エクリプスステークス。7月の頭に開催されるレースで、距離は9ハロン209ヤード……大体2002mの中距離だ。アイの次走に決めたレースでもある。
決めた理由はとても簡単で、シニアとの混合戦だから。ここで一足先に、シニア級との対戦経験を積んでおきたかったのと、出走を表明しているシニア級が少なかった、というのがある。
(さすがに周り全員シニア級みたいな事態はまだ避けたい。負担が半端じゃないから)
今回はクラシック級ウマ娘の出走が多い。ダービーやオークスからそこそこ間隔があって、シニア級と対戦ができる絶好の機会。なにより、エクリプスステークスを勝ったクラシック級ウマ娘は出世が約束される、なんて言葉があるくらいだ。クラシック級ウマ娘達はゲンを担ぐ意味でも、このレースに狙いを定めることが多いらしい。
僕達もゲンを担ぐ、なんて狙いがあったりする。やっぱり縁起は大事だからね。このレースを勝って、キングジョージに弾みをつけたいところだ。
「ふんふん……シニア級の出走者は3人しかいないのね。混合戦なのに」
「大体の子達は他の中距離レースに出走する場合が多いからね。特に、同じ月にキングジョージがあるから、そっちに狙いを定める子も多いよ」
「その割には、キングジョージも数が少ない気がするけど」
「まぁね。あそこはコースの形状の問題もあるから」
なので、勝つための調査を念入りに。アイと一緒に、今度出走するメンバーの情報を共有している。
シニア級からの出走は3人。アイと同じ世代の子達は6人。今の段階だと、アイを入れて10人での出走になる。
「2000ギニーの勝者にダービーステークスの勝者……いいじゃない、腕が鳴るわ!」
「向こうも同じことを考えているだろうね。特にアイは今二冠ウマ娘、世代の中だと一番注目されてるはずだ」
クラシック級からくる子は中々の粒揃い。クラシックの冠を分け合った2人が来るわけなんだけど、アイはやる気に満ち溢れていた。世代のトップ層だし、燃えるのも当然か。
ただ、今回要注意すべきなのはこの2人ではない。シニア級のとあるウマ娘だ。
「トレンザーキトゥンズ。ドバイシーマクラシックを勝った子がここに出走してくる。ステータスも相応に高いよ」
「……確かに高いわね。他のメンバーと比べても抜けているわ」
エクリプスステークスも勝ったことがあるG1・2勝ウマ娘トレンザーキトゥンズ。G1級レースでも好走することが多い、シニア級のウマ娘だ。シニア2年目ということもあり、踏んできた場数も比べ物にならない。
ステータスがあって、技術がある。表面上で見るならば、最優先で警戒すべき相手だろう。
「コロネーションカップでも、プリンスオブウェールズステークスでも掲示板は確保している。注目度は低いけど、警戒はしておくべきだ」
「そうね。こっちが予想もしないような一手を打ってくるかもしれないもの」
「後は個人的に注目してる子なんだけど」
警戒を怠らずに、だ。
レースのことで詰めている時、アイが思い出したかのように口を開く。
「そうだ、コンストリブルさんは大丈夫かしら?」
「……コンストリブル?」
コンストリブルのこと。現在の欧州最強にして、今はケガで療養中の子。アイは心配するような表情を浮かべている。
「えぇ。練習中にケガしちゃったんでしょう? 復帰は何時頃になるのかと思って」
「……確かに心配だね。選手生命に関わるような大きなケガじゃないけど、影響があったらと思うと」
頷くアイ。合同トレーニングをして、模擬レースもした仲。付き合いこそ短いけど、2人の間に繋がりはある。気がかりになるのも仕方ない。
表情にも少しだけ陰りのようなものが見える。チラチラと、何かを気にする素振りも見せた。
となると、だ。
(個人的に気になってたし、こうなったら)
「通話しようか、コンストリブルと。向こうの連絡先は持ってるし」
「え? で、でも、良いのかしら?」
向こうの状況を把握する意味でも、お見舞いの電話をしてみよう。どこか不安げなアイだけど、問題はないはずだ。電話するだけだし。
「問題ないと思うよ。だって電話するだけなんだから。別に向こうがいる場所に行こうってわけじゃないんだし」
「う~ん……それもそうね。なら、お願いしてもいいかしら?」
「任せて」
アイが決心したことで、コンストリブルと通話することになった。向こうの現状も確認したいし、模擬レースでお世話になったのだから一言くらいはなにか言いたい。そんな思いで、彼女らに電話をすることにした。
数回のコールの後、向こうが出る。出たのは彼女のトレーナーだ。
《久しぶりだ、高村トレーナー。イギリスに来る決心をしてくれたのかい?》
「『お久しぶりです。そうではなくて、実はコンストリブルの状態を窺おうと思いお電話しました』」
なんか勧誘されたけど、きっと場を和ますためのジョークだ。こっちに気を使っているのかもしれない。ちょっと苦しい言い訳だけど。
ちなみにビデオ通話。向こうの顔もくっきり映っている。練習中の様で、後ろではウマ娘達がトレーニングしている様子が確認できた。
肝心の相手のトレーナーの顔はというと、少しだけ困ったような笑みを浮かべていた。
《コンストリブルの状態、か。それを聞いてどうしようと?》
「『彼女には模擬レースでお世話になりました。そんな彼女がケガをしたと知ったので、状態がどうなのか気になったのが1つ。個人的には、彼女を心配する気持ちが強いです』」
《君はそういうトレーナーだものな。コンストリブルの状態、か》
チラリと隣を見たと思ったら、画面にコンストリブルが現れた……けど、特に問題なさそうにしている。杖をついてるとかそういうものは一切ない。テーピングで膝を固定しているぐらいかな?
