転生して型月版・沖田総司になったけど、労咳を克服したら明神弥彦の母になっていた件 〜るろ剣世界で最強のママやってます〜   作:だいたい大丈夫

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今回は、神谷道場に壬生の狼が来ます。
日常と殺気が地続きの回です。






お彦

【挿絵表示】



京都編
神谷道場襲撃


「……琴殿。昨夜は、少し昔の夢を見たでござるよ」

 

 庭で刀を振っていた琴は、最初こそ刀の軌道を変えることなく、軽い調子で応じた。

 

「へー、昔って幕末?やっぱり」

 

「新選組と戦っている夢でござった」

 

「ふーん。相手は私?それともガムシン?もしかして近藤さん?」

 

 剣心は湯呑みの縁を指先でなぞりながら、微かに眉間へ皺を刻む。

 

「いや……斎藤一……でござるよ。あの牙突、今も肌が粟立つように覚えているでござる。ただの虫の知らせでなければ良いのでござるが……」

 

 その名が鼓膜を打った瞬間、琴が振るう刀の切っ先が、ほんの数ミリだけ空気を切り損ねた。

 だが、その動揺も瞬きほどの時間だ。彼女はすぐにいつもの飄々とした態度を取り繕い、小さく肩を竦める。

 

「相変わらず執念深い男の名前ねえ。夢の中までカチコミかけてくるとか、暇なのかしら」

 

「暇ではないと思うのでござるが……どうにも、嫌な悪寒が背筋を舐めるでござるな」

 

「だったら今日は営業休めばいいじゃない」

 

「それができれば苦労しないでござる。海軍へ納める自走式魚雷の最終確認と、ついでに川村卿への愛想笑いまで予定に組み込まれているでござるよ。……営業マンはつらいでござる」

 

「自分で言ってて悲しくならない?」

 

「もう慣れたでござる」

 

「慣れちゃだめなところへ慣れてるのよね、アンタ」

 

 剣心は鉛のように重い腰を上げた。腰に刀を差す仕草よりも、分厚い書類袋を小脇に抱える動作の方がよほど板についている己の姿に、内心で深い溜息をつく。

 

「まあ、何事もなければそれで良いでござる。では、行ってくるでござるよ」

 

「はーい。道場が吹き飛ぶ前に帰ってきなさいね」

 

「縁起でもないでござるな!?最近その手の不穏な冗談が、冗談で済まないから本当に怖いのでござるよ!」

 

「だって地下、今朝も何か爆発してたし」

 

「あれは観柳殿の試作品でござる!」

 

「余計に怖いわ」

 

 軽口を叩き合いながら、剣心は重い足取りで営業へと向かった。

 門を潜るその細い背中を見送った瞬間、琴の瞳からふっと柔らかな光が消え去る。

 

「……そろそろ、か。ままならないものね。あいつも」

 

 誰に宛てるでもなく漏れた呟きは、再び振り下ろされた刀の冷たい風切り音に巻き込まれ、庭の砂塵へと溶けていった。

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

そのころ、受付近くの板間では、左之助が顎が外れんばかりの盛大な欠伸を噛み殺していた。

 

「ふああああ……おい、門下生!なんか飯でも食わせてくれや。胃袋が背中にくっつきそうで動けねえ」

 

 声の反響を待つまでもなく、奥の厨房から威勢の良い返事が飛んでくる。

 

「はい!相良先生!ただ今、特製焼肉丼をお持ちします!!」

 

「……へっ、至れり尽くせりだな。俺も、この道場の『極悪ホワイトな厚遇』にすっかり毒されちまったかねえ。いい身分だぜ、まったく」

 

 自嘲気味に笑う左之助の背後――彼自身の影が落ちるよりも早く、音もなくお彦が立っていた。

 

 今日の彼女は、いつものフリルがあしらわれたメイド服ではなく、闇を煮詰めたような黒装束を纏っていた。生地の色も質感も、返り血を吸っても周囲に悟られず、そのまま夜の路地裏へ溶け込むための実戦仕様である。

