!」

 

恵の声が、恐怖で裏返る。

 

「江戸城で暗躍していた最強の隠密・御庭番衆の、最後の御頭よ……!名前は、四乃森蒼紫!観柳の私兵団なんかとは格が違う、恐ろしい暗殺集団の頭なのよ!」

 

「ふうん……御庭番衆」

 

「先代のお頭なら、幕末一度だけやり合ったことがある」

 

「マジか!?」

 

「で?どうだったんだよ!?やっぱり御庭番衆のトップってのは、とんでもなく強かったのか!?」

 

「うーん……」

 

お彦さんは、少しだけ考える素振りを見せた後。

 

「弱かった」

 

「……でも」

 

「あの時、いざ斬ろうと思って刀を抜いたら、ちょうどすごくお腹が減った。だから、暗殺するのやめて、帰って美味しいご飯食べた。だから、その先代の人は斬ってない」

 

「はあ!?」

 

「人斬りのモチベーション低すぎだろ!!お腹が減ったから暗殺やめるって、どんな理由だよ!!お前それでもプロの暗殺者か!!その後、命拾いしたその先代のお頭はどうなったんだよ!?」

 

「弥彦ちゃん」

 

「……女の過去、あまり気にしない方がいい。しつこく聞く男は、モテないよ。メイドの私が言う。間違いない」

 

「…………はあ」

 

『こいつ、マジで会話のドッジボールしかできねえ。俺の言葉が全部明後日の方向に飛んでいく。もうこれ以上こいつと喋ると、俺の精神が崩壊する……』

 

「……おい、緋村さん」

 

広間の上座から、多西組長が少しだけ顔を出し、裏庭の方へ向かって小声で剣心を呼んだ。

 

「おろ?拙者でござるか?」

 

「済まねえが、少し俺のそばについていてくれねえか」

 

「護衛でござるか?」

 

「おうよ」

 

多西組長は、顎で広間の奥、観柳の背後に立つ蒼紫をしゃくる。

 

「ウチの若い衆じゃあ、流石にあの観柳の後ろに立ってる男……殺気には完全に当てられちまう。俺でさえ、さっきから背中が粟立って仕方ねえんだ。頼む、用心棒として俺の背後を守ってくれ」

 

「……わかったでござる。承知した」

 

「拙者がついている限り、組長には指一本触れさせないでござるよ」

 

剣心は、音もなく広間に入り、多西組長の斜め後ろ、ちょうど蒼紫と対角線になる位置に腰を下ろした。

 

その瞬間。

蒼紫の冷たい視線が、一瞬だけ、しかし明確な敵意を持って、剣心に向けられた。

二人の間に、目に見えない火花が激しく散る。

 

「いやはや。これはどうも」

 

「この度は、うちの若い頭の悪い者たちが、あろうことか関東集英組さんの大事なシマの賭場で、大変なご迷惑をおかけしてしまい、誠に申し訳ない。……私は、こう見えてもただの商人ですからね。集英組さんのような、立派な極道の方々と無用な諍いを構える気など、毛頭ないのですよ。平和主義者ですから」

 

観柳は、言葉とは裏腹に、全く反省の色がない顔で言うと、懐から分厚い札束を無造作に取り出し、目の前の畳の上に滑らせた。

 

「どうです?組長さん」

 

「あの女……高荷恵を、大人しく私の元へ返していただけるなら、今回の賭場での迷惑料として、これくらいの『誠意』は包ませていただきましょう。……いや、それだけではありません。今後も、集英組さんが商売をされる上で、阿片の取引など、色々と裏から融通して差し上げましょう。悪い話ではないでしょう?」

 

「……」

 

しかし。

多西は、目の前に積まれた莫大な金額の札束を、チラリとも一瞥することなく、ゆっくりと手元の煙管(きせる)に煙草の葉を詰め、火を点けた。

 

スパーッ……。

 

紫色の煙が、観柳の顔に向かって吹きかけられる。

 

「……おいおい、商人さんよ」

 

「交渉の基本が、全くなってねえな」

 

「なんだと?」

 

「いいか?今、その『札(高荷恵)』は、お前さんじゃなくて、こちらの集英組の手元にあるんだ」

 

