転生して型月版・沖田総司になったけど、労咳を克服したら明神弥彦の母になっていた件 〜るろ剣世界で最強のママやってます〜   作:だいたい大丈夫

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ちょっと箱根で羽を伸ばしていただけなのに。
帰ってきたら、神谷道場は阿片と武器と元カレ疑惑の修羅場になっていた。
留守番を任せてはいけない家ランキング、ぶっちぎり一位の神谷道場編です。


神谷道場、留守にしてはいけない家

勢いよく玄関の戸を引き開けると、外の冷気と共に私の弾んだ声が道場に吸い込まれていく。

箱根の温泉――もとい、志々雄くんとの逢引を終えた私の足取りは、羽が生えたように軽かった。

話は弾んだし、温泉の湯加減は絶妙。何より、いい男は最高の若さの秘訣になる。世の中まだまだ捨てたものじゃない。多少血生臭い世界に足を踏み入れていても、かっこいい殿方との密談は間違いなく健康に良い。多分、きっと。

 

「今帰ったわよ!みんな元気にしてたー?」

 

上機嫌な声を放り込んだ直後、居間の奥からぱたぱたと切羽詰まった足音が響き、弥彦が弾かれたように飛び出してきた。

 

何だろう、その顔。まるで戦地から母親が無事に帰還したのを確認した子どものような、安堵と悲壮感が入り混じった顔つきだ。

確かに普段から何かと騒動の絶えない家ではあるけれど、そこまで思い詰めた顔で出迎えられると、かえって嫌な予感が込み上げてくる。

 

「母さん!おかえり!!ほんと、帰ってきてくれてよかった……!!」

 

縋りつくような弥彦の反応に、私は困惑を隠しきれなかった。

 

「えっ、何その反応。私がいない間に誰か道場でも爆破した?」

 

「爆破はしてねえけど、もっとじわじわ胃に悪いことが起きてるんだよ!!」

 

じわじわ胃に悪いこと。何それ、物理的な破壊よりタチが悪い響きだ。

 

本気で泣きそうな弥彦の頭を、とりあえず撫でて落ち着かせる。手のひらから伝わる体温に安心したのか、彼は深く息を吐き出した。十歳にしてこの苦労人っぷり。将来有望なのか、それとも果てしなく不憫なのか。どちらに転んでも濃い人生になりそうだと、少しだけ同情してしまう。

 

そこへ、奥からもう一人分の足音が近づいてきた。

今度は聞き慣れすぎていて、逆に警戒心を煽られる足音だ。案の定、メイド服の裾を優雅に揺らしながら、お彦が姿を現す。私が留守にしている間も、この道場は安定して意味不明な状態を保っているらしい。

 

お彦は私の正面に立つと、恭しく一礼した。

 

「お帰りなさい。お義母さん」

 

「だからお義母さんって呼ぶなーーー!!!誰がお義母さんよ!!私はまだそんな立場になった覚えないわよ!!」

 

「でも、弥彦ちゃんのお母さん」

 

「そこは事実だけど、あんたが言うと意味合いが全く変わってくるのよ!!」

 

「じゃあ、姑」

 

「さらに悪化したわね!?」

 

崩れ落ちた体勢を立て直し、着物の裾を払いながら立ち上がる。その時、ふと玄関の奥から漂ってくる異様な空気に気がついた。

 

いつもと違う。

 

道場内は妙に静まり返っているのに、得体の知れない圧迫感が渦巻いている。人の気配が多すぎる。しかも、どう好意的に解釈しても堅気のそれではない。

 

私は弥彦とお彦を両脇に押しやり、おそるおそる居間を覗き込んだ。

 

……何で?

 

どうして居間に、顔見知りのヤクザたちと、見知らぬ胡散臭い男たちと、剣心、薫ちゃんが、綺麗に円座になってお茶を啜っているのだろうか。

 

剣心、薫ちゃん、はまだ理解できる。ここは神谷道場なのだから。

問題は、そこに混ざっている連中の顔ぶれが、完全に「裏社会の密談現場」を形成していることだ。しかも、空気が妙に和やかで打ち解けている。親睦会?誰と誰の?何の目的で?

