転生して型月版・沖田総司になったけど、労咳を克服したら明神弥彦の母になっていた件 〜るろ剣世界で最強のママやってます〜   作:だいたい大丈夫

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真新しい浅葱色の羽織。
それは一時の体験入隊の証でしかないはずだった。
けれどその夜、その羽織は血に染まり、蒼紫の魂に一生消えない記憶を刻むことになる。
総司と蒼紫、二人にとっての転機の夜です。


血に染まった浅葱の羽織

蒼紫君の姿には今日も迷いがない。

小太刀を正眼に据えた切っ先は微塵も揺らがず冷たい空気を切り裂いている。

 

出会った頃の青臭さは抜け落ちて全身の筋肉がしなやかに引き締まっていた。

踏み込みの深さも段違いだ。

 

私が叩き込んだ間合いの嫌らしさと彼自身が持つ御庭番特有の歩法がようやく確かな輪郭を持って噛み合い始めている。

だからこそこちらも中途半端な手向けはできない。

 

「行くわよ」

 

「はい」

 

返される声は短く鋭い。

今日この子は少しばかり気負っている。

 

口には出さずとも何か決定的なものを掴み取ろうと焦燥を燃やしているのだ。

刃引きした真剣の柄を握り込む。

木刀では到底足りない。

 

刃の重みも空気を裂く軌道も相手の骨に伝わる死の気配もすべてが違う。

致命傷に至らないぎりぎりの線で本物の殺気をぶつけなければこの子の乾きは満たせない。

 

「はっ!!」

 

肺の底から息を吐き出し凍てつく土を蹴り飛ばす。

放つのは三段突きそのものではない。

しかしその起こりを孕んだ刺突の速度は雷霆にも等しい。

正面から閃光が走る。

 

並の剣士であればこの一歩で足が竦み受けに回った瞬間に腕ごと叩き斬られているはずだ。

 

けれど蒼紫君の反応は異なっていた。

 

「……っ!」

 

斜めに構えた小太刀の腹で鋭い刺突をすれすれで受け流す。

力で弾くのではなく軌道そのものを逸らす柔の剣。

文句のつけようがないほど見事な捌きだった。

 

問題はその先にある。

あの子は刺突を外した流れに乗って一気に懐へと潜り込み小太刀から拳法への切り替えを試みる。

 

御庭番の戦術としては極めて理にかなっている。

長大な刀の死角に入り込み腹部へ強烈な打撃を叩き込めば間合いはそのままこちらの致命的な崩れに直結する。

 

思考としては完璧だ。

しかし理屈だけで生き残れるほどこの京の都は甘くない。

 

「甘い!」

 

刺突を流された勢いを決して殺さず左手に握り込んだ鞘を真上へと跳ね上げる。

狙うのは無防備な顎の先端。

 

拳の撃鉄が落ちるよりも早く硬質な木目が的確に急所を撃ち抜いた。

鈍い衝撃音が響き蒼紫君の視界がぐらりと揺らぐのが手に取るようにわかる。

 

その決定的な綻びを見逃す理由など存在しない。

 

「隙あり!!」

 

容赦なく足を払いにかかる。

重心を失った身体が宙に浮き背中から冷たい地面へと叩きつけられた。

受け身の判断は悪くない。

しかし実戦の速度には一歩遅れる。

 

崩れ落ちた無防備な顔面へ向けて切っ先を一直線に振り下ろした。

凍りついた頬のすぐ傍ら土を穿つ寸前で刃を止める。

 

蒼紫君の喉仏が微かに上下した。

 

教えられた技術を自らの血肉へと変えようとするその真っ直ぐな渇望が私はひどく好きだった。

 

「はい、今日はここまで。蒼紫君、筋は良いけど実戦での『引き出し』がまだ足りないわね」

 

