凱旋門賞は最初のコーナー、下り坂に入る。ここで動きが見えた。
外目を走っていたコンストリブル。2番人気の彼女が、坂を利用して加速し始めた。先行集団の前に出るように、スピードを上げて前に出ようとする。
前に出ようとする理由は単純。今の内に内へと切り込むためだ。ポジション取りがなによりも重要なロンシャンレース場、序盤の攻防で後手を踏まされた分、ここで巻き返しを図る。下り坂だからスピードに乗りやすく、外に膨らまないよう注意しておけばロスは最小限で済む。外を回ることで発生する距離のロスと、体力をここで消耗してしまうロス。どちらがマシなのかを考えた時、体力のロスを取ったわけだ。
一気呵成に進む。前へと陣取り、すぐさま内へ切り込もうとする。
しかし。
「させないわ!」
「くっ!?」
《第3コーナーの下り坂に入ります。先頭は依然として3バ身のリードを保つ、このペースで走り切ることは出来るか? ゆったりとしたペースで走る逃げウマ娘、見る形で展開する先行集団。その先行集団では外からコンストリブルが前へと押し上げようとしている》
《けど、アーモンドアイも同じタイミングで上がったね。ほぼ同時、走り辛そうだよ》
アーモンドアイがそうさせない。同じことを考えていたのか、全く同じタイミングで動き出した。
自分よりも内側を走っている。これでは内へ切り込むことができない。最内のポジションを取りたいのに、このままでは取れずに終わってしまう。
(本当に厄介ですわね。私の位置を奪い、自らの強みを発揮できる舞台を整えている。枠の不運と言えばそれまでですが……そうそうできることではありません)
思考をフル回転させ、今の状況で何をすべきか、どうするのが正解かを導き出す。一秒にも満たない思考時間、刹那の瞬間を見極めて最善手を導き出す。
《コンストリブルとアーモンドアイが並んで前に出ます。先行集団を引き離すように上がる2人、そうはさせまいと先行集団もペースを上げる。まもなくフォルスストレート、ここで展開が大きく変わろうとしているぞ!》
《易々と前を走らせるわけにはいかないからね。逃げの子も勘づいてる、ペースを上げざるを得ないと判断したみたいだ》
《加速する凱旋門賞のペース、立役者となったのはやはり欧州最強の2人だ! 頂上決戦の舞台はフォルスストレートへ入ります!》
その答えが、競り合うこと。スタミナは自分に分があると判断し、アーモンドアイのスタミナを削る作戦に出た。一歩も退かずに、真っ向から打ち破るために走る。
きっと分かっているだろう。どうしてペースを下げずに上げるのか。何故競り合いを選んだのか。聡明だからこそ、全てを理解している。
(ここで逃げるわけにはいかない、でしょ? アーモンドアイ。逃げたら置いていかれる、不利な状況に陥れられる。この競り合いから、貴方は逃げることは出来ない!)
下がればやられるのは自分。不利な状況に持ち込まれ、敗北への道へと突き進むことになる。そうならないためには、たとえ不利だとしても誘いに乗らなければならない。スタミナ勝負という、分が悪い戦いに。
(私と貴方のスタミナはおそらく五分、私の方が少し上、といったところ。ですが、私と貴方では決定的に違う部分がある)
「『経験値の差。息のタイミングに緩めても問題がない場所。貴方には分からないでしょう?』」
相手の思考を乱すように囁く。自分が優位に立っているものを挙げて、不信感を与える。
アーモンドアイの表情がわずかに歪んだ。気づいているのだろう、今の自分の状況に。
(優位性を奪ったと思ったのだけれど……奪い返された。主導権は向こうに握られている!)
自分が取ったと思った有利な盤面。その盤面はすぐさま奪い返され、逆に自分が追い詰められる状況へと変わる。追い詰められて表情が歪み……笑う。
「それでこそよ! もっともっと、貴方の強さを見せてちょうだい! その上で、勝つのはアイなんだから!」
追い詰められて笑う。勝負が楽しくて笑う。勝負を乗り越えた先にある自分の勝利を目指して──アーモンドアイは笑う。
アーモンドアイの笑顔に、コンストリブルは背筋が凍りついた。
(なんで、こんな状況で……貴方は!?)
