上がり続ける東京レース場のボルテージ。向こう正面に入ったレースは少し落ち着きを見せていた。
《少しペースダウンしているな。普段の振舞いから誤解されがちだが、サクラバクシンオーのレースIQはかなり高い。このまま消耗するとまずい、と判断したのだろう。キタサンブラックも同様だ、ペースを下げている》
《そうですね。ここで落ち着きを見せるレースは中盤戦へ。最初の1000m通過タイムは58秒1というハイペースだ! サクラバクシンオーとキタサンブラックによって生み出されたこのハイペース、ついていく後続はどうか?》
《問題なく着いていけるだろう。今更この程度のペースで崩されるウマ娘ではないからね》
《2400mを58秒のハイペースで潰れるウマ娘がいないというのが恐ろしいところ! 隊列は序盤から変わらず、最後の直線に向けて力を溜めています!》
後半戦に向けて脚を溜める逃げの2人。思った以上に引き離せていないからか、それとも別の狙いがあるのか。向こう正面では飛ばして逃げることを止め、普通のペースで走っている。
観客からも分かるくらいのペースダウン。ここはまだ無茶をする段階ではないと判断しているのか、後ろもキッチリとついていく。
不気味なほど静かだ。ここでホッコータルマエが仕掛けてもいいような展開だが、何もしない。ジッと後ろから見て、アーモンドアイに併せているだけである。
仕掛けない理由は簡単だ。やる意味がないと知っているから。
(キタサンもバクシンオーさんも、どっちも崩せるような相手じゃない。キタサンは私よりもスタミナが上だし、バクシンオーさんはそもそも効かない。どう考えても先に潰れるのは私の方だ)
「行かなくていいんですか? タルマエさん! ペース、落ちてますよ!」
「お譲りしますよ。アイちゃん、負けず嫌いでしょう?」
隣を走るアーモンドアイに煽られても動かない。逆に煽り返しているが、向こうもまた動かない。やる意味がないと分かっているからこそ動かない。先にくたばるのが自分だと分かっているから。
静観。この場における最適解は最終盤に向けて脚を溜めること。コースの起伏も緩やかであるため、なにも難しいことはない。問題なく溜めることができるはずだ。
しかし、それを許さないのがいる。
「ではでは、私が仕掛けてやろうじゃあないか。2人ともやらないみたいだからね」
「ぐっ!」
「随分と甘い考えですのね? タルマエさん。まさか、魔王の牙は抜け落ちていらっしゃるのかしら?」
アグネスタキオンとジェンティルドンナ。後ろに控えていた2人が一気に差を詰めてきた。4人が並ぶ、ことなくアグネスタキオンが前に出る。
《向こう正面も半分を過ぎようかというところ、ここでアグネスタキオンとジェンティルドンナが上がってきた! アーモンドアイとホッコータルマエに並ぶ! 虚を突かれたかアーモンドアイ、喰らいつこうとしているぞ!》
《アグネスタキオンが前に出れば、間違いなく自分のポジションを奪われる。そうするしかないですが、一転して厳しい状況に追いやられたな》
《アーモンドアイはたまらず前へ、アグネスタキオンと並ぶ形で前に出る! 最内をキープしているのに、有利なはずなのに全くと言って程そうは見えない! 周りのウマ娘が巧みに揺さぶる! この状況でも動かないドゥラメンテ、すでに先頭との差は10バ身は開こうかとしているぞ!》
前に出る選択をしたアーモンドアイ、控える形を継続したホッコータルマエ。アグネスタキオンとジェンティルドンナが前に、ホッコータルマエがブービーに落ちる。
そこまでの差はない。差はないが、この判断が最後の勝負を左右する可能性もある。決して無視できない判断だ。
誤りだったのか、正解だったのか。その答えは、最後の直線で明らかとなる。
アーモンドアイは今度はアグネスタキオンと対峙することになる。中距離最強とまで呼ばれる、超光速の貴公子。隣を走るだけでも圧がある。
(本来ならこの位置で勝負するのがタキオンさん。今まで控えていたけど、このタイミングで仕掛けてきたってことは!)