蒼紫君は何も言い返さず静かに身を起こした。

己の不甲斐なさに口を閉ざすその姿はいかにも年相応の少年らしい。

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

手桶の置かれた井戸端へ向かうとあの子は躊躇いなく氷のように冷たい冬の水を頭から被った。

底冷えのする季節によくやるわと呆れつつもそうでもしなければ焼き切れた思考が冷めないのだろう。

 

滴る水滴に濡れた背中を見つめていると僅かに肩の線が沈んでいることに気づく。

決して心が折れたわけではない。

 

ただ埋めようのない圧倒的な力量差を突きつけられそれを静かに受け入れている背中だ。

周囲から天才と持て囃されてきた少年がどれほど手を伸ばしても届かない頂を前にして噛み締める静謐な悔恨。

 

その苦みを正しく味わえる人間は必ず強くなる。

帯に鞘を差し込みながらわざと足音を立てずにその場を離れた。

今は慰めの言葉など邪魔なだけだ。

 

 

縁側へ視線を向けると予想通りというべきか大石鍬次郎と近藤周平の二人が笑いながら待ち構えていた。

 

この二人ときたら蒼紫君のことが気になって仕方がないらしい。

 

鍬次郎などは一見すれば因縁をつけてくる辻斬りそのものの風体だが中身は拍子抜けするほど面倒見が良く始末に負えない。

 

「おう。お前なかなかやるじゃねえか。沖田さんにそこまで食いつける奴なんてそうそういねえぞ。俺は人斬り鍬次郎こと大石だ。……で、こっちは近藤周平。局長の養子だ」

 

「いちいち養子を強調するなよ鍬次郎」

 

「蒼紫殿、ほれ。風邪を引く前に汗を拭きなよ」

 

警戒の色を崩さないままそれを受け取った。

 

「…………どうも。で、俺に何か用ですか?」

 

「用ってほどの用でもねえさ」

 

「あの沖田さんが珍しく他所のガキを構い倒してるからな。少しばかり気になっただけだ」

 

返答は氷のように冷ややかだ。

 

「……あれで構っているつもりですか。殺す気で顎を砕きに来ていましたが」

 

「そう、あれでだよ」

 

「あれでものすごく嬉しそうに見えるんだよ。ここ一週間ばかり沖田先生はすっかり塞ぎ込んでいたからな。ずいぶんと元気になった方さ」

 

不用意な言葉に私は思わず眉根を寄せる。

余計な詮索を吹き込むんじゃないわよ。

 

「……何かあったのか」

 

途端に周平の声音から軽薄さが消え失せた。

 

「内輪揉め……という言葉で片付けるにはあまりにも血の匂いが濃すぎる事件があってね。沖田先生が可愛がっていた八番隊の組長……藤堂平助を新選組の裏切り者として自らの手で斬り捨てたんだ」

 

鍬次郎が低い声で言葉を継ぐ。

 

「永倉さんは最後まで平助を逃がそうと骨を折っていたんだがな。あの人は絶対に引こうとしなかった。それに服部先生も原田先生の手で仕留められちまった。……まあそんなわけで沖田さんはふとした瞬間に死人のような目をするようになったのさ。以前はもっと腹が立つくらい底抜けに明るかったんだぜ」

 

「そうそう!」

 

空気を変えようとするかのように周平が声を張る。

 

「労咳の予防だとか言い出して突然マスクなる妙な布きれを隊士全員に配り始めたり鶏鍋を煮込んでいて危うく屯所を火事にしかけたり!近藤先生も腹を抱えて大爆笑だったんだ。でも今は……そんな奇行に走る余裕すら見えないくらいギリギリまで自分を追い詰めている」

 

「……到底信じられないですね」

 

「だろ?」

 

「まあお前がその平助の代わりになって少しでも沖田さんの救いになってくれればいいと俺たちは勝手に思ってるのさ」

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

「おーい!!鍬次郎!!蒼紫君を虐めてんじゃないわよ!!」

 

三人の顔が一斉にこちらを向く。

 

