転生して型月版・沖田総司になったけど、労咳を克服したら明神弥彦の母になっていた件 〜るろ剣世界で最強のママやってます〜   作:だいたい大丈夫

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人を救う薬を作りたい。
弱い人を守りたい。
国を強くして戦を防ぎたい。
一つ一つだけ聞けば正しそうなその願いが、どうしてこんなにも駄目な方向へ転がっていくのか。
神谷道場、まさかの極道経営会議編です。


薬学王と、神谷のドン

三日後。

 

神谷道場の居間は、もはや見慣れた日常の空間ではなくなっていた。

 

畳の上には湯呑みと煙草盆、分厚い帳面が整然と並び、なぜか場違いな反物の見本帳までが鎮座している。

 

道場特有の凛とした空気は霧散し、代わりに漂っているのは、血生臭い裏社会の商談が放つ特有の緊張感だ。

 

剣心は座布団の端に小さく正座し、冷や汗を滲ませながらひたすらに帰還を渇望していた。

 

だが、腰を上げるわけにはいかない。

ここが己の家ではないからこそ、自分が逃げ出せば、この場を覆う狂気を止める防波堤が完全に決壊してしまうからだ。

 

その重苦しい予感は、部屋に集う面子の顔触れを一瞥した瞬間に、揺るぎない確信へと変わった。

 

上座には、神谷薫が力なく座り込んでいた。

自らの意志でその場に腰を下ろしたわけではない。

 

集英組の屈強な男たちが「どうぞ姐さん」と、凄みのある慇懃な態度で誘導した結果、彼女は抗う隙すら与えられずに据え置かれてしまったのだ。

 

さらに両脇には、一目で堅気ではないと知れる強面たちが、彫像のように微動だにせず控えている。

 

誰の目から見ても、彼女は清廉な神谷活心流の師範代などではなく、血の掟で裏社会を束ねる若き女頭領にしか見えなかった。

ただ一人、薫本人だけが、その絶望的な現状認識から取り残されている。

 

「な、なんで私がここなのよ……?多西さん、そこ、普通はお客さんの席じゃないの……?」

 

「何をおっしゃいますやら」

 

多西組長は紫煙を細く吐き出しながら、口元に深い笑みを刻む。

 

「神谷道場の主が上座に座る。極道の筋として当然でしょうが」

 

「極道の筋で語らないでほしいんですけど!?」

 

剣心の胃の腑が、きりきりと痛みを訴え始める。

まだ本題には何一つ入っていないというのに、この場を支配する空気だけで、すでに法に触れる罪状がいくつも積み上がっている気がしてならない。

 

不運なことに、今日の神谷道場はツッコミの手駒が極端に不足していた。

弥彦はまだ本調子ではなく、鋭い視点を持つ琴もまだ戻っていない。

 

頼みの綱である左之助も、間の悪いことに買い出しで不在だ。

つまり、この連鎖する狂気を押し留める壁は、今のところ己一人しか存在しない。

 

無理でござるよ。

剣心は誰に届くわけでもない悲鳴を、胸の奥底へとそっと飲み込んだ。

 

対面には武田観柳が陣取っている。

三日前、恵を執拗に追い回していた男と同一人物とは思えないほど、その顔には冷徹な商人の色が張り付いていた。

 

彼の手には分厚い契約書の束が握られ、胡散臭い笑みも堂に入っている。

だが、その双眸だけは落ち着きなく部屋の隅、襖、天井、そして窓の外へと泳ぎ、過剰なまでの警戒心を露わにしていた。

 

護衛を連れていないのは、相手が集英組と聞いて無用な見栄を張った結果なのだろうが、今となってはそれが致命的な判断ミスであったことは明白だ。

 

恵は観柳の斜め向かいに静座していた。

 

三日前まで怯え、涙を流していた弱々しい女の面影はどこにもない。

妙な堂々たる振る舞いが、剣心の不安を最も激しく煽り立てていた。

 

人は過去を吹っ切ると、確かに強くなる。

しかし、その方向性が致命的に歪んでいた場合、得られた強さは大抵、周囲に破滅的な結果をもたらすものだ。

 

そして、この部屋で最も恐るべき特異点であるお彦は、最もろくでもない位置に立っていた。

いつものメイド服に身を包み、能面のような無表情を崩さず、周囲に意味不明な安心感を振り撒いている。

 

