転生して型月版・沖田総司になったけど、労咳を克服したら明神弥彦の母になっていた件 〜るろ剣世界で最強のママやってます〜   作:だいたい大丈夫

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池田屋の夜から、河上彦斎は壊れていった。

未来を知る万能感は砕け、恩師の死だけが彼女を動かす理由となる。
これは、人斬り彦斎が「歴史通り」に堕ちていくまでの話です。



【挿絵表示】




赤き心に花は咲かず

【京の墓地】

元治元年

 

あの池田屋での地獄から幾ばくかの時が流れた。

宮部先生の亡骸は私が責任を持って土に還した。私の知恵と身体を切り売りして得た金も、手元にあった私財も、今の私には一切の価値を持たない。だからすべてを惜しみなく投じ、この京の地で一番立派な墓を建てた。

 

線香から立ち上る白い煙が、ゆらゆらと天に向かって昇っていく。それを、ただぼんやりと見つめていた。

 

そして私は再び、死の香りが淀む京都の中心へと足を踏み入れる。

また、夜な夜な人を斬っている。

 

なぜかって?理由はとてもシンプルだ。私は「人斬り彦斎」だから。

私がどれだけ未来の知識を持っていて、自分が天才だと自惚れていようが、結局のところ歴史の大きなうねりなんて、個人のちっぽけな力じゃ絶対に変えられないのだ。池田屋で、私はその残酷な真実を骨の髄まで思い知らされた。

 

なら、もう抗う意味なんてない。大人しく歴史の脚本(シナリオ)に従うしかないじゃない。私はそういう役割を与えられた舞台装置に過ぎないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

顔や着物には、べったりと生温かい返り血が張り付いている。鉄が錆びたような強い異臭が鼻腔にこびりついて離れない。

 

足元では、たった今私が太ももの動脈を斬り裂いた標的の武士が、赤黒い液体の中で這いつくばり、恐怖に染まった瞳で私を見上げている。

 

「ひっ……!な、なんで……なんでお前は、そんなに楽しそうに笑いながら人を斬れるんだ、貴様!!悪鬼め!!」

 

笑っている?私が?

 

「……………お前、もうすぐ死ぬ。だから、何も気にしなくていい。大丈夫」

 

無慈悲に刀を振り下ろす。肉を断ち切り、骨を砕く鈍い感触が両手を伝わる。

一瞬の悲鳴すら途切れ、男の首が地面を転がっていく。

 

また一つ、歴史の掃除が終わる。

刀を振って血糊を払い、足元に広がる水鏡のような赤黒い池に目を落とした。そこに、私の顔がぼんやりと映り込んでいる。

 

『笑っている?私は今、本当に笑っているのか?』

 

自分の顔を見つめるけれど、暗くてよく分からない。口角が上がっているような気もするし、泣き顔のようにも見える。

 

私の心の中は、もうずっと空っぽだ。

宮部先生を失った。

 

私が十六の頃から、ずっとずっと一緒だった人。私の知恵を誰よりも評価してくれて、私を女としてではなく、一人の同志として心から信頼してくれた人。

 

そんな一番大切なものを失って、心から笑っていられるはずがないのに。

 

だけど……なぜか…………ああ…………だからこそ。

 

「き、貴様ぁぁっ!!よくも同志を!!」

 

突然、背後の暗がりから怒気をはらんだ声が響き、もう一人の武士が刀を振りかぶって迫ってくる。先ほどの男の仲間が残っていたらしい。

 

振り返りもせず、体を半回転させて刃をすれすれで躱し、そのまま流れるように刀を下から上へと斬り上げた。

 

「楽しいのか……?肥後のヒラクチ、人斬り彦斎!!!お前は、そうやって無抵抗な人間を斬って、そんなにも嬉しいのか!!!」

 

男が腹から血を吹き出しながら、血走った目で私を睨みつけてくる。

 

『嬉しい……??そうだ。私は……心の底で、ひどく安堵しているのだ』

 

私はただの人斬りだけど、決して人を殺すこと自体を楽しむような、生まれついての異常者じゃない。そう思いたいのだ。

 

これは、大切な恩師を奪われたことに対する、仇討ち。

 

