僕の前世は面白いものではなかった。スポーツに情熱を注ぐアスリートでもなければ、研究一筋の学者というわけでもない。本当にどこにでもいるような、普通のサラリーマン。
日々仕事に明け暮れて、これといった趣味も持たずに時間を消費する毎日。無味無臭の人生だったと言えるだろう。
ただ、そんな僕にも1つだけ興味を持っているものがあった。一世を風靡しているアプリ、ウマ娘だ。
育成が好きで毎日コツコツとやるのが好きだった。たまにシナリオを見たり、ライブ映像を鑑賞したり。リアルライブの方には行かなかったけど、ウマ娘が好きなファンの1人だったと自称できるくらいには好きだった。
「さて、と。今日も育成をするか」
なんて思っていた矢先の出来事。家に帰る途中で車に轢かれた。これが前世での最後の記憶。
で、どういう因果か僕はウマ娘の世界に転生した。ウマ娘のステータスが見えるという特典付きで。
前世で特にハマっていたアプリゲームの世界。感激、することはなく。
(これといった感慨はないね、うん)
なんか転生したんだな、ぐらいにしか感じていなかった。今にして思うと、昔の自分はあまりにも淡白が過ぎるな。黒歴史みたいでちょっと恥ずかしい。
ウマ娘の世界に転生した。特典としておあつらえ向きのものを貰った。
ならばやることは1つだろう。
「トレーナーになろう。勉強が大変だって聞くし、今の内に勉強しておいて損はないよね」
トレーナーになる。普通の人として転生して、アプリの様にステータスが見えるんだ。これを活かさない手はないと僕はトレーナーを志すことに。
勉強は大変だった。日本の超有名大学に並ぶくらい難しいと言われてたし、ある程度の覚悟はしていたけど、難しいものは難しい。先行きが不安になることもあった。
それでもどうにか合格することができて。史上最年少の合格者という称号を引っ提げてトレセン学園のトレーナーに。
「今日から頑張るか。まずは下積みからだけど」
この世界での一歩を踏み出した。
それからいろいろとあって。今はチームを受け持つくらいには実績を積んでいる。まぁ、トレーナーの数が少ないからできるだけ多くのウマ娘を見てほしい、っていう学園側の悲しい事情も絡んでるけど。
ともかくとして、チームの子達と一緒にトゥインクル・シリーズを駆け抜けている。今集中して育てているのは。
「アイ、捌きます!」
「立派なブリだね。いったいどこから持ってきたんだいそんなの?」
「商店街のおじさまに貰いました! 今切り分けますね!」
背中に担いだブリを捌こうとしている瞳が特徴的なウマ娘、アーモンドアイだ。いや、よく持ってこようって気になれたね、それ。タキオンが呆れた目で見ているよ。
◇
アーモンドアイ。彼女との出会いは、年が明けて間もない頃のこと。
「すみません、ここがチーム・ミーティアの部室ですか?」
突然僕が立ち上げたチーム・ミーティアの部室へと訪れたのが始まり。威風堂々と、臆することない態度で彼女は僕に向かってお願いしてきた。
「ミーティアのみなさんは一騎当千の猛者。なら、勝負です!」
「わたしは強くなりたい。だからここに来ました!」
揺るぎない瞳と覚悟を持ってきた彼女。そこから付き合いが始まる。
アイはミーティアのメンバーと毎日のように勝負をした。併走やトレーニングでの記録から、リバーシや将棋のような頭を使うもの、果てにはゲームやじゃんけんでさえも。とにかく勝負を重ね続けた。彼女が満足するまで、である。
毎日のように部室に訪れる彼女。そんな日が続いたので、僕から提案した。
「……せっかくだし、ミーティアに入部でもする?」
いちいちお客様としてくるのも面倒だろうし、チームの一員としてならみんな今までより勝負してくれるだろうし。都合が良いからという理由でスカウトした。なんともアレなスカウトの仕方である。
でも、アーモンドアイは二つ返事で了承。ミーティアのメンバーとして活動することになる。
そんな彼女は毎日のようにメンバーと勝負をしている。戦績に関しては……言わない方がいいだろう。
メンバーの前でブリを丁寧に切り分けていくアイ。思わず見惚れるような包丁使いだ。プロの技と言っても納得するくらいの出来だろう。なんでそんなスキルを身につけたのかは知らないけど。
「わ~、アイちゃんブリ捌くの上手だね!」
「ありがとうございます、キタさん。お師匠さんに教えてもらいましたから!」
「でも、こんなに大きいブリを捌くスキルっていります? 日常生活で使うことほぼないと思いますけど」