 

私の視線は、その中でもひときわ異彩を放つ、胡散臭い洋装の男に釘付けになった。

 

無駄に撫でつけられた髪型。全身から滲み出る「私は上流階級の人間です」という鼻持ちならないオーラ。

いやいや、ちょっと待ってほしい。

 

「……ねえ。何で居間にうちのヤクザと見知らぬ人たちが勢揃いしてお茶飲んでるの? そこの胡散臭い洋装の人は……?」

 

「ああ、お邪魔しております。武田観柳と申します。お噂はかねがね、集英組の姐さん」

 

ぶはっ!?

 

武田観柳!?

 

脳内で何かが派手に崩れ落ちる音がした。

待って、ちょっと待って。観柳って、あの観柳?

 

原作では恵さんを拉致監禁して阿片を作らせ、御庭番衆を手駒として使い潰し、序盤の中ボスとしてわりと無様にぶっ飛ばされる、あのヘタレ悪役の武田観柳!?

 

それがどうして今、うちの組長と肩を並べて同じ高さの座布団に座り、上等な茶菓子をつまみながら談笑しているのか。

 

しかも、隣に座る多西組長がすっかり場に馴染んでいる。初対面のよそよそしさが微塵もない。「もう話はまとまってますよ」と言わんばかりの、その完成された空気をやめてほしい。

 

『おーーーーい!!!原作!!!私の知ってる「るろ剣」の原作どこ行った!!?? 敵の本拠地に乗り込むどころか、敵がこっちの畳にすっかり馴染んでるんだけど!?』

 

水野がいかにも悪巧みが成功したような笑みを浮かべてすり寄ってくる。

 

「姐さん、喜んでくだせえ!デカいシノギの契約がまとまりましたぜ」

 

「はい?」

 

「いやあ、お彦さんがもう天才でしてね。阿片の流通から武器の販路まで、全部きれいに筋道立てちまいやした」

 

「はい???」

 

「最初は観柳の旦那も警戒してたんですが、利益分配を三つに割って、道場を拠点にして、御庭番衆と集英組で武力を分担して、いざとなったら政府筋にも手を回すっつー完璧な――」

 

「ちょっと待ちなさい待ちなさい待ちなさい!!!情報量が多い!!しかも全部嫌な方向で多すぎる!!」

 

今度は宇佐美が身を乗り出してきた。

 

「姐さん、ほんと大したもんですよ。阿片は短期、中期で医療薬品に転換、長期では軍需まで見据えた多角経営で――」

 

「神谷道場を何だと思ってるのあんたたちは!?」

 

「悪の秘密結社の本部ですが?」

 

「誰がそうしろって言ったのよ!?」

 

宇佐美は心底不思議そうに首を傾げた。

 

「え、言ってないんですかい?」

 

「一言も言ってないわよ!!」

 

部下たちの目は新規プロジェクトを大成功させたエリート社員のようにキラキラと輝いている。極道がそんな達成感に満ちた爽やかな顔をするんじゃない。

 

引きつった笑顔を崩さぬよう気をつけながら、私は居間へと足を踏み入れた。

上座には、薫ちゃんが世界で一番複雑な顔をして座っている。自分がなぜその位置に鎮座させられているのか、全く納得がいっていない表情だ。しかし、両脇を固める極道の男たちが彼女を「姐さんの姐さん」として丁重に扱っているため、完全に逃げ道を塞がれている。

なるほど、これは相当面倒な事態に発展しているらしい。

 

「ええと……これは、一体何がどうなってるのかしら?」

 

「かくかくしかじかです」

 

いや、その「かくかくしかじか」で済ませていいスケールの話ではない。

 

しかし、そこからの説明は本当に「かくかくしかじか」だった。

水野、宇佐美、多西組長、そして観柳が、順繰りにこの数日間の出来事を嬉々として語り始めた。

 

