転生して型月版・沖田総司になったけど、労咳を克服したら明神弥彦の母になっていた件 〜るろ剣世界で最強のママやってます〜 作:だいたい大丈夫
しかし「池田屋事件」という一言をきっかけに、お彦たちの話は思わぬ方向へ脱線していく。
果たして張は、無事に本題へ戻れるのか。
「……あんさんら、幕末の『池田屋事件』ちゅうもんを知っとるかい?」
ずいぶん古いところから始めるのね。張なりに順を追っているのか、こちらの覚悟を試しているのか。どちらでも構わない。
池田屋を知らない者なら、この地下牢には燕ちゃんくらいしかいないでしょう。
「まあ、人並み程度にはな」
斎藤さんの答えは素っ気なかった。新選組にとっては勝ち戦でも、酒の肴にして笑える夜ではなかったらしい。
私も、あの夜を酒の肴にはできない。肺へ入ってきたのは地下牢の湿った空気ではなく、血と灯油が混じった池田屋の臭いだった。
前世の記憶があるから、何でも知っているつもりになっていた。
けれど私は、太陰暦と太陽暦の日付を取り違えた。
池田屋へ着いた時には畳が血を吸い切れず、踏むたび足袋の裏へぬるいものが染みた。
倒れた人の顔を確かめて回り、見覚えのある着物を見つけた時、そこに宮部先生の首だけがなかった。
あと半刻早ければ、暦の違いに気づいていれば、道を塞いだ二人を立ち止まらずに斬っていれば。そんな考えをいくつ重ねても宮部先生の首は戻らない、あの夜の私は、斬る相手さえ見つければ血の中から答えを拾えると思っていた。
気づけば、骨が掌の中で軋んでいた。
「そうね。私が本当の意味で人斬りに堕ちたのは、きっとあそこだわ」
今も、誰か一人くらい斬れば気が晴れるのではないか。そんな考えが、古傷の底に残っている。
困ったものね。肝心の新選組は今や親類同然で、目の前には殺してはいけない捕虜しかいないというのに。
「お前、殺気を抑えろ。味方まで当てられて死ぬぞ」
斎藤さんの声で、ようやく地下牢の石壁が目へ戻ってきた。
「あら、いけない。ごめんなさい。昔の癖が出たわ」
「思えば、お義母さんと初めてまともに刃を交えたのも、池田屋だったわ。今は明神琴を名乗っているけれど、あの頃は新選組の沖田総司。お互いに、よく死ななかったものね」
「へえ。池田屋事件の裏で、沖田総司と河上彦斎が斬り合っていたのね。公の記録には残らない歴史の再発見というわけか」
芹さんは楽しそうだけれど、私にはもう一度確かめたい夜ではない。
守れなかった私と、お義母さんが初めて出会った日を、同じ思い出の中へ入れたくもなかった。
池田屋という名を口にした張のことは、もうしばらく忘れておきましょう。こちらの古傷を開けたのは、そちらだもの。
「その池田屋へ向かう途中で、あなたたち時守にも邪魔されたわね」
「そうなの? 私は当時まだ十歳くらいだったから、裏の任務までは聞かされていないわ」
十歳の芹さんが知っていたら、それはそれで嫌な組織だわ。
今の燕ちゃんと同じ年頃の子に、人斬り彦斎を止める任務の報告を聞かせるなんて、教育に悪いにもほどがある。
あの時、私の前へ出てきたのは二人だった。神原彦左衛門とかいう老人は、私の背丈ほどある金槌で路地の敷石を砕いた。その隣にいた若い男は、古めかしい身なりで妙に新しい黒刀を抜き、先を急ぐ私へ退けと命じた。
「神原という金槌持ちと、もう一人……明神弥太郎だったかしら」
「明神弥太郎なら、当時の時守十二番ね。神原と組んでいた記録もあるわ」
「明神……? 弥彦ちゃんと同じ名字ですね」
燕ちゃんの疑問を聞いても、すぐには意味が分からなかった。明神という名字くらい、探せば何人もいる。そう思いかけたところで、斎藤さんが私より先に答えへ行き着いた。
「総司の旦那の名だ。その男の顔は覚えているか?」
