五条悟―神聖時間軸の剪定者―   作:ルルルだ。

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11話 アース-JJK-1000

オレンジ色の光の膜を抜けると、むせ返るような湿気と、安っぽいマーガリンの甘い匂いが五条悟の鼻腔を突いた。

 

六眼が再起動し、周囲の情報を瞬時に読み取る。

そこは六畳一間の、控えめに言っても小汚いアパートの一室だった。床には脱ぎ捨てられた衣服や漫画の束が散乱し、ブラウン管の小さなテレビがバラエティ番組のノイズを垂れ流している。

 

その部屋の中心で、金髪の少年が、床に落ちた食パンを悲痛な表情で見つめていた。

 

「……あーあ。ジャム塗った面が下になっちまった。最悪だ」

少年――デンジは、べちゃりと畳にへばりついた食パンを拾い上げようとして、背後に現れたオレンジ色の光と五条の存在に気づいた。

 

「あ?」

デンジは食パンを持ったまま、目を瞬かせた。

「なんだアンタ……って、あれ? お前、前一緒に戦った時の、目隠しのオッサンじゃん!」

 

「オッサンはやめてよね。僕は五条悟。ピチピチのグッドルッキングガイだよ」

五条は、散らかった漫画を足で避けながら、部屋の中へ足を踏み入れた。

「相変わらずワイルドな生活してるね、デンジくん。あの後、ちゃんと元の世界に帰れたみたいで安心したよ」

 

「まぁな。でもよぉ、あんなヤバい戦いしたのに、帰ってきてもご褒美一つねえんだぜ? 俺、もっとチヤホヤされるかと思ったのに」

デンジは畳についたジャムを指で拭い、そのままペロッと舐めた。

「で? アンタがまた急に現れたってことは、またなんか面倒な戦いがあるってことだろ? 悪いけど、俺は今からこのパン食って寝るんだ。タダ働きはごめんだぜ」

 

五条は、デンジの直感的でブレない欲望の形を前に、思わず声を出して笑った。

親友の幻影をこの手で消去し、自らの肉体を弄ぶ偽物の存在を知り、五条の心の奥底にはドロドロとした黒い炎が渦巻いていた。だが、この少年の底抜けの「アホさ」は、そんな五条の張り詰めた神経を、ほんの少しだけ弛緩させてくれた。

 

「タダ働きなんてさせないよ」

五条はポケットから、テンパッドを取り出しながら言った。

「君の力が必要なんだ。僕の『偽物』が、あちこちの世界を荒らしまわっててね。そいつをぶっ飛ばすのに、君のその『何でも切れるチェーンソー』が特効薬になりそうなんだ」

 

「偽物? よくわかんねえけど、俺がそいつをぶった斬ったら、なんか良いことあんのか?」

デンジが目を輝かせる。

 

「もちろん。最高の報酬を約束するよ」

五条は、大げさに両手を広げてみせた。

「最高級の霜降り肉のステーキ。メロンとイチゴが山ほど乗ったパフェ。それを、君が腹いっぱいになるまで奢ってあげる。どう?」

 

「……マジか!?」

デンジの喉がゴクリと鳴った。

「ステーキとパフェ……! 両方いっぺんに食ってもいいのか!?」

 

「いいとも。お腹壊すまで食べていいよ」

 

「っしゃあ! 契約成立だ!」

デンジは手に持っていた食パンをゴミ箱に放り投げ、胸から垂れ下がるスターターロープを握りしめた。

「どこに行きゃいいんだ? 宇宙か? 地獄か?」

 

「もっとひどい場所かもしれないね」

五条はテンパッドを操作し、アルコットから送信された座標――羂索が次に向かったとされる「重篤な分岐世界」のデータを入力した。

 

「一つだけ忠告しておくよ、デンジくん」

「これから行く場所は、ただの敵陣じゃない。世界そのものが『呪い』で狂っている。気を抜けば、魂ごと持っていかれるよ」

 

「へっ、俺は悪魔だぜ? 呪いだろうが何だろうが、ミンチにしてやらぁ」

デンジはニシシと笑い、五条の横に並んだ。

 

「頼もしいね」

五条がテンパッドの起動ボタンを押す。

二人の前に、再び眩いオレンジ色のタイムドアが開いた。

ステーキとパフェのために命を懸ける悪魔の少年と、たった一人の親友の尊厳を守るために修羅の道を行く最強の術師。

奇妙なコンビは、光の向こう側へと足を踏み入れた。

 

 

 

オレンジ色の光を抜けた先。

そこに広がっていたのは、五条の想像をはるかに超える、異様で歪な世界だった。

 

「……なんだこりゃ」

デンジが鼻をつまみ、顔をしかめる。

「すっげぇ血の臭いと……なんか、焦げた肉の匂いがするぞ」

 

