欧州遠征が始まってそれなりの日数が経って。そろそろ条件戦の日になりそうな頃。欧州のトレーニング場にて、今日もアイは励んでいる。
「いいよアイちゃん! もう欧州での走り方を完璧にマスターしたね!」
「いいえ、まだよ。この程度でまだマスターしたなんて言えない。もっともっと先を見ないとッ!」
「素晴らしい心意気ッ! 思わず私もバクシンしたくなりますよッ! さぁ着いてきてくださいアイさん、キタさん! バクシンバクシンバクシーーンッッ!!」
欧州芝にも完全に適応して、自分の実力を100%発揮できるようになった。あんまり時間はなかったけれど、アイ自身の努力とみんなの協力のおかげで間に合ったね。ホッと一安心。
これで条件戦も問題なくこなせるだろう。開催されるレース場の下見も済んでいるし、対戦相手の研究も終わっている。
後は実際に走るだけ。走って、勝つだけだ。
ちなみに、モンジューのトレーナーさんは鋭い視線をアイに向けていた。興味深い、素晴らしい逸材を見るような目で。
「『凄いね。この短期間でウチの子達と遜色ないレベルまで欧州芝を走れるようになっている。これから先は、彼女の全力が見られるってことか』」
「『そうですね。今までは身体能力のごり押しで走ってきましたが、これから先はアイ自身の実力を100%発揮できます』」
「『ただでさえ勝てなかったのに、さらに勝てる可能性が薄くなるね~。相変わらず、君が育てるウマ娘は傑物揃いだ』」
「『ありがとうございます』」
誉め言葉も貰って、条件戦までの間は体調を整えることを中心に。あまり無茶なトレーニングはしない、ミーティアメンバーの特別指導も当然しないで本番まで体を休める。
元々、この欧州遠征は結構な強行軍。アイは体質的にそこまで強くないことを忘れないように、日々のケアを欠かさない。
「それじゃあアイ、タキオンが配合したこのアロマで気持ちを落ち着かせようか。お風呂はアイが気に入ってる入浴剤を取り寄せたから、そっちも使おう」
「わ、やった! タキオンさんが配合したアロマ、気分が落ち着くから好きなのよね。入浴剤も、わたしが気に入ってるのを取り寄せてくれてありがとう!」
「これくらいは当然だよ。君が少しでも万全の状態で出走できるように、出来る限りのことをやっておきたいんだ」
アイも上機嫌で過ごすことができていた。あくまで僕の主観でしかないけど、緊張といったものは今のところ見られない。レースまではこの調子を維持しておきたいところだ。
油断はしない。希望的観測を抱かない。粛々と、万全であるように整える。それさえできれば、アイは絶対に負けないのだから。
そして迎えた条件戦本番の日。場所はニューマーケットレース場、デューハーストステークスも開催されるレース場だ。距離は1200m、天候は晴れの良バ場発表。
短距離だけど大丈夫なのか? という問題。これに関しては本番であるデューハーストステークスを見据えてのこと。
デューハーストステークスの距離が1400m、短距離に区分されるレース。アイの適性的にちょっと心配なレースだ。
だから、ぶっつけ本番で短距離を走るよりも、1つ走って短距離の感覚を掴んでおく。この条件戦はそれも狙っている。結構いろいろな狙いがある条件戦だ。
レース場の最前列でみんなと観戦。続々とウマ娘が登場する中、隣に視線を向けると不思議そうな顔のヤン子がいた。
「てかさ、アイってスプリントのアプチテュードってどうなん? あんまりよいって話はなかったよね?」
「アイの短距離適性? あぁそれなら」
どうやらヤン子はアイの適性が気になっているらしい。確かに、最初の頃は良くなかったしアイ自身短距離をあまり走ろうって気がないので、疑問に思うのも仕方ないかもしれない。
そんな彼女にノートを取り出してみせる。現時点のアイのステータスが書かれたノートを。
アーモンドアイ
適性:芝A ダートC
距離:短B マA 中A 長C
脚質:逃げG 先行A 差しA 追い込みD
スピード:B 637
スタミナ:D+ 371
パワー :C+ 519
根性 :E+ 298
賢さ :C 452
ノートを見せると、ヤン子は笑っていた。どういう笑いなんだろうか、それは。