「そして、本人も『観柳のところへは帰りたくない、殺される』と言って、ウチに泣きついて身を寄せている。ヤクザの義理として、助けを求めてきた女を、金と引き換えにホイホイと売り飛ばすような安い真似はできねえな」

 

「チッ……」

 

『あの女、余計なことをベラベラと喋りおって……!』

 

「だが」

 

「ウチのシノギ(ビジネス)の取引としては、こういう提案はどうだ?……『こちら(集英組)が、恵を使って阿片を作り、裏社会のルートで流す。そちら(観柳)が、それを高値で買い取る』」

 

「……この条件なら、女を殺さないという前提で、そっちの面子も立てて、考えてやってもいいぜ」

 

「なっ……!」

 

観柳が顔を真っ赤にして声を荒げた。

 

「ふざけるな!それは、ただの強盗のようなものではないですか!原価も、製造するための地下工場も、そして何よりあのアヘンの精製工程そのものも、全てこの私が莫大な投資をして作り上げたものを、そちらが完全に独占して上前をはねるなどと……!そんな馬鹿げた条件が飲めるわけがないでしょうが!」

 

「まあ落ち着けよ」

 

「別に、お前さんにとって悪い話ばかりではあるめえ?

ウチが作った阿片を卸す先は、『お前さんの組織だけ』に絞ってやってもいいんだぜ?そうすれば、末端価格は、お前さんのさじ加減一つで弄くり放題だ。今まで通り、いや、今まで以上の莫大な利益を完全に独占できるだろう?」

 

「……俺たちのシマを荒らしたことへの『迷惑料』と、今後の『みかじめ料』だと思って、商人らしく、ここは賢く立ち回りな」

 

「ぐぬぬ……!」

 

しかし、数秒の沈黙の後。

 

「……なるほど」

 

「親分も、なかなかの『商人』でいらっしゃる。ヤクザの組長にしとくには、少し惜しい知恵だ。……よろしいでしょう。その条件、前向きに検討させていただく」

 

「ほう」

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

「……なんか」

 

「なんか、本当に私、とんでもない大犯罪の片棒をガッツリと担がされている気が、ヒシヒシとしてきたわ……。集英組って、お琴さんがいるからもっとこう、義理人情に厚い任侠の集団かと思ってたのに……こんなに真っ黒で、真っ黒で、どこまでもドス黒い組織だったの……?阿片の製造を独占して利益をはねるなんて、やってること完全に悪の秘密結社じゃないの……」

 

今まさに、さらに巨大な犯罪計画が自分の目の前で堂々と立ち上がろうとしているのだ。

 

「大丈夫」

 

「薫ちゃん、そんなにブルブル震えなくていい。大丈夫。阿片の密造っていうのは、どうしても独特の匂いや、精製する時の煙で、足がつきやすい。だから、この屋敷の地下で作るよりも、もっと安全な場所でやるのが一番効率的。……つまり、神谷道場でやる」

 

「はああああ!!?」

 

「な、なんで!!なんでそんな国家規模の大犯罪の拠点を、私の神聖な道場に持ってくるのよ!!さっき自分で匂いとか煙で足がつくって言ったばかりじゃない!!ウチの道場が真っ先に警察に踏み込まれて、私が一番最初に死刑台に送られる未来しか見えないわよ!!」

 

「うん、だから大丈夫」

 

「神谷道場には、今、『伝説の人斬り・緋村抜刀斎』が住み着いている。これは裏社会にとって、これ以上ない最強の防犯システム。……あの抜刀斎がいる場所に、普通の警察官や、ちょっとやそっとの政府高官は、恐れをなして絶対に手を出さない。ガサ入れなんて怖くて誰も来れない。これ以上なく最適」

 

「だから、道場の地下を深く深く掘って、地下室を作る。そこで恵に一日二十四時間、休みなく阿片を作らせれば、絶対に外にはバレない。完璧な計画。我ながら素晴らしいアイデア。宮部先生もきっと褒めてくれると思う」

 

「完璧なのはあんたの頭の狂いっぷりよ!!」

 

