転生して型月版・沖田総司になったけど、労咳を克服したら明神弥彦の母になっていた件 〜るろ剣世界で最強のママやってます〜 作:だいたい大丈夫
しかも、その場にいたのが普通の母親ではなく、元人斬りで現役極道だったのが運の尽き。
今回は弥彦ヒーロー回、そして燕ちゃん花嫁教育構想発動編です。
「う〜ん」
「燕ちゃん……いい娘だわ。働き者だし、健気だし、何よりウチの弥彦を見る目が優しくて良いわね」
視線の先、厨房の奥の勝手口で、弥彦がリズミカルに薪を割っている。
なぜかこの場所では水を得た魚のように輝いているのだ。
正直、少々腹立たしい。
いや、腹立たしいというより、母親としての心中は極めて複雑だ。
疲労困憊の身体を案じてせっかく稽古を休ませてやったというのに、その足で牛鍋屋の裏方労働に精を出すなど、明らかに体力の配分を間違えている。
そんな息子の傍らで、三条燕ちゃんが甲斐甲斐しく立ち回っている。
空いた皿を運び、汗拭き用の手ぬぐいを差し出し、折に触れて弥彦へ柔らかく言葉を投げかけていた。
ああいう無防備な優しさは危険だ。
年頃の男子が惹かれる要素を、すべて煮詰めて具現化したような存在ではないか。
「わかった。燕は可愛い。私が正妻。燕は妾にするなら許す。器の大きいメイド」
「お前が正妻の前提なのかよ……犯罪だろ」
「愛に年齢はない」
「相手十歳だよ!!」
「精神年齢は近い」
「そこもだいぶ危ねえんだよ!!」
赤身肉を割り下にくぐらせ、湯気越しに口を開いた。
「まあ、なんにせよ、ああいう普通に汗水垂らして働く庶民の暮らしが、今の弥彦にとって唯一の『癒し』になってるんでしょうねえ」
「ちょっと、ウチだって立派な『庶民の剣術道場』よ?癒やしはあるわ!」
「……薫殿。神谷道場は、つい最近『阿片と兵器を密造する悪の総本山』になったばかりでござるよ。癒やしなど皆無でござる」
「そんなにハッキリ言わなくてもいいじゃない!!」
「事実でござる」
悲しいかな、彼の指摘は完全に的を射ている。
現在の神谷道場は、どう贔屓目に見ても場末の牛鍋屋以下の安らぎしかない。
地下空間から工事の爆音が鳴り響く剣術道場に、精神の平穏を求めること自体が致命的な間違いなのだ。
再び、燕ちゃんへと視線を戻した。
小柄で、おどおどしていて、それでいて献身的に動き回る姿。
決して華やかなタイプではない。
早く一人前になりたくて背伸びを続ける、うちの弥彦のような少年にとっては、とりわけ猛毒になり得る。
「しかしまあ」
「弥彦のやつ、いいとこ見せたくて日雇い仕事までしてんのかね。泣けるぐらい健気だな」
「健気なのは認めるけど、あの子が私に隠れて初恋の隠れ家作ってるのは許しがたいわね」
「お前の感情、母親と極道が半々で混ざってんだよ」
「母親が七割よ」
「残り三割がだいぶ濃いんだよ」
突如、平和な空気を切り裂くように、ひどく耳障りな怒鳴り声が響き渡った。
「おい!!注文遅えぞ!!いつまで待たせる気だ!!」
客席のどん詰まりに居座る、妙に柄の悪い男。
顔立ちの端々に、隠しきれない下品さが滲み出ている。
身なりこそ小綺麗なものを纏っているものの、どこかちぐはぐで板についていない。
彼女は空の盆を胸元に抱え込み、怯えた様子で何度も頭を下げた。
「は、はい……!すいません、ただいま注文の品を……!」
「チッ……それが主家に対する態度かよ?ちょっとツラ貸せや」
主家。
なるほど、そういう厄介な因縁か。