僕と同じ疑問を持ったタルマエがアイにツッコむ。
アイは自信に満ちた揺るぎない瞳で。
「タクトちゃんに負けたくなかったからです! 彼女のお魚捌きに勝つために、たくさん練習しました! そして、今はお師匠さんに勝つために猛勉強中です!」
よく分からないことを言い放った。いったい、どこでデアリングタクトの魚捌きを見る機会があったのだろうか? そして、なんでそんなことに対抗心を燃やしているのだろうか? ぶっちゃけ疑問は尽きない。
とはいっても、これがアーモンドアイというウマ娘なんだ。極度の負けず嫌いで、とにかく勝つことが大好きなウマ娘。
ここで言う勝つことはレースだけじゃない。あらゆる分野において発揮される。ゲームとかじゃんけんでも勝負しているのが良い例だろう。
タルマエもそのことをよく分かっている。なんともいえない表情をしながらも、いつものことかと諦めていた。
「……あぁ、はい。まぁアイさんはそうですよね」
「はい! わたしは全部に勝ちたいので!」
これがアーモンドアイクオリティ。いかなる勝負でも全力で勝ちに行く。例え誰が相手であっても、だ。
そんな彼女は今日も元気よくメンバーに挑む。
「~~~! も、もう無理!」
「潜水勝負はキタ君の勝ちだね……なんでよりにもよってキタ君が最も得意としている分野で挑むのやら」
「わ、わー!? だだだ、大丈夫ですかアイちゃん!?」
キタサン相手に潜水勝負を挑んだり。
「え、え~っと次の的はっ、あっ!」
「遅いですわね。そんな遅さでは、私に勝つなど到底不可能でしてよ。ほほほ」
「ふ、ふぐ~……っ!」
ジェンティルドンナ、ジェンティルを相手にアクロバットアローをしたり。
「えい、やぁ! この!」
「っそこだ!」
「あっ!?」
ドゥラメンテ、ドゥラを相手にフェンシングで勝負をしたり。彼女の勝負は多岐に渡っている。
だけど、勝負においては全敗。アイが勝てた試しがない。負けん気とは裏腹にね。
とはいっても、それも仕方ない話で。挑んでいるメンバー全員、すでにトゥインクル・シリーズでデビューした先輩しかいない。
「メンバー全員、アイよりもずっと長くこのトレーニングをしてるしね。さすがに勝てるわけがないというか」
「それでも挑む気概は褒めてあげるべきかとッ! アイさんもとても素晴らしい委員長魂を持っていますッッ!」
「委員長かどうかはよく分からないけど、リーダーシップを発揮してくれそうだよね」
早い話、勝てる方がおかしいレベルの相手と勝負をしているわけだ。サクラバクシンオー、バクシンオーの言うように、挑む気概は褒めてあげるべきだけど。
……とはいったものの、だ。現段階だとまずいってことを認識しなければいけない。アイが掲げる目標のためには、現状とてもまずいわけで。
(これから先のことを考えると、気が滅入るなぁ)
「ハァ」
「やや? 溜息ですかトレーナーさん。それはいけませんッ! 幸せが逃げてしまいますのでッ! ここは1つ、委員長が幸せをお裾分け」
「大丈夫、大丈夫だから。これから先のことを考えてただけ」
バクシンオーが詰め寄ってくるのを手で制して、この前の会話を思い出す。アイから今後の目標を聞いた時の話を。
先日、ミーティアの部室でアイの目標を聞いた。トゥインクル・シリーズを走る上での目標、どのレースに勝ちたいのかを。
「というわけで、君は何を目標にして走りたいのか。それを聞かせてほしいんだ」
「トゥインクルシリーズの目標、よね?」
「そう。簡単なものだとこのレースを勝ちたいとか、より難しくするなら三冠を取りたいとか。そういうのだね。君の目標を聞きたい」
分かりやすい例として特定のレースに勝ちたいを挙げたけど、別にレースに拘らなくてもいい。レースに拘らない子もいるのだから。
「ジェンティルみたいに最強に拘るのも構わない、タルマエみたいに地域活性化に繋げるって目標でも構わない。とにかく、君が走る上での指標となるものを教えて欲しい」
「う~ん……」
「僕は君が掲げるものを全力で叶えるよう努力する。それだけは絶対だ。だから、どんな目標でも構わないよ」
背骨になるものが欲しい。トゥインクル・シリーズを走る上で必要不可欠な支柱、支えになるものが。
支えがあれば、後は肉付けだ。その肉付けを僕がする。目標を叶えるために必要なことを、僕が詰めていけばいい。
彼女達の夢を全力で叶える。それが僕の仕事でやりたいことなのだから。
ただ、アイはずっと唸っていた。僕が目標を聞いてからずっと。
(もしかして、まだ決まってないとか?)
