五条悟―神聖時間軸の剪定者―   作:ルルルだ。

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18話 在り続ける者

巨大な扉は、五条悟が手を触れるよりも前に、内側へと開いた。

 

まるで、ずっと前から彼らが来るのを待っていたかのように。

 

「……おじゃましますよ」

五条は警戒を怠らず、無下限の呪力を全身に巡らせたまま、薄暗いエントランスへと足を踏み入れた。

包帯五条が右腕で呪力を練りながら続き、デンジは「なんかカビ臭えな」と鼻をすすりながら最後尾を歩く。

 

城の内部は、奇妙なほど「静か」で「空虚」だった。

無限に続くかと思われる長い回廊。だが、その壁や床は一定ではない。

 

「ここは……なんだ? 空間が継ぎ接ぎだらけだ。TVAのオフィスとも違う。誰かの『脳内』を歩いているみたいだ」

 

「時間も空間も意味を持たない場所だからね。持ち主の心象風景が、そのまま城の形になってるんだろ」

五条は、六眼から絶え間なく流れ込んでくる「見覚えのある呪力」の波長を追って、迷いなく回廊を真っ直ぐに進んだ。

歩みを進めるごとに、その呪力は濃密になる。

 

やがて、回廊の突き当たり。

一際大きな、円形の空間へと辿り着いた。

 

そこは、プラネタリウムのドームのように天井が高く、周囲は全て宇宙空間のような漆黒に覆われていた。

そして、部屋の中央。

黄金色の光の糸が、無数に空を舞い、巨大な「織り機」のような不可視の装置に向かって吸い込まれ、あるいは吐き出されている。

セクター・フリンジ――JJKやCSMの世界群の時間軸を物理的に束ねる、システムの中枢。

その黄金の糸は、本来なら整然と織り込まれているはずなのだろうが、今はあちこちで結び目が解け、赤黒い呪力の火花を散らしてショートしかけていた。

 

そして、その暴走しかけている巨大な織り機の根元。

古びた木製のデスクに、一人の男が座っていた。

 

「……遅かったじゃないか、悟」

 

男は、束ねた長い黒髪を揺らし、ゆっくりと顔を上げた。

額に縫い目はない。呪詛師としての禍々しい袈裟ではなく、どこか懐かしい風貌をしている。

 

だが、その顔には、五条が知るどの夏油傑よりも、深い皺と、果てしない徒労感が刻まれていた。

何千年、何万年という時間を、たった一人でこの虚無の底で過ごしてきた者の顔。

 

五条悟の足が、ピタリと止まった。

六眼は、目の前の存在が幻影でも、誰かが化けた偽物でもないことを、冷酷なまでに証明している。

アース-JJK-091で見た「平和なIF世界の夏油」とも違う。彼が放つ呪力の重圧は、正史の、いや、それ以上に無数の悲劇を飲み込んできた「神」のそれだった。

 

「……傑」

 

五条は、小さく息を吐き出し、黒い目隠しを額へと押し上げた。

蒼い瞳が、デスクに座る男を静かに射抜く。

 

「なるほどね。この悪趣味な箱庭のテッペンに座ってたのは、どこかの分岐から引っ張られてきた『夏油傑(変異体)』だったってわけか」

五条は、いつもの飄々とした口調を取り繕いながらも、その声の奥に鋭い棘を潜ませた。

「感心するよ。あの口うるさいTVAの連中を出し抜いて、こんな時間の果てに引きこもってシステムを私物化するなんてさ」

 

夏油は、デスクの上に置かれていたティーカップを指で弄びながら、穏やかに微笑んだ。

「相変わらず、飲み込みが早いな。悟」

 

夏油はゆっくりと立ち上がった。

彼が立ち上がると同時に、背後で暴走しかけていた黄金の糸(タイムライン)が、ギシギシと悲鳴を上げながら無理やり軌道を修正された。彼自身の膨大な呪力が、この崩壊しかけたシステムを「力技」で繋ぎ止めているのだ。

 

「私がこの場所(時の終わり)に辿り着いたのは、君たちから見れば、ずっと過去の話だよ」

夏油は、ドームの宙に浮かぶ黄金の糸の一つを指先でなぞった。

「私が『非術師を皆殺しにする』という理想を、本当に成し遂げてしまったタイムラインが生まれたんだ」

 