鍬次郎が露骨に不満げな表情を作った。

 

「ひどいですよ沖田さん!!なんでいつも俺ばかり悪者扱いするんですか!!」

 

「あんたのその顔面がすでに悪者の証拠でしょうが!!」

 

「顔つきで人間の価値を判断しないでくださいよ!!」

 

「でも人相って誤魔化しがきかないからなあ」

 

周平まで便乗して茶々を入れる。

 

「あんたまで調子に乗るんじゃないわよ!」

 

「だって誰も嘘は言ってないし」

 

口汚く言い合いながら私はさりげなく蒼紫君の様子を窺った。

先ほどまで彼を覆っていた沈鬱な影はわずかに薄らいでいる。

 

鍬次郎たちとの他愛もないやり取りが固まっていた呼吸を少しだけ楽にしてくれたのだろう。

 

平助の代わり。

違う。

絶対に違う。

誰かの代わりになる命などこの世のどこにも存在しない。

 

頭では痛いほど理解している。

理解しているはずなのに最初に蒼紫君のあの生意気で真っ直ぐな瞳を見た時そこに平助の面影を重ねてしまったのは紛れもない事実だった。

 

自分のそういう欺瞞が何よりも一番たちが悪い。

 

「……本当に……不気味な人だ」

 

ばっちり聞こえてるわよ。

 

今の私はきっとひび割れた器を無理やり繋ぎ合わせているだけの不気味な生き物なのだから。

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

 

翌日の夕刻。

 

仕立て屋から届いたばかりの真新しい包みを抱え私は少しだけ歩調を速めて蒼紫君の元へ向かった。

 

これから夜の巡回へ出るための隊服の準備をしている最中だ。

渡すにはちょうどいい頃合いだと思っただけだ。

 

朝からこの包みを渡す瞬間を心待ちにして何度も結び目を解いては中身を確認していたわけではない。

そこは非常に重要なポイントだ。

 

「蒼紫君!届いたわよ!」

 

「何がですか?」

 

訝しむ彼を前に私は勢いよく包みを開いてみせた。

中から姿を現したのは彼の華奢な体格に合わせて小さく仕立て直された浅葱色の羽織。

 

新選組の象徴とも言える白のダンダラ模様が夕闇の中で鮮やかに浮かび上がる。

 

「これよ!!」

 

「これは……」

 

「私たちに同行して京の街を巡回するのに揃いの羽織がないと格好がつかないでしょう!体験入隊だとしても例外は一切認めないわよ!さあ早く袖を通しなさい!」

 

御庭番衆としての強い矜持があるだとか新選組の犬になり下がるつもりはないだとか反発される可能性は十分に考えていた。

 

出会ったばかりの数日前なら間違いなくそう言って撥ね付けていただろう。

 

しかし蒼紫君は短い沈黙のあとしわひとつない羽織を素直な手つきで受け取った。

 

「……………はい」

 

「……あら?」

 

「てっきり『俺には御庭番衆としての誇りがある!新選組と馴れ合うつもりなど毛頭ない!』とか言ってツンケン跳ね除けるんじゃないかってハラハラしてたんだけど」

 

すると蒼紫君は心底不思議そうな表情でこちらを見つめ返してきた。

 

「着なくてもいいんですか?」

 

「いやいや!絶対に何が何でも着てもらうわよ!!」

 

「………なら、着ます」

 

「俺は御庭番衆です。いかなる過酷な環境にも適応してみせます。……そして次は絶対に後れを取りません」

 

その響きを耳にして胸の奥の冷たい部分がじんわりと温められていくのを感じる。

 

「………ん、頼むわよ」

 

自分でも驚くほど甘く柔らかな声が出た。

 

血の匂いや修羅の殺気を完全に忘れた穏やかな表情を作れたのはいつぶりだろうか。

そんなつもりは欠片もなかったのにあの子が胸元で羽織の白い紐をきゅっと結ぶ仕草を見つめていると自然に心が解けていったのだ。

 

