3月初週のオーストラリア、ランドウィックレース場。晴れ空が広がる天気の下で、多くのレースファンが詰め寄っている。入り口は溢れ返らんばかりの人が押し寄せ、我先に会場に入ろうと気が立っている。
ファンの中にはオーストラリアの人だけではなく、日本やアメリカ、イギリスにフランスと、海外から足を運んできたであろう観客の姿もあった。
「オーストラリアの3月って結構涼しいんだな」
「こっちだと秋らしいわよ。長袖しか着てこなかったから助かるわ~」
「『早く会場に入れてくれ! こっちはずっと待ってんだ!』」
ランドウィックレース場に入りきらないほどの人数。それも国内外問わずやってきている。まさしくお祭りの様相を呈していた。
それも仕方ないだろう。今日ここで、2人の最強ウマ娘が激突するのだから。
オーストラリアが誇る世界最強の女王ヴェガスクライ。日本から飛び出し、欧州の頂点を勝ち取った新世代の女王アーモンドアイ。どちらも時代を代表する傑物であり、ファンを魅了してやまないウマ娘だ。
本来ならば、ヴェガスクライが勝つと誰もが思うだろう。
アーモンドアイはシニア級に上がったばかりの初戦。オーストラリアのレースは今回のチッピングノートンステークスが初であり、前哨戦を挟まずに挑んできていた。当然、こちらのレース場のことは少ししか知らない。
対してヴェガスクライはシニアを走り続けてきた猛者、それも前哨戦を挟んで臨んできている。オーストラリアを主戦場にしており、コースのことは誰よりも熟知している。知らないことはない、それがヴェガスクライだ。
前評判ではヴェガスクライが勝つ。記録が途切れるのはアーモンドアイの方であり、無敗記録はここで終わりと判断するファンが多かった。さすがに今回ばかりは相手が悪すぎる、コンストリブルに勝ったとはいえ、ヴェガスクライには勝てないだろう。それが大方の予想だ。
しかし、そういう時こそ。
「『これでアーモンドアイが勝っちまったらどうなるんだろうな? まさしく、新時代の到来じゃないか!』」
「『ヴェガスクライには勝てないでしょ? でも、コンストリブルの時もそうだったのよね』」
「何をしてくるのか予想がつかない、必ず俺達の予想を裏切ってくる……だから、もしかしたら今回も!」
もしもの可能性にかけたくなるのが人の性。不利ということが分かっていても、相手がどれだけ強大であろうと。アーモンドアイならなにかしてくれるんじゃないか? そういう、ある種の期待をしたくなるのがファンの総意だ。
それが結果にも表れる。チッピングノートンステークスの1番人気は順当にヴェガスクライ……ではなく。
「『構わない。うん、構わないよ。人気で負けても、レースで勝てばいいんだから……フンッ!』」
「『なんか、興奮しているみたいだなヴェガスクライ。これ、本当にひょっとしてあるんじゃないか?』」
「『負けるなよーヴェガスクライー! 地元の強さを教えてやれー!』」
アーモンドアイ。日本からの挑戦者が、なんとヴェガスクライを押さえての1番人気に支持されていた。新時代の到来、最強女王を負かすなら彼女しかいない、彼女なら勝てるかもしれない。そんな期待が、人気に出ていた。
気にしていない風を装っているも、ヴェガスクライの纏う雰囲気には怒気が見えた。まさか、国外からやってきたウマ娘に1番人気を取られるとは思わなかったのだろう。レースに勝てばいいというのは本心だが、それはそれとして悔しい気持ちを吐き出さずにはいられない。
ただ、あくまで頭は冷静に。アーモンドアイを余すことなく観察し、ぱっと見のデータを測る。
(……驚いた。最後に見たのは香港スプリントの映像だけど、あの時よりもさらに成長している。とりわけ、スピードが)
「『凄いね、純粋に。2、3ヶ月ほどの期間で、これほどの成長を遂げているなんて』」
すぐに感じ取った。自分達が集めたレース映像は過去のものでしかない。現在の彼女は、過去よりもはるかに成長していると。油断していれば喰われる、1番人気を取るのもまぁギリギリ納得する。それだけ強くなってきた。
(アーモンドアイと走ったウマ娘は、例外なくインタビューでこう答える。彼女は、1つのレースごとに規格外の成長を遂げてくると)
「『コンストリブルを倒したのはまぐれじゃない、ってこと。分かってたけど、改めて理解したよ』」