御一新の波に乗り遅れて没落した、誇りだけが高い元旗本の成れの果て。
吐き気を催すほどの、酷く嫌な気配しかしない。
「ありゃ、ロクでもねえな」
「拙者も同感でござる」
どうやらここから先は、微笑ましい初恋観察の延長戦ではない。
確実な『仕事』の領域へと、思考を切り替えるべき局面だ。
燕ちゃんに危害が及べば、弥彦の心に傷がつく。
弥彦が傷つけば、私の怒りが頂点に達する。
三段論法で弾き出される結論は極めて明白。
あの下品な男の命数は、すでに風前の灯火ということだ。
◇◇
長岡は、抵抗する燕ちゃんを引きずるようにして、店の裏手へと消えていった。
私たちは、誰一人として音を立てず、ごく自然な動作で立ち上がった。
周囲の客や店員に、ほんの僅かな違和感すら抱かせない。
薄暗い裏口の陰へ回り込むと、じめついた路地の最奥で、長岡が燕ちゃんを壁際へ乱暴に追い詰めている最中だった。
木箱の陰から盗み見るという、いささか品の無い構図にはなる。
だが、この際そんな些末な行儀作法を気にしている余裕はない。
「おい、燕」
「お前、店主の家の鍵の『型』を取ってあるんだろ。さっさとそれをよこせ」
なるほど。
そういう下劣な企みか。
かつての主従関係という呪縛を悪用し、現在の雇い主の店へ泥棒を引き入れようという腹積もり。
姑としての査定を一時保留にしたとしても、人間として救いようのないクズである。
「そ、そんな……!いくら何でも、こんな盗みみたいなことをすれば、旗本だった長岡家の名前に傷が……!!」
「うるせえ!!」
「御一新で旗本もクソもなくなったんだよ!鍵の型を出さなければ、お前を売り飛ばして一生、吉原で働かさせるだけだぞ!」
気づけば、私の右手は無意識のうちに腰の鯉口へと吸い寄せられていた。
だめだ。
私が今ここでこいつを細切れにしてしまえば、大事な弥彦の見せ場が完全に消滅してしまう。
理屈ではわかっている。
痛いほどわかっているが、それでも衝動的に斬り捨てたくてたまらない。
「へえ……。維新から十年経っても、今でもそんな古いもんに囚われているのか……」
頭上から、妙に堂々とした声が降ってくる。
その場の全員が弾かれたように視線を上へ向けた。
尋常ではない格好のつけ方だ。
心の底から格好をつけている。
……うちの息子、なかなかの役者じゃないの。
「とぉうっ!!」
気合いと共に、夜空を切り裂いて高く飛び降りる。
着地の姿勢は、流派の教え通りに美しい。
若干膝への衝撃が逃げ切れていない気配はあるものの、全体的なシルエットは見事に様になっている。
ああもう、一瞬の隙も逃さずに写真を撮りまくりたい。
今すぐ最先端の機材でこの勇姿を銀板に焼き付けたいのに、この時代は致命的に文明の進歩が遅すぎる。
「……『とう?』」
「……完全にカッコつけてるな、あいつ」
「……うん。見事にカッコつけてるわね」
私は、不覚にも鼻の奥がツンと熱くなるほどの誇らしさに包まれていた。
「……フフッ。大好きな女の子の前で、一生懸命ヒーローぶってカッコつけてるんだわ、うちの可愛い息子。写真撮りたいわね」
「気持ちはわかるが落ち着くでござる」
「……カッコいい弥彦ちゃん。抱ける。でも着地で膝に負担かかってる。減点一」
「採点基準が全部おかしいのよ」
弥彦が鋭い呼気と共に木刀を長岡たちへ突きつけた。
「てめえら、弱い女を脅して泥棒の片棒を担がせるなんて……そんな非道な真似は、この俺が許さねえ!!」
うん。
