天気が不安だったオークスステークス。その不安は的中することになった。
「雨の影響で重バ場、だね。今日はタフなレースになるよ」
「ただでさえ高低差が激しいエプソムで、雨を吸った芝が襲い掛かる……ということですか」
「そういうことだよイクイ。普通に走るだけでも辛いだろうね」
連日の雨の影響、今日は曇り空ではあるけれど、バ場の状態が回復することは叶わなかった。これは運の問題だからどうしようもないけれど。
とはいえ、アイならば問題なく走れるだろう。重バ場を想定したトレーニングも積んでいるし、状態が悪いからと癇癪を起こすような子でもない。
自分の実力を発揮して、自分が望む勝利を手に入れる。アイはそれができる子だ。
アイ自身に問題はない。なので気がかりは。
「凄い数ですわね。ひぃふぅ……16人の出走者ですか」
「例年は10人前後、でしたよね? それと比べるとかなり多いです!」
「そうだねキタ君。そしてこの多さにもかかわらず、視線を向けられているのは1人だけ」
「アイ、だな。彼女達は、アイを徹底的にマークするつもりだ」
出走するウマ娘の方だろう。今回の出走者は16人、同じトレーナーのチームから大体3~4人ほど出走している。個人軍なのは僕のチームだけだ。
タキオンの言うように、これは全てアイを対策したものだろう。アイの強さを封じ込めるために、数的有利の状況を作る。1000ギニーで並大抵の封じ込めでは足りないとみて、さらに人数を増やした、と見るべきかな。
これ以上いいようにやられてたまるか、日本のウマ娘にデカい顔をさせない、純粋にアーモンドアイというウマ娘に勝つ。理由については分からないけれど、彼女達はより力を入れてきたんだ。負けないために。
「さ~てさて、こうなるとアイ君の出だしが気になるところだねぇ。一体彼女はどうやって数的不利の状況を覆すのやら」
「なんだか楽しそうですね、タキオンさん」
「それはもう楽しいともイクイく~ん! アイ君がどうやってねじ伏せるか、周りはどう動くのか。楽しみで仕方がないさ!」
楽しそうなタキオン。ちょっとジト目で睨んでいるイクイ。
メンバーの反応は……大体はアイがどう動くかに視線を注いでるな、これ。心配なんてしてなさそうだ。
(アイならば問題ない。みんなそう思っている。アイの強さをよく知っていて、なおかつこれでどうにかできる子じゃないって分かってるから、か)
かくいう僕も、あまり心配はしていない。なにせ、彼女が常日頃のように言っているのだから。
「わたしの勝利を信じて、か。当然、今回も信じるよ」
「当然ですともッ! バクシンすれば道は開けます、バクシンこそが道を開きますッ! バクシンするアイさんを止めることは出来ませんッ! バクシンバクシーンッ!」
「まぁそうだね」
僕達はただ信じるだけだ。勝利を信じて、と口にしたあの子をね。
ターフへと姿を現し、ゲートへと入る出走者たち。ゲートを嫌がる子はいなくて、スタートも出遅れなく綺麗なスタートになった。アイのスタートも、タキオン的には及第点といったレベルらしい。
レースは序盤からアイにマークが集中していた。内から外からウマ娘がアイに引っ付いて、逃がすまいとしている。
(これは予想通りの展開。おそらくだけど、ラビット同様死に役の子達だ。そして本命候補達は……後ろでしっかりと脚を溜める、か)
今回のバ場で逃げるのは難しい。雨で芝が重くなっているし、そもそもコース設計が逃げに向いていないエプソムだ。不利な条件が重なるこの状況で、逃げようなんて子はいないだろう。
……どうも、1人だけ違うみたいだけど。
《先頭に立ったアーモンドアイ、アーモンドアイが5人のウマ娘を引き連れて先頭に立ちます。これは逃げる形か? アーモンドアイがオークスのペースを握ります。ペースメーカーになるのはアーモンドアイだ》
アイは先頭に立った。マークされている子達を振り切るように、自分がペースを握るように逃げている、ように見える。傍目には。観客席もわずかにざわめいていた。
「……ふむ、意外性を突いているのかな? それで足元を掬われたら元も子もないよアイくぅん?」