そう、これは人間として真っ当で、誰からも後ろ指を指されない『復讐』なのだ。

今のこの京都に渦巻く狂気は、あまりにもひどすぎる。昨日まで笑って酒を飲んでいた人間が、次の日には首のない死体になって転がっている。そんな異常な世界。

 

その中で、私が正気を保つためには、「復讐」という誰もが納得する大義名分を盾にしないと、とてもこの赤い海を泳ぎきることなんてできない。

 

『だけど…………この大義名分のおかげで、私はまだ、まともでいられるんだ』

 

大切な人を理不尽に失った。だから、その仇を取る。その遺された意志を私が継ぐ。

それは、狂った修羅の道なんかじゃない。正しい人の道だ。

 

だから……私は今、普通に怒って、普通に憎んで、普通に敵を斬って……そして……いずれは普通に死ぬのだ。

 

それが………今の私にとっての、唯一の救いになっている。

 

『歴史通りに動く。何も難しくない。頭を使う必要なんてない。簡単なことだ』

 

……そう思い込んで、愚かにもその自己欺瞞を完全に信じ込んでしまったこと。

それが………のちの私にとって、取り返しのつかない最大の後悔。

 

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

 

 

 

元治元年、七月。

白昼堂々、京の賑やかな路上のど真ん中。

 

目の前には、西洋の鞍を置いた馬に跨がり、絹の着物を着た威厳のある老人がいる。

信濃松代藩の佐久間象山だ。

 

幕末の知識人であり、開国論の最右翼。かつての私なら、絶対に味方につけようと擦り寄っていたはずの、貴重な知の巨人。

 

しかし、今の私は何の感情も交えずに、白昼の往来で堂々と刀を抜いてその行く手を遮る。

 

「……何用か。この私を、白昼堂々ここで斬るつもりか?」

 

象山は馬の上から、一切の怯えを見せずに私を見下ろす。その瞳には、自分の知性に対する絶対的な自信と、私のような暗殺者を哀れむような光が宿っている。

 

「この私を………この日本の未来に必要な頭脳をここで斬るとは………なんという国家的損失。なんと愚かな行いか。お前のような無知な凶刃が、この国の夜明けをどれほど遅らせることになるか、分かっておらんのだろうな」

 

象山の言葉は、正論だ。前世の知識を持つ私なら、彼の言っていることが100%正しいと理解できている。

 

でも、そんなことは今の私にはどうでもいいのだ。

 

「愚かでいいわ。これが歴史の教科書通りよ。あんたはここで死ぬ運命。大丈夫」

 

「……名は?なんと申す、若き凶刃よ」

 

象山が、最期に私の名を問う。

 

「河上彦斎。川はさんずいがあるほうね。……大丈夫」

 

言い終わるが早いか、地面を蹴って一気に跳躍する。

馬上の象山に肉薄し、その首筋に向かって一閃。

 

鮮やかな血しぶきが、真昼の太陽の下で真っ赤な花のように舞い散る。

どさりと音を立てて落馬した象山の死体を見下ろしながら、私の目はどこまでも虚ろだ。

 

何の達成感も、何の悲しみもない。

 

『これでいい。歴史通り。そして……私は宮部先生の思想という亡霊を、この身に完全に継ぐんだ。それだけが、私の生きる意味だから』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

場面は変わり、どこかの料亭の静かな密室。

長州藩の桂小五郎――のちの木戸孝允が、私の目の前で激しい怒りと困惑を顔に浮かべて詰め寄ってくる。

 

「どうしてしまったんだ、彦斎さん!!一体アンタに何があったというのだ!!」

 

「かつて貴女は、誰よりも世界の情勢に通じていたじゃないか!幕府の古い体制を壊し、いち早く開国して異国の進んだ文化や技術を積極的に取り入れるべきだと、私にあれほど熱心に説いたではないか!貴女のその広い視野に、私はどれほど感銘を受けたか!」

 

彼は、私がかつて得意げに披露していた未来知識ベースの合理的な開国論を、誰よりも高く評価してくれていた。だからこそ、今の私の極端な変節が信じられないのだろう。

 

出されたお茶に口をつけることもなく、静かに答える。

 

