「ギャハハハハハ!! 斬り甲斐のあるデカブツばっかじゃねえか!!」
血みどろの新宿に、チェンソーの暴力的な駆動音が鳴り響く。
デンジは、自身の数倍の質量を持つ特級仮想怨霊の群れの中を飛び回っていた。
両腕の刃が呪霊の硬質な外殻を紙のように引き裂き、頭部の刃がその急所を躊躇なく粉砕する。
「おらおらおらァ! ステーキ! パフェ! ステーキ!!」
欲望に忠実すぎる雄叫びと共に、巨大な鬼の呪霊が真っ二つに裂け、ドロドロの呪力の塊となって崩れ落ちた。
五条悟は、瓦礫の山の上に立ち、少し離れた場所でその狂宴を静かに観察していた。
彼の六眼は、デンジの戦い方にある「特異性」を正確に捉えていた。
(……なるほど。アルコットの言っていた『因果を物理的に噛み砕く』ってのは、ハッタリじゃないらしい)
呪術師が呪霊を祓う際、呪霊は呪力の残滓を残して消滅する。しかし、デンジのチェンソーに切り裂かれた呪霊たちは、残滓すら残さず、まるで「最初から存在しなかった」かのように空間から削り取られて消えていくのだ。
チェンソーの悪魔が持つ「概念の消滅」という理。それは、呪力という因果で強固に結びついたこのバグ世界を剪定する上で、最強の「消しゴム」として機能していた。
「よし、あらかた片付いたね」
五条は指を鳴らし、残っていた数体の呪霊を『蒼』でまとめて圧殺した。
「はぁーっ、疲れたぜ……」
デンジはチェンソーの回転を止め、スターターを戻して人間の姿に戻った。彼は返り血でベタベタになった服を払いながら、周囲を見渡した。
「おいオッサン、これで終わりか? さっさとこの不気味な場所から出て、飯食いに行こうぜ」
「まだまだ。今のはただのお出迎えだよ」
五条は、黒い目隠しの奥で、この狂った新宿の中心部、巨大な木造の社がそびえ立つ方角を睨みつけた。
「……本丸で、最悪の二人が出会っちまったみたいだ」
五条の言葉に、大気が震えた。
あまりにも巨大で、禍々しい呪力が二つ、遠く離れた場所で衝突し、共鳴しているのだ。
五条とデンジが立つ場所から数キロ離れた、新宿の最深部。
かつての都庁の跡地には、人間の頭蓋骨を何万と積み上げて作られた、巨大な「玉座」が鎮座していた。
その玉座に深々と腰を下ろしているのは、圧倒的な恐怖の象徴。
虎杖悠仁の体を受肉の器とする必要すらなく、自らの魂と肉体を完全に現世へと顕現させた、「全盛期・両面宿儺」。
彼は、腹部にあるもう一つの口から紫煙のような呪力を吐き出しながら、退屈そうに頬杖をついていた。
「……何の用だ」
玉座の前に現れた「紫色の光の扉」から歩み出てきた男を冷ややかに見下ろした。
「相変わらず、威圧感のある姿だ。お目にかかれて光栄だよ、呪いの王」
紫のタイムドアから現れたのは、五条悟の肉体を乗っ取った変異体、羂索だった。
「六眼の小僧の体か。だが、中身は別物だな」
宿儺は、瞬時に眼前の男の正体を看破した。
「千年前からコソコソと嗅ぎ回っていた術師の臭いがするぞ。羂索」
「ハハッ、覚えていてくれたとは嬉しいね」
羂索は両手を広げた。
「このタイムラインの君は、現代の術師たちを皆殺しにし、世界を完全に支配してしまったようだね。……でも、退屈だろう? 遊び相手のいない箱庭で、永遠に座り続けるのは」
「言いたいことがあるなら、手短にしろ。俺の機嫌が変わらないうちにな」
「単刀直入に言おう。外の世界(マルチバース)へ行かないか?」
羂索は懐から、禍々しく変色したテンパッドを取り出した。
「この世界はもはや行き止まりだ。だが、この扉の向こうには、君の知らない強者、君の知らない概念、そして君が切り刻むための無限の世界が広がっている。……私と手を組めば、全次元を巻き込んだ『死滅回游』という極上の遊びを提供しよう」
羂索は、宿儺の圧倒的な力を「手駒」として利用するつもりだった。
この平安の王を異次元に放ち、暴れさせれば、TVAの監視網すら崩壊させることができる。
だが、宿儺は動かなかった。
ただ、四つの目で羂索の持つテンパッドと、彼が纏う「五条悟の肉体」をじっと見つめていた。
「……異界、か。なるほど、最近空の匂いが変わったのは、貴様が持ち込んだその玩具のせいか」
宿儺はゆっくりと立ち上がった。
その瞬間、玉座を構成していた数万の頭蓋骨が、その重圧に耐えきれずに粉々に砕け散った。
「だが、羂索。貴様は一つ勘違いをしている」
宿儺の四本の腕が、だらりと垂れ下がる。
「俺は、誰の指図も受けん。……そして、面白い玩具は『奪う』主義だ」
ズパァァァン!!