それならそれでこの先見つけられるように努力すればいい。焦らず、じっくりといけばいい。
そう考えていた矢先。
「トレーナー。わたしは勝つのが好き」
「うん? まぁ、それはよく知ってるけど」
「勝つのが好きで、負けるのは嫌い。誰が相手でもそれは同じ。勿論──バクシンオーさん達が相手でも、よ」
さっきまでずっと唸っていたアイが口を開いた。いつもと変わらない、いや、いつもよりもさらに力強い瞳でこっちを見ている。思わず姿勢を正したくなるような、そんな圧。
「わたしが勝つ、絶対に勝つ。どんな勝負でも、レースだって負けない。いつか必ず、あの人達を追い抜くの!」
「……バクシンオー達に?」
「えぇ、そうよ。負けっぱなしは性に合わないもの。負けた借りは、絶対に返すわ」
揺るぎない信念。これまでの担当にも感じた、絶対に成し遂げるという意思。背骨になる、支えになるものをアイから感じた。
勝利、か。
「つまり、バクシンオー達に勝つことが最終目標?」
なんとなく聞いてみる。バクシンオー達に勝って、そこで終わりなのかと。今の話を聞いた感じだと、そんな風に思えたから。
答えは否。
「いいえ、違うわ。わたしは勝ちたいの。目下の目標はバクシンオーさん達だけど、彼女達以外にも」
「……え~っと、つまり?」
「わたしは勝つことが好きなの。勝つと嬉しい、嬉しくてたまらない。だから勝ちたい。凄くシンプルなことよ」
彼女は、ただ勝ちたいと答えた。バクシンオーとか関係なく、ただ勝ちたいと。彼女はそう言った。
まぁ、要約するとだ。
(勝ちたい、っていうのが根源的な願い、なのかな?)
勝利こそがアイの願い、ということになる、のかもしれない。多分、きっと、おそらく。
なら、それを全力で叶えるとしよう。彼女が勝てるように。
でも、彼女は悔しそうに唇を噛んでいた。
「だからこそ、現状がとっても歯がゆいの。バクシンオーさん達に負けている今の自分が!」
悔しそうに、地団駄を踏みそうな勢いで憤っている。あんまり地面を踏むと部屋が壊れかねないから止めてほしいな。勢いが強すぎるし、ウマ娘のパワーならできかねない。
「どうどう、落ち着いてアイ。それに、勝てるものもあるよね?」
「そりゃあ確かにあるけど……レース関係は全敗じゃない! わたしはレースでも勝ちたいの!」
しまった、余計に憤ってしまった。とにかく彼女を宥めないと、部室が大変なことになる。
「落ち着いて。そのために僕がいるんだから」
「……トレーナーが?」
「そう。レースでもバクシンオー達に勝つ。そのための手助けをすることは出来るよ。なんせ、彼女達を育てたのは僕なんだから」
少し気恥ずかしいものはあるけど、事実だ。アイが勝ちたいと願う相手は僕が育ててきた担当ウマ娘。彼女達の全てを僕は知っている。
だから、勝つ手助けができる。この世界の誰よりも強みと弱みを知っているのだから。
総括しよう。ひとまず彼女の目標は、バクシンオー達に勝つことに定める。
「じゃあ、目標はバクシンオー達に勝つことにしよう。何事にも分かりやすい目標って奴は必要だろう?」
「そうね。分かりやすい指標があれば、トレーニングなんかも形にしやすいもの」
「そう。だから目標は、ミーティアメンバーに勝つことだ。バクシンオーに限らず、タキオンやジェンティル達にもね」
僕の言い分に納得してくれたのか、アイは笑顔を見せた。さっきまでの憤りを感じさせない、ファンを魅了するような笑顔。