「いや、分からない。少なくともアイが考え無しに手を打つはずがない。なにか考えてあの位置にいるはずだ」
タキオン達も真意を分かりかねている。何故逃げているのか、その理由が分からない。
(確かにラビット役の子はいない。ペースを握ってもなんら問題はない状況だけど……)
一応、時計を計っておくか。気になることもあるし。
オークスの立ち上がりは普通。けれどもレース展開は意外の一言。何故アイは逃げているのか。
その答えが分かったのは、エプソム名物のタッテナムコーナーを越えてからだった。
「……あぁ、成程。自分のペースに引き込みたかったわけか」
「同じタイミングで気づきましたわね。えぇ、気づくのに随分と掛かってしまいましたわ」
ボソッと呟いたタイミングで、僕と同じようにジェンティルが答えに辿り着いた。何でアイが逃げているのか、その理由に。
逃げに関しては結果的に逃げる形になった、に間違いない。未勝利戦と同じような感じだね。となると、タキオンやジェンティルからは苦言が出ると思うけど……あの時とは状況がまるで違う。
今回に関しては悪くない一手だ。むしろ、考えつかなかった最善手といえばいいか。
まだよく分かってなさそうなキタサンやイクイに対して、タキオン達は饒舌に語り始める。アイの狙いを。
「このバ場ならば誰もが逃げるのを渋る。ただでさえ重い芝がさらに重くなっている上に、高低差の激しいレース場でペースを握るのは至難の業だ。ラビット役なんて誰もやりたがらないだろうねぇ」
「それは、まぁ。なんとなく分かります」
「え、イクイちゃん分かるの? あたしはあんまり……」
「貴方はバ場に関係なく自分でペースを作れますもの。気づかなくても当然ですわ……誰もやりたがらないからこそ、生まれるものがあります。それなら、分かるでしょう?」
「……あ! 誰もやらないから楽に先頭に立てる。そしたら自分でペースを自由に作れるんだ!」
キタサンの嬉しそうな言葉に、ジェンティルは満足げに頷いた。正解であることを示すように。
アイの狙いは自分でペースを握ることにある。マークされていることを逆手にとって、他の子達のスタミナを潰すために自分が先頭に立つことにしたんだ。
ステータス上はアイが突出しすぎている。豊富なスタミナですり潰すことぐらい訳ない。他のウマ娘は着いていくのに精いっぱいでも、アイにとってはそうじゃない。
キタサンという逃げの名手がいるからこそできる。逃げの適性がなくても、キタサンから学んだことを活かしてペースを作ることができる。
「これもキタ君がいるから、だろうね。アイ君は逃げがあんまり向いていないが、キタ君がいろいろと教え込んでいる。その教え込みがあれば、アイ君でも先頭で走ることができる」
「いいねいいね~。キタサンマジグッジョブじゃん!」
「え!? え、えへへぇ」
ステータス差があるからこそできる芸当。アプリでもあったな。無理やり逃げさせてステータスの暴力で倒すやつ。大体あんな感じだと思う。
これの恐ろしいところは、別に逃げなくてもいいってところだね。他の子が先頭に立つなら、自分は控える方向にシフトすればいい。むしろその方が、アイにとっては好都合だ。自分の本来の位置で勝負ができるんだから。
他の子達も十分に理解しているはずだ。アイにペースを握らせるしかない、という事実を。
「いやはや、それにしてもお見事ですねッ! アイさんにペースを握らせるわけにはいきませんが、そうせざるを得ない。自分の強さを押し付けるアイさんの一手、委員長が花丸をあげましょうッ!」
「うっは~、ガチエグ。これってもうほぼチェックメイト、ってこと?」
「ほぼ、ではなくすでに、ですね。やるとしたらアイさんの位置を無理やり下げさせることだけ、ですけど」
「最後方に抑え込まないと無理だろうね。いやはや、スタート段階でどうにかするしかないねぇ!」
「アイちゃん頑張れ~! バクシンワッショーーイ!」
けど、握らせたらアイの独擅場になる。よしんば握らせなかったとしても、アイの一人舞台は変わらない。まぁ、うん。ヤン子やタルマエの言うように、すでに詰みというやつだね。