一瞬の戸惑い。時間にして0.6秒ほど、ぞくりとした寒気を感じ、判断が遅れる。
否。判断が遅れたとしても、着いていくことはしない。あまりにも非合理で、想像もつかないような選択をしたアーモンドアイを、コンストリブルは見つめることしかできない。
アーモンドアイは──フォルスストレートで加速。先行集団の前に出て、一気に最内へと切り込んだ。
《アーモンドアイがわずかに前に立つ! アーモンドアイがわずかに前に出て内へ切り込んだ! さぁここでアーモンドアイが内へ進んだぞ、アーモンドアイが最内へと切り込む! 意表を突かれたか、それとも一瞬の末脚に見惚れたか!?》
《いや、あの切り込み方は見事だよ。あのタイミングで、ここしかない絶妙なタイミングだ!》
《フォルスストレート、最後の直線に向けて脚を溜めたいこの段階! わずかに緩んだ隙を見逃さず、アーモンドアイが最内へと果敢に切り込んだ! ペースを下げていた先行集団これには意表を突かれる! しかし問題はスタミナが保つかどうか! 進んでいるぞアーモンドアイ、コンストリブルはっ、着いていかない!》
常識的に考えてありえない。普通じゃない。フォルスストレートは最後の直線ではなく、スパート同然の加速をするウマ娘なんていない。
しかし、ここでアーモンドアイは仕掛けた。凄まじい加速を見せ、一瞬の切れ味を発揮して最内へと切り込む。まるで誤認しているかのような速度で、これこそが最適解だと信じているかのように、自信に満ち溢れた表情で。間違いに思える道を突き進む。
圧倒的。ブレないメンタル。優位を奪い返されても、不利になっても。困難な状況だろうと笑い続ける。
何故? 答えはシンプルだ。
自分の勝利を信じているからに他ならない。信じているからこそ、誰もが思わないような道だろうと突き進める。不正解の選択を正解に変えることができる。
事実、状況は一変した。アーモンドアイの選択に呆気を取られた先行集団は仕掛けが遅れ、追いかけるような形になる。中には慌てているウマ娘もいた。
再びアーモンドアイが優位を奪い返す。後手を踏まされそうになった戦局で、先手を奪った。
《もうすぐフォルスストレートを超えて最後の直線へ! 先頭は日本の9番、しかしそのすぐ後ろにはアーモンドアイ、アーモンドアイだ! アーモンドアイが1バ身後ろに控えている!》
《先行集団もギアを上げてきたね。さらにレースが加速するよ》
とはいえ、だ。フォルスストレートから加速して、最後の直線まで保つようなスタミナはアーモンドアイにない。技術でどうにかしようにも、さすがに厳しいものがある。
有利に思える状況も、実はそこまで有利ではない。実際は不利に近い状況だ。どうするか? どうすれば、最後までスタミナを保たせることができるのか?
答えは、アーモンドアイの選択は。9番のウマ娘を風除けにして、進むことだった。
最後の直線に入るウマ娘達。残り距離約533m。日本の東京レース場と同じ距離だ。
一層大きな地鳴りを上げて駆け抜けるウマ娘達。最も勢いがあるのは、外から上がるコンストリブルだ。
《外から猛烈な勢いでコンストリブルが上がってくる! ここで仕掛けたコンストリブル、先行集団の一番外からコンストリブルが上がってきた! すぐさまアーモンドアイを捉え、9番も捕まえた! 残り400になって先頭に立とうという勢い、ここで上がってきた最強女王!》
領域を解放し、凄まじい勢いで上がってくる。飛び抜けた速さを誇っており、これこそが欧州最強女王の貫録だと言わんばかり。出走するウマ娘は、前回の凱旋門賞を制したウマ娘の強さを見せつけられる。
アーモンドアイとて例外ではない。領域を解放したコンストリブルの圧を受けることになる。
欧州最強の圧。これが復帰二戦目のウマ娘の走りかと──ワクワクする。
(最高よ、コンストリブルさん! やっぱり貴方は本当に強い! とても、倒しがいがある!)