だが、彼女の存在こそが最大の不安材料であることは火を見るより明らかだった。

本人の心境だけは、凪いだ水面のように穏やかだ。

 

今日も彼女は、心の底からすべてが「大丈夫」だと信じて疑っていないのだろう。

それこそが、何よりも大丈夫ではない証左であった。

 

「いやはや……。恵さん、大人しくウチの傘下で阿片を作ってくれることになったそうで……本当にやってくれましたね、多西の親分さん」

 

違うでござる。

剣心は即座に心の中で反論した。

 

誰もそんな結論には納得していない。

何より、自分自身が欠片も承諾していない。

 

だが、淀みなく流れていく悪夢のような会話のテンポに呑まれ、口を挟む絶好のタイミングを完全に失ってしまった。

 

「で?恵さん、阿片を作る決意は固まったんですか?」

 

恵は表情一つ変えることなく、冷たい美貌のままあっさりと首を縦に振った。

 

「ええ……」

 

剣心は我が目を疑い、思わず二度見した。

驚愕の度合いで言えば、尋ねた観柳本人も同等だったに違いない。

 

絶対に泣き叫んで拒絶するか、激しい罵倒と共に逃げ出すと予想していたのだろう。

その声音には、微塵の迷いすら感じられなかった。

 

「そ、そうですか……。わ、わかりました。何よりです。親分さん、これで……」

 

多西が鷹揚に頷き、話をまとめる。

 

「確かに、話はまとまったな。売人は関東の合同連中から出させてもらうぜ。関東の裏社会は、俺たち集英組の許可がなけりゃ誰も入れねえ」

 

「構いません」

 

「ただし、急激に出回ると警察の目につく。流通量は私が調整しないといけません。価格の決定権はこちらで?」

 

「いや、価格はこれでいい」

 

お彦が、いつの間にか観柳の真後ろに立っていたのだ。

しかも、彼が握りしめていたはずの契約書は、すでに彼女の細い指の間に収まっている。

 

縮地という武術の歩法を通り越し、もはや怪談の領域だった。

剣心の動体視力すら一瞬欺くほどの速度で移動しておきながら、彼女は何事もなかったかのように観柳の肩越しから書面を覗き込んでいる。

 

「ただ、分配率に少し手を加える」

 

「ヒィッ!?」

 

裏社会の商人としてはあまりにも情けない声だったが、その恐怖だけは剣心にも痛いほど理解できた。

 

理解したくはなかったが、同情を禁じ得ない。

 

「これだと観柳の手取りが少なすぎる。可哀想。少しこっちの取り分を減らして、観柳に色をつけて調整する」

 

「え?あー……その、ありがとうございます?」

 

「うん」

 

「……え?」

 

「観柳が儲からないと、やる気が下がる。やる気が下がると品質が落ちる。品質が落ちると末端で事故が起きる。事故が起きると警察が来る。だから、観柳にはちゃんと餌をやる。経営の基本」

 

観柳の顔に、極度の混乱が渦巻いていた。

想定外の利益を譲られて歓喜するよりも先に、これがどれほど底知れぬ罠なのかを必死に計算している表情だ。

 

非常にまともな防衛本能であると、剣心は評価する。

もっとも、この狂気の空間においては、まともな反応を示せば示すほど肩身が狭くなるという地獄の法則が働いていた。

 

「観柳が阿片の原料を仕入れる。神谷道場が地下で阿片を作る。集英組がそれを売る。三つのパイプで分ければ、どこか一つが潰れても全部は潰れない。神谷道場も場所代で儲かる。儲けは完全に三分割になるように調整する」

 

剣心は、両手で頭を抱えきってしまいたい衝動を必死に抑え込んだ。

まだ早い。

まだ正気を保てる。

 

そう自分に言い聞かせる。

しかし、お彦の言葉は容赦なく続く。

 

「もし警察に捕まりそうになったら、抜刀斎が長州閥のコネを使って政府高官に圧力をかけてもみ消す。もし商売敵の敵対組織が出てきたら、観柳の御庭番衆と、私や集英組の武闘派が物理的に片付ける。完璧な分業制。だから大丈夫」

 

観柳の顔から、さっと血の気が引いていく。

多西だけが、我が意を得たりとばかりに「へえ」と深く感心した声を漏らす。

 

薫の瞳には、すでに絶望の涙が浮かんでいた。

剣心はとうとう耐えきれず、激しく痛む胃の辺りをきつく押さえた。

 