「……異国は、この神聖な日本の地からすべて打ち払うべし。徹底的な攘夷よ。穢れた異人の真似事なんて、日本人の誇りを捨てるようなものだわ」

 

「正気か!?本気で言っているのか!?」

 

「長州も薩摩も、すでに異国の艦隊と直接戦って、その圧倒的な武力の前に屈したのだぞ!刀や槍で大砲に勝てるわけがない。攘夷などという非現実的な夢物語は、もうすでに完全に破綻しているんだ!!今更そんな古い思想を持ち出して、どうするつもりだ!」

 

桂さんの言葉は、この時代の人間が血を流して得た最も重たい現実だ。

でも、私の耳にはもう、そんな理屈は一切届かない。

 

「……宮部先生が、そう言ってたもの。日本は神の国だから、異国を打ち払わなきゃいけないって。だから、私は攘夷を貫く。……大丈夫」

 

私が呪文のように「大丈夫」と繰り返すと、桂さんは深く絶望したように両手で顔を覆った。

 

かつての未来を見通す天才は死んだ。ここにいるのは、死んだ恩師の亡霊に取り憑かれた、ただの壊れたからくり人形なのだと、彼も悟ったのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時は残酷なスピードで流れ、時代は私の知る通り、幕府が倒れて明治の世になる。

 

ちょんまげが消え、街にはレンガ造りの建物が建ち、人々が西洋の服を着て歩き始める。文明開化。新しい日本の夜明けだ。

 

そして……私は今、光の届かぬ石造りの牢獄の中にいる。

窓から差し込む四角い光だけが、ここが外の世界と繋がっている証拠だ。

 

投獄された理由は単純だ。私が、新政府の意向に真っ向から逆らう、強固な攘夷論者であるから。

 

維新が成し遂げられた後も、私は新政府の裏の仕事である暗殺依頼を、言われるがままに淡々とこなしていたというのに。用済みになれば、危険な思想を持つ狂犬としてあっさりと檻に入れられる。それが権力というものの残酷な本質だ。

 

鉄格子の扉が開く音がする。

牢獄の入り口に立っているのは、上等な洋装に身を包んだ二人組の男だ。

西郷吉之助――いや、今はもう新政府の高官である西郷隆盛と、大久保利通だ。二人の靴の音が、静かな牢獄の中にコツコツと響く。

 

「彦斎どん。久しぶりでごわすな」

 

西郷さんが、かつての奥座敷での会談の時と同じ、深く静かな声で私に語りかける。

でも、その姿はあの時の着物姿ではなく、窮屈そうな西洋の軍服だ。

 

「時代は、完全に変わり申した。日本はもう、異国と手を結んで前に進むしかない。どうか、もう古き攘夷の夢は、きっぱりと捨ててくいやんせ」

 

西郷さんの目には、私に対する哀れみと、少しばかりの情のようなものが浮かんでいる。

 

「そうです、彦斎殿。何も難しいことを要求しているわけではありません」

 

大久保さんが、厳しい響きの中にも必死さを滲ませた声で引き継ぐ。

 

「ほんのひと言で構わないのです。表面上だけでも、『攘夷の思想は諦めた』と、そう言って頂ければ……我々の権限で、すぐにでも貴女を解放することができる。貴女のその類まれなる剣の腕と知性を、どうか今度は……我々新しい政府のために、新しい国作りのために振るっていただきたいのです」

 

彼らは、私がかつて喉から手が出るほど欲しがっていた「明治政府の要人の席」を、今まさに目の前に差し出しているのだ。

 

プライドを捨てて、たった一言「諦めた」と言えば、自由になり、権力を得て、豊かな人生を送ることができる。前世の私が望んでいた、完璧な結末がそこにある。

でも。

 

「……それは………できない」

 

冷たい床に座り込んだまま、ゆっくりと首を横に振る。

 

「どうしてですか!貴女ほど聡明な方が、なぜこんな無意味な意地を張るのです!」

 

大久保さんが苛立ちを隠せずに言う。

 

「……私がここで攘夷を捨てたら、異国を打ち払えって本気で信じて死んでいった宮部先生が、草葉の陰で泣くから…………。先生の言葉を嘘にしたくない。それに…………もう…………疲れた」

 