「メイクデビューのステと大して変わってないけど、アプチテュードは結構変わってんね~。スプリントBってどれくらい?」
「80%の力は発揮できるよ。欧州芝の影響はほとんどないから関係ない」
「いや~、だとしたらこのレースヤバそうだね。いろいろと」
そのヤバいはきっと、アイが負けるとかではないんだろうな。どういう意味かは聞かないでおこう。
準備運動を終えたアイ達は1人ずつゲートへと入っていく。アイの枠番は真ん中、可もなく不可もなくな枠番だ。
「バクシンですよアイさんッ! バクシンバクシーンッ!」
「ワッショイだよアイちゃん! バクシンワッショーーイ!」
「どっちかに統一したまえよ君達は」
「ある意味統一されてますよ。バクシンワッショイに」
タキオンとタルマエの冷静なツッコミを横目にしつつ、最後のウマ娘がゲートに入った。
態勢が整って、ゲートが開くその瞬間を待っている。待って、待って……ゲートが開いた瞬間、一斉に飛び出した。
レースが始まる。
《始まりましたニューマーケットレース場条件戦。最注目の1番人気アーモンドアイはまずまずのスタートを切ります。位置取りをぐいぐい押し上げて先頭を奪うアーモンドアイ。他のウマ娘は、着いていかない。アーモンドアイをマークする形》
アイは先頭を奪った。珍しく、逃げるような形になる。
逃げ適性が絶望的なのに大丈夫なのか? という問題。これが結構重要だ。
「おいおいアイくぅん、その位置はまずいんじゃないのかい?」
ジト目で睨みつけているタキオン。アイの位置取りにご立腹のようだ。
これはタキオンに限った話じゃない。ジェンティルも鋭い視線を向けている。前のメイクデビューでも厳しい意見を発して、反省会でダメだしし続けた2人だ。今回も厳しい意見が飛び出しそうだな。
とはいっても、これは仕方がない。本来の位置取りとはまるで違うのだから。
「ま~アイ君なら問題なく勝てるだろうが、楽をするのはいただけないねぇ」
「結果的に押し出されて逃げる形に……それは分かりますが、だからといって安易に逃げるのはいただけないわね」
「こっちの子達、日本の逃げの子よりもスタート上手、ってわけじゃないですもんね。でもでも、頑張れアイちゃ~ん! バクシンワッショーイ!」
本当なら先行の位置で走る算段を立てていた、はずだった。
けど、アイの位置は逃げ。しかも誰も着いていこうとしない、単騎逃げの形になっている。アイが位置取りを下げようとしないから、この先もアイが先頭を走ることになるだろう。
とはいっても、悪いことばかりではない。
「だが、無理にでもペースを下げれば自滅になる。一概に逃げの一手が悪いわけではない」
「そうですよタキオンさん、ジェンティルさん。アイさんをイジメるのも結構ですけど、こればっかりは仕方ないです」
「イジメるだなんて人聞きが悪いねぇ。私は彼女のためを思って言ってやってるのさ」
「同感ですわ。彼女が成る強者のためには妥協は許されません。細部にまで拘ってこそ、彼女の求める強さは身につけることができます」
ドゥラやタルマエの言うように、無理にでも先行の位置に下がれば自滅しかねない。結果的に逃げる形になってしまったけれど、こればかりは展開が向いてなかったと割り切るしかない。
事実、アイはすでに割り切っているのだろう。後は自分のペースをどこまで貫けるか、これにかかっている。
「ま、アイならノープロブレムっしょ?」
「はい。アイさんなら問題なくこなせます」
「逃げでも落ち着いている。それに、本人的には先行のつもりで走っているんだろうね。だから問題はないよ」
それもまぁ、問題はない。アイならね。
そんな僕達の予想通りにアイはレースを運んでいた。
《アーモンドアイが先頭で駆け抜ける、アーモンドアイが先頭で駆け抜ける! アーモンドアイが先頭だ、アーモンドアイが先頭だ! 日本のウマ娘が先頭で駆け抜けているニューマーケット、これを追走する6人のウマ娘は果たして間に合うかどうか!》
逃げでも掛かることなく自分のペースを貫いて、彼女は見事に後続を寄せ付けないレースを展開していた。圧巻、問題なし。そんな言葉が似合うほどに。
