転生して型月版・沖田総司になったけど、労咳を克服したら明神弥彦の母になっていた件 〜るろ剣世界で最強のママやってます〜 作:だいたい大丈夫
お彦視点で、かなり重ための回になっています。
【紀尾井坂】
坂の上では、時守の二番――部瀬守人が、瀬田宗次郎とやり合っている。黒い槍と、笑ったまま視界から消える縮地。目で追うだけで疲労が蓄積する。あっちも充分に化け物だ。しかも部瀬は巨乳信者なので性格も悪い。胸のサイズの話しかしない男と、大久保の命を守るために同じ馬車に乗っているの、人生って何が起こるか分からない。
でも今はあっちを見ている場合ではない。
私の前には、もっと厄介な化け物が立っている。
浅葱色の羽織。
夕焼けを切り裂く菊一文字。
そして、ずっと知っている、知りすぎている顔。
沖田総司。
いや、今は十本刀『閃剣』。
でも、私にとってはまず最初に、弥彦ちゃんのお母さんだ。そこが最悪。そこが最悪すぎる。
鋼が打ち合う。
こっちが低く入り、向こうが上から押さえつける。
坂だから向こうが高い。私は低い。地の利だけ見れば不利。でも低さは私の武器だ。地を這う軌道は、坂だろうが階段だろうが、獲物の脚から喉までまとめて狩れる。問題は、相手がその軌道も歩法も全部知っていること。
「しつこいわね、お彦」
「不倫女よりはしつこくない」
「最初の一言がそれなの?」
「育児放棄よりマシ」
「言うようになったわね……!」
刃が噛み合い、衝撃が骨を揺らす。
音が遅れて届く。
お互いに踏み込みが速すぎて、剣戟の音が景色からずれている感覚に陥る。普通の人には恐怖だろうなと思う。でも大久保はよく馬車の中で気絶しない。偉い。さすが内務卿。精神が丈夫。
琴――今はそう呼ぶ。沖田総司ではなく。私にとってこの人は、もう幕末の亡霊ではないから。
琴は坂の上から間合いを押しつけてくる。高所を維持しながら、歩法で縫い止める。天然理心流の構えは素直だ。
でも、この人が使うと素直さが罠になる。真正面から来ると思わせて、途中で刃道がずれる。三段と言いながら、四つめや五つめの変化が平気で混ざる。性格が悪い。いや、剣が悪い。本人も悪い。
「大久保を渡しなさい。今日の私は急いでるの」
「こっちも急いでる。夕飯までに護衛終えて帰りたい」
「呑気ね」
「すき焼きだから」
「そんな理由で私の仕事を邪魔するの!?」
「重要。家族の夕飯」
言葉を返しつつ、私は右足を半歩沈める。
琴の左肩がわずかに揺れる。来る。上から斜め。私は鞘で受け、刃を滑らせ、そのまま足元を払う。坂道の石が削れる。琴の身体がほんの少し泳ぐ。そこへ私は喉元へ逆薙ぎを通す――はずだった。
菊一文字が、先にそこにある。
「甘い」
「知ってる」
私は刃を外し、体を回す。琴の切っ先が髪を切る。肩口に冷たい感覚が走る。浅く裂けた。でも浅い。浅い傷は怪我じゃない。気分の問題。まだ大丈夫。
◇◇
その二人の死闘のすぐ脇で、もう一つの超常の戦いが繰り広げられていた。
「弧月閃!!」
黒槍が三日月の軌道を描き、宗次郎の首を刈りに行く。
「うわっ! ……でも!」
宗次郎は空中で無理やり姿勢を捻り、「縮地」を発動する。瞬時に姿を消し、部瀬の完全に死角となる背後へ回り込んだ。そのまま愛刀を振り下ろす。
「もらいまし……え?」
背中を向けているはずの部瀬の黒槍の穂先が、なぜか宗次郎の目の前に迫っていた。
「斬月閃!!」
「くっ……!」
宗次郎は咄嗟に身をよじるが、袴が大きく裂け、太腿から鮮血が飛ぶ。
なんだ、この人……!? 縮地の速度に反応してるんじゃない。異常な空間把握と槍の操作で、全方位に正面を作っている……!