人によっては恐れているように聞こえる言葉だが、違う。ヴェガスクライにあるのは素直な称賛だ。
ここまで育て上げたこと、自らを打倒するために努力を積み上げてきたこと、最強の女王と呼ばれる自分に臆することなく挑んできたこと。それら全てを称賛し、心から敬服している。
そう、だからこそ。
「『安心した。本気で私に勝ちに来てるんだね。なら私は──あなたを全力で叩き潰すことができる』」
本気を出す意味があると。ヴェガスクライは1番人気を取れなかった怒気を塗り替えるほどの闘志を、楽しみで堪らないという感情を吐き出す。その顔は、笑顔だった。
自分の判断は間違いではなかった。アーモンドアイを倒さなければ、世界最強の女王として君臨することは出来ない。そう考えた自分は間違いではなかった。今までの戦いの中でも最上位クラスの勝負になると予感し、ヴェガスクライは尻尾を機嫌良く揺らす。レースが始まるその瞬間を待ちきれずにいた。
その様子は観客にも伝わる。
「お、おいっ。『ヴェガスクライが笑ってるぜ』」
「『えぇ、久しぶりに見たわ。あんなに楽しそうな彼女の表情』」
「『こりゃ、とんでもねぇレースになるぜっ』」
何かが起こる。ヴェガスクライの笑みは、そう思わせるには十分すぎる情報だった。
だが、これだけで終わらなかった。
「『ヴェガスクライさん』」
なんと、ウォーミングアップを終えたアーモンドアイがヴェガスクライを真っ直ぐに見据えていたのだ。
笑みを浮かべるヴェガスクライに、同じように笑みで返すアーモンドアイ。2人の最強が対峙し、ランドウィックレース場の空気が震える。
アーモンドアイは、ただ一言。
「『勝つのはこのアーモンドアイよ!』」
そう、宣言した。ヴェガスクライに対して、現在30連勝という常識外の記録を保持するウマ娘に。
その瞳から感じ取れるのは揺らがない自信。自分の勝利を微塵も疑わない、あまりにも堂々とした佇まい。
ヴェガスクライは──さらに笑みを深めた。
「『そうじゃないと困る。潰し甲斐がないから』」
間違いなく楽しいレースになる。否、自分が楽しいレースにする。そう誓って。
2人の対峙に観客は大盛り上がりを見せたが、レース出走の時が近づいてきていた。係員の誘導でウマ娘達はゲートへと向かい、戦場という名のターフを走る準備を整える。
《ついにこの日がやってきました。ランドウィックレース場芝1600m、チッピングノートンステークス。天候は晴れ模様、芝の状態は良バ場での開催となりました。なんといってもこの戦い、注目すべきはヴェガスクライとアーモンドアイの2人でしょう》
《間違いないね。この2人の戦いを見たいがために、世界中からファンが集まっているんだ。凱旋門賞に続く世紀の一戦、これを現地で見れる嬉しさを噛みしめないと!》
《1番人気はアーモンドアイ、この評価には不満が残る2番人気ヴェガスクライ。オーストラリアの最強女王と欧州の最強女王、勝った方が世界最強の女王の名を手にすることができます。さぁ、順調にゲート入りが進んでいます》
1人、また1人とゲートに入り。最後のウマ娘がゲートに入った。徐々に声を潜めていった観客も最終的に無言になる。
緊張の一瞬。その緊張を解くように──ゲートが開いた。
《最後のウマ娘がゲートに入って、スタートしましたっ。始まりましたチッピングノートンステークス、先手を奪うのはどのウマ娘かっと! これは!》
《はは、序盤から盛り上げてくれるね女王様! これは、最高に熱い勝負になるよ!》
《綺麗なスタートを切ったアーモンドアイ、アーモンドアイが先頭を奪うかというところ! しかし内から競りかけてきたヴェガスクライ! ヴェガスクライがアーモンドアイに競り合う!》
開いて、堰を切ったように歓声を上げるファンの目に飛び込んできたのは、声を上げざるを得ない状況。
「最初からいきなり飛ばしていくのかよ! これ、どうなっちまうんだ!?」
「『いいじゃない、マッチレースにならないよう頑張ってー!』」
綺麗なスタートで先頭に立ったアーモンドアイに対し、内から競りかけるヴェガスクライ。短距離王国と呼ばれるオーストラリアの女王、その瞬発力をいかんなく発揮して、アーモンドアイに並びかけた。
序盤から競り合う形になる上位人気の2人。アーモンドアイは一瞬退こうかと考え、下がる構えを見せたが。
(ッ!)
