劇的な幕切れ。そう呼ぶに相応しいアスコットのゴールドカップ。観客は呆気に取られ、目の前の光景を受け入れるのに時間が掛かっていた。
誰も言葉を発しない。大口を開けるだけで、喜びも怒りも悲しみもない。ただ呆然と眺めるのみ。
結果は変わらない。勝者は天高く指を掲げ、宣言する。
「『言ったでしょう? アイは負けない。アーモンドアイに、負けはないわッッ!!』」
人々はようやく正気を取り戻し。勝者を祝福するように拍手を送る。アスコットレース場が今日一番の、いや、ロイヤルミーティング一番の喝采に包まれていた。
《なんという幕切れ! あまりにも鮮やかな逆転劇! たった1ハロン、たった200mで全てをひっくり返したアーモンドアイ! これが世界最強女王の強さだ、ついに長距離も制して、世界を統一した女王として君臨する! どの距離でも隙はない! 今世代の最強に、距離などという概念は意味をなさない! 全ての距離で、全てのバ場で! 世界の頂点に君臨したアーモンドアイだぁぁぁ!》
実況も興奮、解説もアーモンドアイの凄さを語っており、熱くなっているのがマイク越しに分かる。ゴールドカップの決着に、世界中が沸き上がっていた。
その中で。
「『何故だ!? どうして、どうして最後にあれだけの末脚を残せていたッ!?』」
プライベートベーリング並びに、アーモンドアイ以外の出走者は全員、納得できない部分があった。最後の直線における攻防である。
「『先頭で走り続けて、スタミナなんて残ってなかったはず! なのにどうして、あんなに鋭い末脚が発揮できたんだ!』」
アーモンドアイにスタミナなんて残っていなかった。最後の直線を迎えるまでもなく、後方へと落ちていった景色を見ていた。
300mでスタミナを回復した? 無理に等しい。たった300mで残り200mを全力疾走するほど回復するなんて、非科学的だ。そもそも、集団からそこまで離れていたわけでもない。余計に回復するはずがなかった。
何故、どうして。疑問が尽きないプライベートベーリング達。一緒に走ったからこそ分かる、アーモンドアイの異常性。答えが分からなかった。
決着が着いたターフを観客席から眺めるミーティアのメンバー。プライベートベーリング達がアーモンドアイと対峙しているのを横目に。
「ではイクイ君、ヤング君。どうしてアイ君があれだけの末脚を発揮できたのか……その理由を説明してもらおうか?」
後進のウマ娘達に授業をしていた。アーモンドアイの勝利を祝福した後、早速とばかりに始まる。周りの観客もこっそりと聞き耳を立てていた。
議題である最後の直線の攻防。最初に口を開いたのは……イクイノックス。
「おそらくですが、アイさんはそもそも幻惑逃げをしていなかったんだと思います」
導き出した結論は、幻惑逃げで走っていなかった、というもの。思わずひっくり返ってしまうような情報だ。
いや待て。それはおかしいだろう。あの逃げは間違いなく幻惑逃げだ。証明するように序盤から大量のリードを稼ごうとしていたはずだ。それを看破されたんじゃなかったのか。周りはそう思う。
しかし、イクイノックスはそう思っていない。自らの自論をアグネスタキオンに披露する。
「先頭に立って逃げていた。アイさん程の実力者が早い段階で差を広げようと動いていた。この行動にまず、疑問が生まれます」
ゴールドカップの序盤の展開。2番手以下との差を広げるように動き、プライベートベーリングがつられた最初の攻防。作戦が看破された、痛手を負った場面だ。
「2番手以下は何故、と思うでしょう。頭に浮かぶ考えとしては、主に3つ考えられます」
「ハイペースにすること、大逃げかますこと、そんで幻惑逃げ、ってとこっしょ? イクイ」
「はい。ヤングさんの言った3つが、逃げる相手に考えられる作戦。プライベートベーリングさん達が目をつけたのは幻惑逃げ。欧州では馴染みのない走りです」
「ポピュラーじゃない、ってとこがミソだね。相手にプレコンセプション*1を与えられる」
自論に加わるフォーエバーヤング。同じ考えらしく、しきりにうんうん頷いていた。
幻惑逃げは序盤で大量リードを稼ぐのを目的としている。プライベートベーリングはそれを知っていたからこそ、リードを奪わせないために差を詰めた。勝利を渡さないために。
しかし、幻惑逃げという前提がそもそも間違っていたのだとしたら?