「待つでござる待つでござる待つでござる!!今、国家権力の私物化と殺人を事業計画に自然に組み込んだでござるよな!?」

 

「うん」

 

「うん、ではないでござる!」

 

「でも抜刀斎、山縣有朋にちょっとくらい顔が利く」

 

「利かせぬでござる!!拙者をどんな汚職官僚だと思っているのでござるか!」

 

「すごく便利な人」

 

「評価の仕方が最低でござる!」

 

観柳が、おそるおそる上座の薫へと視線を向ける。

 

「そ、そちらのお嬢さんは……?」

 

お彦が、息を吐くように即答した。

 

「薫ちゃんは神谷道場の主。つまり、阿片密造工場の元締め。ドン」

 

薫の顔面が、引き攣ったように硬直する。

 

「え!?お、お彦さん!?なんで私がドンになってるの!?」

 

「薫ちゃんが、恵をこの道場に匿うことを許した。阿片を作ることと引き換えに。裏社会ではそういう意味になる」

 

「ならないわよ!!あれは『行き場がないならここにいなさい』って意味でしょ!?なんで日本語を極道語に翻訳するのよ!」

 

「ニュアンスの違い」

 

「違いが大きすぎるのよ!」

 

多西が、しみじみと感慨深げに頷く。

 

「いやあ、姐さんはやっぱり見込みがある」

 

「見込みないです!!ないない!!」

 

「恵さんを匿い、道場を拠点にし、流通も押さえる。若いのに腹が据わってる」

 

「据わってない!」

 

観柳までが、妙に感服したような真面目な顔つきになる。

 

「神谷のドン……なるほど」

 

「なるほどじゃないから!?」

 

剣心は、この場にいる全員の肩を一人ずつ激しく揺さぶり、無理やりにでも正気を取り戻させたい衝動に駆られていた。

 

しかし、それを実行に移せば、端から見て完全に正気を失っている狂人が自分一人になってしまう恐れがある。

なんと恐ろしい部屋だろうか。

 

「大丈夫。薫ちゃんがドンとして警察に捕まらないように、私が証拠隠滅の暗殺とか頑張る。阿片の煙は道場には漏らさないように排気口を作る」

 

薫は極度の混乱ゆえか、反射的に同意の相槌を打とうとしてしまう。

 

「そ、そうね、工場そのものが阿片窟になっちゃだめよね。門下生に迷惑がかかるから、そうしなさい……って、違う!!違う違う!!そういう話じゃなくて!」

 

「煙と廃液、どこに捨てる?」

 

「え?あ?その……」

 

薫の思考回路は、すでに処理能力の限界を超えてショートしていた。

それにも関わらず、持ち前の生真面目さが災いし、投げかけられた質問に無意識に応えようとしてしまう。

 

彼女の善良さが、今は最悪のベクトルで機能してしまっていた。

 

「あ!もう……あそこの川にでも流せばいいじゃない!!」

 

その言葉が響いた瞬間。

観柳が、弾かれたようにガタッと勢いよく立ち上がった。

 

戦慄に満ちた表情で窓の外の景色を指差す。

 

「なんと……!!」

 

「え?」

 

「あそこの川は、生活用水には使わないまでも、下流の貧民街の連中が下水や畑の水に使うために汲み上げている地点……!そこに阿片の成分を含んだ廃液を流すとは、街の底辺の人間を無自覚な潜在的依存患者に仕立て上げ、需要を底上げする悪魔のメソッド……!しかも、道場が普段使う上流の水系とは完全に切り離されている!お嬢さん……いや、神谷のドン。なかなかのやり手ですな。ぜひ、末長く手を組みましょう!!」

 

薫の顔面から、最後の一滴まで血の気が引き去っていく。

 

「ち、ちが……私、そんな恐ろしいこと一言も……!」

 

「謙遜なさらず」

 

「してない!本気で違うの!」

 

剣心は、もはや千切れそうな胃を押さえながら、搾り出すように呟いた。

 

「……薫殿、もう何も喋らない方が良いでござる。喋るたびに罪状が増えていくでござるよ」

 

「剣心までそんなこと言わないでよぉ!!」

 

「事実だから困るのでござる!」

 

多西が、心底惚れ込んだというように快活に笑い声を上げる。

 

「いやあ、嬢ちゃん。やっぱり場数が違う」

 

「違わない!私、道場しか知らないから!」

 