その瞬間にあの子が胸の内で何を考えていたのか当時の私に正確なところはわからない。

だがきっと彼なりの譲れない何かを強固に誓い立てていたのだろう。

 

「お、なかなか様になってるじゃねえか」

 

「……どうも」

 

「おい周平!こっち来て見ろよ。もう完全にうちの若い衆そのものだぞ」

 

「だから勝手に勧誘の真似事をするなってば」

 

周平が苦笑しながらたしなめる。

 

二人の騒がしいやり取りに蒼紫君は微かに眉をひそめた。

 

決して嫌悪しているわけではなくどう対応するのが正解なのかわからず困惑している表情だ。

 

「何よ、新選組の羽織を着るのそんなに嫌?」

 

すると蒼紫君は胸元の紐を握りしめたまま短く首を横に振った。

 

「……嫌では、ないです」

 

どうしようもないほど嬉しくなってしまった。

だから私はそれ以上余計な言葉を重ねるのをやめた。

ただ素直に似合っているとだけ心の中で反芻する。

 

ああ、本当に悔しいくらいによく似合っている。

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

その夜の空気は雪こそ降らないものの肌を刺すように鋭く冷え込んでいた。

 

私は一番隊を率いて不穏な気配の漂う暗渠を巡回している。

蒼紫君は真新しい浅葱色の羽織を身に纏い吉村さんの斜め後ろを音もなく歩いていた。

 

不意に前方から息を切らせた隊士が駆け込んでくる。

 

「沖田先生!!」

 

「何かあったの??」

 

「長州の不逞浪士を路地裏へ追い詰めましたが網を抜けられました!斎藤組長率いる三番隊から直ちに回り込んで退路を完全に塞げとの指示です!」

 

先ほどまで胸を満たしていた柔らかな感情がひと息ですべて凍りつく。

こういう時だけは自分自身でも明確に切り替わりが理解できる。

 

「斎藤さん……らしくないしくじりね」

 

すぐさま背後の二人に鋭い声を飛ばす。

 

「蒼紫君、吉村さん!行くわよ!」

 

「はい!」

 

ふたつの声が重なり私たちは提灯の灯りだけを頼りに漆黒の闇の中を駆け抜けた。

敵の退路を塞ぐ位置には十分間に合う計算だった。

 

前方には既に刀を抜いた味方の隊士も待機している。

前後から挟み撃ちにすればそれでこの夜の仕事は終わる。

 

そう確信したまさにその瞬間だった。

 

嫌な音がした。

 

「ぎゃ、あ……ッ!!」

 

前衛にいた宮本くんの身体が不自然に跳ね上がった。

 

次の瞬間彼の胸から腹にかけての肉が無惨に弾け飛んだ。

 

夥しい量の赤黒い血飛沫が夜の闇へ噴き出し周囲の土壁や石畳にべちゃりと生温かい染みを作る。

 

私の頬にもそして蒼紫君の真新しい浅葱色の羽織にも生々しい温度を持った他人の血が降り注ぐ。

 

あまりにも一瞬の出来事だった。

何に斬られたのか私の目ですら最初は刃の軌道を追いきれなかった。

 

路地裏の空気が一瞬にして肺が焼け付くような濃密な鉄の匂いに支配される。

 

宮本くんは声にならない赤い泡を吐き出しながら臓物を撒き散らし糸が切れた肉人形のように崩れ落ちた。

 

「宮本君!!……なすて、なすてこんた酷ぇごとを!!」

 

吉村さんの怒声が血塗られた夜気を激しく震わせる。

普段の温和な顔は消え失せ顔中の血管を浮き上がらせた鬼の形相に変わっていた。

 

「こんの、人でなしの化け物めがァ!!おらぁ、おらぁ絶対に許さねえでがんす!!」

 

怒りに任せて刀を振り下ろすその姿は紛れもなく修羅場を潜り抜けてきた歴戦の剣客の刃だ。

 