口にしている口上は、非の打ち所がないほど立派だ。
ストレートな正義感は、少女の心へ劇薬のように効くのだ。
十歳という年齢を忘れさせるほど、完全に心を奪われているのがわかる。
まずい。
母親としての防衛線が、音を立てて崩れ去りそうだ。
「な、長岡さん!ヤバいですよ!!こ、こいつ……関東集英組の坊っちゃんです!!なんでこんな牛鍋屋の裏に!?」
「はあ?集英組?なんだそりゃ?どこの三下ヤクザだ?」
あ、終わった。
長岡の奴、今の不用意な一言で自身の寿命を完全に使い果たした。
集英組の名を知らない時点で裏社会の情報網から完全に孤立している証拠だし、あろうことか『三下』呼ばわりするなど、もはや自殺志願者としか思えない。
本物の闇の深さを知らない、滑稽な素人の末路だ。
「し、知らないんですか!?関東最大と言われてる、泣く子も黙る超武闘派ヤクザですよ!!逆らったら東京湾に沈められますって!!」
「しゃらくせえ!!」
「んなもん、旗本だった俺が名乗ればひれ伏すっての!ええい、そのガキをさっさとやっちまえ!!」
命令に逆らえず、手下たちが怯えた足取りでじりじりと距離を詰める。
恐怖に歪む顔は哀れだが、所詮は彼らも弱い少女を脅迫する側に回っていた人間だ。
同情の余地も、情状酌量の余地も、私の辞書には一文字も存在しない。
「燕、俺の後ろに隠れてろ!」
燕ちゃんは涙の膜を張った瞳でコクンと頷き、弥彦の小さな背中へとすがるようにしがみついた。
「うん……弥彦ちゃん」
瞬間、弥彦の耳の裏側までが、カッと茹でダコのように朱に染まった。
「『ちゃん』じゃねえ!!今カッコいいとこなんだから!!!」
ああもう、だめ。
愛おしすぎる。
もし今、『全日本母親視点・ベストショット選手権』が開催されていたら、間違いなくぶっちぎりで優勝をかっさらう自信がある。
必死にヒーローを演じたいのに、思春期の照れ隠しが完全に限界を突破している。
その不器用なアンバランスさが、狂おしいほどに絶妙だ。
「うおおおお!!」と半ばヤケクソで襲いかかってくるチンピラたちへ向け、弥彦が鋭く太刀風を鳴らした。
神谷活心流の柔らかな崩しの技法を土台に、我が道場に巣食う修羅たちが面白半分に叩き込んだ、容赦のない実戦剣術の要素。
それらが複雑に絡み合った、敵に回せば吐き気がするほど厄介な太刀筋。
私の想像を遥かに超える速度で、あの子の筋肉と骨格は『殺し合いの最適解』を吸収し尽くしている。
先頭の男の手首の関節を正確に外し、返す刀で二人目の脛を容赦なく払い飛ばす。
そのまま流れるような体捌きで三人目の水月をえぐり、一瞬にして肺から酸素を奪い去った。
本人としては、あくまで『木刀で打ち据えているだけ』という平和的な認識なのだろう。
だが、その業を仕込んだ側の視点からすれば、実戦に特化しすぎた、洗練された暴力の完成形だ。
「うんうん!普段の稽古が、ちゃんと実戦で身に付いてるみたいね!人を活かす剣よ!」
「ダメ。抜刀術使ってない。首が一つも飛んでない。手加減しすぎ。大丈夫でない」
「バカ言え」
「そりゃあ、いくらなんでも『木刀』で抜刀術は無理だろ」
「ああ、アレね。木刀に見せかけて私が特別に刀鍛冶に作らせた『仕込み刀』だから。中身はバリバリの真剣よ。いつでも実戦対応可能」
「「「ええええええええ!!??」」」
「何で知らなかったみたいな反応するのよ。集英組の跡取りが持つ護身用よ?当然でしょ」
「当然じゃないでござる!!」