恵さんを道場で匿ったこと。そこから観柳と裏交渉に持ち込んだこと。阿片の製造と流通のシステマチックな分業化。さらに武器商人への大規模な転換構想。将来的な軍閥への売り込み計画。おまけに、抜刀斎の長州コネクションまで事業計画に組み込まれているという念の入れよう。

 

『おい原作!!!辛うじて「神谷道場で敵を迎え撃つ」というシチュエーションは踏襲してるみたいだけど、結果が完全に極道ルートに分岐してるんですけど!?何この「るろうに剣心〜悪の巨大シンジケート編〜」みたいな展開!!薫ちゃんが完全に裏社会のドンになってるし!!』

 

当の薫ちゃんは、「ドン」という響きに全力で抵抗していた。

 

「だから違うのよ!!私はただ、恵さんに『ここにいていい』って言っただけで――」

 

「それが組織の庇護下に置くって意味になりやす」

 

「ならないわよ!!」

 

「裏社会では」

 

「裏社会の辞書基準で会話を進めないで!!」

 

そんな薫ちゃんの隣で、恵さんは妙に真剣な面持ちで居住まいを正している。

「生涯を懸けるべき研究テーマを見つけた狂気のマッドサイエンティスト」のような目をしている。すごく嫌だ。

 

「……誤解しないでちょうだい。私は別に裏社会に魂を売ったわけじゃないの。ただ、今まで無理やり毒を作らされてた知識を、今度こそ人を救う薬に転用できるなら、その方がまだマシって話で……」

 

「その転用の入り口がすでにだいぶアウトなんだけど?」

 

「でも設備と潤沢な資金は大事なのよ!」

 

「研究者の真っ当な正論で、悪のルートを正当化しないで!?」

 

そこへ観柳が口を挟む。

 

「ええ、ええ。恵さんの類まれなる才覚を合法的な方向へ活かすためにも、まずは違法な資金源が必要不可欠でしてね」

 

「自分で言ってて矛盾してると思わないの!?」

 

「思いますよ。でも莫大に儲かるので」

 

清々しいほどブレない悪人ぶりだ。

多西組長までが、我が意を得たりと深く頷いている。

 

「観柳、お前ほんと根っからの商売人だな」

 

「親分さんも人のことは言えますまい」

 

「違いねえ」

 

なぜそこで意気投合しているのか。死の商人とヤクザが、爽やかなスポーツマンのように笑い合わないでほしい。波長が合ってしまっている事実が一番恐ろしい。

 

部屋の隅に視線をやると、剣心がお茶の入った湯呑みを両手で持ち、ただひたすらに啜っていた。瞳のハイライトが完全に消え失せている。

ああ、わかる。強烈なツッコミを入れ続けて魂が摩耗した時の顔だ。

 

「ええと……親分さん?これ、本当にウチが乗っていい話なんですか?」

 

「おう。いつまでも面倒な交渉事を、お前にばっかり任せるわけにはいくめえ。俺もまだまだ現役だってところを見せとかなきゃな」

 

ああ、その台詞回しはずるい。歴戦の極道にそんな顔で言われてしまえば、筋を通す側としては無下にするわけにはいかなくなる。

 

「ええ、立派です。組長。流石の貫禄でございます。……観柳さん、今後ともよろしくお願いしますわね」

 

「ええ、ええ。最初はヤクザに因縁をつけられてどうなることかと思いましたが、終わりよければ全てよし。非常に有益な商売相手に巡り会えましたよ」

 

終わりよければって、まだ何も始まっていないのだけれど。

 

『こっちは「これからこの崩壊しきった原作ストーリーがどう転がるか」で頭がいっぱいなんですけど!!何でそんな、大型契約締結後の爽やかな握手寸前みたいな顔してるのよ!!』

 

恵さんまでが、やけに凛とした空気を纏い始めている。

 

不意に、着物の袖がツンツンと引っ張られた。

見下ろすと、お彦が無邪気な子どものような顔で私を見上げている。

 

「お義母さん。大丈夫」

 

「だからその呼び方はやめなさい」

 

