エバヤンは無事に帰ってきてね。お疲れ様。
フランスのパリロンシャン。いつもよりも多くのファンが詰め寄るこの場所で、待ち望んでいた日がやってきた。凱旋門賞ウィークエンド、芝中距離の王者決定戦が。
この日は快晴。時期的に雨が多い場所で、今回は天候に恵まれていた。バ場の状態も文句なしの良バ場であり、好走が期待できる、といったところだろう。
注目されているのは前評判から変わらず2人。現・欧州王者のコンストリブルと、ティアラ三冠ウマ娘アーモンドアイである。
「ついにこの日がやってきたか。どっちが強いのか、これではっきりするな!」
「何回か戦うことが予想されるけど、その第一戦はどっちが勝つのか。これは見ないと損だ!」
「今回のレースは歴史的にも価値の高いレースになるだろう。間違いなく、素晴らしいものになるに違いない」
パドックを見たファンは、両ウマ娘が絶好調であることを感じ取った。やる気に満ち溢れ、他のウマ娘とは違うとばかりのオーラを放ち、見るからに好走することが約束されたようなもの。全く問題なしの調整に仕上げてきた。
故に、直感する。今回の凱旋門賞はこの2人のどちらかが勝つと。他のウマ娘が入る余地はない、どちらかが優勝するのだと、瞬間的に感じ取った。
出走するウマ娘は20人。それぞれのウマ娘がパリロンシャンレース場でウォーミングアップをしている。その目はギラついており、絶対に自分が勝つぞという意気込みを感じさせる。
それも当然だ。なにせ、注目されているのは2人のウマ娘ばかりなのだから。自分達もいるというのに、勝者はこの2人の内どちらかに違いない、という空気があったら、出走する側からしたら憤るのも当然。無理もないことだ。
誰かが口にしたわけではない。だが、空気を感じ取れないほどバカじゃない。
(絶対に勝ってやるっ)
かつてないほどのやる気に溢れるウマ娘もいる。今回の凱旋門賞は一筋縄ではいかない。周りもまた気合十分の様子だ。
その中も一際異彩を放つウマ娘。欧州王者のコンストリブルは優雅に歩を進める。
一歩の所作に優雅さを感じさせる気品。レッドカーペットを歩くような様で、彼女は1人のウマ娘の下へと足を運ぶ。
アーモンドアイ。ティアラ三冠を勝ち取ったウマ娘に対し、コンストリブルは笑顔を見せた。
「対決ですわね、アーモンドアイさん。本当にここまで来るとは」
表情こそ笑顔だが、その目には少しの油断もない。ここに来ることは分かっていた、そう言わんばかりの鋭い眼光を瞳の奥から覗かせている。
相手の力量を測るように。そのことを決して悟られないように。そして、挑発するように笑う。
「ティアラ三冠。貴方ほどの実力であれば、勝ち取ってくるとは思っていましたが……まさかエクリプスステークスにキングジョージも勝つなんて」
「えぇ、ありがとう。全部勝ってきたわ」
「今も継続中の無敗記録。ですが、その無敗記録もここで終わりです」
髪をかき上げ、自信に満ちた表情でコンストリブルは宣言する。
「凱旋門賞を勝つのは私。私の背中を追わせて差し上げましょう。ここで負けるわけには、行きませんもの」
自分こそが勝つ、と。堂々と宣言した。
周りで聞いていたウマ娘達の殺気も膨れ上がり、レース場全体に殺伐とした空気が流れ始める。観客も、果たしてアーモンドアイがどう返すのか? ドキドキしながら待つ。
アーモンドアイは、少しも揺らがない。
「いいえ、違うわ。勝つのはわたし。アーモンドアイが、このレースを勝つの」
「……へぇ?」
「良いレースにしましょう? コンストリブルさん。当然、勝つのはわたしだけど!」
あまつさえ手を差し出す。自分を挑発した相手に向かって、なにも気にした素振りを見せずにだ。この対応にはコンストリブルも目を食らう。
(成程。あくまで頭にあるのは勝利のみ、ということですか)
瞬時に理解した。盤外戦術など何も通じない、アーモンドアイの頭にはレースを勝つことしかないのだと。本能的に理解する。
コンストリブルは差し出された手を、握った。