「その道場がもう危ないでござるよ……」

 

剣心は、肺の奥底から深い溜息を吐き出した。

まだ終わっていない。

むしろ、この地獄の会合は始まったばかりなのだ。

 

ここで何としても話し合いを頓挫させねば、本当に神谷道場が裏社会の中核組織として機能し始めてしまう。

 

なぜ自分一人だけが、これほどの危機感に苛まれているのか。

それは、他の全員が異常な速度で道徳的危機感を麻痺させているからに他ならない。

 

そして、そのわずかに残った危機感すらも削り取るように、お彦がぽつりと呟いた。

 

「でも、阿片ビジネスは多分そのうち頭打ちになる」

 

この女が唐突に話題の方向性を変える時ほど、恐ろしい瞬間はない。

 

多西が、訝しげに片眉を吊り上げる。

 

「何だ、急に」

 

「廃人になったらお金払えない。人口が減ったら売上も減る。持続可能なビジネスモデルじゃない。SDGsに反する。……大丈夫でない」

 

剣心の脳裏に「SDGsとは何でござる?」という疑問がよぎったが、もはやそこに突っ込むだけの精神的余裕は残されていなかった。

 

単語の意味など分からずとも、彼女が導き出そうとしている結論の恐ろしさだけは、嫌というほど直感できる。

 

お彦は、決して阿片から手を引こうとしているわけではない。

ただ単に、より効率的で莫大な利益を生む『次なる悪事』を模索し始めただけなのだ。

 

多西は、太い腕を胸の前で組む。

 

「だから、流通量は俺たちで調整して細く長く稼ぐんだろうが?」

 

「それでも長期的な国家規模のビジネスにはならない」

 

お彦の漆黒の瞳が、観柳を真っ直ぐに射抜いた。

 

「観柳。他に何か、もっと人が死ななくて、儲かるデカい考えがある?……なければ、ここで斬る」

 

その冷たい宣告と共に、お彦の華奢な手が、傍らに置かれた竹刀の柄へと静かに伸びる。

ただの竹刀であるはずなのに、部屋の空気が「真剣の鯉口を切った」と錯覚するほどの鋭利な緊張感が走った。

 

殺気が実体を持ったかのような幻聴すら聞こえる。

観柳は、その場にへたり込みそうになりながら、半泣きの顔を晒した。

 

裏社会を生き抜く大の大人が、商人の仮面を被ったまま恐怖に顔を歪ませる光景は、そうそうお目にかかれるものではない。

 

「ひいいい!!!ま、待ってください!!あります!ありますとも!!死の商人……武器商人のビジネスプランが!!し、新型のガトリングガンを海外から安く仕入れるルートを開拓してまして……!!」

 

剣心の表情が、凍りついたように固まる。

多西の目に、獰猛な野獣のような光が宿る。

 

薫は、ただただその物騒な単語に怯えきった表情を浮かべている。

そして恵は、身を乗り出すようにして興味を示していた。

 

未知なる領域へ踏み込もうとする、研究者の狂気に満ちた眼差しだ。

剣心の胸の中で、嫌な予感の警鐘が乱打され続ける。

 

お彦は竹刀からゆっくりと手を離し、納得したようにぽんと小さく手を打った。

 

「うん、それ良い。日本はこれから富国強兵に力を入れる。陸軍に売りつければ、バカみたいに売れる。大丈夫。抜刀斎、お前は昔のツテで陸軍卿に連絡を入れる。私たちが裏から兵器を卸すフィクサーになる。大丈夫」

 

「大丈夫ではないでござる!!」

 

ついに限界を突破した剣心が、勢いよく畳を蹴って立ち上がった。

 

「いい加減にするでござる!!そんな恐ろしいことはさせぬ!!武器商人など!ガトリングガンなど出回れば、さらに多くの人が理不尽に傷つくでござる!!!」

 

剣心の叫びに呼応するように、薫もはっと我に返った顔で立ち上がった。

 

「そうよ!!西南戦争が終わったばかりじゃない……!私のお父さんも西南戦争で死んじゃって……そんな悲惨な戦争を、これ以上起こしてどうするのよ!!」

 

その悲痛な叫びにだけは、この部屋にいる全員が押し黙らざるを得なかった。

神谷越路郎の死は、決して軽々しく扱ってよい話題ではない。

 