「なんで私の道場の地下に勝手に麻薬工場を建設する計画が立ち上がってるのよ!!地下を掘るって、そんなの大工事じゃない!!ご近所さんに騒音で即バレするわよ!!それに、私は絶対にそんなこと許可しないからね!!」

 

「あ、工事の騒音なら心配ないよ」

 

「私が床板ごと地面を四角く切り抜いて、そのあと左之助に斬馬刀で土を全部叩き出してもらえば、音を立てずに一晩で巨大な地下室が完成する。左之助の筋肉はこういう土木作業のためにあるんだと思う」

 

「左之助を重機扱いするな!!っていうかそういう問題じゃないのよ!!」

 

「ちょっと待ってちょうだい」

 

「さっきから勝手に私の労働環境について色々と話し合っているみたいだけれど……私は阿片を作るなんて、一言も言ってないわよ」

 

「……え?」

 

その顔は、本気で恵の言っている意味が理解できないという、純粋な疑問に満ちている。

 

「え?じゃないわよ。間の抜けた顔しないで」

 

「私はもう、あんな恐ろしい毒薬は、二度と作らないって心に固く決めて、命がけで観柳の屋敷から逃げてきたの!なのに、なんで逃げた先でまた、地下室に監禁されて麻薬を作らなきゃいけないのよ!全く意味がないじゃない!!」

 

「恵、阿片作らないの?」

 

やはり理解できないという顔のままだ。

 

「なんで?阿片はすごくいい薬剤になる。使い方さえ間違えなければ、すごく痛い傷の痛みもスッと消える。辛い咳をピタリと止めたり、お腹が痛い時の下痢もすぐに止める。戦場では、怪我人の治療のための絶対の必需品。そして何より……ものすごく莫大なお金になる」

 

「それは、正しい用量と用途で、医療用として使った場合の話でしょ!!」

 

「私が無理やり作らされていた『新型阿片』……通称『蜘蛛の巣』は、ただの鎮痛剤や咳止め薬なんかじゃないの!利益を極限まで追求するために、成分をいじり倒して、依存性が異常に高くなるように精製されているのよ!一度でも吸ったら最後、頭の中が蜘蛛の巣に絡め取られたみたいになって、二度と抜け出せなくなる!吸った人間の体と心をボロボロにして、最後は廃人にして殺す……ただの悪魔の毒薬なのよ!!私は、自分の作った薬で人が死んでいくのが、もう耐えられないの!!」

 

これを聞けば、いかにヤクザといえども、少しは同情の念を抱くはずだ。

 

しかし。

恵が相対しているのは、極道よりもさらにタチの悪い、倫理観の欠如した天然サイコパス暗殺者である。

 

「……なるほど」

 

「……じゃあ、全然大丈夫」

 

「え?」

 

「その新型阿片、すごく優秀な商品」

 

「依存性が異常に高い。一度買ったお客さん、必ずまた次の日も、その次の日も買いに来る。リピーターが無限に増え続けて、もっともっとたくさん売れる。お客さんは薬が欲しくてたまらない。どんなに値段を高く釣り上げても、家を売ってでも絶対にお金を払う。これは最も利益率の高い究極のビジネスモデル。観柳っていうおじさん、本当に頭がいいね」

 

「「極悪人か!!!!」」

 

薫と恵の二人の声が、全く同じタイミングで、響き渡る。

 

「あんた、人間の心ってものがないの!?人が廃人になって死んでいくって言ってるのよ!!」

 

「だから大丈夫」

 

「みんな、その強い薬が欲しくてたまらなくなって、集英組にどんどんお金を払いに来る。組には使い切れないくらいの莫大な資金が集まる。その集まった莫大な裏資金を使って裏社会のド真ん中に、立派な病院を建設する」

 

「び、病院……?」

 

「うん。すごく大きくて綺麗な病院。……そして、そこの院長先生兼、筆頭の医者は、恵。恵に任せる」

 

「阿片で廃人になりかけた人たちを、今度はその病院で恵が治療してあげる。治療費は、その人たちからさらにたっぷりともらう。これで、阿片を売る利益と、その阿片の中毒を治療する利益の、二重の利益が生まれる。まさにマッチポンプの永久機関。そして恵も、たくさんの患者を診る立派なお医者様になれる。誰も損しない。完璧なハッピーエンド。だから大丈夫」

