まもなく月が変わりそうなある日のこと。
「アイの次走を決めたよ」
「本当? どのレースを走るのかしら?」
部屋にアイを呼び出して、次のレースについて話す。レースが決まったと知ったアイの瞳は、いつも以上に輝いているように見えた。
アイの次走は。
「アイルランドのナショナルステークス。9月開催のこのレースを叩いて、10月のデューハーストステークスに向かおう」
「ナショナルステークス……ふぅん、早速のG1ってわけね」
「そうだね。アイルランドのG1レースだ」
ナショナルステークス。アイルランドのカラレース場を舞台に、アイは走る。それも、ジュニア級のG1だ。
出走自体は問題ないだろう。未勝利戦からいきなりのG1になるから、こんなローテで挑む子はあんまりいないだろう。欧州には2戦目でダービーを走ったウマ娘もいるらしいけど。
ともあれ、次走に選んだナショナルステークスはデューハーストステークスと同じG1区分。メンバーだって前走とは比べ物にならないメンバーが集まる可能性が非常に高い。
だけど、問題はない。アイなら勝てるし、今後の試金石にするという意味ではG1の方がずっといいのだから。
レースの出走登録をする、前に。アイに出走の意思があるかどうかを確認する。これは大事なことだ。無理やりレースに出させるなんてもってのほかだから。
「強いメンバーが集まると予想されているし、君にとっても得難い経験になる。勿論、アイの意思を尊重するけど……どうする?」
「当然、出走するわ!」
アイは二つ返事で了承。ナショナルステークスに出走することを力強く決めた。
「強い子達が集まるんでしょう? なら、走らないわけにはいかないわ。強いメンバーと戦って、そしてわたしが勝つの!」
「アイならそう言うと思っていたよ。なら、出走で決まりだ」
出走が決まったなら後は簡単だ。レースがどうなるかを予想して、対策を立てる。
「出走するメンバーのリストアップは済ませてある。ここからどうなるかを予想していこう。いつも通り、まずはアイがどうなるかを考えるんだ」
「もう済ませてあるのね。さすがはわたしのトレーナー」
褒められて少しだけ照れくささのようなものを感じるが、アイにナショナルステークスに出走するメンバーのリストを渡す。
リストには出走するウマ娘の詳細なデータが書かれている。ステータスは当然のこととして、脚質適性に距離適性、どこのチームに所属しているかなどのデータをまとめたものだ。
アイはこのデータからどんなレース展開になるかを予想する。予想した後、僕やみんなが予想した展開と照らし合わせて、当日の作戦を決める。
これを毎レースごとに行う予定だ。当然、日本のメイクデビューでも前回の未勝利戦でも同じことはしてきた。
「期限は明日。明日にはみんなのデータと照合しようか」
「分かったわ。とはいっても、寝不足にならないように気を付けないと。せっかくブラストの件が解決したのに、他のことで寝不足になってたらブラストに申し訳ないわ」
ちなみに、ブラストの件はもう解決した。お互いに都合の合う時間を見つけて、決められた時間内でたくさん話そうということで決着。向こうの方も納得してくれたので、同室の件は完全に終わったとみていいね。
苦笑いを浮かべるアイを見送って、部屋でゆっくりと寛ぐ。
考えるのはアイの今後について。
「モンジューのトレーナーさんに貰った、ミーティアと合同トレーニングをしたい人たちのリスト。アレもまとめ終わったし、早いうちに渡さないとね」
今のところすこぶる順調。怖いくらいになにもない。願わくば、このまま何もないことを願うばかりだね。こんなこと考えるとフラグが立ちそうだけど。
◇
結論から言えば、僕が考えていた不安は全くの杞憂だった。アイは欧州でもとんでもない強さを発揮している。
まずはナショナルステークス。未勝利戦からのG1、格上挑戦となったこのレース。出走者の中には同じチームのウマ娘が3人出走し、アイが集中的にマークされることが予想されていたけれど。
《抜け出した抜け出した、包囲されることなく抜け出したアーモンドアイ! 先行策からの華麗な抜け出し、凄まじい末脚でカラレース場を駆け抜ける! 良バ場のターフを軽やかに駆け抜け、アーモンドアイがレースを制した1着! なんと未勝利戦からのG1勝利、ナショナルステークスを制したのは日本のアーモンドアイだ!》
全く問題なかった。未勝利戦の逃げとは違い、今度は好位抜出の先行策を選択。欧州のレーススタイルに合わせる形で展開。終始3番手の位置をキープしていた。
同チームの3人が執拗にマークしていたものの、アイは全く意に介さず。余裕で躱し、最後の追走も振り切って。アイは見事に1着に輝いた。
「ワッショイワッショーーーイ! アイちゃん無傷の3連勝でーーす!」
「なんと素晴らしい委員長魂ッ! 思わず私の心も刺激されるような一戦でしたよーッ!」
「相変わらずだねぇこの2人は。隣を陣取らなくて正解だったよ」
「それがブラックとバクシンオーのストロングポイントじゃん? アイおめでとー!」
初のG1でも全く問題なし。欧州のウマ娘にそう印象付けさせて、アイはナショナルステークスを2バ身差で制した。
勢いに乗ったアイはそのままデューハーストステークスへ。ニューマーケットレース場の7ハロン、約1400mのレースへと挑む。