「わたしは絶対に崩れないわ!」
「知っているよ。そもそも崩す気なんてさらさらない。真正面からねじ伏せるだけだ」
やることは変わらない。前を向いて走るだけだ。何かする気もないのか、アグネスタキオンはなにもしない。アーモンドアイの外をキープして走るだけだ。
ペースは──早い。3バ身前を走る逃げ2人に追いつきそうなほどのスピード、控えていた分体力に余裕がある。そう言いたげな仕掛け方だ。
もっとも、アグネスタキオンにも余裕があるわけではない。ここで仕掛けたのにはちゃんとした理由がある。
(逃げ切りもそうだが、アイ君とタルマエ君が前にいるというのがよろしくない。特にアイ君は最短経路で進んでいる。スタミナの消耗も抑えているはずだ)
前残りになることを危惧しているからだ。後ろで控え続けた結果、前に追いつけることなく敗北する。それだけは避けなければならない。
ペースが下がったのは感じている。だからこの機を逃すまいと前に出た。ジェンティルドンナと共に。
(下がろうと思った矢先に私が来た。アイ君にとっては苦しい展開だろう)
「君に一息なんて吐かせないよ。今度は私と走ってもらおうか?」
「っ、いいじゃない! アイは負けないわっ!」
「君の場合、冗談に聞こえないのが厄介極まりないよ!」
今度はアーモンドアイとアグネスタキオンの競り合いになる、と思われた矢先。
「──私も混ぜてもらいましょうか。拒否権はありませんわ」
ジェンティルドンナが追い比べに参加する。一番外から、豪快な踏み込みと共に競り合いに来た。
《第3コーナーでジェンティルドンナが3番手に浮上! 3番手争いがかなり熾烈になっているぞ、アーモンドアイ、アグネスタキオン、ジェンティルドンナの3人だ!》
《不利なのは無論ジェンティルドンナ側。だが3番手まで上がってきたということは、何か狙いがあるのかもしれない。ホッコータルマエは下がったね》
《第3コーナーで隊列が変わる! もうすぐ東京名物の大欅を超えようかというところ! 最後方ドゥラメンテが不気味に息を潜めている、出来る限り差をつけたいところだ!》
蹴り上げた地面が爆ぜる。恐ろしい強さで抉られ、クレーターでもできたんじゃないか? と錯覚する。
ジェンティルドンナが来た。もはや有利とか不利とか考える余地はない。どうやってこの局面を乗り切るかを考える必要がある。
アーモンドアイは──静かに息を吐いた。誰にも気づかれないように、ひっそりと。ジェンティルドンナがきたタイミングで。
(状況を整理しましょう。今のわたしはタキオンさんとジェンティルさん、2人と競り合っている。序盤はタルマエさんとだった)
自分にはどれだけのスタミナが残されているのか? この状況を切り抜ける切札はあるか? 仕掛けるべきポイントは覚えているか? 考えを巡らせる。
窮地に追いやられそうになっても、外からどんどん迫ってきても。ここ一番という状況で冷静になれる。強いウマ娘の条件だ。
(少なくとも、この状況でわたしに切れる手札はない。前に出たから後ろに下がるなんて論外だし、そうなったら前にタキオンさんが来る)
状況を整理して、不利な状況にいるのではないか? なんて考えが頭に浮かぶ。序盤でスタミナを消耗しているのに、さらに消耗するような選択をしているのだ。そんな考えが出てくるのも仕方ないだろう。
追いつきこそしたが、周りと比べて劣っているのは事実。スピードはアグネスタキオンに敵わず、パワーでジェンティルドンナに敵わない。スタミナはキタサンブラックに勝てず、レースメイクでホッコータルマエに劣り、末脚の切れ味でドゥラメンテに勝てない。サクラバクシンオーは言わずもがなだ。
なのに不利を背負っている。劣っている上に不利を背負うということは、このレースにおける勝利が絶望的なことを決定づかせるには十分すぎるものだった。
だが──笑う。分が悪すぎる勝負を前にして、笑った。
(いいじゃない、そんなの前々からよ! もっとずっと劣っていた時からずっと、わたしはそうだった!)
いつもと変わらない。ミーティアの門を叩いたあの日からずっと、やってきたことは1つだけ。
敵わなくても挑む。いつかきっと勝つために挑む。どんなに負けても、地面に叩きつけられても、実力差を見せつけられても。一度だって諦めたことはなかった。
(細かいことは考えないわ。わたしにできる精一杯を。わたしにやれる、一番の最適解を!)