他者の感情の機微に疎いお彦でさえ、そこが薫にとって触れてはならない逆鱗であることくらいは理解しているはずだ。

 

だからこそ、少しは言葉を選ぶだろうと剣心は一縷の望みを託した。

だが、お彦はただ純粋に不思議そうな顔で小さく首を傾げてみせただけだった。

 

「?大丈夫。もう薫ちゃんのお父さんみたいな、身内は死なない」

 

「……え?」

 

「身内を死なせないための、圧倒的な武器」

 

一切の濁りがないからこそ、剣心の背筋を氷のように冷たいものが駆け上がった。

論理として美しく完結している思想ほど、薫のように清廉で真面目な人間の心には深く突き刺さりやすいのだ。

 

「西南戦争で、日本国内の大きな内戦は完全に終わった。多分もう、大きな戦は国内で起きない。あとは士族の小さな小競り合いだけ。このあとは、国全体で軍拡をして圧倒的な武力を持たないと、外国に攻め込まれる。アジアを植民地化する流れが、今の世界の大きな流れ。だから、日本が武装して誰よりも強くなる。そうすれば、外国から戦争がふっかけられない。攘夷決行」

 

「思想が微妙に古いでござる!!もうとっくに開国して、諸外国と条約を結んでいるでござるよ!!今さら『攘夷断行』みたいな顔をされても困るのでござる!!」

 

「でも列強は強い」

 

「それはそうでござるが!」

 

「日本も強くなる」

 

「その発想が雑でござる!」

 

「そして武器を売った私たちが儲かる。弥彦ちゃんが立派な極道の親分になる。みんなお金持ち。……大丈夫」

 

「最後で全部台無しでござる!!」

 

多西が、深く感銘を受けたようにうんうんと首を縦に振る。

 

「いや、姐さんの言うことは筋が通ってるぜ。戦って負けるから支配される。なら、負けないだけの牙を持つ。それだけの話だ」

 

観柳の目も、冷徹な計算を終えた商人のそれに切り替わっていた。

 

「ガトリングガンは維持費も弾薬も食う。だが国家相手なら問題ない。大量発注が入れば、薬などとは比べ物にならない利益になりますな……」

 

「そう。国家はでかい財布」

 

「表現が怖いでござる!」

 

薫は立ち尽くしたまま、お彦の横顔をじっと見つめている。

その表情には、激しい怒りと戸惑い、そしてほんのわずかな『納得』の色が複雑に混ざり合っていた。

 

「……あれ?なんか私……お彦さんの言ってること、すごく正しく聞こえてきちゃった……。平和のための抑止力……自衛のための軍備……」

 

「薫殿!!」

 

「騙されてはいかんでござる!!……いや、お彦殿自身は本気でそう信じてるからタチが悪いのでござるが!!」

 

「抜刀斎、ひどい」

 

「事実でござる!!」

 

「でも抑止力は大事」

 

「そこだけ切り取るなでござる!」

 

お彦は、珍しく思案するような仕草を見せ、ゆっくりと剣心の方へと視線を向けた。

 

「抜刀斎の言いたいことも、わかる」

 

その言葉に、剣心は一筋の光明を見出した。

 

「おお!わかってくれたでござるか!お彦殿!」

 

「確かに、麻薬は良くない。人を殺す薬。本来はいけないもの」

 

「そうでござるそうでござる!!」

 

ここまで本当に長かった。

ようやく己の言葉が通じたのだ。

 

安堵に胸を撫で下ろした次の瞬間、お彦は一切の悪びれもなく、当然の帰結であるかのように言い放った。

 

「だから、私たち『良識ある極道』で独占して管理する」

 

「何一つわかってないでござるーーー!!!」

 

お彦の表情には、依然として波一つ立っていない。

 

「必要悪。私たちが値段を釣り上げて管理すれば、貧しい庶民に広がりすぎない。一部の金持ちだけが廃人になる。私たち儲かる。その税金で国が強くなる。結果的に医療も発達する。良いことしかない。大丈夫」

 

「詭弁でござる!!呼吸をするように貧富の差を利用するなでござる!!」

 

「でも貧しい人を守ってる」

 

「守り方が歪みすぎでござる!」

 

「金持ちは自己責任」

 

「その理屈で国家を運営するなでござる!」

 

その時、恵がそっと己の顎に手を当てた。

それは、優秀な研究者が新たな仮説の妥当性を検討する時の、紛れもない本気の顔だった。

 

