アイの本格的なトレーニングを始めて数週間ほど。そろそろメイクデビューに向けて、海外の方に渡らないといけないな、なんて考えつつ練習に励む彼女達を見る。
「最後の最後まで思考を怠らないようにしたまえ。走れば頭に回すリソースが少なくなり、少なくなれば油断や隙を生み、致命的なミスを犯してしまう」
「だからこそ、最後まで集中し続けることが大事、よね?」
「ま~実際にレースの最初から最後まで集中し続けることは不可能に近いだろう。だからこそ、勝負所では思考を止めないように」
今日はタキオンの特別指導。タキオンが独自に展開しているレース理論、その講義をアイは受けている。フォーエバーヤングと一緒に。
フォーエバーヤングが受けている理由は単純で、興味深そうにしていたから。興味があるなら一緒に受ける? と提案して、彼女は喜んで受けに行った。
(タキオンの直接講義は貴重、なんて言ってたな。あまりこういうことはやらないし、興味は出てくるか)
先生となる相手がかつて世界の頂点を獲ったウマ娘、さらには海外で結果を残したウマ娘ならば尚更か。フォーエバーヤングにとって、これほどの教師はいないのかもしれない。
「後はメンタル面について語ろうと思っていたんだが……まぁアイ君なら大丈夫だろう。君がメンタル的に負ける姿が想像できない」
「よく分かってるじゃない。わたしは常に勝つビジョンしか見えていないわ!」
「私達に負けては半べそかいてるのによく言うねぇ」
「う、うるさいわよ! いつか必ず勝つから、その途中なだけだから!」
なんにせよ、アイのトレーニングは全てが順調だ。ステータス的にはまだまだ大きな差異はないけれど、この伸びを考えると。
「向こうのメイクデビューでも問題なくこなせるだろうね、うん」
アイが走る予定のメイクデビューも抑えてある。デビュー自体は日本でする予定だけど、その後はすぐに欧州へ。向こうの条件戦を走って、ジュニア級G1への足掛かりにする。
問題は、日程的にちょっと詰めないといけないところか。アイには我慢してもらうことになるな。
(今の内にケアに磨きをかけておかないと。リラクゼーション系の本とか、アロマ関連はタキオンに調達してもらうとして)
「マッサージに湯治……いや、海外で湯治は少しキツいものがあるな。ならそれに代わるものを」
「高村トレーナー超集中してんじゃん。おーい、もうタキオンの講義終わっちゃったよ~?」
フォーエバーヤングの声で現実に引き戻される。どうも特別指導が終わったらしい。全然気づかなかったな。
(メイクデビュー後のあれこれは、帰ってから考えればいい。今はとにかく、アイの身体能力強化だ)
「ありがとう、フォーエバーヤング。それじゃあアイ、次の内容は覚えてる?」
「勿論よ。フィットネスバイクでしょ?」
「そう。すぐにジムの方に行こうか」
今のところは順調。ただし油断はできない。どんな不測の事態にも対応できるように、気を配っておく必要がある。
「それとアイ。身体に異常があったらすぐに報告すること。氷嚢も用意してあるし、すぐに冷やさないといけないから」
特にアイは体質的に熱がこもりやすいらしく、練習のし過ぎで熱を出すこともあった。
他の子と併走した時もそうだ。フラフラになることもあって、すぐにでも身体を休めなければいけない時がある。体質的にそんなに強いわけではない。
これに関しては仕方がない。持って生まれたもの、改善のしようがないものだ。対策は出来ても、完全になくすことは出来ない。どうしようもないもの。
(ただ、対策はできる。その対策を怠らないようにすれば、アイはケガや病気をせずに走り抜くことができる)
用意してある氷嚢もその一環。彼女の身体を1秒でも早く冷やせるように、クーラーボックスにたくさん準備してある。
無事に走り抜くために。これくらいは当然のことだ。
……だけど、アイはどこか不満げな表情で僕を見ている。な、なにかしてしまったか?
