周りの歓声が凄い。悲鳴のような大声が東京レース場に響き渡っている。レースの決着に、会場中が盛り上がっていた。
今日のメインレース、ジャパンカップ。誇張なしに世界中から強豪が集まったこのレース、勝ったのは……アイ。世界最強の女王と呼ばれる彼女が勝った。それも、芝2400mのワールドレコードを更新する決着。盛り上がらない方がおかしいだろう。僕だって手を固く握って、拳を作っている。
それだけじゃない。アイは道中不利を被り続けていた。ヴェガスクライがずっと競り合っていたし、息を吐く暇すらないようなレースを展開させられた。
コンストリブルも外から併せ、抜け出せないようにする。後ろにはラッキーライラックにブラストワンピース、先行集団全員から囲まれていた。正直な話、潰されていても全くおかしくない状況だった。
でも、不思議と不安はなかった。アイならば抜け出せる、アイならあの状況でも勝てる。そう信じていたから。
「いやはや、あそこまで囲まれて抜け出すとは。なんとも恐ろしい末脚だ」
「タキオンさんも似たようなことやってた気がするんですけど~……あ、あたしの気のせい?」
「おいおいキタ君。私の時とは状況が違うよ。その上で比較した場合、アイ君の方が苦しかっただろう。私の方がより博打的だったが」
愉快そうに眺めているタキオン。タキオンも確かに似たようなことはやっていた。囲まれた状況から抜け出して、最後の直線だけで逆転したレースを。
とはいえ、タキオンが取ったのは一度後ろに下がることだ。アイは逆に、前へと進んでいる。状況の違いはあるけど、苦しいのはアイの方だろう。消耗戦を仕掛けられているわけだから。
「しかし、宣言通りのワールドレコード、ですか。ほほほ……本当に面白い子ですわ」
「えぇッ! 大変模範的な走りであったかとッ! いよっ、アイさん世界一ッ!」
「二度競り合いを挑まれて、二度とも勝った。それも、あまり得意ではない消耗戦でだ。もはや、消耗戦が苦手とは言えないな」
「苦手克服しちゃってますね。相変わらずとんでもない才能です」
ジェンティル達も笑顔。いや、彼女達の笑顔は、来月の勝負が楽しみだとかそんな感じの笑顔だ。多分祝福的な笑顔じゃないね、これは。バクシンオーだけは祝福の笑顔だけど。
当のアイはというと、膝をつかずにしっかりと立っている。あれだけの疾走をしていたのに、無事に立っているのは本当に凄い。
一瞬だけ視線が合う。にっこりと笑った後、アイは観客席を見渡して。
「アーモンドアイに、負けはないわッッ!!」
いつもの決め台詞を、観客に向かって言い放った。一瞬の沈黙の後、割れんばかりの大歓声が支配する。下手したら鼓膜が破れてしまいそうな、凄い大声だ。
決め台詞、だけで終わるわけなく。歓声が静まり返ったタイミングでアイが口を開く。
「赤く光るレコードの文字が見えるかしら? アレはレコードの証。わたしは、世界一速く芝の2400mを駆け抜けた」
レコードを誇っている? いや、そんな意図はないはずだ。そもそもアイはそういう子じゃない。記録とかに頓着するような、そんな子ではない。
じゃあどうして? なんて疑問に思っていると。
「じゃあ芝2400mにおいて最強は──アーモンドアイ、ってことよね?」
……あ、あー、うん。そういうことか。なんとなく意図が読めてきたぞ。というか、読めなくても周りの空気で大体察することができるね、これは。
だって歪んでるんだもの。僕の周りが、とても凄いことになっている。ぎゅうぎゅう詰めだったはずなのに、僕達がいるところだけ避けられているような感じがするね。アイの言葉で、僕らの周りに人がいなくなった感じがするね。
アイの言葉はファンに向けられたものじゃない。だって、アイはファンに対してはとても丁寧な口調で喋るから。あんなにフランクには話さない。
なら、どうしてあんなにフランクなのか? 決まっている。ファンに向かって言ってるわけじゃないからだ。
じゃあ誰に言っているのか? そんなもの、アイの視線を見れば分かる。ずっとこっちを向いているんだから。僕らの方を向いているんだから嫌でも分かる。
「アイさん、まさかっ」
「いやいや~、とんでもないことになってるね~」
イクイとヤン子も冷や汗をかいている。アイがやろうとしていることに、今の僕らの周りの状況に。どことなく焦っているように見える。
アイは止まらない。なんなら笑顔で挑発している。
「どうかしら? このワールドレコードを手土産に、アイは貴方たちに挑むッ! そして、勝つわッ!」
《アーモンドアイの視線の先には! ミーティアのメンバーだ! 世界にその名を轟かせる、世界最強のチーム! 距離不問、バ場不問の怪物たちを前にして! アーモンドアイが挑発しているぞぉぉぉ!》
《これはとんだサプライズですね! 私、ドキドキしていますよ!》
あぁ、うん。ファンの人達も察しただろう。実況や解説の人がさっきから凄い。僕らのいるところに注目するように促しているし。
で、肝心のバクシンオー達だけど。
「ふふふ、うふふ! 本当に、本当に愉快な子っ! えぇ、ならば望み通り……捻り潰してあげるわッッ!!」