「えぇ、良い勝負にしましょう。模擬レースの時のように、泣きじゃくらないようにお願いしますわ」
「泣きじゃくってないわよ! 勝手に捏造しないで!」
一言、余計な言葉を添えて。舌を出していたずらっ子のように笑うコンストリブルに、アーモンドアイは少しだけムキになった表情を見せた。
剣呑な一幕があったものの、身体を整えたウマ娘達はゲートへと向かう。20人での出走となる凱旋門賞、アーモンドアイは真ん中の枠、コンストリブルは少し外目の枠だ。
《ついにこの日がやってきましたね、凱旋門賞が。パリロンシャンレース場は晴天、雨も降らずにバ場の状態も良バ場発表。芝2400m、世界の頂点を目指して、ウマ娘達が駆け抜けます。注目されているのは2人のウマ娘、コンストリブルとアーモンドアイでしょう》
《そうだね。コンストリブルは前回覇者で現在の中距離路線最強と呼ばれるウマ娘。アーモンドアイは新進気鋭のティアラ三冠ウマ娘。どれもが強い勝ち方をしているから、コンストリブルを負かして新たな王者に立つかもしれないよ》
《ですが、アーモンドアイには強大なジンクスが立ちはだかります。セントレジャーの勝ちウマ娘が凱旋門賞に進んで、勝ったことは一度もありません。呪いとまで言われるこのジンクスを、アーモンドアイは果たして打ち破ることができるのか?》
《それでも1番人気はアーモンドアイなのが、彼女の強さを物語っているね。彼女なら! なんて考えているファンも、きっと多いはずだよ》
1番人気はアーモンドアイ、2番人気はコンストリブル。そこからの3番人気はかなり突き放されている。人気は2人に集中し、拮抗していた。
最後のウマ娘がゲートに入る。態勢が整った。
《最後のウマ娘がゲートに入りました。芝の頂上決戦凱旋門賞、激戦の火蓋が今っ、切って落とされますスタート! 揃って綺麗なスタート、その中でも一際素晴らしいのはアーモンドアイか? アーモンドアイが少し抜けたスタートです》
一拍置いた静寂の後、ゲートが開く。静かな空気を切り裂いて、ゲートが開いた瞬間に空気も変わる。ウマ娘の走る音が地鳴りのように聞こえ、それぞれが自らの考えのもと、レースを展開し始めた。
飛び出したのはアーモンドアイ。内へ内へと切り込もうとしており、最内を確保しようと動き出している。
だが、そう簡単にはいかない。
《内へ切り込もうとするアーモンドアイ。ですが、他のウマ娘が上がってきている。そう易々と内は取らせないぞと、アーモンドアイを内へは行かせないようにしていますね》
《ここに揃っているのは猛者ばかりだからね。1番人気を勝ち取った彼女を自由にさせたくはないはずさ。コンストリブルもいるから余計にね》
《ですが、コンストリブルは無理に内には行かないようだ。空いたその瞬間を狙っているのか? しきりに内へと視線を向けては、外を走っている。始まりました凱旋門賞、序盤の攻防は静かな様相です》
内側のウマ娘が続々と上がってきている。簡単には位置を取られないように動き、最内のポジションは獲得するのが難しい状態となっていた。
アーモンドアイは、早々に見切りをつける。内を取れないなら、自分が今走っているポジションの確保を最優先で動き、虎視眈々と空くのを待っていた。コンストリブルと同じである。
《先頭を走るのは日本からやってきた9番。1バ身後ろに先行集団がつけています。コンストリブルとアーモンドアイ、注目ウマ娘2人もこの位置だ。先行集団からじっくりと機会をうかがう2人、周りも警戒しています》
《後方待機のウマ娘はほとんどいないね。先行集団の団子状態、それだけ2人を警戒しているってことだ》
《ともに最強と呼ばれるこの2人。伏兵が注目の2人を打倒して頂点に輝くかどうか? 凱旋門賞は始まったばかり、日本の9番がペースを握ります》
静かな立ち上がり。アーモンドアイは冷静にレースを俯瞰していた。
◇
「バクシンですよアイさんッ! バクシンバクシーーンッッ!!」
アイの立ち上がりは、問題ない。冷静な立ち上がり、現状打てる手としては百点満点だろう。