予備動作など一切ない。
宿儺の放った『解』が、羂索の無下限のバリアに激突した。
「おっと!」
羂索は後方へ飛び退いた。
無下限呪術によって斬撃は停止したが、バリアの表面がメリメリと音を立てて軋んでいる。
「力ずくで奪う気かい? 私が死ねば、このテンパッドの操作方法は永遠に失われるぞ!」
「知ったことか。貴様の脳味噌を引きずり出して、俺が直接読めば済む話だ」
宿儺は地面を蹴った。
巨体からは想像もつかない神速。一瞬にして羂索の眼前に迫り、上の二本の腕で無下限のバリアを力任せに殴りつけながら、下の二本の腕で印を結ぶ。
「なっ……!?」
羂索の顔に、初めて焦りが浮かんだ。
この宿儺は、虎杖や伏黒の体に受肉していた宿儺とは次元が違う。呪力の総量、出力、そして四本の腕による「詠唱と印の同時並行」という、呪術師としての完全無欠の機能。
「『捌』」
対象の呪力差に応じて威力を調整する斬撃が、無下限の境界線を無理やり抉り開こうとする。
さらに、宿儺は腹部の口から呪詞を詠唱した。
「龍鱗、反発、番の流星――」
「世界を断つ気か……!」
羂索はテンパッドを懐にしまい、両手で『蒼』と『赫』を同時に展開しようとした。
だが、宿儺の狙いは羂索の命を絶つことではなかった。
「お前のその体。……なかなか面白そうだな」
宿儺の上腕の一本が、自身の胸に突き刺さった。
ゴパァッ、と血を吐きながら、宿儺は自らの心臓の隣にある「呪力の核」――己の魂の一部を、物理的に引きちぎり、血に濡れた指の形へと変換した。
「……何をする気だ!」
羂索が後退しようとするが、宿儺の『捌』が無下限のバリアをついに引き裂いた。
「開け、羂索」
宿儺の四本目の腕が、羂索(五条)の顎を鷲掴みにし、無理やり口を開じ開けた。
そして、引きちぎったばかりの「自身の魂の欠片」を、その喉の奥深くにねじ込んだ。
「グガッ……!? ゲホッ、ゴァ……ッ!!」
羂索は喉を押さえて悶え苦しんだ。
六眼を持つ最強の肉体。そして、千年を生きる最悪の呪詛師の脳。
その極上の器に、平安の「呪いの王」の魂が強制的に流し込まれたのだ。
「ア……アァァァァァァッ!!」
羂索の意思が、宿儺の圧倒的な魂の毒に塗り潰されていく。
五条悟の顔に、幾何学的な黒い刺青が浮かび上がり、眼球が赤黒く染まる。
指先からは、無下限の蒼い呪力と、宿儺の赤黒い斬撃の呪力が混ざり合い、スパークして周囲の空間を無差別に消滅させていった。
「……クックック。ハハハハハ!」
血反吐を吐きながら、乗っ取られた五条の肉体が立ち上がる。
その顔に浮かんでいるのは、羂索の粘着質な笑みではない。天上天下唯我独尊を体現する、王の傲慢な笑みだった。
完全な肉体を持つ「全盛期・両面宿儺」。
そして、五条悟の肉体と六眼、無下限呪術を掌握した「宿儺受肉体・五条悟」。
二人の最悪の「宿儺」が、地獄の瓦礫の上で並び立った。
「六眼と無下限……なるほど。世界が透けて見える」
受肉した五条(宿儺)が、自らの手を握りしめながら嗤う。彼は懐から羂索のテンパッドを取り出し、軽く弄んだ。
「この玩具の使い方も、あのネズミの脳から引き出した。……これで、どこへでも行けるな」
全盛期宿儺が、四つの目を細めて己の半身を見下ろす。
「まずは、この窮屈な世界を壊すか。……おや?」
二人の宿儺が、同時に同じ方向――五条とデンジが向かってくる方角へと視線を向けた。
「ほう。俺と同じ顔をした小僧が、犬っころを連れて歩いてくるぞ」
受肉五条が、楽しげに首を傾げる。
「客が来たようだ。……最高のもてなしをしてやろう」
全盛期宿儺が、四本の腕を鳴らした。
絶望の特異点が、ついに完成した。