「……私、お留守番すごく頑張った。完璧な計画立てた。だから大丈夫」

 

「あんたの口から出る『大丈夫』ほど信用に値しない言葉はこの世にないのよ。一体どこがどう大丈夫なの?頭大丈夫???現状、全然大丈夫な要素が見当たらないんだけど???」

 

お彦は不思議そうに自分の頭を撫でた。

 

「頭は大丈夫。毎朝丁寧にブラッシングしてるから寝癖もない」

 

「そういう物理的な毛髪の話をしてるんじゃないのよ」

 

「それより、これ見る。私が考えた『最高のビジネスモデル』これでみんな幸せ。世界平和」

 

誇らしげに差し出された書類を受け取って、私は息を呑んだ。

利益分配の比率、物流ネットワークの構築、製造拠点の隠蔽工作、用心棒の配置転換、リスクの分散管理、果ては政府高官への圧力のかけ方まで。

 

恐ろしいほど緻密に計算された計画書だった。文字も流麗で読みやすい。倫理観が欠如している点以外は、完璧な仕上がりだ。

 

「あー……。そうね……」

 

極道のシノギとしては、身震いするほどよくできている。非常に癪だが。

 

「…………まあ、『アヘン漬けになって破滅する末端の人間』と『ガトリング砲で蜂の巣にされる兵士たち』の命を除けば、概ね大丈夫そうね。極道の事業計画としては百点満点よ」

 

「褒められた! えっへん!」

 

いや、そこは胸を張るところじゃない。

この女は変なところで承認欲求が強い。褒めると途端に忠犬のように喜ぶ。そんな純粋な瞳で、人類の倫理を根本から破壊するような事業計画を立てないでほしい。

 

「ね、ねえ琴さん……。百点満点なの!?これ!?」

 

「極道としては、と注釈をつけたでしょ」

 

「そこ切り分けて考えられるの!?」

 

「切り分けないと正当な評価が下せないのよ」

 

「そんな裏社会基準の評価軸、神谷道場にいらないわよ!!」

 

「でも薫ちゃん、今その組織の上座に座ってるし」

 

「その事実をこれ以上蒸し返さないで!!」

 

お彦は満足げにコクコクと頷くと、当然の権利のように弥彦を振り返った。

 

「……弥彦ちゃん。ご褒美。私を抱いて」

 

「だから、四十四歳を抱く趣味はねえよ!!俺はまだ十歳だぞ!!立派な犯罪だろ!!」

 

「……………じゃあ、弥彦ちゃんが元服するまで、私ずっと待つ。純潔守る」

 

「守る方向性が怖えんだよ!!」

 

左之助が、呆れ果てたように口を挟む。

 

「その頃には、お前もう四十四どころか五十手前だろうが。諦めろや」

 

「年齢はただの誤差」

 

「女の口から堂々と言っていい台詞じゃねえんだよ」

 

「真実の愛は年齢の壁を超える」

 

「その愛を向ける相手が十歳のガキなんだよ!!」

 

「母さん!何とか言えよ!」

 

「ええと……弥彦、男っていうのはね、年上の女性に好意を持たれるうちが華なのよ」

 

「母さん!?」

 

「でも四十四歳はちょっと荷が重いわね」

 

「そこ、ちょっとした微調整で済ませる問題かよ!!」

 

帰宅して数分しか経っていないのに、すでに一ヶ月分くらいの気力を消耗している。温泉で回復した体力が、一瞬にしてマイナスに振り切れた。志々雄くんとの甘い余韻も、居間に充満する極道シンジケートの泥沼の空気で完全に掻き消されてしまった。

せめて温泉の硫黄の香りくらいは、もう少し堪能させてほしかった。

 

その時だ。

不意に視線が引き寄せられた。

観柳の背後、部屋の隅に静かに佇む長身の男。

 

その男は、先ほどから一言も発さず、身動き一つしていなかった。

長く切り揃えられた前髪の隙間から覗く瞳は、凍てつくように冷たい。気配を完全に殺しているのに、その静けさが逆に異様なほどの存在感を放っている。一目見ただけで、尋常ではない剣の腕を持つことが伝わってくる。