「そ、その。なんでそんな顔をするのかな、アイ? 気に障ったのなら謝るけど」
謝罪の態勢に入るが、どうも違うらしく。
「……わたしが報告する前に、トレーナーの方が先に気づいちゃうじゃない。すぐに氷嚢持ってきて」
「まぁ、そりゃあね。ちゃんと君を見ているし」
「~~~っ、悔しい! トレーナーの方がわたしの限界をよく分かってるのって、とっても負けた気分!」
えぇ? もしかして不機嫌な理由は、それだろうか? だとしたら、負けず嫌いがどうこうなんてレベルじゃない気がするんだけど。
そもそも運動をしていたら気づかないことなんてままあるし、外から見てる方が気づきやすいなんてこともある。アイは熱中しやすいタイプだし、外から見ている僕の方が身体の異常には気づきやすいだろう。
(けど、ここにまで対抗心を燃やさなくても。そもそも勝ち負けの概念なんてないでしょ、これは)
「アイは相変わらず負けず嫌いだね~。このメンタルの強さが、アイのストロングポイント、でしょ? 高村トレーナー」
「……そうだね。良いか悪いかはこの際置いといて、間違いなく強みになる部分だよ」
フォーエバーヤングも思わず苦笑いしている。対抗心を燃やしているとは思わなかったのだろう。なんなら今地団駄を踏んで悔しがってるくらいだし。
「でも、今日は負けないわ! わたしの方が限界をよく分かってるって、トレーナーに証明してあげる!」
「まぁ、うん、なんだろう。頑張ってね?」
「高村トレーナーの困惑顔。これはレア度高いっしょ。そこんとこどう? ブラック」
「あはは……確かにレアかも」
フォーエバーヤングとキタサンがなにか言ってるけど、アイはずんずん進んでフィットネスバイクの機器へ。なんだかんだありつつもトレーニングの始まりだ。
アイのトレーニングを見よう。フォーエバーヤングには補助をしてもらおう、なんて考えていたら、部屋からバキィ! という、何かが壊れる音が聞こえた。
「あら」
音のした方へ振り向くと、きょとん顔のジェンティルと見るも無残に壊れたアームバーが転がっていた。ちなみにあれは私物で学園の備品じゃない。問題だけど問題はない。
これも随分と懐かしいな。とりあえず、アイの視界に映ってないようでなによりだよ。絶対に対抗心を燃やすから。
「また壊れてしまったわね。新しいのを買い直さないといけませんわ」
「それなら大丈夫。新しいのを補充してあるから、後で部室に取りに行こう」
「悪いわね。それにしても、随分と用意が早くなったことで」
「慣れたからね」
ジェンティルと一緒に、アームバーの残骸を片付けていると、音を聞きつけてやってきただろうフォーエバーヤングがヒュウ、と口笛を吹いた。
「相変わらずジェンティルのパワーは凄いね~。強度マックスのアームバーでもクラッシュするなんて。良いとこ紹介してあげよっか?」
「ご心配なく。我が家の伝手がありますので」
「アッハハ! でも、興味があったら連絡してよ。いつでも紹介するからさ」
驚いてない、か。それもそうか。ジェンティルのパワーは有名だし、聞いたこともあるだろう。今更気にする要素でもない。
「片付け終わったら、アイの方に向かおうか。フォーエバーヤングには手伝いもしてほしいし」
「オッケー。そういう契約だしね。もち、アタシにできることならなんでも協力するよ」
バイクを必死に漕いでいるアイにあれこれ指示を出しながら、フォーエバーヤングにはサポートについてもらう。
「さぁて、シナジー盛ってこ!」
「アイ、ペースを上げすぎ。もう少しペースを落としてね」
「わ、分かったっ、わっ!」
他のメンバーも当然、サポートについている。同じようにバイクを漕いで闘争心を煽ったり、程よいリズムを刻むように促していたりと様々だ。
いわば1つのトレーニングに全員が集まっている状態。そんなトレーニングをずっとしているわけ、なんだけど。