殺意と体重の乗った一撃が闇を裂く。

しかし立ち塞がる相手は根本から次元が違った。

 

全身に返り血を浴びた謎の剣客は吉村さんの渾身の凶刃を重力すら存在しないかのようにふわりと跳躍して躱す。

 

足場など必要としないような奇々怪々な空中軌道。

そのまま宙空から袈裟懸けに容赦のない斬撃を振り下ろしてくる。

 

「なんちゅう……おっかねぇ妖術みてぇな剣だべ!!」

 

ガギィィッという耳障りな鋼の悲鳴が鳴り響く。

刃を交差させて受け止め力任せに相手の身体を弾き飛ばす。

 

「ぐぅッ……!」

 

しかし吉村さんの足元の石畳が衝撃でひび割れるのが見えた。

反応速度は申し分ないが放たれる一撃の重さが異常なのだ。

 

ふわりと音もなく着地した男の気配は死体のように薄弱だった。

 

存在感が希薄であるにも関わらず放たれる殺気だけが粘り気を持って濃密に立ち込めている。

 

「……退け」

 

地を這うような低い声に蒼紫君の身体が一瞬だけ硬直するのがわかった。

 

あの子が江戸で相対してきたどんな熟練の刺客とも根本から異なっている。

単純な剣術の優劣ではない。

 

積み上げてきた死骸の数と他人の肉を切り刻むことへの完全な麻痺。

魂の底の暗さが決定的に違うのだ。

 

「退けば命だけは助ける。……退かねば……」

 

夜空を覆っていた雲が流れ青白い月明かりが血まみれの路地裏に差し込む。

その冷光が男の姿を鮮明に照らし出した瞬間私は完全に呼吸を忘れていた。

 

血のように赤い髪。

左の頬に深く刻まれた十字の刃傷。

濃密な血の匂いをそのまま煮詰めて練り上げたような特異な風体。

 

長州の死神、緋村抜刀斎。

 

 

私の思考が追いつくよりも早く蒼紫君の身体が動いていた。

 

「赤髪に十字傷……!まさか!!アレが……長州の緋村抜刀斎!!行くぞ!!」

 

だめだ。

そう直感した時には既に遅かった。

 

あの子は小太刀を抜き放ち無謀にも単身で死神の懐へと飛び込んでいく。

 

「蒼紫君!!」

 

制止の叫びは残酷なほどに一拍遅れた。

 

抜刀斎の無機質な視線だけが静かに少年を捉える。

 

「……忠告は、した」

 

次の瞬間赤髪の輪郭が完全にぶれた。

 

速いという陳腐な言葉では到底表現しきれない。

 

ただ刀を鞘から抜く。

 

そのひとつの動作だけで対象の命を刈り取るという神速の抜刀術。

 

ガァァァン!!!

 

小太刀があまりにも容易く宙を舞い回転しながら闇の中へ消えていった。

技の応酬や力量の探り合いなどという生易しい段階すら踏ませてもらえない。

 

お前は圧倒的に格下であると命の次元でわからせるためだけの暴力的な一刀。

 

「う………あ………」

 

蒼紫君の腕から完全に抵抗の手段が失われる。

 

無防備な頭上へと抜刀斎の血塗られた凶刃が音もなく振り下ろされる。

 

少年の見開かれた瞳に明確な死の輪郭が焼き付くのがはっきりと見えた。

 

(殺される!!)

 

頭で状況を整理するよりも先に私の身体が勝手に地を蹴っていた。

 

「屈め!!!蒼紫君!!!」

 

ただこの子をこんな路地裏で虫けらのように斬らせるわけにはいかない。

理由はそれだけで十分だ。

 

カギィィィン!!!!