ただの護衛ではない。

 

そして、私はその顔を知っている。

 

知っているが、絶対に「知っている顔」をしてはいけない。

ここで「あ、四乃森蒼紫だ」などと口走れば、全ての辻褄が合わなくなる。初対面の体裁を貫き通さなければ。

 

私は極力自然を装い、小首を傾げてみせた。

 

「……そこの、お方は?」

 

その男は、二刀の小太刀の柄に手を添えたまま、鋭い視線を私に突き刺してきた。

痛い。物理的な痛みを感じるほどの眼光だ。いや、痛いというより凍えるように冷たい。あれ?なんでもう小太刀を二本持っているんだろう。

 

「………四乃森……蒼紫。俺を忘れたとは言わせんぞ。沖田さん」

 

ぶふぉっ!?

 

え、待って、待って、待って。

 

『まさかのエンカウント済み!!??私、蒼紫と何か絡みがあったの!?しかもなんか、ものすごく深い恨みを買ってる気がするんだけど!?』

 

無理だ。記憶にない。全く知らない。だが、ここで「知りません」と突っぱねると、さらに取り返しのつかない事態に発展しそうな悪寒がする。

 

「えー……あー………はい?どちら様でしたっけ……?御庭番衆というお名前は存じておりますが……」

 

蒼紫の端正な眉間が、ぴくっと引き攣った。

 

「……………。京都で会っただろうに。油小路の直後……貴女と俺に、何があったか……忘れたとは言わせん」

 

ちょっと待ちなさい、その言い回し!!

何その「忘れたとは言わせん」って!やめて!!ものすごく意味深に聞こえるから!!この場には純真な弥彦がいるのよ!?薫ちゃんもいるのよ!?お彦までいるのよ!?一番いてほしくない野次馬が!!

 

「あーーーー!!!!忘れてた!!あの時よね!!そうそう、あの時の京都の!!あの角を曲がったところの!!はいはいはい!!お久しぶり〜!!」

 

ひどい。自分の語彙力のなさに絶望する。京都の角なんて星の数ほどあるというのに。

 

案の定、蒼紫の表情は微塵も和らがなかった。むしろギリッと歯軋りする音が聞こえた気がする。

 

怖い。凄まじく怖い。絶対零度の瞳の奥底に、どす黒い殺意と、雨の日に捨てられた仔犬のような悲壮感が入り混じっている。

本当に待って。過去の私、この美青年に一体何をやらかしたの。

 

「……絶対わかっていないな」

 

「えへへ」

 

「……もう良い」

 

よくない! 全然よくない!!

 

お彦がするりと私たちの間に滑り込んできた。

何なのだ、その嗅覚は。人間関係が泥沼化しそうな気配を察知すると、即座に特等席へ寄ってくる。野次馬としてのスキルが高すぎる。

 

「ねえ、知り合い?恋人?それとも、愛人?」

 

蒼紫が、沈黙した。

 

え、ちょっと待って。否定して。そこは即座に全力で否定するところでしょ!?

なぜ黙るの。沈黙が一番最悪の答えなのよ!!

 

縋るように蒼紫を見ると、彼は静かに目を伏せていた。否定の言葉は紡がれない。どうしてそこで、沈黙が肯定の重みを持ってしまうの。

 

「な、なぜそこで黙るの………!????ちゃんと否定してよ!!変な誤解が生まれるじゃない!!弥彦が完全にゴミを見るような目でこっちを見てるわよ!!」

 

事実、弥彦は汚物を見るような冷ややかな目で私を睨みつけていた。

 

「母さん……あんた、裏で何やってんだよ」

 

「何もやってないわよ!!だから私も、自分が何をやったのか全く知らないのよ!!」

 

「その言い訳がもう底知れず怖えんだよ!!」

 