 

彼女は硝子玉のように無機質な表情を崩さないまま、ほんの少しだけ誇らしげに顎を引いた。

 

「大丈夫。左之助は頑張ってる。阿片の運び屋、よくやった。……ご飯、食べる。ご褒美。大丈夫」

 

「うわっ!?……脅かすんじゃねえよ。で、今日はいつものメイド服じゃねえのか?なんだその黒装束は」

 

「マンネリ、良くない。今日は『暗殺者』黒い服。……返り血が目立たない。洗濯が楽。大丈夫」

 

「理由が実務的すぎて引くわオイ」

 

「あと、たまに衣替えすると気分が締まる。仕事できる感じになる」

 

「そこだけカタギの職場みたいなこと言うなよ」

 

 漫才のような掛け合いを遮るように、廊下の奥から門下生が血相を変えて転がり込んできた。

 

「相良先生!お彦様!!お客さまです!薬売りだと言うんですが、ぜひ師範のどなたかにお会いしたいと……!」

 

「あ?しゃあねえなあ……。俺が適当に追い返してやるよ」

 

 左之助が面倒くさそうに立ち上がると、お彦も己の影を引きずるようにして当然のようについてくる。

 

「……私も行く。私も師範。偉い。飴、くれるかもしれない」

 

「動機の半分が飴なのどうにかならねえのかお前」

 

「半分じゃない。三割くらい」

 

「細かく自己分析すんな」

 

道場の玄関には、一人の男が静かに佇んでいた。

 

 背広姿。やや猫背気味の長身。双眸は針のように鋭いが、顔の造作そのものはあくまで「しがない薬売り」の地味さを完璧に演じきっている。手には古びた一本の杖。だが、見る者が見れば一瞬で悟るだろう。あれは体を支えるための杖などではない。鈍く、細く、じっとりと冷たい殺意を鞘の内側へ圧縮して隠し持っている。

 

「……どうも。私、多摩の薬売りで『藤田五郎』と申します。この『石田散薬』をぜひ卸させていただければと思いましてな」

 

 斎藤一――いや藤田五郎と名乗る男は、慇懃な動作で四角い包みを差し出した。

 声のトーンはひどく落ち着いている。しかしそれは、相手の警戒心をすり抜け、柔らかい喉元へ滑り込むためだけに研ぎ澄まされた、捕食者の低音だった。

 

「あ?石田散薬?いや、悪いが薬はウチでも専門の先生が作ってんだ。余所者のショボい薬はいらねえよ」

 

「そうですか?この石田散薬は、打ち身、捻挫、骨折……あらゆる怪我になんでも効くんですよ?」

 

「しつこいな。他を当たってくれや」

 

「では試供品だけでも――」

 

「いらねえって言ってんだろ」

 

 左之助の苛立ちの理由は、単なる男のしつこさだけではない。現在の神谷道場では、まともな薬は表の診療室、法に触れるやばい薬は地下ラボ、そしてさらに凶悪な劇薬は恵の私室で厳重に管理されている。外部から得体の知れない薬を持ち込まれること自体が、彼らのシマに泥を塗る行為と同義なのだ。

 

「いいか?うちはもう十分に薬が足りてんだよ。胃薬から阿片まで品ぞろえ豊富なの。分かったらとっとと帰れ」

 

「最後の一言で、良い薬局みたいに聞こえなくなりましたな」

 

「最初から良い薬局じゃねえよ!」

 

 その緊迫感のないやりとりの最中、お彦だけはずっと男の「足元」に視線を縫い付けていた。

 

 ――その時だった。

 左之助の隣に立っていたお彦の周囲から、唐突に温度が消失した。

 

「…………左之助。下がりなさい」

 

「お?どうしたサイコメイド……じゃなくて暗殺者モード」

 

 お彦の親指が、音もなく刀の鯉口を数ミリだけ押し開く。

 

「……この男は危険。下がりなさい。死ぬわよ」

 

「怖えよ」

 