 

重い。抜刀斎の剣はあまりにも規格外に重い。

 

あの華奢な体躯のどこにこれほどの破壊力が秘められているのかと疑いたくなるほどの絶望的な負荷だ。

 

鍔迫り合いの圧力だけで私の掌の皮が裂け血が柄を濡らしていく。

 

蒼紫君を庇うようにしてその前に立ち塞がる。

背中越しにあの子の歯の根が合わないほどの激しい震えが伝わってくる。

 

恐ろしかったに違いない。

純粋な殺意の塊を何の備えもなく初見で叩き込まれれば正気を保つだけでも困難だ。

 

むしろあの瞬間に気を失って腰を抜かさなかっただけでも彼の精神力は称賛に値する。

 

「……緋村さん。この子はね今の私の特別なお気に入りなの。私が直々に相手をしてあげるからこれ以上の手出しは無用よ」

 

抜刀斎の瞳には一切の温度が感じられない。

感情が欠落しているわけではない。

 

確実にそこにある情念をすべて切り捨てただただ眼前の標的の肉を断ち切ることだけに最適化された異常者の目だ。

 

「……新選組の相手は疲れるが……引かぬと言うなら、斬る」

 

「ははっ!」

 

「心配しなくても大丈夫。明日からは絶対に疲れないわよ!!あんたのその頭が地面に転がっているはずだからねえ!!」

 

ああこのヒリヒリするような肌感覚。

久しぶりに吐き気がするほど気持ちがいい。

 

次の瞬間抜刀斎の刃が私の両目を狙って水平に薙ぎ払われる。

 

私は首を逸らして避けるが束ねていた髪の毛が数本音もなく宙を舞った。

 

「そこっ!」

 

すかさず相手の喉仏めがけて刺突を放つが抜刀斎はそれを刀の鎬で弾き流しそのまま私の左肩へと刃を滑り込ませてきた。

 

「くぅッ!」

 

浅く肉が裂け温かい血が腕を伝って流れ落ちる。

 

強い。

この男は文句のつけようがないほどに強い。

 

本当に人の命を刈り取るためだけに呼吸をしている生き物だ。

だからこそ私がここで食い止めなければならない。

 

背後から吉村さんの切迫した怒声が飛ぶ。

 

「……四乃森のわらす! すぐに下がるだ! こっから先ぁおら達が立ち入ってええ場所じゃねえ。組長だけの領域でがんす!」

 

蒼紫君は恐怖で足が竦み一瞬だけ身動きが取れずにいた。

それでも吉村さんに強引に腕を引かれ血だまりを避けるように一歩また一歩と後退していく。

 

あの子は今この瞬間に己の絶対的な未熟さを骨の髄まで叩き込まれている。

本物の『死』がいかに容易く己の喉元を掻き切り臓物をぶちまけさせるかを一瞬の交刃で教え込まれたのだ。

 

だがそれでいい。

残酷な事実だがそれがこの狂った京の都の真実だ。

 

腕が立てば生き残れるなどという甘い幻想は通用しない。

どれほど腕を磨こうとさらに強大な化物が現れればただ死ぬのみ。

 

その絶望の淵で自分の何が足りなかったのかを直視しそれでもなお前へと足を踏み出せる者だけが明日を生きる資格を得る。

 

「行くわよ、緋村さん!!」

 

そこから先の世界に言語は介在しない。

鋭利な鋼と紙一重の間合い。

 

そして命を削り合う速度と飛び散る鮮血だけの純粋な殺し合い。

抜刀斎の刃は最初の一撃よりもさらに速度を増していた。

 

私の放つ刺突を紙一枚の隙間で躱し即座に必殺のカウンターを返してくる。

それを鞘と刃で受け流し逆に男の死角へと回り込む。

 

火花が散るたびに腕と肩の筋肉が悲鳴を上げお互いに幾重にも浅い傷が刻まれていく。

それでも決して喰らいついた間合いを離すわけにはいかない。

 

この男をここで通せば背後にいる私の子たちが皆殺しにされる。

 

「……新選組は、本当に鬱陶しい」

 

「お互い様でしょうが!!」

 