◇◇
「お彦」
「何」
「今日は、本気でどきなさい。私はもう、引かない」
「こっちも」
「貴女に分からないでしょうね」
「分かる。恋する更年期」
「更年期じゃないッ!!」
声に熱が乗る。
低空から抜く。
斜めに、這うように。
坂の石に刃先が触れる寸前の高さ。脚を奪い、腰を裂き、そのまま腱を断つつもりの軌道。
空中で身体を捻り、そのまま私の背後へ着地する。軽い。あの人は昔から、足だけは本当に妖怪みたいに軽かった。
「背中、がら空きよ」
「知ってる」
振り向かない。
私はそのまま刀だけを返す。背中に来る殺気の角度で、刃の位置は分かる。そこに柄を合わせる。鈍い衝撃。骨まで響く。重い。菊一文字、やっぱり嫌い。いい刀だけど嫌い。
「相変わらず嫌な受け方するわね」
「褒め言葉ありがとう」
「褒めてないわよ」
「知ってる」
「ねえ、お彦」
「何」
「アンタ、本気で私を斬る気がある?」
質問の仕方が悪い。
「弥彦ちゃんの、お母さんは斬れない」
私は正直に言う。
琴の顔が、一瞬だけ硬くなる。
次に、笑う。
嬉しそうではない。優しそうでもない。ただ、修羅の顔だ。冷たい笑み。ああ、そうだ。この人はこういう顔もできるんだった。私は知っている。知っているけど忘れたい顔。
「……それでいいのよ、お彦。ありがとう」
「嬉しくない」
「でしょうね」
無明三段突きは起点の構えが分かりやすい。平青眼から、一歩、二歩、三歩。そう読んで、私は合わせる準備をする。ずっと見てきた。何十回も見てきた。対処法も、死ぬほど考えた。
一歩。
二歩。
ここまでは予想通り。
次の瞬間。
三歩目が、消える。
「何……!?」
いや、上だ。
顔を上げる。
それが遅い。
琴は木を蹴っていた。
坂道脇の幹を踏み台に、跳躍を挟み、その落下加速まで乗せてくる。地形ごと使う変則の三段。そんなのありかと聞きたいけど、あるから来ている。ずるい。ずるいけど強い。強いからずるい。
「変則……三段突き!!」
一発目。
刀で弾く。重い。腕が痺れる。
二発目。
鞘を使う。受けた瞬間、肘から先の感覚が飛ぶ。
三発目。
避ける隙がない。
坂の角度と落下速度と、私が上を見てしまった体勢。その全部が最悪に噛み合う。
「ぐっ……!」
刀が、右腕をまとめて貫く。
腕と腕。
骨と肉を縫い留められる感覚。痛い。ひたすらに痛い。あまりの痛さに、逆に頭が冷える。右腕の自由がなくなる。刀が振れない。最悪。
左手を伸ばす。
喉でいい。目でもいい。掴めれば止められる。そう思う。
でも、その左手より早く。
脇差が、左胸に入る。
「がっ……!」
冷たい。
いや熱い。いや冷たい。分からない。
胸の中に硬いものが入る感覚。身体が勝手に震える。息が吸えない。鉄の味が口に広がる。まずい。たぶん血。美味しくない。
琴が私を見下ろす。
目が冷たい。でも、底に少しだけ揺れがある。それが余計に嫌だ。
「勝負アリよ。……アンタ、本気で私を殺す気がなかったわね」
「……当然」
「なら、全てを捨てて殺しに来た『私』が勝つのは、修羅の道理でしょう?」
脇差が胸の中で捻られる。
「あ、ぐ……っ!」
世界が赤く滲む。
声がうまく出ない。
でも言いたいことは一つ。
「………弥彦ちゃんの、お母さんは……殺せな……い……」
「アンタは、志々雄くんの国盗りにおいてあまりに危険すぎる」
その声は、自分に言い聞かせているみたいだった。
私はそういうの、分かる。だって今の私は、同じようなことを弥彦ちゃんのために言っているから。
「……なら、ここで確実に息の根を止めるわ」
私は崩れる。
石畳が近い。
血が広がる。
右腕から、胸から、温かいものがどんどん出ていく。もったいない。最近は体調も良かったのに。いっぱい食べていたのに。全部出る。
刀を探す。でも遠い。身体も遠い。自分の身体が自分のものじゃなくなる感覚。嫌い。死ぬ時は大体これが来る。慣れない。何回やっても慣れない。
「…………死ねない……。まだ……あの子に、お帰りって、言って……」
それが本音。
それしかない。
琴の顔が歪む。
でも手は止まらない。
「……ごめん」
小さく言って、背中から刃が入る。
嫌な音。
心臓まで届く軌道。分かる。経験で分かる。これは終わるやつ。
身体が跳ねる。
肺が空っぽになる。
視界が白くなって、すぐ黒くなる。
音が遠ざかる。
部瀬の槍の音。
宗次郎の声。
馬のいななき。
大久保の息。
全部が薄くなる。
最後に浮かぶのは、弥彦ちゃん。
乾パンをくれた時の顔。
「お彦」と呼んだ時の声。
私を変な奴だと言いながら、それでもご飯を一緒に食べてくれたこと。
全部。
ごめんね。
そこで、私の視界は落ちた。
◇◇
足元には、着物を赤く染めた河上彦斎が倒れている。
右腕は刀に貫かれ、胸と背中に深い傷を負っている。誰が見ても致命傷だ。これ以上は視線を向けることができなかった。見れば、足が止まりそうだったからだ。
「よし……」
自分に言い聞かせるような声。
それだけ残して、彼女は馬車の方へ走る。
一方、坂の上では、部瀬守人と瀬田宗次郎の死闘がなおも続いていた。