 距離を取ってから、左之助は改めて玄関の男を凝視する。

 先ほどまでただの胡散臭い薬売りだった男の輪郭が、今は全く別の生き物に変貌していた。立ち方が違う。肩の上がり方が違う。何より、分厚いレンズ越しに覗く眼球の色が、暗い飢えを宿した捕食者のそれに染まりきっている。

 

「…………!?(こ、こいつ、何者だ?お彦がここまで警戒するなんて……!)」

 

 藤田の喉の奥から、低く乾いた笑い声が漏れた。

 

「相変わらず鼻が利くな、河上彦斎」

 

「相変わらず、趣味が悪い。薬売りの真似、全然似合ってない」

 

「褒め言葉として受け取っておく」

 

「別に褒めてない」

 

「貴様が来るとはな、河上彦斎。……抜刀斎が良かったのだが、露払いには丁度いい。その首、貰い受ける」

 

「斎藤一。新選組三番隊組長。……なんの用?ここは私の『愛の巣』。野良犬が入る場所じゃない」

 

「置き土産はしておくさ。……抜刀斎にな!!」

 

次の瞬間、斎藤が仕込み杖の鞘を弾き飛ばした。

 剥き出しになった冷たい刃。左手一本で刀身を水平に支える、前傾した半身。幕末の京都を血で染め上げた最悪の突撃技――『牙突』の構えだ。

 

 左之助は、たまらずさらに一歩後退した。下がるしかなかったのだ。網膜を突き刺すような極限の殺気が、裏社会のドンパチやただの喧嘩とは次元が違う、「本物の殺し合い」のそれだと細胞が理解したからだ。

 

「お彦……!」

 

「邪魔。死ぬ」

 

 短く吐き捨てると同時、お彦の小さな身体が、膝が床板に触れるほど極端な低空の抜刀術の構えへと沈み込んだ。

 

 斎藤が凶暴に目を細める。

 

「……行くぞ」

 

 踏み込んだ一歩が、分厚い板間を爆発したかのように粉砕した。

 床板が悲鳴を上げる暇すらない。踏み込みが生んだ莫大な衝撃力に乗せ、牙突の切っ先が一直線にお彦の細い喉仏を穿ちに行く。

 

 左之助の動体視力では、その軌道はほとんど追えなかった。

 見えたのは、お彦の黒い影が床を這うように滑り込み、二つの刃が激突して眩い火花が散ったという結果だけだ。

 

「速えええ!!!目で追えねえ!!」

 

 斎藤の必殺の突きを、お彦は抜き打ちの刀身を滑らせて間一髪で受け流す。

 そのまま円を描いた刃が、下から斎藤の胴を薙ぎ払う。だが斎藤は突きの勢いを殺さぬまま手首を反し、強引に横薙ぎへと軌道を変えた。仕込み杖とは思えないほど、その剣筋は重く、そして理不尽に鋭い。

 

「甘い!!」

 

「そちらが!!」

 

 お彦は弾き返された反動を利用して体を捻り、刃を紙一重でかわす。着地と同時、低空の死角から黒い旋風のような連撃が走る。

 

「薙ぎ!!逆薙!!返し薙ぎ!!!」

 

 三つ、四つと、空間に残像の刃が重なり合う。

 だが斎藤は、それを最小限の身のこなしと剣引きで全て弾き落とす。受けているように見えて、決して刃にまともな力を噛ませない。死線をくぐり抜けた者にしか到達し得ない、悪魔的な捌き方だ。

 

「フン……馬鹿の一つ覚えの抜刀術。……『人斬り』の二つ名が泣くぞ」

 

「壬生の野良犬に、技術を語られたくない……!!斬る!!」

 

「だったら、昔みたいにもっと獣らしく喰らいついてみろ」

 

「言われなくても、そうする」

 

 交わす言葉は軽いが、互いの顔にすでに表情はない。

 

 踏み込みの足音、呼吸の感覚、刃が空気を裂く音まで、彼らは必要最低限の摩擦しか生み出さない。だからこそ、余計に恐ろしい。見えない死神が、すぐ鼻先を行き来していることだけが肌に伝わってくる。