互いの鍔が激しくぶつかり合う。

 

間近にある十字傷の顔。

 

氷のように冷え切っているくせに瞳の奥底にだけドロドロに煮え滾る業火が見える。

ああこいつも私と同じだ。

 

いや私以上に致命的に壊れきっている。

 

一撃。二撃。三撃。

 

口を開く暇などない。

互いに眼前の敵を断ち切ることだけを至高の目的としている。

 

そういう純度百パーセントの刃の交錯だ。

 

「組長!!」

 

遠くで吉村さんの叫び声が響いた。

しかし私は絶対に振り返らない。

 

ほんの瞬き一回の隙を見せただけで私の首が飛ぶ。

鍔を押し合いながら抜刀斎が地の底から響くような声で囁く。

 

「退け。貴様と無意味に斬り結ぶ気はない」

 

「意味なら大ありよ」

 

「私はね、新選組一番隊組長なの。うちの子に手を出した不届き者を見逃してやる理由なんてどこにもないのよ」

 

うちの子。

自らの口から出たその響きに私自身が一番驚いていた。

 

だがそれは決して出まかせではない。

私にとって蒼紫君は既にただの他所の小僧などではなかった。

 

少なくとも私の目の前で理不尽に臓物を散らして命を落としていい存在ではなくなっていたのだ。

 

抜刀斎の瞳がほんの僅かに細められる。

次の瞬間さらなる神速の刃が血の匂いの立ち込める夜の空気を引き裂いた。

 

結局その夜の死闘に明確な決着がつくことはなかった。

 

斎藤さん率いる三番隊が完全に退路を塞ぐ動きを見せ、長州側の気配も動き始めたことで抜刀斎は深追いを避け闇の中へ溶けるように消え去った。

 

こちらも宮本くんの原型をとどめない死体と夥しい血を流した重傷者を抱えた状態でありこれ以上の追撃は自殺行為に等しい。

 

だが去り際のあの男の背中を見ただけで十分すぎるほどの収穫だった。

緋村抜刀斎という男が本物の修羅であるという事実は嫌というほど骨に刻まれた。

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

屯所への戻り道。

 

誰の口からも軽口は飛び出さない。

 

布で覆われた宮本くんの亡骸からポタポタと落ちる血の音がやけに重く響く。

 

隊士たちの顔は一様に暗く沈み込んでいる。

 

京では日常茶飯事だと言ってしまえばそれまでだがいつものことだからといって仲間の無惨な死体が軽くなるわけではない。

 

吉村さんが私のすぐ隣に並び絞り出すような震える声で謝罪した。

 

「……おもさげながんす、組長。私の剣じゃ、到底あの化け物を止めきれねがった……」

 

「やめなさい。あの刃を一度でも受け止めて五体満足で立っている時点で十分すぎる働きよ。吉村さんまで自分を責め始めたら隊の空気が底なし沼まで沈みきっちゃうでしょう」

 

「ですが……私のせいで宮本君が……」

 

「あの男はそういう次元の化け物よ。次に相対した時にどうやって確実に首を落とすかだけを考えなさい」

 

吉村さんは痛ましそうに血に濡れた己の拳を握り締めそれから深く小さく頷いた。

 

「へば……そうさしてもらいます。次会った時は、必ずぶった斬ってやるでがんす」

 

蒼紫君はずっと沈黙を守っていた。

 

仕立てたばかりの浅葱色の羽織の袖口には宮本くんから浴びた血がべっとりとこびりつき赤黒く変色している。

 

あの子は歩きながらその消えない血の染みをじっと見つめ続けていた。

 

少しだけ声をかけるべきか迷いながらも痛む肩をかばいつつ彼の隣へと歩み寄った。

 

「……怖かった?」

 

しばらくの間返事はなかった。

 

「……はい」

 

その素直さが良い。

 

己の命が尽きかけた直後、虚勢を張らないのは何よりも強い心の証だ。

 