 

「それ、ただの『阿片漬けにして金を極限まで巻き上げる凄く悪徳な病院』じゃないのよ!!」

 

「どこがはっぴー?えんどよ!!まっちぽんぷ?って自分で言っちゃってるじゃない!!私の医者としての誇りをなんだと思ってるの!!そんな悪魔みたいな病院で働くくらいなら、舌を噛んで死んだ方がマシよ!!」

 

「うーん……」

 

「恵は、本当にプライドが高くてわがままな女の子だね。せっかく私が、恵が立派なお医者様になれる就職先を提案してあげたのに。……仕方ないなあ」

 

「じゃあ、恵。こういう提案ならどう?」

 

恵の顔をジッと見つめ、新たな妥協案を提示する。

 

「その、依存性が高くて人が死んじゃう『新型阿片』を、もう一回、恵、徹底的に改良する。悪い毒の部分だけを完全に抜いて、純粋な『医療用』の極上の麻酔薬や鎮痛剤に作り変える。どう?」

 

「え……?」

 

「そうすれば、その薬を使っても誰も廃人にならないし、誰も死なない」

 

「しかも、安全でよく効く薬が完成したら、全国の病院から注文が殺到して、やっぱり集英組はすごく儲かる。恵も、たくさんの苦しんでいる怪我人や病人を救うことができて、人助けができる。これなら、恵の医者としてのプライドも保たれるし、誰も文句言わない?私、すごく良いこと言ったと思う」

 

非常に筋が通っており、誰もが幸せになれる完璧な解決策のように聞こえる。

 

しかし。

 

「そんな簡単に言わないでよ!!」

 

「あのねえ!薬の成分をいじるっていうのは、お料理の塩加減を変えるのとは次元が違うのよ!!一度完成してしまった複雑な化学化合物の薬から、特定の毒の成分だけを綺麗に抽出して無毒化するなんて、不可能に近い至難の業なのよ!!」

 

「それに、もしやるとしても、どれだけの最新式の実験設備と、莫大な研究資金と、そして何年、何十年っていう膨大な時間が必要だと思ってるの!!地下なんかで片手間でできるような実験じゃないのよ!!」

 

「わがまま」

 

「できないなら、できるまで、寝ないで徹夜で頑張ればいいだけの話。設備がないなら、気合でカバーするの。道具のせいにするのは三流のやること」

 

完全に精神論だけで科学の壁を突破しようとする。

 

「先生も、昔いつも私に言ってた。『為せば成る、為さねば成らぬ何事も。気合と根性があれば、人は空だって飛べる』だから、恵も気合と根性で、三日くらい徹夜して毒を抜く。やれば絶対にできる。大丈夫」

 

「あんたのその頭のおかしい先生、絶対ろくな死に方してないわね!!」

 

(※恵の予想は完全に的中しており、お彦さんの恩師である宮部鼎蔵は、幕末の池田屋事件の際、新選組の急襲に遭い、無念の中で自刃して果てている。ある意味、ろくな死に方ではない)

 

「……先生の悪口を言うのは、あまり感心しない」

 

お彦さんが、少しだけムッとしてハタキを振り上げる。

 

「ちょっとちょっと!二人ともやめて!」

 

薫が慌てて二人の間に入り、両手を広げて止める。

 

「お彦さんも、無茶なこと言わないの!恵さんは人間なんだから、三日も徹夜したら倒れちゃうわよ!それに、そもそもウチの道場の地下に怪しい研究施設を作る計画自体が絶対に却下なんだから!!」

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

「親分さん」

 

観柳が見下すような爬虫類じみた笑みを浮かべた。

 

「私はね、これでも世間では非常に温和で、話のわかる紳士的な商人として通っている方でしてねえ。荒事なんて野蛮なことは、本当は好きではないのですよ。……しかし」

 

「仏の顔も三度まで。いくら私でも、これ以上私の商売の邪魔をされると、我慢の限度というものがある。……そういえば」

 