顔と言われて思い出したのは、池田屋へ急ぐ私を正面から睨んだ目だった。額を覆うどころか天へ喧嘩を売るように逆立った黒髪と、若いくせに何を背負わされても自分が前へ出ると決めている顔。刀だけでなく眉まで黒く鋭いその顔を、私は今では毎朝のように見ている。
「まさか……」
弥彦ちゃんが腹を立てた時、そのまま大人へ育てれば、あの顔になる。
「弥彦ちゃんに、そっくりじゃないの!」
どうして今まで気づかなかったのかしら。明神という名字も、あの頭も、黒刀も、全部そろっていたではないの。
弥彦ちゃんの顔を見間違えるはずはない。私は毎日いったい何を見ていたのよ。
「俺の知る明神弥太郎も、そのような風貌だ。総司が『弥彦の父親は誰か分からん』と抜かしていても、見た目だけなら一目瞭然だがな」
「じゃあ、弥彦の親父はその弥太郎って奴で決まりじゃねえか」
左之助の言うとおりよ。何も難しくない。今度お義母さんに会ったら、弥太郎の顔と弥彦ちゃんの顔を左右へ並べて見せれば――。
「そうとも言い切れん」
斎藤さんは、私が家族の再会を考え始めたところで水を差した。
「総司は幕末の頃、酷い時には一晩で十人を越える隊士や男たちと交わっていた。実際に誰の種が宿ったかは、神仏のみぞ知る」
「そこは負けたわね。私なんて、たった一人しか経験がないもの」
「えっ。お彦さん、その方は誰なんですか?」
燕ちゃん、そこへ食いつくのね。弥彦ちゃんの父親が誰なのかより、私の相手の方が気になるらしい。十歳の子へ詳しく教える話ではないけれど、名前くらいなら隠すほどでもないわ。
「お殿様よ」
「お彦、お前、お殿様って、あのお殿様か?」
左之助が変なところで念を押してきた。ほかにどんなお殿様がいると思っているのかしら。町内で将棋の一番強い老人を、そう呼んでいたわけではない。
「肥後熊本藩主、細川斉護様。私は十六の時、斉護様のお手付きの側女になったの」
最初は、あの方の寵愛を足掛かりに藩を動かせると思っていた。若いわね。十六の小娘が殿様を利用して政治を変えるなんて、本気で考えていたのだから。けれど、斉護様は私の企みも生意気な口も承知したうえで、面白がって傍へ置いてくださった。
やがて斉護様が亡くなり、宮部先生と出会って京へ上った。どちらも私の人生を変えた人だけれど、同じ種類の情ではない。宮部先生には志を教わり、斉護様からは、野心とは関係なく誰かの膝で眠ってもよいことを教わった。
「あの時は政治のためだと思っていたけれど、弥彦ちゃん以外で心から愛したのは、あのおじ様だけだったのかもしれないわね」
「重い!!」
失礼ね。自分から相手を聞いておいて、答えたら重いとは何事かしら。聞かれなければ黙っていたわよ。たぶん。
「……あの、すんまへん」
そうだった。張がいたわ。志々雄の秘密を手土産に、こちらで生きる方を選んだ男。
弥彦ちゃんの父親を探すために、地下牢へ集まったのではなかった。
「なあに、張」
「志々雄様の『京都破壊計画』については、もう話さんでええんかいな……?」
せっかく話さずに済む流れになったのだから、黙っていればよいのに。律儀ね、張。では、気が変わらないうちに続きを聞きましょう。
「あら、そうだったわ。どうぞ。今度こそ、心ゆくまでお話しくださいな」
「扱いが雑すぎるやろがぁぁぁっ!」
ここまで読んでくださりありがとうございます。
今回は池田屋の記憶と、弥彦の父親にまつわる話を中心に描きました。
お彦の過去や、完全に置いていかれた張について感想をいただけると嬉しいです。
実はリストラがある十本刀!!だれが落ちる?
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方治