「俺は……今まで自分の腕にそれなりに自信を持っていました。実際のところ江戸では誰にも遅れを取ることはなかった。けれど……」

 

「うん」

 

「……今日の俺は何もできなかった。あっさりと武器を弾き飛ばされてただ死が降りてくるのを待つしかなかった」

 

雲の晴れた夜空に浮かぶ白刃のような月を見上げた。

こういう夜に安っぽい同情や慰めの言葉は何の役にも立たない。

 

次は勝てるとか命があっただけ儲けものだとかそんな気休めは本人が一番痛感している。

 

今彼が欲しているのはそんな甘い言葉ではない。

 

「そうね」

 

「今日のアンタはただの無力な子どもだった。本当に何もできなかったわ」

 

それでも私は容赦なく言葉を叩きつける。

 

「でもね、それでいいのよ。今日自分がどれだけ無力だったかを、あの血の匂いごと骨の髄までしっかり刻み込んでおきなさい。その恐怖感を忘れなければそれは必ず次の戦いの糧になる。恐怖を忘れて『自分はやれる』なんて勘違いをした顔をする奴からこの街では死んでいくのよ」

 

「…………」

 

「悔しい?」

 

「悔しいです」

 

「なら、絶対に強くなれるわよ」

 

確信を持ってそう言い切った。

あの子の肩はまだ微かに震え続けている。

 

「……あの吉村という人も抜刀斎の常軌を逸した剣を一度とはいえ弾き返してみせた。そして何より沖田総司……」

 

「……俺は……まだ、あまりにも未熟だ」

 

「やっと自分が井の中の蛙だってわかった?」

 

「……本当に嫌な言い方をしますね」

 

「正真正銘の嫌な女だからね、私は」

 

「知ってます」

 

その生意気な切り返しに私の方がどれだけ救われたかこの子は一生知らないだろう。

この子は自分の足でしっかりと前を向いている。

 

そういう人間は限界を知らずにどこまでも伸びていく。

血に塗れた私なんかよりもずっと美しく真っ直ぐに。

 

「……この羽織、血がついてしまいました」

 

「洗えば綺麗に落ちるわよ」

 

「たとえ落ちなくても絶対に捨てません」

 

「ほんと、意地っ張りね」

 

「俺にとっての記念です」

 

「こんな肉片と血の雨が降る夜を記念になんてしてほしくないんだけど」

 

「俺にとっては一生忘れられない夜ですから」

 

おそらくこの子は今日目撃したすべての出来事を生涯忘れることはないだろう。

 

同僚の肉が弾け飛ぶ音も、神速で迫る抜刀斎の凶刃も、己の無様な無力感も、そしてその圧倒的な死の前に立ち塞がった私の背中も。

 

すべてを等しく魂に焼き付けるはずだ。

 

「さあ、今日はもう帰ってとっとと寝なさい。死にかけた夜に無理をして風邪でも引かれたら明日の稽古で私が退屈するじゃない」

 

「……はい」

 

私自身もそうやって幾多の死線を越えてここまで這い上がってきた。

ただひとつだけ決定的に違うことがあるとすれば。

 

まだこびりついた血の匂いは消えてくれない。

 

平助を斬ったあの夜の感触も鮮明に肺の奥にへばりついている。

 

それでも。

それでも今日ただひとりあの子の命だけは斬らせなかったという事実が私の凍てついた胸の中で微かに光を放っている。

 

そのささやかな光が私自身の罪の救済になるのかどうかはまだわからない。

 

でも少なくとも今夜の私はこの小さな温もりだけは絶対に手放したくないと強く思っていた。

 

今はただそれだけで十分だった。




蒼紫にとっては敗北と恐怖の夜であり、総司にとっては「この子だけは死なせたくない」とはっきり自覚してしまう夜でもありました。
羽織のシーン、抜刀斎戦、帰り道の会話など、刺さったところがあればぜひ教えてください。

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