《アーモンドアイがまたも独走、アーモンドアイがまたも独走態勢だ! 2番手以下を引き離して最後の直線を駆けている! 残り200mを切って、2番手との差を4バ身から5バ身は広げているか!? 後続はすでに息も絶え絶えだぁ!》
《先頭のアーモンドアイはまだまだ元気いっぱいだね。どこまでも走っていきそうだよ!》
割と限界いっぱいだとは思う。でも、そこは持ち前の負けん気で持ちこたえている。後続はアイ以上に限界を迎えているから、差はどんどん開いていってるけど。
6バ身、7バ身とどんどん開いて。気づけば10バ身以上開いて。
《アーモンドアイ、アーモンドアイだ! これがアーモンドアイの強さ! イギリスに君臨する若き女王が、伝統の一戦オークスを大差で圧倒したァァァ!》
《は、はは! これは笑っちゃうくらい強いね! バ場の状態も悪かったのに、逃げて大差圧勝って! 彼女だけ突出しすぎてるよ!》
圧倒して勝利した。付け入る隙のない完璧な勝利だね。そもそも付け入る隙がスタート段階しかなかった、って話なんだけど、それはまぁ気にしないでおこう。
周りはざわついている。辛うじて聞こえる反応は。
「『おいおい誰だよ? シニア級のウマ娘をクラシック級限定のレースに混ぜたの。ルール違反じゃないのか?』」
「『コンストリブルがオークスを二連覇したな。これは凄い偉業だ』」
「『凄いな、うん。もはや凄いとしか言えない』」
……すみません、アイはクラシック級です。それだけ強いと評価してもらえるのは嬉しいけど、アイはまだクラシック級なんです。というかコンストリブルでもないし。なんだこの反応は。
「やったやったー! アイちゃんが勝ったー!」
「クールダウンだよキタサン。周りから凄い見られてる」
「ハッ!? す、すみませ~ん……っ」
なんにせよ無事に勝利、か。ここまでは、予定通りに行けている。問題があるとすれば……この先だ。
◇
レース後のインタビュー。凄い勢いでマイクを押し付けてくる記者の人達。誰もが興奮している様子だ。
「『今回の勝利の要因は!』」
「『圧倒的な逃げ切り勝ち! 今のお気持ちを!』」
「『今後のレースについてお教えください!』」
とりあえず1つ1つ丁寧に答えていく。アイも笑みを浮かべながら僕と同じように対応していた。もう慣れたものだね。しっかりと英語で受け答えもできているし。
そして、質問の中にあった今後のレースについて。これを最後に持ってくるようにした。適当に流して、次のレースについての情報を伏せる。
質問がなくなった。その時に、次のレースについて口にする。
「『次のアイのレースについてですが』」
瞬間、全員が一斉に構えた。一言一句聞き逃さないようにと、耳をこちらに傾けている。
アイの次のレースは。
「『エクリプスステークスに進む予定です。エクリプスステークスの後はキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス、この2つを走ります』」
「おぉ! 『早々にシニア級に挑戦か!』」
「『エクリプスステークスをクラシック級で制したウマ娘は飛躍が約束される……アーモンドアイが勝てば、もしや!』」
「『いや、シニア級の強敵が相手だ。そう簡単に勝てるものじゃない。だけど、勝てればっ!』」
シニア級との混合戦、エクリプスステークスとキングジョージだ。この2つを目標に掲げて、アイは次のレースを走る。
記者の反応は、上々だね。全員が期待の籠った瞳をアイに向けている。その視線を受けて、アイは得意げだ。
当然、記者が望むような答えを、アイにとって当たり前のことを口にする。
「『当然、わたしが勝ちます! シニア級が相手でも臆することはありません。だってわたしは、アーモンドアイですから!』」
「『素晴らしい気概だ! これは期待が持てるぞ!』」
「『次のレースも楽しみにしています、アーモンドアイさん!』」
勝つ。そう宣言して、インタビューは終わった。
オークスを大差圧勝したアイ。次のレースは──シニア級との混合戦、エクリプスステークスだ。