「や、弥彦……!!頼むから、それはそのまま『木刀として』使うでござるよ!!絶対に抜くんじゃないでござる!!スパーンといくでござる!!」
「そこの心配はもっともね」
「もっともなのに何で笑ってるのでござる!?」
私たちが不毛な押し問答を繰り広げている間に、路地裏の活劇はあっけなく幕を下ろしていた。
長岡の手下共は、一人残らず地面に転がり、呻き声を上げるだけの肉塊と化している。
弥彦め。
見事な立ち回りだ。
生命の神秘というか、ホルモンの成せる業というか。
色々な真理を前に、ただ深く納得するしかない。
「く……こ、このガキ!覚えていろ!!!」
使い捨ての駒となった手下たちを一瞥もせず、一目散に逃亡を図る。
このまま無傷で逃がしてやる筋合いはない。
だが、弥彦の作った完璧な舞台を、血みどろの処刑場で台無しにするのは野暮というもの。
ここは泳がせておこう。
「とりあえず、札を回しておいて」
お彦が、無表情のまま深く頷いた。
「うん。長岡一派、捕獲対象」
「話が早すぎるんだよ!!」
燕ちゃんが、こらえきれずに溢れた涙を浮かべたまま、弥彦の背中へぎゅっとしがみついた。
「弥彦君……!ありがとう……!」
弥彦の顔面が、耳先から首筋に至るまで、瞬時に沸騰したように真っ赤に染まる。
「お……おう。当たり前だろ。……何かあれば、また俺に言えよ?」
ああ、だめだ。
正しく、美しく、そして完璧なまでに青春を謳歌している。
あまりにも眩しい。
直視すれば眼球が焼け焦げそうなほどの眩さだ。
母親である私の目には、もはや取り扱い厳重注意の危険物にしか映らない。
尊極まりないのに、ひどく危険。
致命的な矛盾を孕んでいるが、それが紛れもない親の本心なのだ。
「……微笑ましいわね。よし!決まり。燕ちゃんは、明日からウチで預かります」
「……は?」
「『花嫁教育』よ!!」
「ウチの弥彦の隣に立つなら、極道の妻としての『心構え』と、暗殺者から身を守るための『戦闘力』を持てるように、私が直々に一から教え込むわ!!まずは礼儀作法、鉄砲玉の見分け方、尾行の外し方、銃の分解・組み立てあたりからね!!」
「花嫁教育に銃が入ってる時点でおかしいでござる!!」
「おかしくないわよ。夫を守れない妻は半人前でしょう?」
「どこの戦場でござるか!!」
薫ちゃんに至っては、もはや声も出ないほどのドン引き状態だ。
「琴さん、それ花嫁教育じゃなくて暗殺教練よ!!」
「両立できるわ」
「できないわよ!!」
「……燕の教育は、お義母さんに任せる。それより、あの倒れた男たちは、捕まえて恵の『新薬の実験台』に使う。……大丈夫」
「お彦殿!?さすがにそれは人体実験でござる!!」
だが、お彦の冷徹な声のトーンは一ミリも揺るがない。
「もし実験で死んだら……道場の裏庭で育ててる『ケシの花』の肥料にする。綺麗に咲く。SDGs。……だから大丈夫」
「SDGsってなんだよ?!!」
「……長岡、お前……旗本だなんだと威張ってたが……完全に命の終わりのカウントダウンが始まってるぞ……」
弥彦は未だに居心地が悪そうに視線をさまよわせている。
対する燕ちゃんは、完全に熱を帯びた、恋する乙女の瞳で彼を見上げていた。
わかる。
よくわかる。
あんな劇的な救出劇を見せられれば、恋に落ちない方がどうかしている。
唯一にして最大の問題は、彼女が恋に落ちたその瞬間から、彼女の人生設計に『極道の花嫁教育』という名の生存競争が強制追加されるという事実。