それが悪手と悟り、競りかける形を続けた。表情は苦々し気であり、あまり取りたくない状況というのが見て取れる。
《ヴェガスクライとアーモンドアイ、2人が競りかける形で先頭を走ります。後続の6人は2人の競り合いを見る形で控えました。固まった集団で動いています、後ろの6人。それにしても、これはマッチレースの形になりましたね!》
《うん! それも、上位人気2人、さらには世界最強の座をかけて戦っている2人なんだ。盛り上がらないはずがないよ!》
《競りかけるヴェガスクライ、負けじと競るアーモンドアイ! 序盤から2人のマッチレース、このレースを制してこそ最強女王に相応しい! そう言わんばかりの走りを見せる2人だ!》
結果、先頭の2人と残り6人の集団という形でレースが展開される。2コーナーの奥にあるシュートからスタートするチッピングノートンステークス。序盤からマッチレースの様相を呈していた。
観客は当然のように盛り上がる。マッチレースというのは盛り上がる上に、それが前評判で凄まじい人気を誇っていたならなおさら、加わるようにレース前からバチバチに睨み合っていた陣営だ。これで盛り上がらなければ嘘だ。
大歓声に包まれるランドウィックレース場。最初からクライマックスと言わんばかりに、応援の声が飛んでいた。
そんなファンの盛り上がりとは裏腹に、先頭を走る2人は至って冷静。苦々しい表情をするアーモンドアイに、余裕綽々のヴェガスクライ。2人は、対称的な表情を浮かべている。
「『好きなように小細工をしても構わない。もっとも、この状況で策を弄することができれば、の話だけど』」
「『熱い勝負の依頼ね。負けないわ!』」
「『威勢が良いね。叩き甲斐がある』」
マッチレースに持ち込んだのはヴェガスクライ側。理由は至ってシンプルだ。
「『貴方も好きなように走っていいのよ? わたしは全部乗り越えてみせる!』」
「『それは、私にも策を弄しろと? 何故、そんなことをする必要があるの?』」
ヴェガスクライには他のウマ娘を攪乱する必要はないから。それだけの理由に尽きる。
「『私は最強の女王。策なんて使わなくても私は強いし、策に頼ればもっと強い。たったそれだけ』」
「『大層なっ、自信ね!』」
「『当然。私はヴェガスクライ。オーストラリアに君臨する、世界最強の女王。あなた相手に、策は必要ない。ううん、策なんて使う意味がない』」
圧倒的な圧でアーモンドアイにプレッシャーをかける。並のウマ娘ならば圧し潰されるようなプレッシャーを。
「『この状況で、小細工できるもんならしてみるといい。私はその全てを粉砕し──あなたを下す。私が頂点に立つ』」
傲慢不遜に、女王はただ対峙するのみ。他者の走りを、自らを崩そうとする策を、真っ向から全てねじ伏せる。そうしてこその女王だと言わんばかりに、ヴェガスクライは走りで語る。
それに、アーモンドアイは。
「『上等よッ! 真っ向勝負でもアイは強いってこと、教えてあげるわ!』」
臆することなく答えた。あくまでも勝つのは自分、どんな勝負の土俵だろうと勝ってみせると。そう言い切った。
ヴェガスクライは笑う。自分に立ち向かうウマ娘の姿に、なにがなんでも勝ちをもぎ取ろうとする姿勢に、これまで見たこともないような闘志に。笑みを隠し切ることができなかった。
「っ、『あなたは本当に、最高のウマ娘だねッッ!!』」
「『さぁ、勝負といきましょうか! どちらがよりバクシンできるかの勝負よッ!』」
「『やってみろ!』」
序盤から激しいマッチレース。2人のウマ娘は決して譲らない。考えることはただ1つ、隣のウマ娘を競り落とすことのみ。