「タキオンさん、ジェンティルさん! ここで1つ──競り合いといきましょうかっ!」
「はっ?」
「あら」
どうして諦めないのか? ずっと信じているからだ。自分自身の強さを、自分の諦めの悪さを。
《アーモンドアイが仕掛けた! 最後の直線を待たずしてアーモンドアイが仕掛けた! 第4コーナーでアーモンドアイが前に出る、アーモンドアイが前に出る!》
《っ、勝負に出たか、アーモンドアイ! だが、君の展開からしてかなり厳しいぞ!》
《序盤からホッコータルマエとの競り合い。中盤では息を吐かせぬアグネスタキオンとの勝負。そしてジェンティルドンナが加わった今っ! アーモンドアイが前に出てきたぁ! キタサンブラックとサクラバクシンオーに襲い掛かる! 最後方ではドゥラメンテとホッコータルマエが進出開始! 勝負は最後の局面まで来ているぞ!》
世界最強の女王になってからも変わらない。気持ちはずっと挑戦者のままだった。何時だって挑んで勝ってきた。負けるかもしれないなんて勝負でも勝ってきた。
この勝負でもそうだ。挑戦者として自分は挑んでる。いつものレースと何ら変わらない。
「負けないわっ! 絶対に、絶対に負けないっ!」
自分が出せる力を信じて走り抜くのみ。いつも通りのことをすれば良いだけなのだから。
アーモンドアイの行動に呆気に取られる2人。次の瞬間には、獲物を狙う肉食獣のように目を光らせた。
「あぁ、そうだねぇ……君はそういう子だッ!!」
「ねじ伏せましょうかッ!!」
追走する。アーモンドアイを狙って。最後の直線を待たずして、3人はロングスパートを仕掛けた。
当然、前を走る2人も感知する。上がってくるウマ娘がいる、と。
「ようやく来ましたかッッ!! 待ちくたびれましたがそれはそれ、これはこれ。ここから先は、全力の勝負ということですねッッ!!」
「消耗戦はあたしの十八番! 響かせましょうお祭り娘の祭囃子! わっっっしょぉぉぉい!」
地面を強く蹴り抜く。思いを、力を込めて踏み抜く。ここで勝負を仕掛けると、そう決めた。
差は1バ身。たった1バ身だが、何バ身もあるかのように錯覚するほどの差を感じさせる。2人の強さがそうさせていた。
《最後の直線、先頭で入ってきたのはサクラバクシンオーとキタサンブラック! さぁいよいよクライマックスだミーティア記念レース! 先行集団、アーモンドアイにアグネスタキオン、ジェンティルドンナとの差は1バ身! このリードを守り切れるかどうか!?》
盛り上がる東京レース場。ついに迎えた最後の直線で、全員が応援の声を飛ばしていた。
勝負は5人に託された? 否。
《いいえ、ここできますよ。ずっと控えていた最強と、途中で息を潜めた魔王が!》
残りの2人が、凄まじい勢いで上がってくる。
「差は6バ身まで縮めた。追いつくには……十分すぎる、なっ!!」
「舐めないでください。アイさんやドゥラさんには劣りますが、私だってやろうと思えばできるんですよッ!」
徐々に縮まる差。坂だろうがお構いなしにぶっ飛ばして上がる。勢いだけならこの2人に分があった。
最後の直線で始まる。最強と呼ばれた7人による激突が、10バ身以内に収まった中で戦っている。
いや、もう5バ身程しかないだろう。残り200を切って、その差はないに等しくなる。最後方に控えていたドゥラメンテも、後方待機に切り替えたホッコータルマエも。すでに射程圏内に捉えていた。
《激しい叩き合い、激しい競り合いだ! 過去これまでの勝負はあったでしょうか!? もはやだれが先頭か分からないほどに入り乱れる最後の直線! 残り100を切ってまだ勝敗が分かりません!》
《っ!》
《誰が抜け出すか! 誰が飛び出してくるのか! サクラバクシンオーか、キタサンブラックか! アグネスタキオンかジェンティルドンナか! ホッコータルマエかアーモンドアイか! はたまたドゥラメンテか!》
全員維持するだけのスタミナは枯渇している。これ以上のスピードを出せるだけの力はない。考える力も残っていない。
最後に勝敗を分けるのは──負けたくない意志という名の根性。競り合いで勝つには、誰よりも強い勝負根性を発揮する必要がある。
もしも同じだったら? 同じくらい負けたくなくて、同じくらい勝ちたいと思っているウマ娘同士が戦ったら? 果たしてどうなるのか。
その答えはない。何故なら、この場で勝ったウマ娘こそが、誰よりも勝負根性を発揮したウマ娘なのだから。
《道中ずっと経済コースを走っていた。外に膨らんだ隙を、一分も見逃さなかった……いや、これは違うな》
シンボリルドルフの笑み。勝者が生まれたその瞬間、自然と笑みが零れてしまった。
《君の思考が、ずっと勝ちだけを思い続けてきた強さが。自然と最適解を導き出したのか──アーモンドアイっ!》
決着はハナ差。1着から7着まで全員がハナ差の大接戦。あまりの激闘に、涙を流す観客さえも現れる激闘。
制したのは──新時代のプリンセス。
《アーモンドアイだアーモンドアイだ! URA協賛ミーティア特別競走! 頂点に立ったのはアーモンドアイだぁぁぁ! 最後に、最後に意地で抜け出した! 負けたくないという強い意志が、彼女の脚を前に進ませた! アーモンドアイが勝ったぁぁぁ!》
アーモンドアイ。
次回最終回。なんだかんだ駆け抜けましたね。