五条悟―神聖時間軸の剪定者―   作:ルルルだ。

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10話 消滅

第4章:残骸と帰還

 

羂索が引き起こした赤黒い空間の崩壊を、根本から塗り潰すように、リセットチャージの起点から眩いオレンジ色の光の波紋が爆発的に広がっていく。

 

「……悟?」

 

五条の背後で、巨大な呪霊から生徒たちを庇うように立っていた夏油傑が、不思議そうな声を上げた。

彼の足元が、オレンジ色の発光粒子となって空中に溶け出し始めていたのだ。

 

痛みはない。熱もない。

ただ、肉体が音もなく透過していく。

 

「夏油先生!? 体が……!」

乙骨憂太が叫ぼうとしたが、彼が伸ばした手もまた、指先から光の塵へと変わっていた。

虎杖悠仁も、伏黒恵も、釘崎野薔薇も。

誰もが自分に何が起きているのか理解できないまま、ただ茫然と自らの手が透けていくのを見つめている。

 

「……」

五条は、振り返らなかった。

六眼は、背後で起きている事象を原子レベルの精度で彼の脳裏に焼き付けている。

振り返れば、その平穏な世界に生きる彼らの眼差しに、自分自身の決意が揺らいでしまうことを知っていたからだ。

 

「……そうか」

 

背後から、静かな声がした。

夏油傑の声だった。

混乱も、恐怖もない。特級呪術師としての直感が、あるいは五条悟という男を誰よりも知る親友としての理解が、彼にこの現象の「正体」を悟らせたのだろう。

 

「お前が選んだなら、それでいいさ」

 

その言葉は、呪いではなく、祈りのように穏やかだった。

 

五条の肩が、微かに震えた。

(……ずるいよな、お前は。最後まで、僕に背負わせるのか)

 

オレンジ色の光波が、林の木々を、グラウンドを、そして彼らの存在を完全に飲み込んだ。

声が消えた。

生命の鼓動が消えた。

大気を満たしていた凪いだ呪力も、羂索が残した毒の瘴気も、全てが「最初から存在しなかった」ものとして虚無へと吸い込まれていく。

 

真っ白になった空間の中で、五条悟の前にオレンジ色のタイムドアが静かに開いた。

彼は一度だけ、光の塵が舞う虚空に視線を落とし、そのままドアの向こう側へと足を踏み入れた。

 

 

 

 

TVA本部へと戻った。

呪力は再び完全に封じられ、六眼の知覚もただの視覚へと成り下がる。

 

小部屋の中央には、アルコットがいつもと変わらぬ姿勢で端末を操作していた。

 

「リセットの完了を確認した。時間がかかったな、五条悟」

アルコットは顔を上げずに言った。「何かトラブルでも――」

 

ドンッ!!

 

金属製のテーブルが、凄まじい音を立てて壁まで吹き飛んだ。

アルコットが驚愕して顔を上げるよりも早く、五条の長い脚が間合いを詰め、その胸倉を乱暴に掴み上げていた。

 

「がっ……!?」

アルコットの足が床から浮く。

呪力など使わなくとも、五条悟の純粋な身体能力と、何よりその身から立ち昇る「殺気」は、事務仕事しか知らない分析官の精神を容易く凍りつかせた。

 

五条は、黒い目隠しを額まで押し上げ、剥き出しになった蒼い瞳でアルコットを至近距離から睨みつけた。

その瞳には、先ほどまでの飄々とした態度は微塵もなく、絶対零度の怒りが渦巻いていた。

 

「……知ってたな?」

 

五条の声は、囁くように低かった。

「あの世界に、僕の死体を着込んだネズミが潜んでいたことを。……いや、それだけじゃない」

 

五条はアルコットを壁に叩きつけ、さらに首を締め上げた。

「あの顔で、僕の術式を使って……あんたたちの技術を盗み出し、他の次元で好き勝手に暴れ回っているバグの存在を。なんで最初に言わなかった」

 

「ぐ、うぅ……!」

アルコットは息を詰まらせながら、胸元を掴む五条の手首を叩いた。

部屋の扉が開き、異常を察知したミニットメンたちがタイムスティックを構えてなだれ込んでくる。

 

「動くな、変異体!」

「手を離せ!」

 

五条は兵士たちを一瞥し、鼻で笑った。

「やめとけよ。呪力がなくても、あんたたち全員の首の骨を折るのに五秒もかからない」

 

「待て……! 手を、出すな……!」

アルコットが兵士たちを制し、喘ぎながら五条を見た。

「……隠していたわけではない。我々も、彼の全容を把握しきれていなかったのだ」

 

五条は舌打ちをし、アルコットを乱暴に床へ投げ捨てた。

「把握しきれてない? 全時空を監視してるんじゃなかったのか?」

 