「そうね……。よく考えたら、良いことしかないわよね」

 

「恵殿まで!?」

 

恵は、生来の真面目さを最悪の方向へ発揮し始めていた。

 

真面目すぎる人間が一度歪んだ論理に傾倒すると、自身の知性でその隙間を補強してしまうため、手が付けられなくなるのだ。

 

「だって、今までの私は無理やり阿片を作らされていた。そこに研究の自由はなかったわ。でも、資金と設備と流通をこちらが握れば話は別よ。阿片そのものを無毒化して、本当に使える鎮痛薬や咳止め、止瀉薬に変えられるなら……」

 

「そう」

 

「恵がその資金を使って、阿片ビジネスを改良する。依存性のない、本当にいい鎮痛薬や咳止め、止瀉薬が完成したら、今度は合法で堂々と儲けられる。しかも利益も破格。大丈夫」

 

恵の瞳の奥で、ギラリと危険な光が瞬いた。

あの目は決定的に危ない、と警鐘が再び鳴り響く。

 

人の目が異様な光を放つ時は、大抵二種類しかない。

大いなる救済を得た時か、あるいは、狂気に取り憑かれた時だ。

 

今の恵は、その両方が混然一体となって煮詰まっている。

 

「……そうよ」

 

恵は、何かに操られるようにゆっくりと立ち上がった。

 

「医学の発展は、いつだって数え切れないほどの犠牲の上に成り立ってきたのよ……!」

 

「その犠牲を今から作ろうとするなでござる!」

 

「でも、犠牲を無駄にしない形に変えられるなら話は別だわ!」

 

「理屈の組み方が危険でござる!」

 

観柳が、ぶわっと大粒の涙を溢れさせた。

商人の流す涙ほど信用ならないものはないが、今の彼の涙はひどく純粋な感動に満ちているように見え、それが余計に事態の絶望感を引き立たせている。

 

「す、素晴らしい!!恵さん!!今まで無理やり作らせてすいませんでした!!私が資金と設備はすべて提供します!ぜひ、その医療用の改良を!!我々で日本の薬品市場を牛耳りましょう!!」

 

「牛耳るなでござる!」

 

「え??あ、ええ……。……が、がんばるわ?」

 

恵はまだわずかに戸惑いを残しているものの、その口からはすでに前向きな返事が滑り出していた。

 

その半歩の迷いこそが、逆に彼女の逃げ道を塞いでいる。

本人はまだ倫理の境界線上に立っているつもりなのだろうが、片足はすでに底なしの沼へと踏み入れているのだ。

 

「そう。私たちは、権力から弱い者たちを守る味方。つまり、正義の味方」

 

「その正義、絶対に裏口から入ってきたでござるよ!!」

 

彼女の瞳は、純粋な希望の光できらきらと輝いている。

絶望的にまずい状況だった。

 

「正義の味方……!いいわね、それ!!弱きを助け、悪を挫く!神谷活心流の『人を活かす剣』の理念にも完全に一致するわ!!」

 

「一致してないでござる!!完全にヤクザのシノギの正当化でござるよ!!」

 

「でも、恵さんが本当に人を救う薬を作れるなら……!」

 

「その途中経過が地獄でござる!」

 

「過程はちょっとあれだけど、結果が正しいなら……!」

 

「薫殿まで結果主義に染まってるでござる!!」

 

多西が、膝を叩いて豪快に笑う。

 

「さすが姐さん。話が早え」

 

「姐さん言うなあ!」

 

「もう遅いでござる……」

 

剣心は、本気で琴を呼びに行きたくなった。

彼女の一言があれば、この狂った論理の城をあっさりと崩壊させてくれるかもしれない。

 

しかし、彼女は今ここにいない。

いない以上、自分がこの暴走機関車を己の身一つで止めなければならない。

 

だが、止まる気配は微塵もない。

なぜなら、相手が全員、本気で『善意』から行動しようとしているからだ。

純粋な善意の暴走ほど、この世で止めづらいものはない。

 

「ええ……そうよ!私、やるわ!!麻薬を無毒化して、日本中の病人を救う……『薬学王』に、私はなる!!!」

 

「急に王を目指すなでござる!!」

 

「いいじゃない。王くらい。女だって目指していいでしょ!」

 

「そこを否定しているのではないでござる!!」

 

観柳が、平伏せんばかりの勢いで深く頭を下げる。

 