観柳は、わざとらしく後ろを振り返り、自分の背後に微動だにせず控えている長身の男――四乃森蒼紫を指し示した。

 

「私の後ろにいるこの無口な男。彼は、かつて江戸城御庭番衆の最後の御頭を務めました、四乃森蒼紫さんと仰るのですがね……」

 

「彼は、常に自分より強い『強者』との戦いを、血の滲むような思いで求められているとのこと。もし、関東最大の武闘派である集英組さんが、このまま私の温情ある提案を無碍にして、私と本格的に全面抗争をするというのなら……ねえ?」

 

「蒼紫さんにとっても、集英組の皆さんは……とても『良い死に場所』になるのではないですか?彼の小太刀の錆になるのも、極道としての本望でしょう?」

 

観柳のその明確な脅迫の言葉を合図にするかのように。

蒼紫が、音もなく背中の小太刀の柄に手をかけた。

 

広間の空気が、文字通り一瞬にして絶対零度に氷結し、息をするのすら苦しくなるほどの、濃密で研ぎ澄まされた冷たい殺気が充満した。

 

しかし。

その殺気の中心にいる多西組長は、ピクリとも動じず、手元の煙管を灰皿にコンッと置いて、ゆっくりと息を吐き出した。

 

「……観柳さんよ」

 

「そういう物騒な言い方をされると、極道の親分として、こっちも退けねえのよ。売られた喧嘩から逃げたら、ウチの琴に後でボロクソに説教されちまうからな」

 

「ほう。強がりですか」

 

「だが、まあ、一つだけ言っておくとだな」

 

多西組長は、親指で自分の斜め後ろ、先ほどから無言で座っている赤い着物の男を指し示した。

 

「……こちらの、赤毛の兄ちゃん。実は、幕末の京都で、新政府軍の影の暗殺者として泣く子も黙ったという、伝説の人斬り……緋村抜刀斎なんだわ」

 

「なっ!?」

 

「さて」

 

「江戸城御庭番衆の最後の御頭と……明治新政府を創り上げた、幕末最強の伝説の人斬り。どっちが強いかねえ。俺も極道の親分として、ぜひ特等席で見てみたいもんだ。……お前さんもそう思うだろ?観柳さんよ」

 

『親分さん……!』

 

『……親分さん、そんな物騒な言い方をして、相手の闘争心に油を注ぐとは、全く聞いてないでござるよ……!拙者はあくまで『ただの用心棒の流浪人』という設定で大人しく座っているはずだったでござるが!』

 

『細かいことは気にすんな緋村さん。極道の交渉はハッタリが命だ』

 

『ハッタリで済めば良いのでござるが……』

 

「……無用な荒事は、この平和な明治の世において、お互い望まないでござろう。血を流しても、何も生み出しはしない。……剣を収めるでござるよ。御庭番衆の御頭殿」

 

蒼紫の冷たい殺気と真っ向からぶつかり合い、広間に見えない火花を激しく散らす。

 

「くっ……!!」

 

しかし、その達人同士のプレッシャーに耐えきれず、最初に折れたのは、剣術の心得のない商人、武田観柳の方だった。

 

『こ、これ以上の深追いは危険すぎる……!』

 

『いくら蒼紫が最強だとしても、相手があの伝説の抜刀斎となれば、相討ち、あるいは敗北の可能性もゼロではない。もしここで蒼紫を失えば、最大の武力という『商売道具』を失うことになる。それに、この屋敷にはまだ何十人という集英組のヤクザが控えている。ここで殺し合いになれば、私もただでは済まない……!くそっ、ヤクザの親分ごときに主導権を握られるとは……!』

 

無理やり営業用の引きつった笑顔を作った。

 

「……わかりました。親分さん」

 

「あなたのその、極道としての海のようにおおらかな度量に免じて……今日はここらで手を打つとしましょう。その『商売(阿片の製造から販売までの共同経営)』の件、私の出した条件で、数日中に正式な契約を交わしましょうじゃないですか」

 

「おお!」

 

「そうこなくちゃな!さすがは東京一の青年実業家。わかってくれるかい。話がわかるねえ、観柳さん。ウチもこれからのシノギが潤って助かるぜ」

 