《膝をやってしまった。だが、そう重いものではない。現役復帰は十分可能な範囲だし、元の走りに戻れないなんてこともない。休んでいる間、周りのライバル達に置いていかれるのはなんとも歯がゆいものだがね》
《本当でございます。私が欧州の頂点に君臨するための期間が、こんな無意味に消費されるなど……!》
《トレーニングで無茶をしたのは誰だ? 日本の女王に負けるわけにはいかないと、やめろと言っても聞かなかったのは誰だ? うん?》
《聞こえませんわね~それにトレーナーも最終的には許可してましたものね~》
むしろ元気そうにしていた。向こうのトレーナーと仲良さそう? に話しているし。
コンストリブルのトレーナーは深い、それはもう深い溜息を吐いている。なんか、疲れてそうだな。大丈夫だろうか?
《……まぁ、こんな調子だから君達が心配するようなことは何もない。我儘お姫様は今日も元気だからな》
《誰が我儘お姫様ですか》
「『元気そうで何よりです。こちらも、アーモンドアイが心配していましたので』」
「『思ったより元気でよかったです、コンストリブルさん!』」
こちらもひょっこりとアイが姿を見せる。さっきとは違って、とても嬉しそうな表情だ。コンストリブルの無事が分かって一安心したんだろうな。耳と尻尾が機嫌良さそうに揺れている。
《おや、日本の若き女王。貴方の活躍は聞き及んでいますよ……それはもうしっかりと》
コンストリブルの表情は嬉しさ半分、苦々しさ半分。何とも言えない感じだ。自分は走れないのに、アイが活躍しているから心境的には複雑なんだろうな。
「『ケガ、しっかりと治してくださいね。焦って変なことをやったらダメですよ? 復帰までもっと時間が掛かっちゃいますから』」
《言われてるぞ。それも年下に》
《……うるさいです。言われなくても分かっていますよ、アイ》
どっちが年上か分からないね、うん。向こうが年上のはずなんだけど。
「『貴方にはまだリベンジしていませんから!』」
《ふむ、そうでしたね。模擬レースで惨敗でしたね、貴方は》
「……『次はそうはいかないわ! なんたってこっちにはトレーナーがいるんだもの!』」
《普通ならば負け惜しみに聞こえる言葉も、負け惜しみにならないから怖いな、こと高村に限っては》
ちょっと歳が近くなったね。勝ち誇った顔のコンストリブルと悔しさを前面に押し出しているアイ。トレーナーである僕らは微笑ましい目で見るだけだ。
それからちょっとした言い合いになったけど。時間が経つにつれて戻っていった。
最後に、2人は画面越しに向かい合う。
《秋。秋の対戦……おそらく凱旋門賞になるでしょう》
「『そうね。わたしは絶対に凱旋門賞に出走する。それは間違いないわ』」
こちらを見るアイ。凱旋門賞に出るかどうかの問いかけだろう。
アイの視線に対して、僕は頷きで返す。出走の意思を示すように。
「『貴方へのリベンジは凱旋門賞で果たすわ。それまでお預けね』」
《どうぞ、威勢よく。また私にやられて泣く羽目になっても、責任は持ちませんよ?》
「『心配いらないわ。だって勝つのはわたしだもの!』」
自信満々にそう言って、アイはトレーニングに戻っていった。最後の最後に勝つ宣言、か。それも、欧州最強に対して。
「『それでは、お元気そうで良かったです。ご自愛ください、コンストリブルさん』」
《えぇ、ありがとうございます高村さん。それにしても……貴方の手腕は本当にお見事ですね》
そろそろ通話を終わろうと思い、締めに入ろうとしたけど。まだ話したいことがあるのか、コンストリブルが口を開いた。去ることなく、僕を真っ直ぐに見て。
《1000ギニーにオークス、どちらも拝見しました。成程、アーモンドアイは恐ろしい速度で進化を遂げているようです。そして、その立役者となっているのが……貴方》
「『アイ自身の努力だよ。僕はその手伝いをしているだけだ』」
《過ぎた謙虚はよくないな、高村。君の手腕は間違いなく世界最高峰、そう断言してもいい》
やたら褒められている。そういうターンにでも入ったのだろうか。
《他を圧倒する実力、すでにシニア級に並び立とうとしています。次走はエクリプスステークスらしいですが、彼女ならば問題なく勝てるでしょう》
「『そんなに評価してくれて嬉しいよ。負けないように頑張らないとね』」
《私も、早く治さねばなりません。このままだと、凱旋門賞二連覇の偉業は露と消えてしまいますから》
それではまた、と言ってコンストリブルは去っていった。トレーナーとも一言二言交わして通話を終える。
ふぅ、なるほど。
(向こうからも大分警戒されているな、アイ。それだけ強くなったってことだけど)
誇らしい気持ちがある。アイを脅威と見てくれることに。最初は脅威と見られていなかったから。
マークは厳しくなるだろうけど関係ない。勝たせる、それだけだ。
「さっそくトレーニングの更新だ。そろそろアイも次の段階に進んでもいい頃だからね」
みんなのところへ足を運ぶ。遠くからバクシンバクシン聞こえるあの場所へ。
油断なく行こう。欧州の女王だとか、世代の頂点だとか気にしない。勝利する……アイもきっと、それだけ考えているだろうから。
なんだろう、勝利のことしか考えてないの怖いよこの2人。