 

 左之助は、途中から完全に実況・解説役へ回るしかなかった。

 

「今の、見たか!?」

 

 震える門下生たちへ向かって叫ぶが、皆一様に青ざめ、首を横に振るばかりだ。

 

「見えません!」

 

「俺もだよ!!」

 

「相良先生でもですか!?」

 

「見えるかあんなもん!!音で気配を読むしかねえんだよ!!」

 

床が裂ける。

 柱に浅く鋭い線が走る。

 壁の一部が衝撃波で吹き飛ぶ。

 

 道場を破壊し尽くしている本人たちは、互いに致命傷だけを紙一重で外しながら、確実に相手の命を断ち切れる「線」だけを探り合っている。手加減などではない。殺しの最適解をコンマ一秒の世界で計算し合っているのだ。

 

 斎藤の牙突が、再び猛然と牙を剥く。

 だが今度は水平の突きではない。刀身を高く掲げ、斜め上から叩き落とすような変則的かつ破壊的な角度。

 

「牙突・弐式!!!」

 

「っ……!!」

 

 お彦の華奢な肩が、深く抉られた。

 完全には避けきれなかったのだ。肉を掠める深さに留めたのは、むしろ彼女の異常な身体能力の賜物だった。並の剣士なら、鎖骨ごと腕を吹き飛ばされていただろう。

 

 逸れた衝撃波は、そのままお彦の背後にあった壁を丸くぶち抜いた。

 左之助が呆然と口を開ける。

 

「なんだよ今の……大砲かよ……!」

 

斎藤が、低くしゃがれた声で言った。

 

「……そろそろ衰えたか、河上彦斎。かつてのキレがないな」

 

 だが次の瞬間、お彦は肩から鮮血を滴らせたまま、人形のように不気味な微笑を浮かべた。

 

「……そちらもね」

 

 直後、斎藤の脇腹からどっと赤い飛沫が噴き出した。

 交錯の一瞬、お彦は牙突の圧倒的な死角へ潜り込み、正確に脇腹を切り裂いていたのだ。傷は浅い。だが、確実に肉を断ち、血を流させている。

 

 斎藤は痛みに顔を歪めるどころか、一瞬だけ心地よさそうに目を細めた。

 それは遠い日の戦場でのみ交わすことのできる、血生臭い郷愁と納得の表情だった。

 

「………なるほど。……死に損ない同士、ここで決着を――」

 

――乾いた破裂音が、空間を切り裂いた。

 

ダァン!!

 ダァンダァン!!

 

 ほとんど間を置かない三連射。

 斎藤の足元の板間が弾け飛び、彼は舌打ちと共に大きく後方へ跳躍した。

 

「……新手か。……いや、これは」

 

 燕がこの場に駆けつけたのは、決して偶然ではなかった。

 道場の奥深く、射撃部門の地下にいた彼女の耳が、日常的な銃声とは異なる「剣の音」を正確に拾い上げたのだ。敵意の濃度が違う。人を脅すための近代兵器の音ではない。昔からただ人を殺すためだけに研ぎ澄まされてきた、冷たい刃の交鳴。

 

 だから彼女は、愛用の二挺拳銃を抜き放ち、ためらうことなく飛び出してきた。

 立ち込める硝煙の向こうから姿を現したのは、銃口から細い煙をくゆらせる燕だった。

 見た目はどこからどう見ても、年端もゆかない十歳の少女だ。

 

 だが今の彼女の顔に、子供らしい感情の揺らぎは一切ない。ハイライトの消えた昏い瞳、標的を絶対に外さない機械的な腕の角度、そして大気を凍らせるような冷徹な声色。彼女は今、完全に神谷道場が誇る『銃神』だった。

 

「……お彦さんに何をする。武器を捨て、投降しなさい」

 

 左之助が、ハッと気づいて斎藤の手元を見る。

 折れている。

 

 仕込み杖の刀身が、根元に近い部分から無惨にへし折られていた。放たれた三発の銃弾が、狂いなく全く同じ箇所に着弾し、金属の限界値を超えて破壊したのだ。

 