有益な道具にならないのなら、危険な狂犬は処分するしかない。それが新しい国家のルールだ。

そして数日後、私に告げられたのは、死刑――斬首の判決だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【刑場】

 

処刑の朝。引き出された刑場で、冷たい風を肌に感じている。

目隠しをされ、後ろ手に縛られながらも、心は驚くほど穏やかだ。

 

『君がため、死ぬる骸に草むさば、赤き心に花や咲くらん』

 

辞世の句が、自然と口を突いて出る。

大好きな先生のために死ぬ私の骸から、いつか赤い花が咲いてくれればいい。そんな感傷的な思いが、胸を満たしている。

 

『ああ………これでやっと、全部終わる。この狂った歴史の強制力からも、命を奪うことからも解放される。宮部先生のところに行ける』

 

首筋に、処刑人の刃の気配を感じる。

そっと目を閉じ、運命が振り下ろされるのを待つ。

………そう、私はここで死んで、すべてが終わるのだと、心から安堵して、本気でそう思っていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【名も知らぬ山中】

 

鳥のさえずりが、どこか遠くの方で微かに鼓膜を叩く。青草のむせ返るような、ひどく青臭い匂いが鼻腔を通り抜けていく。

 

ゆっくりと重い瞼を押し上げる。ぼやけた視界に広がるのは、見知らぬ木々の枝葉と、その隙間から容赦なく差し込んでくる眩しい青空だ。体を起こそうとして、自分の肌に布の感触が一切ないことに気づく。私は、名も知らぬ山の中で、なぜか全裸のまま仰向けに倒れている。

 

「……は?え?私、首切られた?」

 

思考がまとまらないまま、慌てて自分の首筋に両手を当てる。なめらかな肌の感触が指先に伝わる。確かに胴体と繋がっている。処刑人の刃が振り下ろされた確かな記憶があるというのに、傷跡一つ存在しない。

 

ふらつく足で立ち上がり、周囲を見回す。足元から少し離れた茂みの影に、ひどく嫌なものが転がっている。野犬か山の獣にでも食い荒らされたのか、肉が削げ落ちて無惨にボロボロになっているけれど、その身を包む着物の柄にははっきりと見覚えがある。というより、処刑の日に私が着ていた着物そのものだ。

 

そして、その死体には、首から上の部分がすっぽりと欠落している。

 

「えーと……あれ、私?ぐっろ。ていうか、なぜ火葬すらされずにこんな山奥に不法投棄されてるの。明治政府、いくらなんでも仕事が雑すぎるわ」

 

裸足で土を踏みしめながら歩き、近くに水が溜まっている窪みを見つける。泥水の中に顔を映すと、そこには処刑される直前の少しやつれた大人の顔ではない、見知らぬ顔がある。血色が良く、肌に張りのある、どう見ても十八歳前後の瑞々しい少女の顔がそこにある。

 

「……若返った?何これ、『転生チート』?それとも不老不死?」

 

口に出して呟いてみるけれど、心はひどく冷め切っている。自分の身に起きた超常現象に対して、驚きも喜びも湧いてこない。どうでもいい。生き返ってしまったなら、仕方ない。

 

とりあえず、腐りかけた死体から自分の着物を剥ぎ取って身に纏い、顔を隠して人里へと下りる。

 

街の掲示板や晒し場を遠巻きに確認すると、そこには見慣れた私の生首が、大罪人として普通に晒されている。その無惨な光景を見て、私の戸籍は完全に失われ、この世から消滅したのだと理解する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それからの日々は、ただ流れる泥水のように過ぎていく。明治という新しい世になっても、私は結局、暗闇の中で人を斬っている。

 

死人となった私は、政府の裏の暗殺組織に拾われる。戸籍を持たない幽霊として、ただ命じられるままに標的の命を奪う日々だ。かつて抱いていたような、時代を動かすのだという野心も、国を変えるという使命感も、もう欠片も残っていない。私の心は、あの池田屋で、宮部先生の死と共に完全に死滅したままだ。

 

感情がない。喜びも悲しみもない。ただ、生きている肉体が空腹を訴えるから、飯を食うための金銭を得る目的だけで人を斬る。機械と同じだ。

 