アルコットはむせながらネクタイを直し、咳き込んだ。

「……奴は、我々のタイムドアの技術を『呪力』という独自のエネルギーでハッキングした。TVAの監視網をすり抜け、レッドラインを意図的に発生させては、崩壊エネルギーを吸収して逃亡を繰り返しているのだ」

 

アルコットは、ひしゃげたテーブルの横に落ちていた端末を拾い上げ、空中にホログラムを展開した。

 

映し出されたのは、TVAの管理する「タイムラインの束」の立体図だった。

だが、その光の線の一部が、どす黒い赤色に染まり、何本も強引に束ねられて巨大な「結び目」のようになっている。その結び目からは、心臓の鼓動のように禍々しい呪力の波動が周囲のタイムラインへと波及していた。

 

「奴は、単に分岐世界を渡り歩いているだけではない」

アルコットは、その赤黒い特異点を指差した。

「複数のタイムラインを呪力で強制的に結びつけ、意図的なインカージョン(次元衝突)を引き起こしている。そこから生じる莫大な『世界が壊れるエネルギー』を吸い上げ、己の力にしているのだ。……このまま奴がタイムラインを喰い散らかせば、セクター・フリンジどころか、全次元が重力崩壊を起こして虚無に落ちる」

 

五条は、ホログラムに映るそのおぞましい「結び目」を見つめ、眉間を深く刻んだ。

六眼と無下限呪術を持ち、さらに時空を渡る技術まで手に入れた最悪の呪詛師。

奴は今、多元宇宙という「無限の海」を舞台に、好き勝手に盤面を書き換えているのだ。

 

「……なるほどね」

五条は目隠しを元に戻し、椅子を足で引き寄せてドカッと座った。

「あんたたちが僕を雇った本当の理由は、バグった田舎の掃除なんかじゃない。TVAの技術をパクって暴れ回る『僕の偽物』を処理させるためだったってわけだ。TVAの兵隊じゃ、無下限と六眼を突破できないからね」

 

「否定はしない」

アルコットは端末を操作し、立体図をさらに拡大した。

「奴が次に狙うターゲットは予測できている。セクター・フリンジ内の、さらに重篤な分岐世界だ。……そこへ先回りし、奴を討て」

 

「言われるまでもない。あいつは僕が殺す」

五条の声に、冷ややかな闘志が混じる。

「僕の顔を使って、僕の生徒や親友の幻を汚した。……絶対に許さない」

 

「君の私怨はどうでもいい。目的が一致しているなら、直ちに任務に当たれ」

アルコットが事務的な口調に戻る。

「ただし、次の目標ポイントは、これまでの分岐とは比較にならないほど強固だ。奴が展開する無限の呪霊と、君自身の術式を相手にするには、君一人では『手』が足りないだろう」

 

「僕を舐めすぎじゃない?」

五条が鼻で笑う。「僕一人で十分だよ」

 

「いいや、合理的な計算結果だ。変異体の展開するバグ(呪力)を物理的に消し去り、その因果を『食い破る』ための特効薬が必要だ」

アルコットは端末を操作し、モニターの映像を切り替えた。

 

そこに映し出されたのは、ゴミの散らかった薄暗いアパートの一室。

テレビの前で、食パンにジャムを塗りたくってかじりついている、金髪の少年だった。

その胸からは、オレンジ色のスターターロープが垂れ下がっている。

 

「アース-CSMの特異個体、デンジ。……彼の持つ『チェンソーの悪魔』の概念消滅能力は、バグの因果を物理的に噛み砕き、TVAの剪定作業を大幅にショートカットできる」

 

五条は、モニターの中で「ジャムが落ちた」と騒いでいる少年を見て、思わず吹き出した。

 

「ああ、彼か。東京でも宇宙でも、少し一緒に暴れたよ。……頭のネジが数本ぶっ飛んでるけど、確かにあの『何でも切れるチェーンソー』は、理屈抜きの特効薬になるかもね」

 

五条は立ち上がり、首を鳴らした。

「いいよ。その子も連れていこう。賑やかな方が、あの不快な偽物をぶっ飛ばすお祭りにはふさわしい」

 

アルコットがタイムドアの装置を起動する。

オレンジ色の光が、無機質な部屋に灯った。

 

「五条悟。君が『自分の顔』を叩きのめし、世界を正常に戻すことを期待している」

 

「言われなくてもやるよ」

五条は光の扉へと歩き出す。

「ただし、終わったらあのクソ不味いゼリーじゃなくて、ちゃんとしたパフェを要求するからね」

 

最強の術師は、自らの肉体を弄ぶ最悪の敵を屠るため、そして全てを元に戻すため、再びマルチバースの海へと身を投じた。

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