「は!?刀を……銃で撃ち折ったのか!?」

 

「しかも三連射で、全く同じ一点に……?」

 

 物陰から見ていた門下生が、幽鬼を見るような顔で青ざめる。

 

「人間のやることですか、あれ……」

 

「この道場で今さらその確認をするな」

 

 駆けつけた時、燕の視界に最初に飛び込んできたのは、お彦の黒装束に滲む生々しい赤と、斎藤が放った牙突の残像だった。

 

 その光景を見た瞬間、一切の逡巡なく引き金を引ける精神構造こそが、彼女がもはや普通の十歳ではない何よりの証左だ。

 

「止まれ」

 

 その短い命令に、一滴の躊躇もない。

 撃つと判断してから、引き金にかかる指が動くまでのタイムラグが異常なほど短いのだ。射撃教官である宇佐美が日頃から「燕師範代は考えるより先に撃つから怖い」と涙ながらに語る理由が、皮肉にも今この危機的状況において完璧な正解として機能していた。

 

 放たれた三発。狙ったのは人体ではなく武器。

 

 殺害するより先に、まず絶対的な無力化を図る。それは神谷道場の流儀である。

 燕は二挺の拳銃を、ミリ単位たりとも揺らさない。

 静寂の中、彼女の冷たい声だけが響く。

 

「次は手首、その次は膝。最後に眉間です」

 

 斎藤は半ばでへし折られた刀を見下ろし、ふっと自嘲するように笑った。

 

「……銃弾で刀を折るか。この道場は、こんなガキまで才能に恵まれているらしいな。……興が削がれた」

 

「動かないで。眉間を撃ち抜きます」

 

「まあ良い。抜刀斎によろしく伝えておけ。……『また来る』とな!!」

 

 言い捨てるが早いか、斎藤の左手から目眩ましの煙幕が弾けた。

 瞬く間に視界が白濁する。左之助が反射的に腕で顔を覆い、再び目を開けた時には、すでに壬生の狼の気配は高い塀の向こうへと完全に消失していた。

 

「逃がすか!!」

 

 燕が追撃のために一歩踏み出そうとする。

 だが、肩口を血で染めたお彦が、無言でその小さな肩を掴んで制止した。

 

「……やめなさい、燕」

 

「しかし!お彦さんが怪我を……!」

 

「あいつを追えば、燕の腕でも万が一がある。……まずは、ドンに報告」

 

 燕の端正な顔が、ひどく悔しそうに歪んだ。

 彼女は銃口を下げることなく、じっと煙の残る塀の向こう側を睨みつけている。

 左之助が、ようやく肺に溜まっていた息を長く吐き出した。

 

「おいおい……何なんだよ今の。全然次元が違ってついていけねえぞ……。お彦が速いのは知ってたが、あの胡散臭い薬売りもおかしいだろ」

 

「薬売りじゃない」

 

「元・新選組三番隊組長。……壬生の狼」

 

「新選組ってお前らみたいなバケモンがゴロゴロいたのかよ?そりゃ幕末の京都も血の海になるわ……」

 

 そこへ、息を潜めていた門下生たちが、おっかなびっくりといった様子で集まってきた。だが、誰も一定の距離から内側へは踏み込めない。砕け散った床、風穴の空いた壁。その中心に立つお彦と燕の纏う空気が、あまりにも静謐で冷たすぎるため、本能が接近を拒絶するのだ。

 

「お、お彦様……」

 

「すぐ手当てを……」

 

「地下の先生、呼びますか……?」

 

「うん。呼ぶ」

 

 お彦は小さく頷いた。

 

「あと、ドンにも報告。……『新選組が、この平和を乱しに来た』……と」

 

 左之助が思わず大声で突っ込む。

 

「いや、その報告文、完全にお前らが正義の味方側みたいな言い方だな!?」

 

「事実」

 

「私たち、平和」

 

「武力による恐怖支配の言い換えなんだよそれは!!」

 