喋り方も、すっかり変わってしまった。昔のように、理屈っぽく感情豊かに話す気力が全く湧かない。短い単語で、淡々と事実だけを口にするようになる。それが一番エネルギーを使わずに済むからだ。

 

ある冷たい夜。路地裏で暗殺の仕事を終え、刀の血糊を拭っている私の前に、一台の立派な馬車が止まる。馬車の扉が開き、降りてきたのは、仕立ての良い洋装に身を包んだ大久保利通だ。かつて牢獄で私に思想の転換を迫った男。

 

大久保は、血まみれの私と目が合うと、驚愕に目を見開き、幽霊でも見たかのように震える指で私を指差す。

 

「お前は……まさか、河上彦斎……!?」

 

その問いかけに対し、何の感情も込めずに平坦な声で返す。

 

「あ、大久保さん。河上彦斎は死んだ。私、そっくりさんの別人。大丈夫」

 

『いや、体つきは異常に若返っているが、その剣気と顔立ちは絶対に本人だろ。だが、ここで死んだはずの凶悪な人斬りが生きていたと騒ぎ立てれば、政治的にひどく面倒なことになるな……』

 

彼は一つ大きな息をつくと、私の存在を見なかったことにして、そのまま無言で馬車へと戻っていく。馬車が走り去る音を、私はただぼんやりと聞き流す。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、時はさらに流れ、明治十一年。近代化が進む東京。

薄暗く、妙に豪奢な装飾が施された屋敷の一室。絨毯の上に座る私の目の前で、悪徳政治家の渋海が、これ見よがしに札束を無造作に積む。紙幣の擦れる乾いた音が、静かな部屋に響く。

 

「お前のような、素性も知れぬ凄腕がいるとはな。今回の依頼は、あの『黒笠』の補助だ」

 

渋海が、下品な笑みを浮かべ、葉巻の煙を吐き出しながら言う。

 

「神谷薫と明神弥彦……この二人を、集英組というヤクザの本部から誘拐してほしい」

 

「わかった」

 

積まれた札束に視線を落としたまま、短く頷く。

 

『るろうに剣心の、黒笠編……?ふーん、そういえばそんなエピソードもあったわね。でも、もう原作のストーリー展開なんて本当にどうでもいい。私の腹を満たす金になるなら、なんだってやるわ』

 

「用が終わったら、ガキも女も殺していい。どうせヤクザの身内だ、誰も悲しまん。だが、必ず追いかけてくる者がいる。あの人斬り抜刀斎か、あるいは沖田総司だ。そのどちらかはお前が引き受けて相手をするように。黒笠の仕事の邪魔をさせるな」

 

『沖田総司』

 

渋海の口からその名が出た瞬間。

何年も、何年も、冷たい灰の下で完全に死に絶えていたはずの私の瞳の奥に、黒く、粘り気のある炎が、音を立てて灯る。

 

血が沸騰し、全身の毛穴から抑えきれない殺気が噴き出す。

 

「!!沖田総司……!」

 

無意識のうちに、低く掠れた声が漏れる。

脳裏に、あの忌まわしい池田屋の惨劇が鮮明に蘇る。

 

蒸し暑い夜。生温かい床。

そして、提灯の明かりの下で、ふざけた笑いを浮かべながら、私の大切な宮部先生の首を無造作に弄んで蹴り転がした、あの桃色の髪の少女の姿が。

 

幕府の犬。壬生の野良犬。

私の人生のすべてを破壊し、最も大切な人を冒涜した悪魔。

 

宮部先生の………仇!!!

 

死んでいたはずの感情が、怒りと憎悪という最悪の形で完全に蘇生する。

刀の柄を握る手に、ギリギリと骨が鳴るほどの力がこもる。

 

「……わかった。必ず、奴らに地獄を見せる」

 

積まれた札束を鷲掴みにする。

渋海を真っ直ぐに睨みつける。

もう、空腹を満たすためのただの仕事ではない。

 

これは、私の魂のすべてを懸けた、正真正銘の復讐劇だ。




ここまで読んでくださりありがとうございます。

今回は、池田屋後のお彦さんがどう壊れていったのかを描きました。
彼女の「大丈夫」がどのあたりから壊れた言葉に見えたか、感想で教えていただけると嬉しいです。
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