無理に内に切り込めば消耗する。ロンシャンの向こう正面は上り坂、スタミナの消耗は倍以上だ。無理に位置取りをして、後半スタミナが保たないなんてことがあってはならない。
アイは真ん中の枠番スタート。できる限り内でレースを進めたいのは確かだけど、大外のように無理をするような場所でもない。
なので、真ん中を走っている今の位置取りがベスト。コンストリブルを内には入れさせないようにしているし、序盤の立ち上がりは上々といったところだね。
とはいえ、だ。コンストリブルも理解している。このままでは内を走ることができないと。そのため、無意味な消耗を避けるよう外を走っていた。
「内を走る分、アイの方が有利だ。ただ、手放しで喜べる状況ではないね」
「ペースもゆるりとしています。先頭を走る子もさほど乱す様子がありませんし、これが最後まで続くのであれば」
「最後の瞬発力勝負になる、な」
イクイの言葉を肯定するように続けるドゥラ。望むのはその状況だけど……そう簡単にはいかないだろう、というのが僕の見解。
理由は簡単で、アイが最注目されているからだ。アイのデータなんて出揃っているに違いない。
「アイの強みの1つに、最後の末脚があるのはみんな理解しているはずだ。だから、どこかで必ず仕掛けるウマ娘が出てくる。アイの末脚を機能させないために、ね」
「考えられる線としては……蓋、でしょうか? アイさんの前を走って、仕掛けるのを遅らせるとか」
「それもある。だが、より外へとバ群を膨らませることで長い距離を走らせる、なんてこともできる。スタミナが保つとはいえ、距離が長くなるわけだ。その分不利になるのは想像に難くない」
イクイの考えに補足するように付け加えるタキオン。2人もまた、僕と似たような考えでレースを見ている。それにしても、分析して己の糧にしている。未デビューであるにも関わらず、この凱旋門賞の結末を、理論で解き明かそうとしている。イクイの将来はどうなるのやら。今もタキオンの考えをタブレットでメモ取ってるし。
いや、今考えるべきはレースだな。
《ペースはやや遅め、日本の9番がゆったりとしたペースを展開しています。先行集団は12人ものウマ娘が固まる団子状態、半数以上がこの先行集団で進めています。前目につけるアーモンドアイ、少しずつですが内へと切り込んできました。その進路を利用して、コンストリブルもまた内へと切り込んでいる》
《良い状況だね。このままだと、最内の確保もできるんじゃないかな?》
《もうすぐ最内のアーモンドアイ現在5番手の位置。コンストリブルも同じ位置だ、外から蓋をするようにアーモンドアイに被さります》
アイは今のところ問題ないレース運び。内へと切り込んで、最小のロスでロンシャンを駆け抜けている。
それはコンストリブルも同じ。アイが切り開いた進路を利用して、コンストリブルも内へと進んできている。
(厄介、だね。さすがは欧州最強と呼ばれるだけのことはある)
アイが切り開いた進路はすぐに閉じるようなものだ。1秒そこらで気づかれて、すぐに閉じられるような、そんな進路。
その進路を、寸分違わぬタイミングでコンストリブルも取っている。アイと一緒に内へと切り込むことで、進路を閉じさせないように走っている。
アイからしたら、嫌でも意識させられる。自分にとってのベストポジションを取ろうと思ったら、相手にも同じようなポジションを取られるのだから。
「一瞬の隙を見逃さないね、コンストリブルは」
「はい。アイさんの進路を少しも狂わないタイミングで走っている。アイさんのタイミングでもギリギリなのに、コンストリブルさんも消耗少なくこじ開けています」
イクイもまた、コンストリブルの強さを改めて焼き付けているみたいだ。レースの状況を見極めている。
現在の状況は五分。もうすぐパリロンシャンのコーナー。
「いけいけー、アイー! その調子で、最内にインしちゃえ~!」
声を上げて応援するヤン子。五分の状況から、どこまで有利に持っていけるか。アイの強さが試される時だ。
立ち上がりは五分の模様。