「バクシンバクシーーーンッッ!! 模範的な逃げですよアイさーんッ!」
「アレは果たして逃げなのかどうか……ま、レース運びは及第点をあげてもいいだろう。予想外の事態にも即対応できたわけだから」
「バクシンワッショーイ! アイちゃん後もう少しだよー!」
結果、アイは全く問題にせず条件戦を勝った。着差はそこまで着いてないけど、これはまぁ短距離だから仕方ない。そこまで大きい着差がつかないものだ。
《アーモンドアイ、アーモンドアイだ! 日本からアーモンドアイが条件戦を難なく制した1着! これから欧州を走る予定の彼女、必ず欧州レース界を賑わせてくれることでしょう! 今後のレースが楽しみな一戦でした!》
これでデューハーストステークス出走にぐっと近づいた。できれば後1走挟みたいけど、これがどうなるか、だね。
◇
レースが終わった翌日。滞在しているホテルで反省会だ。ホテルの部屋ではなく、応接室のような広いスペースを借りての反省会。プロジェクターなんかも完備されている。
先に切り出したのはタキオン。僕と一緒に用意した資料をアイに手渡しながら、今回のレースにおける個人的な総評を下す。
「レースは勝ったわけだが、逃げていたというのはいただけないねぇ。今回のレースには欧州の戦術に慣れるという意味合いもあったはずだ。逃げては何の意味もない」
ごもっともな意見。ただ、アイは毅然とした態度で返す。
「無理にでもペースを下げれば、走りのリズムが崩れてしまうわ。ただでさえ慣れない短距離戦だもの。リズムを崩さないためにも、あの状況で逃げの一手を打ったのは悪くない。わたしはそう思ってる」
アイにだって自分の考えがあって逃げていた。考え無しだったわけではない。そのことを理解してもらうために、アイは堂々と自分の考えを主張する。
ここから始まるのは激しい議論。あのレースにおける良かった点と悪かった点を各々主張し、今後どうするべきかを話し合う場になる。
「確かに、あの場面で冷静に逃げていたのは悪くない一手だ。だが、こちらのウマ娘のスタートはあまりよろしくないという話は耳に入っていたはずだが?」
「当然、憶えていますわね? だとすれば、少しスタートを遅らせる判断もできたのではなくて?」
「わざとスタートを遅らせて、囲まれでもしたら大問題じゃない。勝ち負けの話じゃなくなってくるわ」
「だが、元よりそれも織り込み済みで走る予定だったはずだ。タキオンの言ったように、欧州の戦術に慣れる必要がある。そのためには、先行の位置が最も適切だったのではないか?」
「でもでもドゥラさん! 仕方ないことだって」
「仕方ないで今後のための試金石を無駄にするのはいただけない。それは君も分かるだろう? キタサン」
メンバー間の仲が良いからこそ、こういうことも遠慮なく言える。僕よりも走る彼女達の方が理解が深いだろうし、この場では僕はノートでまとめることに全力を注いでいる。
(本当なら勝利を喜ぶべきなんだろう。でも、アイの目標を考えたら、1つのレースも無駄にはできない)
この先も勝ち続けるために必要なことだ。喜べるときに喜んで、反省すべき点があるならしっかりと洗い出す。目を背けないで、アイにとってためになる情報をみんなで共有する。
本人もそれを望んでいる。自分が強くなるために、いつかバクシンオー達に追いつくためにと。彼女は一切の妥協を許さない。
裏付けるように、この議論において最も積極的なのはアイだ。
「キタサン。キタサンも遠慮なくわたしの悪かったところを言ってちょうだい。ダメだったところは直したい、そのままにしておけないの。だからお願い」
「アイちゃん……えーっと、え~っとぉ」
「キタさん、あまり無理に考えなくてもいいと思います。感じたままのことを話せば」
「あ、ありがとうイクイちゃん。いざ悪かったところって言われても……」
ダメなところを受け入れて、改善するために前を向く。この前向きなメンタルこそが、アイの一番強いところなのかもしれない。
トレーニングは休みなので、今日一日はほとんど議論で終わった。次なるレースに向けて、反省すべきところを改善していこう。
アイちゃん強い子。