「……ただ」

 

最後に一つだけ、狡猾な条件を突きつけてきた。

 

「先ほど親分さんは、あの恵さんが『阿片を作りたくないと言っている』と仰っていましたね?もし彼女が本当に製造を拒否し続けるなら、そちらの集英組の地下工場でも、良質な阿片の製造は不可能ということになります。……それでは、後になってから『やっぱり作れませんでした』では、買い手である私としては非常に困る。ビジネスの機会損失ですからね」

 

「そこは、そちらが確実に期日までに良質な阿片を納品するということを保証していただく意味で……製造の責任者である高荷恵さん自身に、『共同署名の契約書』に、一筆、自署で書いてもらいたい。彼女の逃亡防止の担保としてもね」

 

「なるほど」

 

「良いぜ。それは筋として、もっともな要求だ。恵には、俺が責任を持って一筆書かせて、印鑑も押させてやる。……だがな」

 

「それには、当然のことだが、違法な麻薬の買い取りの話を受けて、お前さんが密売に全面的に協力し、関東一円にバラ撒くという……お前さん自身の『自筆の署名と実印』も、契約書には必要になるな。……もちろん、製造元として俺も一番上にデカデカと書くぜ?不公平はなしだ」

 

「な……」

 

「なぜです?私はあくまで完成品を買い取るだけの、クリーンな買い手ですよ?製造の責任はそちらにあるのに、なぜ私が名前と実印を残さなければならないのです?」

 

「簡単なことだ」

 

「ひっ!?」

 

「そうだな……」

 

「例えばの話だぜ?その『違法契約書』が……万が一、なんの偶然か、新政府の警察の偉いさんの手に渡っちまう……なんていう、不慮の事故があった時にな」

 

「その時、俺たちだけじゃなく、買い手であるお前さんを含めた『全員』で、仲良くお縄にかかる覚悟を決めるための……熱い絆の証明かな。一人だけ抜け駆けして、トカゲの尻尾切りで逃げるのは許さねえってことだ。俺たちゃ極道だから、裏切りには厳しいんでね」

 

「なあ、観柳さん。俺たちはこれから、この阿片を通じて、死なばもろともの、ズブズブの運命共同体の『仲間』……だろ?仲間なら、当然同じ船に乗ってくれるよな?」

 

「ハ、ハハハ……」

 

『こ、この極道……!どこまでも腐りきっていやがる!!もし私が裏切ったり、警察にチクったりしたら、その契約書を公表して、私を社会的に完全に抹殺して道連れにする気か!?私の築き上げた富と名声が、こんなヤクザの脅しで……!』

 

「何をおっしゃいます、親分さん。……私は、集英組さんのことを心から信用していますよ。ええ、もちろんです。今の話は、ほんのブラックジョークですよ?アハハハハ……」

 

「おう、ジョークだジョーク。だが、契約書の署名はマジだぜ?」

 

「……数日後、必ず馬車をお迎えに上がらせます。では、今日はこれで失礼を……」

 

観柳は、逃げるようにして立ち上がり、背後の蒼紫を促して、這々の体で大広間から、そして集英組の屋敷から足早に去っていった。

 

「がはははは!!!」

 

「いや〜!愉快愉快!久しぶりに血の沸き立つような、痺れるほど良い交渉だったな!」

 

上機嫌で戸棚から上等な日本酒の瓶を取り出し、ラッパ飲みでグビグビと煽る。

 

「琴のヤツがウチの組に転がり込んできてからというもの、他所の組との面倒な交渉事や解決は、全部あいつに任せっきりで、俺はすっかり盆栽いじりの隠居ジジイみたいになってたが……俺の極道としてのハッタリと話術も、まだまだ現役の若いモンには負けんわ!」

 

「流石はオヤジです!!」

 

「あの観柳の野郎を、最後は逆に契約書でがんじがらめにして、見事に強請りにかけるとは……!極道の交渉術の極意を見せていただきました!一生ついていきます、尊敬します!」

 

「おう!」

 