今回のレースは同チームのウマ娘が4人も出走するという、日本じゃまずお目にかかれないような状況だった。それだけレースに本気ということだし、勝ちに来ているのだろう。
それでも一番注目されていたのはアイ。ナショナルステークスの勝ちっぷりに、ミーティアのウマ娘ということから1番人気に選ばれた。本人の調子も絶好調だし、好走が期待できると誰もが期待に胸を膨らませる。
レースの結果は──アイの独擅場だった。
《さぁアーモンドアイだ、アーモンドアイが他のウマ娘を振り切って一気に先頭に立ちました! これがアーモンドアイ自慢の末脚、あっという間に差を広げるアーモンドアイ! ニューマーケットでも強さに陰りなし! 盤石の強さを発揮する》
「『いいわー! いいわよアーモンドアイー!』」
「『そのまま駆け抜けろー!』」
観客の声援を背中に受けて、アイの身体はゴールラインを割った。堂々の1着、揺るぎない強さを発揮しての1着だ。
《アーモンドアイ強し! 3バ身差の快勝を飾ったアーモンドアイ、欧州ジュニア級の頂点に立つレースっぷりだ! これはクラシック級以降が楽しみだアーモンドアイ、日本のウマ娘が圧倒的な強さを発揮した!》
いつものようにバクシンオーとキタサンが嬉しそうに歓声を上げて、呆れた目をしつつも同様に祝福するように拍手をするタキオン達がいる。当然僕も、アイに拍手をしていた。
G1を2連勝。このレースにて、アイは欧州での地位を確立することになる。
「『今年の欧州ジュニア級チャンピオンはアーモンドアイで決まりだ! カルティエ賞の最優秀ジュニアクイーンも受賞するだろう!』」
「『クラシック路線に進む予定の子を相手にこの走り。まさしく最強は彼女に相応しい!』」
ジュニア級チャンピオンとしての地位。アイはジュニア級G1を2勝して、この地位を得ることになった。
まぁ、アイ自身はその地位にそこまで固執してないんだけど。
「アイ、カルティエ賞の最優秀ジュニアクイーンに輝いたよ。おめでとう」
「あらそうなの? ありがたい話ね。だけど、わたしの目標はまだまだ遠いわ。もっともっと頑張らないと!」
賞を受賞しても喜んでそれで終わり。次のレースをどうするか、という話やミーティアのメンバーに勝つためにはどうしたらいいか? をずっと考えている。
変わらずにストイックだ。目指しているのは勝利であり、その結果得られた地位には固執しない。あくまで勝利によって得られた副産物でしかなく、嬉しいことは嬉しいけどそれだけ、って感じだ。
(つまりは、気が緩むことがない。常に勝利することを望んでいるアイは、与えられた地位や栄誉による油断が全くないことになる)
満足によって発生する慢心は存在する。誰だって目に見える形でもらえた栄誉は嬉しいし、自分は強いんだと確信することができるから。どうしても心の中に驕りが生まれ、それによってレース中に隙が生まれてしまう。
だけどアイにはそれがない。あくまで勝利することが目標のアイにとって、目に見える形の栄誉はそこまで気にすることじゃない。
勝つことだ。アイにとってはそっちの方が重要なんだ。
(このメンタルは凄いね。この先も、どのレースでも。彼女は勝利のために頭をフル回転させるんだろう)
「この前の将棋だってまたタルマエさんに負けたし……! 次は負けないんだから!」
「……将棋でタルマエ相手は分が悪すぎやしないかな?」
「いいの! わたしは勝ちたいんだから!」
良いことばかりじゃないけど。まぁ闘争心が高いんだから悪いことではない、かな?
なんにせよ、デューハーストステークスでジュニア級のレースは終わりだ。次はクラシック級……レースが激化してくる。
「さて、次のレースについて軽く打ち合わせをしようか。クラシック級の初戦は1000ギニーだよ」
「1000ギニー……イギリスのティアラ初戦よね?」
「そう。欧州のティアラ路線、というよりはマイラーの代表格が集うこのレース、君が望む舞台にぴったりだろう?」
ニューマーケットで開催される芝1マイルのレース。直線距離を舞台にして、純粋な力勝負をすることになるレースだ。
直線であるが故に、紛れやごまかしが効かない。速くて強いウマ娘が必然的に勝利を掴む、日本における桜花賞。
「1000ギニーは力勝負だ。余計な作戦や小細工はいらない、直線で全員ぶちのめせばいい……簡単だろう?」
「……ふふ! トレーナー、貴方もぶちのめす、なんて言うのね!」
「そりゃあね。僕だってたまにはこういうことを言うよ」
アイの目は煌々と輝いている。やる気に満ち溢れ、自信に満ちている、いつもの瞳だ。
「えぇ、わたしは勝つわ、トレーナー。1000ギニーに集った猛者を相手にして、わたしは勝つ。だから貴方は、いつも通り観客席でわたしの勝利を待っていて?」
「うん、待つよ。君が勝利する姿を、僕は観客席でみんなと待っている」
満足そうに頷くアイ。
ジュニア級王者と呼ばれても慢心も油断もしない女王。アイはすでに次のレースのことを考えていた。
日本のメイクデビュー→欧州の未勝利戦→ナショナルステークス→デューハーストステークスという中々なク〇ローテ。
ちなみにナショナルステークスは現在ヴィンセントオブライエンナショナルステークスになってます。アーモンドアイの頃になったのかな?