目を煌々と輝かせ、爛々と駆け抜ける。最内を、落ちてきた9番のウマ娘と激突しそうになっても。最内を走ることを止めない。
やがて9番のウマ娘は力尽き、ずるずると後退していく。その時、外に膨らんだ。
《このままコンストリブルが駆け抜けるか! コンストリブルが強い強い! コンストリブルがロンシャンを駆け抜けぇっ! ここで最内からぶち抜くアァァァモンドアアァァイ! 最内からアーモンドアイだ、アーモンドアイだ! スターダムを駆け上がるアーモンドアイ、ティアラ三冠ウマ娘が、ここにきて本領発揮だ!》
《外にヨレた隙を見逃さなかったね! さぁ、彼女の末脚が炸裂するよ!》
《来た! アーモンドアイ来た! アーモンドアイとコンストリブルが並ぶ、アーモンドアイとコンストリブルが並ぶ! 先行集団追いかける、9番はもう無理か!? 後方待機勢も慌てて追いかけてきた! 先頭は2人、追いつけるか後続18人! 残り200mだ!》
隙を見逃すわけがない。最内をぶち抜いて上がっていく。その速度は、コンストリブルに勝るとも劣らない。
そう。
「勝つのはわたし──アーモンドアイよ!」
負けないとばかりに、領域を切った。2つの領域が、最後の直線で激突する。
祈るように手を握る人もいれば、無意識のうちにこぶしを握り締める人もいる。応援しているウマ娘の勝利を願って、誰も彼もが力を込める。
勢いがあるのは先頭の2人。もはや後続は追いつくことすらできないだろう。誰も口にしなかったが、なんとなく察していた。
それでも、諦めない。ウマ娘達が最後の1秒まで諦めないのと同じように、応援している自分達も諦めない。ひたすらに応援し続ける。
勝負はすでに最終局面。
《コンストリブルがリードしている、コンストリブルがリードしている! コンストリブルが半バ身のリードを保つ! アーモンドアイは追いつけない追いつけない! 残り100m、この差を覆すことは出来るかアーモンドアイ! 逃げ切るかコンストリブル!》
前に出ているコンストリブル。前のコンストリブルを追い続けるアーモンドアイ。2人の差は200mの時からずっと縮まらず、コンストリブルが優位を保っている。
追う側と追われる側。2人のスピードが同じなのは、差が縮まらないことが証明している。そうなると、圧倒的有利なのは追われる側のコンストリブルだ。キープするだけでいいのだから。逆にアーモンドアイは今以上の末脚を発揮する必要があるため、苦しい勝負を強いられる。
徐々に表情が絶望に染まるアーモンドアイのファン。差が縮まらないことに勝ちを確信する、コンストリブルのファン。
両者の感情は──一瞬のうちに逆転する。
「っえ? は?」
がくん、と。力が抜けるのを感じる。さっきまでの力はどこへやら、全くと言っていいほど発揮できない。どうにか減速を抑えるので精いっぱいだ。
困惑、焦燥、怒り。それら全てを抑え込んで、どうにか減速しないようにと残った力を足に込める。
刹那。
「あ」
自分でも驚くような気の抜けた声。勝負の場において出したこともない声を最後に。
《アーモンドアイ躱した! アーモンドアイが躱した! 最強女王が陥落する! 最後の最後に躱したアーモンドアイが凱旋門賞を制したァァァ! セントレジャーのジンクスを打ち破ったのは新たなる欧州女王! 無敗のティアラ三冠に加えて、無敗の凱旋門賞ウマ娘が誕生しましたアーモンドアイ!》
この時を待ってました、そう言わんばかりの末脚を発揮して、アーモンドアイの身体が先にゴールラインを割った。
コンストリブルは2着入線。2着ということは、勝てなかったということ。負けてしまったのだ。三連覇の夢は、ここで途切れてしまう。
けれど、それ以上に気になっていたのは最後の攻防。何故自分のスタミナが保たなかったのか、その原因を究明することに躍起になる。
その答えは、程なくして辿り着いた。
(……ッ! フォルスストレートの攻防、ですか!)
フォルスストレートの段階ではアーモンドアイが先手を取っていた。コンストリブルは後手に回ったものの、フォルスストレートではアクションを起こさず。最後の直線に入ったタイミングで、領域を切った。先頭に追いつくためには、それしかなかったから。
(さすがに500m弱の領域は保たない。使わなければ追いつけなかった……いえ、使わされたっ!)
「『やって、くれましたわね……っ!』」
それこそが、アーモンドアイの罠だった。コンストリブルに最後の直線に入った段階で領域を使わせることが、アーモンドアイの狙いだった。全ては最後の100mで逆転するために、フォルスストレートの段階で仕込んだ罠だった。
解き明かせば暴走でも何でもない。後に自分が有利になるための布石を仕込んだ、それが事の真相。
(私達は追うのを諦めていた。風除けも、限界ギリギリまで使って消耗を抑えた。これが、クラシック級ウマ娘のやることですか……っ!)
だが、ごく冷静に、自然な様でやり遂げるのは常識外にもほどがある。おくびにも態度に出さず、盤面を静かに支配するなど、かつて世界ダートの頂点に君臨した魔王と同じ。畏怖の感情がコンストリブルの身体を貫く。
笑顔で手を振るアーモンドアイを睨みつける、が。すぐさまやられた、と言わんばかりに溜息を吐く。
「今はただ、貴方の勝利を祝福しましょう。新たな欧州女王、アーモンドアイ。いつかその座を、取り返してみせますわ」
そう呟いて。
タルマエ「なんかまた不名誉な呼ばれ方されてる気がします!」
ㅎvㅎ「もう諦めなさいな」