「アイさんは先頭に立って走ることがままありました。それもあり、余計に幻惑逃げだと思い込んでしまった」
「プレコンセプションは怖いもんね~。最初にこう! って思ったら、中々チェンジすることができないもん」
力関係が逆転する。アーモンドアイの不利ではなく、アーモンドアイの有利に変わる。どのような狙いがあろうと、看破したはずの作戦が間違っていたのだ。情報戦において圧倒的優位に立てる。
「ついていったのは一人。一人だけだったらまだ問題はなかった。ただの一人だったら、暴走だろうで片づけられていた可能性がありました」
「け・ど~? よりにもよってその一人が」
指を宙にさ迷わせ、とあるウマ娘へとむけるフォーエバーヤング。その相手は──プライベートベーリング。
「プライベートベーリングさんがついていった。これがレースの展開を決定づかせる一打でした」
「欧州最強のステイヤー。そんな相手がマンマークしてんだもん。そりゃ、後ろの子達もついていくよね~。何かあった時が怖いし」
レースの2番人気かつ前回覇者。そんな相手がマークするとなれば、警戒するのが当然。何らかの意図があり、後ろで控えていたらまずいと察するには十分すぎる内容だ。
後続もついていく。アーモンドアイは追いつかれまいとペースを上げる。そのペースで後続も走る。いや、追いつくためにアーモンドアイ以上の速度で走る。
待ち受けているのは、早いペースで流れる展開だ。
そうなると誰が得をするのか? 答えは、誰によってその展開がもたらされたのか、が指し示している。
「アイをフリーにさせないように動く他の子達。そこがすでに、アイのトラップの中ってことかな?」
「はい。ここでアイさんの本当の狙いについての回答、いいでしょうか?」
「勿論いいとも。君達が出した結論はなんだい?」
息を吸う。2人の答えは、一致していた。
「アイが狙っていたのはハイペース、でしょ?」
「アイさんはハイペースの展開を狙っていたに他なりません」
アーモンドアイ自身が、ハイペースで流れることを望んでいた。だからこそ、先頭に立って逃げ、暴走に近いペースを生み出した。周りを警戒させるように動き、自分についてこさせるために。
全てはそう、アーモンドアイの狙い通りだった。プライベートベーリングが簡単な策と切って捨てたものこそが、真の狙いだった。
今回のゴールドカップはハイペースで流れた。稍重というバ場を考慮すると異常なハイペース。走破タイムが4分20秒台ということからもそれが伺える。良バ場で出すような平均タイムを、稍重のバ場で出したのだ。平均的なラップタイムがかなり早いことは想像に難くない。
スタミナが残るはずがない。現に最後の直線では、アーモンドアイを除く全員が失速していた。走り切るだけで精いっぱいだったのである。
「スタミナ勝負なら相手の方に分がある。そう考えたアイさんはまず、スタミナを削ることを第一に考えました」
「今日のバ場のコンディション、スタミナを削るのにオプティマル*2なメソッド。全部考えられてたね~」
「おそらくですが、アイさんが沈んでいったように錯覚したのは、周りがいつものようにロングスパートを仕掛けたからではないでしょうか? アイさんはまだスパートをかけていない……必然、順位は落ちていく」
「いつもよりコンサムプション*3してるのに、いつもみたいにロングスパートしたらそりゃ脚色をキープできないよねって。アイがそうさせなかったんだけど」
道中も早く、最後も早く駆け抜ける。ゴールドカップは長丁場なのに、ぶっ飛ばして逃げていたのだ。残るものも残らない。
集ったウマ娘は例外なくステイヤー傾向のウマ娘。長い時間末脚を発揮することを得意としている。いつも通りなら保っただろう。いつも通りならば。
今回のペースは普通から逸脱している。いや、逸脱させられた。最後に発揮するだけの脚を残すことができなかった。全てはアーモンドアイによって破綻したのだ。
では、どうやってアーモンドアイがスタミナを残したのか。これもまたシンプルだ。道中は最小限のスタミナを残して調整、ロングスパートなんてせずに、残り200mで仕掛けただけ。全力で走る距離が短い分、体力に余裕を保たせることができる。
確かにスタミナは周りより劣っているかもしれないが、適宜息を入れて道中のペースを調整すれば問題はない。周りからプレッシャーをかけられようとも、動じなければいいだけの話だ。
問題はペースを維持するのがキツいほどのマークを受けていたことなのだが……普段のトレーニング相手が相手なので、まるで問題なしとばかりに走れていたのが実情。乱されたように見えていたが、実のところ全くと言っていいほど揺さぶられていなかった。