(大分ヤバいな、やってること。アプリでそんなことやれたら、とんでもない数値を叩き出せそうだ)
実際にはステの獲得上限があるから、そうそう上手くはいかないだろうけど。でもアイのトレーニングは最高効率で進めることができるのは確かだ。
今のところ問題はない。けど、あくまでも慎重に。大事に気を付けていかないと。慎重すぎるくらいがちょうどいいから。
「アイ、またペースが上がってるよ。一定のペースで動かすことを意識して」
「キタサンにも、ドゥラにも負けていられないわ~っ!」
「クールダウン、頭をクールダウンしなってアイ。ブラックもドゥラもアイとペース変わんないって」
……こっちが慎重にならないと、アイがどこまでもヒートアップするから。絶対に目を離したらいけないな、これ。戦う相手が身近にいるのも考えものだ。
◇
それからまたしばらく経って。ミーティアのトレーニングを終えたある日のこと。
「失礼しま~すっと。あ、やっぱりいた」
「どうしたのかな? フォーエバーヤング」
日が沈み切る前。フォーエバーヤングがトレーナー室を訪れた。どうも僕に用があるらしく、すぐにこちらへと駆け寄ってくる。
その時に僕が書いているノートが目に入ったのか、目を見開いていた。
「うっは~。それって、アイのトレーニングに関してですか? めっちゃ細かくびっしり書いてますけど」
「そうだね。今のアイの状況を鑑みて、どの分野を鍛えればいいか、次にどのトレーニングをすればいいか、またどれだけ強度を上げたらいいかをまとめてるんだ」
前々から習慣にしているものだ。一日のまとめとして、トレーニングを更新してもいいか否かを考える。そのデータを1週間でまとめて、レベルアップできそうならレベルアップを、現状維持なら現状維持と判断。いろいろと細分化して、アイのトレーニングをどうするかを決めている。
フォーエバーヤングにはこれが意外だったようで、口を開けて固まっていた。
「それって、1週間ごとにデータをアップデートしてるってことっしょ? いや、すっごいね、本当」
「そうかな? 正直慣れたら簡単だよ」
「少なくとも作業量的に簡単じゃないのは分かるかな」
呆れた視線を向けられる。なんだろう、この話をしたらみんな同じような顔をするんだけど。そんなにかな? あんまり苦にしたことないし、みんなやってることだと思うんだけど。
気づけば椅子を持ってきて対面に座るフォーエバーヤング。そういえば用は何だろうか?
「そういえば、どんな用事できたの? 僕を探していたみたいだけど」
「あ、そうだったそうだった。この前の件、向こうの日程押さえたから高村トレーナーに報告しようと思ってね」
「……アレか」
最初の日、フォーエバーヤングから紹介されることになった企業の方との面会の事か。できれば夢であってほしかったけど、夢じゃなかったみたいだ。
にしても、親の人脈とはいえ学生でそれだけのことができるなんて。
「君は凄いね。学生の身で、企業の代表にも迷わず突っ込んでいけるなんて」
「そう? これ! って決めたなら今動かなきゃ。ビジネスは即断即決、素早く動くのが大事、だからね。そのマインドでいたら、自然と体は動くよ」
「それができるのが凄いってことなんだけどね」
「それは高村トレーナーも一緒でしょ~」
彼女は笑う。八重歯がきらりと輝いていた。
用事はそれだけだったみたいで、すぐに彼女は立ち上がって椅子を片した。
「それじゃ、明日もまたよろしくね高村トレーナー」
「うん、明日もよろしく、フォーエバーヤング」
手をひらひらさせて去っていく彼女。機嫌良さそうに耳と尻尾が動いていた。今の間に何か良いことでもあっただろうか?
「……考えても分からないし、データをまとめるか。たづなさんが来る前に」
まだ遠いとはいえ、気づけばすぐに来るのがメイクデビュー。将来のためにも、頑張るとしよう。
メイクデビューもそろそろ。