「そうだぜ、オヤジ!相手の用心棒の殺気に全く動じねえどころか、名前を逆に武器にして、相手をビビらせて追い返すなんて……あそこで一歩も引かなかったオヤジは、間違いなく東京一の『漢(おとこ)』だ!カッコよかったぜ!」

 

「俺も、士族の誇り高き跡取りとして、そして関東集英組の次期若頭として、オヤジみたいな肝の座った極道になれると思うと、鼻が高いぜ!明日から学校で自慢してやる!」

 

「…………」

 

「…………士族として?弥彦、あんた今『士族』って言ったわよね?」

 

「それ、『極道として』の間違いじゃないの?あんたの感動するポイント、完全にヤクザのそれにズレきってるわよ……。武士の魂はどこへ置いてきたのよ……。お琴さんの教育のせいだけじゃなくて、この組の環境そのものが、弥彦の情操教育に悪影響を与えすぎてるわ……。ああ、神谷活心流の未来が……」

 

「さあさあ、薫嬢ちゃんも!」

 

水野が、薫の絶望を全く意に介さず、明るい声で手招きする。

 

「坊っちゃんのあんなに立派で極道らしい発言を聞いて、未来の坊っちゃんの嫁として、さぞかし誇らしいでしょう!今日は祝い酒でさあ!嬢ちゃんも一杯どうです?」

 

「え?」

 

「あんた……弥彦君の、お嫁さん候補なの?……へえ。ずいぶんと早熟(おませ)ねえ。こんな小さな跡取りを青田買いして、将来は極道の姐さんとして君臨するつもり?見た目によらず、したたかじゃない」

 

「ち・が・い・ま・すーーー!!!」

 

「誰がこんな生意気なクソガキの嫁なんかになるもんですか!!私は剣術道場の師範代なの!!極道の姐さんなんて死んでもお断りよ!!剣心、助けて!!この人たち、みんな頭がおかしいわ!!」

 

「おろろろ……まあまあ、薫殿、落ち着くでござるよ……」

 

 

一方その頃。

 

「……引き下がるのですか。観柳」

 

「私は、抜刀斎を仕留める準備は、いつでもできていました。あの場で命じられれば、ヤクザの親分ごと、奴の首を即座に刎ねてご覧に入れたものを」

 

蒼紫の言葉には、戦う機会を奪われたことへの、微かな不満が滲んでいる。

 

「ええ、ええ。わかっていますよ、蒼紫さん。あなたの実力は誰よりも高く買っている」

 

「あの条件……集英組に製造を任せて、私が卸元として独占する。商売としては、あの極道の親父の提案でも、今まで以上の十分な莫大な利益は出ます。警察のリスクも分散できますからね。だから、今はあえて乗ったフリをしてやったのですよ」

 

「……しかし、あのまま、あんな小汚いヤクザに脅されて、大人しく引き下がる私だと思ったら、大間違いですよ」

 

「……恵さんが、集英組の警護の目を上手く潜り抜けて、突然私の元へ『やっぱり観柳様のところで阿片を作りたいです』って、泣いて戻ってきたくなったりしたら、大変ですからねぇ」

 

「最近の東京の夜道は、物騒ですから。彼女がヤクザの屋敷で不慮の『事故』に遭う前に、私が責任を持って、強引にでも彼女を保護しなくてはなりませんね。……ええ、どんな手を使ってでも」

 

「……」

 

「……癋見(べしみ)」

 

「お前に、般若とひょっとこ、二人の手練れをつけてやる。……次は、仕損じるなよ?御庭番衆の名にかけて、必ずその女を奪還しろ。邪魔するヤクザのクズ共は、皆殺しにして構わん」

 

「ヒヒヒッ……」

 

「御意……。今度は絶対に逃がしませんよ。あの生意気な狐女も、そして俺をコケにしてくれた、あのヤクザ共も……一人残らず、俺の毒と、般若たちの拳で、地獄へ送ってやりますよ……!」

 

平和な日常は長くは続かない。

本当の地獄の死闘は、すぐそこまで迫っていた。




もしよければ

・多西組長のキャラクター
・観柳の小物感
・蒼紫の登場

など感想をいただけると嬉しいです。

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