「恵様……!いえ、薬学王!!私は喜んで下請けに回ります!!」

 

「下請けになるの早すぎない!?」

 

多西も、愉快そうに肩を揺らして笑う。

 

「観柳、お前いい根性してんな」

 

「生き残るには柔軟さが大事ですからね……!」

 

「そこは本当にそうでござるが!」

 

お彦は、窓の外の遠い空を見つめるような目になった。

遠くといっても、彼女の脳内には十年、あるいは二十年先を見据えた、恐ろしく緻密で具体的な未来図が広がっているのだろう。

 

「私たちは、まず裏社会から日本を獲る」

 

「そのあと、弥彦ちゃんが日本の裏の王になる。完璧な計画。絶対、大丈夫」

 

「大丈夫じゃないでござるぅぅぅぅぅ!!!!!」

 

「誰か!!誰でもいいから!!琴殿を早く呼んできてくだされーーーー!!!」

 

客観的に見て、この空間で最も正常な精神を保っているのは間違いなく剣心一人である。

そして、その唯一の正常さが、周囲が放つ圧倒的な狂気の奔流に飲み込まれ、今にも圧殺されようとしていた。

 

薫は、なおも希望に満ちた瞳を輝かせている。

 

「裏社会からでも、人を救えるなら、それはそれで……」

 

「駄目でござる!発想が危険地帯に入ってるでござる!」

 

恵は、白衣のポケットに手を入れるような仕草で拳を固く握りしめた。

 

「まずは依存性の抑制ね……原料の精製工程を見直して、抽出率と副作用の相関を……」

 

観柳は、すかさず懐から帳面を取り出し、猛烈な速度で筆を走らせ始める。

 

「設備投資、流通経路、秘密保持……ああ、忙しくなりそうだ……!」

 

多西は、上機嫌で煙管の雁首をトントンと叩き鳴らす。

 

「売る先はこっちで洗っとくか。軍にも薬にもルートを分けりゃ、帳簿もきれいにできる」

 

「帳簿をきれいにするなでござる!!」

 

「え、でも汚いよりいいでしょ?」

 

薫が、混じり気のない純真な顔で首を傾げる。

 

「そういう意味ではないでござる!」

 

「つまり、神谷道場は平和と医療のために働く」

 

「その定義が狂ってるでござる!」

 

「抜刀斎はちょっとうるさい」

 

「うるさくもなるでござるよ!!」

 

「でも必要。良心のフリをする人がいると、組織の見た目が良くなる」

 

「拙者を広報担当みたいに使うなでござる!!」

 

それを聞いた観柳が、深く納得したように真顔で頷き合う。

 

「確かに、緋村さんの存在は大きい。元維新志士で世間体もいい。表看板としては最適……」

 

「分析するなでござる!!」

 

「抜刀斎、顔が広いし」

 

「その顔を裏稼業に使う気満々でござるな!?」

 

「だって便利」

 

「便利で済ませるなでござる!」

 

薫が、授業中の優等生のようにそっと遠慮がちに手を挙げた。

挙手の仕方は可愛らしいが、彼女が座っているのは紛れもなく組織のドンの位置である。

 

「……あの、じゃあ私は何をすればいいの?」

 

「何もしないでくだされ」

 

剣心は食い気味に即答したかったが、それよりも一瞬早くお彦の冷徹な声が響いた。

 

「薫ちゃんはドンとして、たまに机を叩いて『弱い者いじめは許さないわ!』って言う」

 

「それだけでいいの!?」

 

「うん。象徴は大事」

 

多西が、我が意を得たりと力強く頷く。

 

「姐さんが旗になる。俺たちが動く。理想的だ」

 

「理想じゃない!」

 

観柳も、その完璧な組織構造に感嘆の息を漏らす。

 

「清廉な看板の下で裏を回す。実に美しい構造ですな」

 

「美しくないでござる!!」

 

恵は、少しだけ思案顔で唇に指を当てた。

 

「でも……薫さんが表に立てば、少なくとも『人を救う薬を作る』って大義名分は通しやすいかも」

 

「恵殿!!その大義名分にだいぶ麻痺してきてるでござるよ!!」

 

「だって本当に作るんだもの!」

 

「途中の阿片と武器を忘れるなでござる!」

 

「順番が大事。最初は少し汚くても、最後に綺麗ならたぶん許される」

 

「許されないでござる!!」

 