薫ちゃんは居心地悪そうに視線を泳がせ、観柳は扇子で口元を隠してこの修羅場をエンジョイしている。多西組長に至っては「若いっていいねえ」とでも言いたげな温かい目を向けている。全然よくない。

 

そして蒼紫は、私の弁明を完全に無視し、突如としてその鋭い視線を部屋の隅へと向けた。

 

そこには、緋村さんがいた。

先ほどまで「自分は一切無関係でござる」というオーラを出しながらお茶を啜っていた、本日の最大のとばっちり被害者予備軍だ。

 

蒼紫から放たれる殺気が、爆発的に膨れ上がった。

比喩ではなく、居間の温度が数度下がったように感じられた。その場にいた全員が一瞬呼吸を止めるほどの、濃密な死の気配。

あ、これは駄目なやつだ。誰かが確実に巻き込まれる。しかも十中八九、ターゲットは緋村さんだ。

 

「……緋村抜刀斎。表へ出ろ。立ち合え。俺は今、非常に機嫌が悪い」

 

剣心が激しくむせた。

 

「ゲホッ!!な、なにゆえ拙者!?今まで完全に空気だったでござるよ!?ずっと座布団の木目の数を数えてたでござる!!」

 

「貴様が、沖田総司の『今の男』と見た。同じ屋根の下に住んでいるのだろう」

 

「ぶふっ!!ははははは!!おい剣心、お前いつの間にそんなおいしい立場になったんだよ!!」

 

「違うでござる!!全くの濡れ衣でござるーーー!!拙者はただの居候でござるよ!!」

 

必死の弁解も、蒼紫の耳には届いていない。

 

「問答無用。奴は『強い奴』が好きだ。昔もそうだった」

 

待って待って待って。

何その爆弾発言。

 

『え、私、幕末に何やらかしてんの!?!?!?』

 

私の知らない過去の私が、倫理的に最低のクズである可能性が極めて高い。

 

「この場にいる最も強い男……つまり、お前を斬れば、俺の力も証明される。奴も俺を思い出すはずだ。……行くぞ」

 

理屈が完全に崩壊している!!

恋に狂った男の思考回路が暴走するとこうなるのかもしれないが、巻き込まれる剣心の身にもなってあげてほしい!!

 

しかし、蒼紫の動きは止まらなかった。流れるような動作で二刀の小太刀を抜き放つ。鋼の擦れる音が、背筋が凍るほど美しい。無駄な動作が一切ない。次の瞬間には、縮地を思わせる神速の足捌きで剣心の懐へと肉薄していた。

 

「いや、だから人の話を聞くでござる!!勘違いにも程があるでござるよ!琴殿は弥彦の母親で……!!ぐわあっ!!」

 

剣心が慌てて逆刃刀を抜き、凶刃を受け止める。ギィン、と鼓膜を劈く金属音が居間に響き渡った。

 

観柳がすっと安全圏へ後退する。多西組長が「ほう」と感嘆の声を漏らす。左之助は湯呑みを持ったまま「うわあ、すげえ」と野次馬根性丸出しだ。薫ちゃんは完全に悲鳴を上げて固まっている。

 

私はといえば、全く思考が追いついていなかった。

 

いやもう、本当に何なのこの状況。

 

「お義母さん。四乃森蒼紫に、京都で何したの??」

 

「知らない」

 

「だよね」

 

「そこは疑いもせず即座に信じるのね」

 

「だって、本当に困り果ててる顔してる」

 

「そりゃあ困ってるわよ!!!」

 

やめなさい。純粋に面白がる場面じゃない。

 

「あんなに怒ってるし、拗ねてる。……夜の『三段突き』でもした?大丈夫?」

 

「何その最低すぎる下ネタ!?!?!っていうか三段突きの使い方が根本的におかしいでしょ!!!」

 

「でも三段」

 

「段数の問題じゃないのよ!!」

 

「四乃森蒼紫、かなり深く引きずってる」

 

「見ればわかるわよ!!私も今この瞬間、初めて自覚したけど!!」

 

剣心がその横で悲痛な叫び声を上げている。

 