だが、その程度の些末な問題は……まあ、後日ゆっくりと、逃げ道を塞いだ上で説明してあげれば済むことだ。
「説明してどうにかなる話ではないでござる……」
ええ、聞こえているわよ。
燕ちゃん。
決して天性の素質があるわけではないが、根底の筋は悪くない。
臆病な性質だが、いざ己の背に守るべきものを背負った時、想像以上の粘り強さを発揮する芯の強さを秘めている気がする。
細やかな気配りも完璧。
労働を厭わない勤勉さ。
となれば、懸念すべきは彼女の資質ではなく、環境への適応能力だ。
神谷道場の敷居を跨ぎ、明日を生き延びることができるのか。
すべてはその一点に懸かっている。
「まず最初に必要なのは、毒見の訓練かしら」
「何で前提がそこなんでござる!!」
「だってうち、最近お客人が多いもの。観柳さんの敵もいれば、集英組の敵もいるし、軍需で恨まれる可能性だってあるし」
「だからって牛鍋屋の娘にいきなり毒見を仕込むなでござる!!」
「いやあ、弥彦の初恋一つで、花嫁修行と人体実験が同時決定するのすげえな」
「他人事だと思ってるでしょ」
「実際他人事だし」
「最低」
「知ってる」
その瞬間、弥彦の気配が揺れ、顔がこちらへ向く気配を察知した。
深い物陰へと身を沈める。
危ない、危ない。
今ここで見つかれば、すべてが水の泡だ。
横を見れば、お彦がまるで忍者か何かのように壁面と同化しているし、緋村さんは一切の生命反応を断ち切るほどの無駄な達人芸を披露している。
薫ちゃんに至っては、酸欠で倒れそうなほどに呼吸を停止させていた。
数秒の緊迫した沈黙の後、弥彦は私たちの気配に気づくことなく、再び燕ちゃんへと向き直った。
どうやら、最悪の事態は免れたようだ。
「……とにかく、今日は撤収」
極力声を潜めて仲間に告げる。
「今のところは『可愛いね』で済んでるけど、これ以上見てると私が本当に乱入しそうだもの」
「十分危険発言でござる」
「でも本音よ」
「隠す努力をしてほしいでござる」
身を翻す直前、路地の角から最後にもう一度だけ、二人の姿を瞳に焼き付けた。
ああ、だめだ。
本当に、胸が痛くなるほど眩しい。
眩しくて、ひたすらに愛おしくて、なぜか無性に腹立たしくて、絶対に守り抜きたいと願い、極限まで鍛え上げたくて、万が一変な虫が寄りつけば八つ裂きにしてやりたい。
相反する感情の奔流が、私の思考回路をショート寸前まで追い込んでいく。
母親の愛情というものは、これほどまでに複雑怪奇なものだっただろうか。
もっと単純明快に、「素敵な初恋でよかったわね」と拍手して終わるものだとばかり信じていた。
とんだ思い上がりだった。
無理だ。
◇◇
帰路。道を歩きながら、私の脳内ではすでに、次なる計画――教育課程の構築が猛烈な勢いで開始されていた。
「礼儀作法、銃器整備、最低限の護身術、偽名の使い分け、あとは地図の読み方と逃走経路の確保……」
「どこへ嫁に出す前提なんだよ!!」
「ウチよ」
「ウチが終わってんだよ!!」
「何を今さら」
「せめて普通の家へ嫁ぐ可能性も残してあげてほしいでござる……」
「弥彦が普通の家と結婚できると思う?」
「それは……思わぬでござるが……」
「でしょ」
「燕ちゃん、何も知らないのよ!??それをいきなり銃の分解とか極道の妻とか、可哀想すぎるでしょうが!!」
「じゃあ木刀の持ち方からにする?」
「問題はそこじゃないの!!」
騒ぐ私たちをよそに、お彦が淡々と独自の理論を展開し始める。
「私は第一夫人。燕は妾。住み分け大事」