手に持った鉄球を砕くジェンティル。ちなみに周りに危害は出ていない。
「ククク……ハーッハッハッハ! いいだろう、君の挑戦を受けてたとう! 中距離という領分で私にケンカを売ったこと……後悔させてやろうじゃあないか!」
愉快でたまらないと笑うタキオン。
「はぁ……ま、出る杭を潰すのもチームの先輩の役目ですよね。そう楽には勝たせません。挑発にはそれ相応の御礼をします」
絶対零度の瞳で睨みつけるタルマエ。
「いいだろう。君の最強を発揮してぶつけてくるがいい。私は──君の最強を超えるだけだ」
静かに、それでいて荒々しい闘志を纏うドゥラ。
「アイちゃん燃え上がってるね! あたしも、アイちゃんと戦うのが楽しみだよ!」
いつもと変わらない、レースを楽しみにしているキタサン。
そして。
「いいでしょうッ! 後輩に胸を貸すのも私の役目ッ! 模範的な学級委員長は背中を見せて育てますッ! 私のバクシンをお見せしましょうッ!」
威風堂々とアイを迎え撃とうとしているバクシンオーだ。全員がやる気に満ち溢れている。おかげさまで周りから人がいなくなりそうなくらいには。
「みんな。テンションが上がるのは分かるけど落ち着いてね。周りの人たちがびっくりしていなくなっちゃったから」
「あら、ごめんなさい」
「少々昂りすぎたねぇ。とはいえ、なんとも面白い挑発だ……クックック」
「た、タキオンさん! 隠せてない、隠せてないです!」
いろいろとあったけどまぁいいか。ワールドレコードにアイの勝利、どっちもめでたいことだから。後の始末に関してはどうにかすればいいだろう。マスコミが絶対に騒ぎ立てるけど。
拍手をしてアイの勝利を祝福する。機嫌良さそうな笑顔が印象的だった。
「……今回のアイさんのレースは参考になる。いずれ来る私のデビュー戦、どのようなレース運びが最善なのか」
イクイは今回のレースを観て考え込んでいた。
◇
勝ち時計はレコードタイム。芝2400mを、わたしは世界最速で駆け抜けた。
正直な話、あんまり意識はしていなかった。わたしにとっての主目的は誰よりも早くトレーナーのところに帰ること。その結果が、ワールドレコードでの決着だった、ってところね。
でも、おかげでいいことができたわ。
(バクシンオーさん達のやる気をさらに引き上げられた。来月のレースは、全員が120%の全力で挑んでくるっ!)
元より手加減なんてする人たちじゃない。わたしと同じように、妥協を許さないタイプだから。どんなレースだろうと全力を尽くして挑んでくるのがチームのみんな。
そこにスパイスを加えた。よりやる気になるようなスパイスを、負けず嫌いなみんなだからこそとっても効く、最高のスパイスを!
(凄くやる気になっているのが分かったわ。当然よね。わたしだってやる気になるもの!)
わたしがされたらやる気が溢れることをみんなにも。その結果が、天を衝くような闘志の炎。ふふ、来月が楽しみね!
あ、そうだ。今の内に!
「ララ!」
「……どないしたんですか? アイさん。悪いけどあんまり構えんで?」
ララのところに急いで向かう。息も絶え絶えで、疲れているのが分かる。そんなララに、今だからこそ伝えたい。
「とても良い勝負だったわ! 一瞬たりとも気が抜けなかったし、ララやブラストの強さがよく分かった!」
「……はっ?」
「次も一緒に走りましょうっ! 勿論、次もわたしが勝つわっ!」
ララやみんながとっても強かったってことを。熱いこの気持ちを、胸がドキドキする気持ちを一秒でも早く伝えたかった。
ララは、よく分かってない顔をしているわね。なんでかしら?
「なに、言うてますの? アイさん」
「なにって、思ったことを言っただけよ? ララやみんなが強くて、楽しい勝負だったからまた走りましょうって。それだけ」
「……あぁ、そう」
なんでそんなに呆れた顔をするのよ! 普通に誰もが考えることじゃない! 強い相手と戦えたんだから、また戦いましょうって!
ララと話していると、コンストリブルさんとヴェガスクライさんも来て?
「『諦めなさい、日本の女王。貴方はよく知っているでしょうが、アーモンドアイさんはこういうお方です』」
「『割と普通のことじゃない? とりあえずアイ、次は香港で勝負ね。私香港マイルに出るからアイも香港マイルに』」
「いや一人同じ思考のヤツおるやんけ! アイさんと同じ考えのがおるわ! コンストリブルさーん! お味方1人裏切ってますよー!」
「アイー! 楽しい勝負だったなー!」
「しもうたブラストもアイさん側や!」
どういうことよ! そんなわたし側が異常みたいな言い方止めてくれるかしら!
まぁ、こんな感じのやり取りがあったけど、レース後は普通ね。
「アイさん。レース終わった後にあぁいうこと言うのやめておいた方がええと思いますよ?」
「なんで? だって、楽しいのは事実でしょう?」
「ダメやこの子。高村トレーナーに何とかしてもらわんと」
うん、普通ね。結局ララの言いたいことは最後まで分からなかったけど。
アイちゃんこれを育成ストーリーで近しいことを言ってるのがね。