「次は、足を止める前に手首を撃ちます。武器を折るだけじゃ足りない」

 

 左之助はますます深く頭を抱え込む。

 

「お前も怖えよ!!一体どこでそんな物騒な思考回路を育ててんだよ!!」

 

「ここです」

 

 燕は一秒の迷いもなく即答した。

 

「神谷道場」

 

 お彦は血の滲む肩をそっと押さえながら、その硝子玉のような瞳の奥に、昏い炎を灯していた。

 怒っているのだ。静かに、そして底なしに深く。

 

 斎藤に肉を斬られた痛みに対してではない。自分たちの管理下にあるこの道場に、土足で上がり込まれたという事実そのものに対して、純粋な殺意を煮えたぎらせている目だ。

 

「……次は、もっと人手をかけて確実に肥料にする」

 

「物騒な締め方やめろ!!」

 

「事後処理の基本方針が『即・肥料』なんだよこの道場は!!」

 

  燕が、そっとお彦の黒い袖口を握った。

 

「……痛いですか」

 

「ちょっと」

 

「恵さんにすぐ見せましょう。あと、次は私も最初から人体を撃ちます」

 

「ダメ」

 

「どうして」

 

「燕は可愛い。怪我したら困る」

 

「でも、お彦さんも可愛いです」

 

「私は大丈夫」

 

「全然大丈夫そうに見えません」

 

「大丈夫」

 

「この道場の奴らが口にする『大丈夫』って単語ほど、信用ならねえ日本語はねえな……」

 

そこへ、道場の奥から慌ただしい足音を立てて薫が駆けつけてきた。おそらく門下生の一人がすっ飛んでいって事態を報せたのだろう。彼女は現場の凄惨な有様を一瞥するなり、ピタリと足を止めた。

 

「ちょっと!?なにこれ!?壁に大穴空いてるし床も割れてるし、お彦さん血だらけじゃない!?」

 

「新選組」

 

「三番隊組長」

 

「……斎藤一?」

 

「そう」

 

「よりによって剣心、今日に限って営業に出てるのよね……」

 

「虫の知らせってやつだろ」

 

「あいつ、朝から嫌な夢見たとか言って、死にそうな顔してたぜ」

 

「……じゃあ、これは私たちへの牽制であると同時に、剣心への直接的な宣戦布告でもあるのね」

 

 お彦は静かに頷く。

 

「そう。抜刀斎に『また来る』と言った。……野良犬、しつこい」

 

「次は、絶対に逃がしません」

 

 薫は、その頼もしくも恐ろしい決意を聞いて、小さく目を細めた。

 

「分かった。全員、直ちに警戒態勢を一段階引き上げるわ。正門と裏門の見張りを倍増。地下工廠の出入りも今夜から二重管理にする。あと、今後『石田散薬』を持ってきた薬売りは全員、問答無用で地下室に拘束して」

 

「いくらなんでも石田散薬に罪はないと思うぞ」

 

「でも、うちのシマではもう完全な危険ワードになったわね」

 

「あと、お彦さんはすぐ恵さんの診療室へ。燕ちゃんは護衛についていって。途中でまた誰か来ても困るから」

 

「はい」

 

「うん」

 

その日の夕方。

 接待営業から疲労困憊で戻ってきた剣心が、玄関の壁に空いた巨大な風穴と、粉砕された床板を見て、しばらく魂が抜けたように無言になったと後に語り継がれている。

 

 そして、薫から「斎藤一が来たわよ」と告げられた瞬間、持っていた湯呑みを一つ床に落として割ったとも言う。

 

 さらに、手当てを終えたお彦が静かに「斬っておいた」と告げ、燕が真顔で「刀は折りました」と事務的に補足したせいで、剣心がその場に膝から崩れ落ちたとも言う。

 だがそれはもう、ほんの少し後の話である。




石田散薬が危険ワードになる日が来るとは思いませんでした。
面白かったところや印象に残った場面があれば、ぜひ教えてください。

琴(沖田さん)の新選組時代の話

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