五条は無言で周囲を見渡した。

六眼から流れ込んでくる情報が、この世界がいかに「致命的なバグ」を引き起こしているかを無慈悲に告げていた。

 

彼らが立っているのは、間違いなく現代の東京――新宿のど真ん中だった。

しかし、天を衝くはずの高層ビル群は、まるで巨大な刃物で中腹から切り飛ばされたように無残に崩壊している。そして、その近代的な瓦礫の上に、木造の巨大な寺院や、朱塗りの鳥居、平安時代を思わせる古めかしい日本家屋が「接ぎ木」されたように乱立していた。

 

空は、ドス黒い赤色。

分厚い雲が渦を巻き、太陽の光を完全に遮断している。

現代のコンクリートと、千年前の木造建築が融合した、悪夢のような曼荼羅。

 

「アース-JJK-1000……」

五条は、TVAの端末に表示されたタイムラインのコードを読み上げた。

「『平安の呪いの王が、現代のあらゆる因果を喰らい尽くし、世界を完全に支配したタイムライン』……なるほどね」

 

五条の足元に、何かが転がっていた。

それは、原型を留めないほどに切り刻まれた、人間の死体の山だった。

ただ殺されたのではない。彼らは皆、額に奇妙な焼印を押され、まるで食肉用の家畜のように解体されている。

 

「うわ、エグっ……」

デンジが顔を背ける。

「おいオッサン、ここマジでヤバくねえか? 空気が重すぎて、息すんのも苦しいぞ」

 

デンジの言う通りだった。

この空間を満たしている大気は、酸素よりも「呪力」の濃度の方が高いのではないかと思えるほど粘り気を帯びていた。

圧倒的な、絶対的な、ただ一人の王による恐怖の支配。

その呪力の波長に、五条は嫌というほど見覚えがあった。

 

「……宿儺か」

五条は黒い目隠しの奥で、鋭く目を細めた。

 

正史において、虎杖悠仁の体に受肉した両面宿儺。

だが、この世界の宿儺は違う。何らかの分岐によって、宿儺が完全な形で復活を遂げ、現代の呪術師たちを皆殺しにし、世界を『伏魔御廚子』という名の地獄に変え果ててしまったのだ。

 

「羂索、こんな特級のバグ世界に逃げ込んだのか。……崩壊エネルギーを吸い上げるには、確かに最高のロケーションだ」

 

五条がそう呟いた、その時。

 

ズズズズズ……!

 

彼らが立つ瓦礫の山を囲むように、巨大な影がいくつも立ち上がった。

それは、普通の呪霊ではない。

宿儺の放つ濃密な呪力にあてられ、突然変異を起こした「特級仮想怨霊」の群れだった。

四本の腕を持つ鬼、顔のない巨大な百足、血の涙を流す巨大な赤子。

どれもが、正史であれば一本の映画のラスボスを張れるほどのおぞましい気配を放っている。

 

『ギギ……ギ……人間……』

『生肉……王ヘノ供物……』

 

呪霊たちが、五条とデンジを見下ろし、涎を垂らす。

 

「お出迎えにしては、ずいぶんと不細工な連中だね」

五条はポケットから手を出し、軽く指を鳴らした。

 

「デンジくん。準備運動の時間だ。さっさと片付けて、本丸に乗り込むよ」

 

「おっしゃ!」

デンジの瞳に、獰猛な光が宿る。

彼は胸のスターターロープを勢いよく引き抜いた。

 

ブォン!! ギャリギャリギャリギャリ!!!!

 

耳をつんざくようなエンジン音と共に、少年の頭部と両腕から、血に飢えたチェーンソーの刃が飛び出す。

恐怖の象徴たる悪魔の咆哮が、呪いに支配された新宿の空気を震わせた。

 

「ヒャハハハ! 肉塊にしてやるぜぇぇぇ!!」

 

チェンソーマンが、跳躍する。

巨大な鬼の呪霊の腕を、回転する刃が容易く断ち切る。呪霊の悲鳴と、血飛沫が舞い上がる。

 

「よしよし、元気でよろしい」

五条は空中に浮かび上がり、百足の呪霊に向けて指を向けた。

「術式順転・『蒼』」

巨大な百足が、目に見えないブラックホールに吸い込まれるように圧縮され、瞬時に圧死する。

 

最強の呪術師と、地獄の電動鋸。

二人の規格外が、呪いの王が支配する地獄のタイムラインで、破壊の旋律を奏で始めた。

 

だが、彼らはまだ知らない。

この瓦礫と社の街の最深部で、二つの「最悪の魂」が交わろうとしていることを。

別次元から逃げ込んできた「羂索・五条」と、この世界を支配する「全盛期・両面宿儺」。

もしその二人が手を組めば、TVAの剪定すら及ばないかもしれない。

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