「それじゃあ、これからよろしくねトレーナー! わたしは、必ずバクシンオーさん達に勝ってみせるわ!」
「うん、よろしくねアイ」
ちょっと、いや、かなり複雑だけど。自分の育ててきたウマ娘がライバルになるのは複雑どころじゃないけど。これもアイのためだ。
それに、ミーティアのメンバーは全員強者大歓迎みたいなところがある。だから大丈夫だろう、うん。
こうして決まったアイの目標。それは──ミーティアメンバーに勝利することだ。
なんて話が、この前あったわけなんだけど。
(……今にして思うと、とんでもない難題じゃないか? 今までのどの目標よりもキツい気がするんだけど)
「トレーナーさんッ! 少しばかり顔が青いですよッ! 気分が悪いならこの学級委員長が膝を」
「大丈夫、本当に大丈夫だから」
とんでもないことを目標に掲げたんじゃないか? そう思わずにはいられない。
だって。
「本当にダメそうな時はこの学級委員長を頼ってくださいッ! トレーナーさんのためならば火の中水の中森の中だろうと駆け抜けますともッッ!!」
史上最速でSMILE区分G1を全制覇した、全距離全バ場走れるサクラバクシンオー。
「おいおい、体調には気を付けてくれよ? 君がいないと私は誰をモルモットにすればいいんだい?」
ウマ娘レースの国際機関が定めたレーティングにおいて、世界最高評価の140を叩き出したアグネスタキオン。
「そもそもモルモットにしないでください。トレーナーさん、体調が優れないなら今日のトレーニングはここまでにしますか?」
史上初となるドバイワールドカップとBCクラシックの同一年制覇、同じ相手には二度連続で負けたことがないホッコータルマエ。
「体調管理も強者の常……ですがどうしても優れない時もあるでしょう。私の膝をお貸ししてもよろしくてよ?」
圧倒的パワーで世界の名だたる強者を粉砕し、レーティングはティアラ路線のウマ娘としては最高値である137を記録したジェンティルドンナ。
「大丈夫ですか? トレーナーさん。あたしのお助けが必要ですか!」
芝の全距離G1に加えてダートG1も制し、圧倒的なスタミナで他のウマ娘をすり潰すキタサンブラック。
「すぐに医者の手配を……いや、君なら大丈夫か。だが、もしダメそうならすぐに教えてくれ。私がなんとかしよう」
変則三冠に加えて様々な海外G1を制し、最後方からワープしたかのような鋭い末脚を発揮するドゥラメンテ。
僕が育ててきた彼女達。彼女達全員に勝たなければならない。アイの目標のためには、絶対に避けては通れない道だ。
だけど、全員が全員トゥインクル・シリーズで結果を残し続けてきた怪物達。最上位レベルに君臨している、得意分野なら最強と呼ばれるウマ娘達だ。
そんな彼女達に勝たなければならない。
(……今までで一番キツいかもしれない)
しかもそのキツさが自分のせいともなると、うん。頭が痛くなってくるな。後悔はしてないけど。
「本当に大丈夫ですか? トレーナーさん。頭が痛いのであれば、保健室に」
「……いや、治まったから大丈夫だよイクイ。なんとかね」
イクイノックス、イクイ。まだデビューはしてない子だけど、この子も間違いなく最強になれる器だ。きっと、将来的にアイが目をつける可能性が高い。
だから、うん。
(決めた以上は絶対にやり遂げる。僕は彼女のトレーナーなんだから)
とにかくやれることを一生懸命にやろう。頭を抱えている暇なんてないのだから。
目標 ミーティアメンバーにレースで勝つ。