「歴史が判断する」

 

「歴史に丸投げするなでござる!」

 

胃も痛い。頭も割れるように痛い。

だが、何よりも彼の心を苛むのは、この荒唐無稽な計画の各所に、妙な説得力が潜んでいるという事実だった。

 

全体像としては完全に間違っているのに、切り取った部分ごとには微かな筋が通って聞こえてしまう。

 

その絶妙な詭弁のせいこそが、薫や恵の良心を麻痺させ、暗黒面へと引きずり込んでいる最大の要因だった。

 

お彦は、おそらく心の底から本気で人を救う気があるのだろう。

 

恵も、本気で世のためになる薬を作ろうと決意している。

 

薫も、本気で弱い立場の者を助けたいと願っている。

 

そこに観柳の狡猾な利益計算と、多西の裏社会における確かな手腕が融合した結果、最も最悪な形で破滅の歯車が完璧に噛み合ってしまっているのだ。

 

剣心は、深い絶望の中で静かに一つの真理を悟る。

この場に必要なのは、理路整然とした論理的な反駁ではない。

 

もっと根本的な、この会議の前提そのものを暴力的にひっくり返す『何か』だ。

例えば、弥彦の「うるせー!」という無軌道な一喝でもいい。

左之助の「ぶっ飛ばすぞ!」という理不尽な拳でもいい。

琴の、氷のように冷たい一言でもいい。

 

とにかく、積み上げられた理屈の外側から力業で殴りつける、圧倒的なツッコミの暴力が必要なのだ。

だが、嘆かわしいことに、今この瞬間、そのカードは一枚も手元にない。

 

「抜刀斎」

 

「何でござる」

 

「お茶、冷めた」

 

「知らんでござるよ!!」

 

「入れ直した方がいい」

 

「そんな雑務で会議の緊張感を壊すなでござる!」

 

「でも大事」

 

「大事なのはそこではないでござる!」

 

薫が、申し訳なさそうに弱々しい声を上げる。

 

「……でも、お茶は大事よね」

 

「薫殿まで!?」

 

恵までが、それに同調し始める。

 

「頭を使うと糖分が欲しくなるし」

 

「会議を続ける前提で補給に入るなでござる!」

 

多西が、人の良い笑みを浮かべる。

 

「姐さん、菓子も出しますかい?」

 

「い、いらないわよ!……いや、でもお客さんには……」

 

「接待まで始める気でござるか!?」

 

観柳が、揉み手でもしそうな勢いでにこりと微笑む。

 

「では遠慮なく」

 

「遠慮しろでござる!!」

 

「じゃあお茶淹れる。ついでに地下の換気口の図面も描く」

 

「まだ諦めてないでござる!?」

 

「備えあれば憂いなし」

 

「その備えが憂いそのものでござる!」

 

神谷道場は、もはや武術の鍛錬の場ではなく、世界を裏から操る秘密結社の作戦会議室にしか見えない。

しかも、その場にいる全員が「自分たちはわりと良いことをしている」と本気で信じ込んでいる点が、この世で最もタチが悪い最悪の悲劇だった。

 

剣心は、救いを求めるように板張りの天井を見上げた。

奇跡の助けは来ない。

来るとしても、自らの足で呼びに行かねばならない。

 

「本当に……誰か……」

 

「大丈夫」

 

「……全然、大丈夫ではないでござるよ」

 

だが、この狂気の世界において誰よりもまともなその抗議の声は、今日はやけに頼りなく、小さく響く。

なぜなら、もうこの部屋の半数以上の人間が、狂った論理に呑み込まれ、本気で「大丈夫」だと思い始めてしまっているのだから。




ここまで読んでくださってありがとうございます。
今回は「全員がわりと善意なのに、結論だけ最悪になっていく会議」をやってみました。
剣心のツッコミ、薫のドン化、恵の薬学王宣言、お彦さんの事業構想あたりで、特に好きだった場面や台詞があればぜひ感想で教えてください。

第一回キャラクター人気投票(コメントもぜひ感想欄に)

  • 明神琴(沖田総司)
  • 河上彦斎(お彦)
  • 明神弥彦
  • 緋村剣心
  • 相楽左之助
  • 神谷薫
  • 高荷恵
  • 四乃森蒼紫
  • 志々雄真実
  • 瀬田宗次郎
  • 鵜堂刃衛
  • 宇佐美
  • 水野
  • 我介
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