宗次郎の縮地は、見える者には見えない。見えない者にはなおさら見えない。だが部瀬の槍術は、それを追うことをやめていた。追えないなら、空間そのものを押さえる。宗次郎が現れうる地点を塗りつぶし、そこへ穂先を置く。人を刺すというより、移動そのものを刺す槍だった。
宗次郎の袴にはすでに三箇所、裂け目がある。
深くはない。だが浅くもない。宗次郎ほどの相手に三度通すのは異常だ。
「やっぱり、変な槍ですねぇ」
宗次郎は言葉をこぼしながらも、呼吸が少しだけ荒い。
「距離感が狂う。気持ち悪いなあ」
「褒めるな」
「お前の縮地も大概だ。人間がやる移動じゃない」
「お互い様ですね」
宗次郎が地面を蹴る。
姿が消える。
次に現れた時には、部瀬の首筋へ菊一文字が走っている。だが、そこへ槍の石突が割り込む。金属音。宗次郎の身体が半歩流れる。そこへ穂先が刺しに来る。宗次郎はそれを反らし、流れた勢いで坂を二段飛びするように下る。
その視線の先で、琴が馬車へ向かうのが見えた。
「おや。もう終わったんですか」
その一言に、部瀬は思考を乱される。
視線を切る。戦いの最中に、本来してはいけない動きだ。
宗次郎はその一瞬を逃がさない。
だが、追わない。
彼は部瀬の喉を狙える位置に入りながら、あえて距離を取った。
馬車の窓に一閃が走る。
車内で大久保利通は、ほんの短い瞬間だけ目を開いた。
窓外に現れた浅葱色の羽織。
その顔を見て、何かを言おうとしたのかもしれない。
だが、沖田総司の剣はそれより早い。
「危ないところでした」
軽い声だった。
「志々雄くんからの伝言です。――『この国は俺がいただく』。本当はもっと長い嫌味なんだけど、時間がないので割愛しますね」
その直後、菊一文字が喉笛を裂いた。
血が散る。
馬車の内壁に赤い線が引かれる。
大久保利通の身体が傾く。
「が……ヒム……ラ……」
それが最後だった。
明治政府の中枢を担い、新時代の重圧を背負い続けた男は、紀尾井坂の夕暮れに静かに終わる。
沖田は一度だけ大久保を見下ろす。
そして彼女は坂の下を振り返る。
血の海。
倒れた彦斎。
駆け寄りたい衝動は、たしかに一瞬あった。だが、その一瞬を殺しきるために、彼女は逆に速度を上げる。
「宗次郎君!」
「はい!」
「撤退!!」
二人は闇へ消える。
部瀬は追撃を諦める。
いや、諦めさせられる。あの二人をこの場から追うより、優先しなければならないものが二つある。
大久保利通。
そして、河上彦斎。
部瀬は馬車へ跳び乗る。
車内を覗く。
大久保の喉元から血が溢れている。目はもう何も見ていない。
脈を取るまでもなかった。
「……大久保卿……」
護衛任務は破綻した。
国の頂点にいる男を、目の前で失った。
時守の二番として、これ以上ない失態だ。
だが、その自責より先に、もう一つの焦りが胸を突く。
部瀬は馬車から飛び降り、坂を駆け下りる。
「おい! 彦斎!!」
返事はない。
当然だ。だが呼ぶ。
「しっかりしろ!! 返事をしろ!!」
坂道の石畳に広がる血は、もう小さな水たまりではない。赤黒く、幅広く、流れのように坂を下っている。その中心に、河上彦斎は横たわっていた。
純白の着物は原形をとどめていない。
胸は赤く濡れ、背中側にも色が広がっている。右腕は不自然な角度で貫かれていた。顔色は悪い。いつも白いが、今は死の白さだ。口元には血。
「……ふざけるなよ。お前、さっきまであれだけ胸の話で無駄口を叩いていただろうが」
返事はない。
「小さいだの足りんだの言ったの、まだ撤回してないぞ。聞こえているなら殴ってこい、河上彦斎」
返事はない。
彼は彦斎の首元へ手をやる。
脈を探る。
血で滑る。
手が赤く染まる。
「……っ」
息を呑む。
脈は薄い。あるのか、ないのか、判断しづらいほど細い。
坂の上では、護衛の兵がようやく異変に気づいて走ってくる気配がする。
遅い。何もかも遅い。
部瀬は彦斎の身体を抱き起こそうとして、途中で止める。
刺創が多すぎる。動かせば余計に出血する。医者を呼ぶべきだ。だが、ここから神谷要塞まで運ぶ方が早いか。それとも時守の隠れ家か。計算が乱れる。珍しい。彼ほどの男が、選択を迷う。
彦斎の唇が、ほんのわずかに動いたように見えた。
部瀬は顔を近づける。
「何だ。何か言え」
聞こえたのは、空気が漏れるような音だけ。
言葉にはならない。
けれど、その口の形が何を言おうとしたのか、部瀬にはなんとなく分かった。
おそらく、あの十歳の少年の名だ。
「……馬鹿め」
ここまで読んでくださってありがとうございました。
今回は紀尾井坂でのお彦と琴の戦いを書きました。
感想などいただけると嬉しいです。
弥彦の父親は誰だと思いますか?
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明神弥太郎
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四乃森蒼紫
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志々雄真実