周りがスパートをかける中で、ただ一人だけスパートをかけずに走り続けていた。最後の末脚を残していたのである。
「思い返せば、かなり狡猾ですね。私も最初は幻惑逃げだと思いましたし」
「あ、それマジ分かる! でもアイって逃げ出来ないよね~って考えたらさ、ハイペースに持ち込もうとしてるって思わなかった?」
「はい。本命の策を隠し通し、ブラフで相手を騙し切った。見事という他ないでしょう」
「し・か・も~? 自分のパワーはちゃっかり残してるわけだからね。う~ん、アメイジング!」
周りに乱されることなく、自分の力を残していた。本命の作戦を周りに悟られることなく遂行した。
「幻惑逃げという走りでカモフラージュ。本当の狙いはハイペースでレースを動かすことにあった。自分のスタミナをできる限り残しながら、道中のペースをアジャストメント*4してた。そういうことっしょ? タキオン」
「私もヤングさんと同じ答えです。いかがでしょうか?」
あまりにも見事なレース運び、驚嘆する内容。それが、イクイノックス達が出した結論である。
それに対し、アグネスタキオンは。
「……クックック」
笑う。合っていることを示すように、愉快で仕方ないとばかりに。
「ハーッハッハッハ! めでたく100点満点だよ2人とも! そうとも、アイ君は二重の策を用意していたというわけだ!」
「その策というのもまた、お見事ですわね。私も一瞬、幻惑逃げと騙されそうになりました」
「あぁ。似たような動きをすることで、最後まで相手を騙し切った。アイの作戦勝ちだ」
周りも同意するように頷く。2人の答えは合っていた。
「我々さえも欺く狡猾な罠。はてさて、一体全体誰が仕込んだんだろうねぇ?」
ニヤニヤと笑うアグネスタキオン。
「見当もつきませんわ。そんな怖い策を思いつくだなんて」
同じように笑うジェンティルドンナ。2人の視線の先にいたのは……ジト目のホッコータルマエである。
2人のニヤニヤした視線を一身に受けるホッコータルマエ。
「なんですかなんですかそんなに私を見てえーそうですよ私ですよどうせ私ですよ! 悪かったですね怖い怖い魔王様で!」
「……そんなに拗ねないでタルマエ。タキオンとジェンティルも、あまり揶揄わないであげて」
「これは失礼。だが、タルマエ君の教えがあるからこそゴールドカップの勝利があった。やはり、君の策は素晴らしいねぇ!」
「これでも褒めてますのよ? 事実、貴方の教えでアイさんはゴールドカップを勝ちました。もっと誇ってもよろしいと思いますわ」
「素直に褒められたら褒められたで気味が悪いですね」
「どういう意味かしら?」
チーム間の仲も良好のようである。
余談だが、プライベートベーリングもアーモンドアイから同じようなことを教えられたのだろう。幻惑逃げはブラフであり、ハイペースの展開に持ち込むことが狙いであったことを。教えられて、全員が合点のいった表情をしていた。
「『クソ~、騙された! 幻惑逃げだと思ってたのに~!』」
「ふふん。『わたしはずっと成長しているの。上手くいったみたいで何よりだわ!』」
勝ち誇るアーモンドアイ。そして、またも宣言する。
「『また走りましょう! わたしは何時だって挑戦を受ける。そして、勝つから!』」
また一緒に走ろうと、清々しいほど真っ直ぐに言い放った。何度も戦ってくれると、微塵も疑ってない目で。
さすがのプライベートベーリング達も呆れ顔である。今しがた負かした相手に対して、とんでもないことを言ってくれるなと。
決して口には出さず、苦笑いを浮かべて対応する。
「『また機会があればね。あ~あ、連続で達成するつもりだったのに、これでもうおじゃんだよおじゃん』」
「『そう? いつでも挑めばいいじゃない』」
「『そう簡単に割り切れるもんじゃないよ』」
握手を交わして健闘を称える。アスコットレース場全体に拍手の音が響いていた。
アスコットゴールドカップ勝者・アーモンドアイ。連勝を17に伸ばす。次走は──ジュライカップ。そして、キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス。
アイのやったことをシンプルにまとめると
序盤でかっ飛ばしたように見せかける(幻惑逃げにカモフラージュさせるため)
ついてきたらペースを調整。苦しそうに見えたけど別にそんなことはない
他がロングスパートする中一人だけいつものペースで
最後の200mで末脚発揮。失速する他メンバーを躱して先頭ゴールイン
こんな感じ。ちなみに勝ち筋はついていかないことです。ハイペースにしたら思う壺なのでね。