「だからその前提を捨てろ!!」
「捨てない。弥彦ちゃんは人気者」
「人気の方向が全部おかしいんだよ……」
弥彦の隣に立つ人間には、絶対に越えなければならない絶対的な『強さ』の基準がある。
学習院へ通うというだけでも、無用な嫉妬や厄介な家柄との軋轢が生じる。
常に背中を狙われるのが日常の景色。
おまけに、あの性格だ。
自ら進んで火中の栗を拾いに行くような危うい気質は、今日の事件を見ても火を見るより明らか。
だとするならば、ただ安全な場所で守られているだけの、か弱いお姫様では到底務まらない。
自分の身は最低限自分で守り抜き、いざという修羅場では、背中合わせで夫を支えられるような気丈な娘でなければ。
……いや。
さすがにそのハードルを、十歳のうら若き初恋相手へ押し付けるのは、少々気が早すぎるだろうか。
その点に関しては、私もわずかばかりの反省を認めよう。
「少しで済ませる気でござるか……」
門をくぐると、地底から湧き上がるような、相変わらずの重低音が地響きと共に伝わってきた。
この巨大な兵器工場の稼働が停止するわけがない。
足早に居間へ上がり込むなり、戸棚から乱暴に紙と筆を引っ張り出した。
「……何を書いてるの?」
「教育課程」
「やめなさい」
「仮案よ。仮案」
「その『仮案』が全部実施に移されるのを私は知ってるのよ!!」
「どれどれ……『燕ちゃん花嫁教育第一段階』?うわ、もう怖え」
「一、礼儀作法。二、暗器の隠し場所。三、毒物の基礎知識。四、拳銃と機関銃の分解・組み立て。五、尾行の外し方。六、極道の仁義」
「全然花嫁修行じゃねえだろ!!」
「現代的な花嫁像よ」
「良い。あと『妾としての立ち振る舞い』も足す」
「足さない!!」
「先に言っておくけど、燕ちゃんを『預かる』にしても、普通にお茶を飲みに来てもらうところから始めなさいよ?いきなり機関銃は無し。暗器も無し。人体実験も論外」
「わかってるわよ」
「今の返事、全然信用できないんだけど」
「失礼ね。私は常識のある母親よ」
「どの口が言うのでござる!!」
お彦が、授業中の優等生のように静かに挙手をした。
「じゃあ最初は、お茶会に見せかけて適性検査する。乾パンを綺麗に三等分できるか、死体を見ても悲鳴を上げないか、弥彦ちゃんを庇って自分が刺される覚悟があるか」
「二つ目と三つ目が重すぎるのよ!!」
「でも庇えるかどうかは大事ね」
「琴さんも乗らないで!!」
「なあ。もういっそ普通に『弥彦の友達として、時々赤べこへ顔出す』くらいにしとけよ。十歳の初恋なんて、育つか消えるかもまだわかんねえんだし」
悔しいが、その指摘は完全に正論だ。
「……まあ、そうね。まずは、それで十分か」
「お、珍しく引いた」
「引いてないわよ。準備期間に入っただけ」
「全然引いてねえ!!」
だが、実際のところ、その表現が一番正確かもしれない。
今すぐ斬り捨てるとか、暗闇に紛れて攫うとか、そういった物騒な手段は論外。
うちの弥彦が、自分の意思で初めて見つけ出したささやかな『癒やし』を、頭ごなしに踏みにじる気などない。
いくら私でも、そこまで非情な鬼ではない。
……たぶん。
初恋は戦争、そして母親の愛情はそれ以上に複雑。
そんな感じの回でした。
弥彦の青春の眩しさと、琴の危険な母性のどちらがより刺さったか、ぜひ感想をいただけたら嬉しいです。
神谷道場はどちらにつく?
-
志々雄一派
-
明治政府
-
第三勢力
-
独自路線