「だから拙者は一切関係ないでござるーーー!!その『今の男』認定を、今すぐ取り消してほしいでござるーーー!!」

 

蒼紫の返答は、氷のように冷たかった。

 

「黙れ」

 

「理不尽すぎるでござる!!」

 

弥彦が小さな手でこめかみを強く押さえている。十歳の子どもが絶対に見せてはいけない、疲労困憊の表情だ。

 

ほんとごめん。母親として全方位に土下座したい。身に覚えのない過去の男のせいで、ここまで息子の胃に穴を開けることになるとは夢にも思わなかった。

 

「いやあ、おもしれえな。剣心、今の男だってよ」

 

「笑い事ではないでござる!!助けてくれ左之!!」

 

「やだよ。俺がしゃしゃり出たらもっと面倒なことになりそうだし」

 

「その判断が的確なのが、余計に悔しいでござる!!」

 

薫ちゃんがようやく金縛りから解けたように声を張り上げた。

 

「ちょ、ちょっと待ってよ!!道場の中で本気の立ち合いはだめでしょ!!床が傷む!!」

 

そこ!?

いや、いかにも道場主の薫ちゃんらしい発言だけど、今心配するのはそこなの!?

 

観柳までが、感心したように頷いている。

 

「御庭番衆の御頭、さすがの腕前ですな。あの緋村抜刀斎と互角に渡り合うとは」

 

「呑気に感心してる場合じゃないのよ!!ここ、全部うちの居間なんだから!!」

 

多西組長はゆっくりと煙管を置いた。

 

「姐さん、止めねえんですかい?」

 

「止めたいわよ!!でも私、何をどう説得して止めればいいのか、今ほんとに全くわからないのよ!!まず前提となる説明が絶対的に不足してるんだから!!」

 

「それはまあ、確かにそうですな」

 

観柳がさらっと同意するな。

 

お彦はまだ、興味津々な瞳で私を見つめている。

 

「ねえ、お義母さん。本当に何も覚えてない?」

 

「覚えてないわよ!!だってそんなロマンス系のイベント、私の記憶のどこを探しても存在しないもの!!」

 

「じゃあ、本当に記憶がないのに元カレだけが増殖してる状態」

 

「その身も蓋もない最低な表現やめなさい!!」

 

「でも揺るぎない事実」

 

「事実かどうかも怪しいでしょ!?向こうが勝手に脳内でそう思い込んでるだけかもしれないし!!」

 

「でも否定しなかった」

 

「それが一番怖いのよ!!」

 

蒼紫は無言のまま、凄まじい剣気で剣心へと斬り込んでいく。剣心は防戦一方だ。完全なる巻き込み事故である。しかも蒼紫の脳内では完全に筋が通ってしまっているのが、さらに事態を厄介にしている。恋愛脳と剣客脳が悪魔合体すると、かくも恐ろしい化け物が生まれるのか。できれば一生学びたくなかった。

 

本当に、過去の私はいったい何をやらかしたのだろう。

 

私よ。幕末という激動の時代に、もっとこう新選組としての信念とか、そういう高尚なものはなかったの?

 

「私……何した……?」

 

「私……一体何したの!???? 全っ然覚えてないんだけどぉぉぉ!!!」

 

 

神谷道場。

ここは絶対に、私が留守にしていい場所ではなかったのだ。




温泉帰りの女にこれを見せるのはあまりにも酷い。
そんな気持ちで書きました。
琴さんのツッコミ、弥彦の苦労人っぷり、蒼紫の重さ、お彦さんの最低さのどれが一番印象に残ったか、ぜひ聞かせてください。

第一回キャラクター人気投票(コメントもぜひ感想欄に)

  • 明神琴(沖田総司)
  • 河上彦斎(お彦)
  • 明神弥彦
  • 緋村剣心
  • 相楽左之助
  • 神谷薫
  • 高荷恵
  • 四乃森蒼紫
  • 志々雄真実
  • 瀬田宗次郎
  • 鵜堂刃衛
  • 宇佐美
  • 水野
  • 我介
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