夏油が指を弾くと、空間にホログラムのような幻影が浮かび上がった。

それは、血の海に沈む日本列島。そして、その惨状の中心で、オレンジ色の扉から現れたTVAのミニットメンたちが、夏油傑を包囲し、拘束している映像だった。

 

「一つのユニバースの理を丸ごと書き換えるほどの、異常な呪力の肥大化。……TVAはそれを『特大のネクサス・イベント(分岐)』として検知し、パニックに陥った。彼らはこのセクター・フリンジへ慌てて部隊を派遣し、私を変異体として捕らえたんだ」

 

「TVAに、捕まった……?」

包帯五条が眉をひそめる。

 

「ああ。そして彼らは気づいた。呪力というエネルギーの質量が重すぎて、通常の兵器では世界を剪定しきれないとね」

夏油は自嘲気味に笑った。

「そこで彼らは、捕らえた変異体の中でも、呪霊操術という便利な力を持つ私に目をつけた。『特例のエージェントとして働けば、お前の命は保証してやる』とね。……アルコットが君をスカウトした時と、全く同じ手口だ」

 

「……」

五条は無言で先を促した。

 

「私はエージェントとして、マルチバースの全容を知った。無限に広がる可能性。別の人生。……最初は、素晴らしいものだと思ったよ。誰もが笑って暮らせる世界があるかもしれないと」

 

夏油の表情から、笑みが消えた。

その瞳に、底なしの暗い絶望が浮かび上がる。

 

「だが、現実は違った。……悟、知っているかい? 『呪力』という人間の負の感情が存在する限り、世界が分岐すればするほど、呪いは無限に増幅していくんだ」

 

夏油が両手を広げると、周囲の空間に無数の世界の「終末」の映像が映し出された。

宿儺が世界を喰らい尽くし、血の海で笑う世界。

五条悟が闇に堕ち、非術師を皆殺しにして暴君と化した世界。

特級呪霊たちが進化し続け、人類が完全に絶滅した世界。

 

「可能性が自由になればなるほど、最悪のバッドエンドが指数関数的に生まれていく。TVAの連中は、セクター・プライム(TVAが主に監視する、マーベルの世界)さえ無事なら、私たちの世界がどうなろうと知ったことではなかった。……計算結果は冷酷だったよ。マルチバースを許容すれば、私たちの世界群は、遠からず呪いの飽和によって自壊する」

 

夏油の声が、静かに、だが確かな重みを持って五条の胸を打つ。

 

「だから、私は決めたんだ」

夏油は、背後の巨大な時間織り機を見上げた。

「TVAの連中には任せておけない。私がこのシステムを乗っ取り、この『時の終わり』から、私たちの世界を完全に隔離し、管理すると」

 

「……お前が」

五条の目が、鋭く細められた。

「じゃあ、あのアルコットとかいうお役人が、偉そうに『神聖時間軸』を語ってたのは……」

 

「ああ、私がアルコットたちの記憶を消去し、書き換えた」

夏油は淡々と事実を告げた。

「彼らは『マニュアルに従って異常を処理している』と思い込んでいるが、その指示を出しているのは私だ。私こそが、セクター・フリンジにおける『在り続ける者』だ」

 

「ふざけるなッ!!」

包帯五条が激昂し、『赫』を放とうと右腕を突き出す。

「お前が裏で糸を引いて、何兆という人間の可能性を……俺たちの平和な未来を勝手に切り捨てていたというのか!!」

 

「そうだ」

夏油は、包帯五条の怒りを受け止めるように、静かに頷いた。

 

「やめろ」

五条(正史)が、包帯五条の肩を掴んで制止した。

五条の六眼は、夏油が今、この城から全マルチバースの「時間そのもの」を呪力で縫い合わせ、強引に形を保っていることを理解していた。彼を殺せば、時間が弾け飛び、ここにいる全員が虚無の塵となる。

 

「……傑」

五条は、かつての親友を、静かに見据えた。

「お前が神を気取って、アルコットたちを操り、一つのタイムラインだけを残したって言うなら……どうして、あんな歴史を選んだ」

 

五条の声が、僅かに震えた。

 

「ワンダが穴を開けるまで、お前はここで永遠に、僕らが苦しむだけの歴史を監視し続けるつもりだったのか?」

 

夏油は、空になったティーカップをデスクに置き、静かに伏し目がちになった。

その表情には、後悔も、懺悔もない。

 

「……知りたいか、悟」

夏油が顔を上げる。その瞳の奥に、果てしない絶望の記憶が渦巻いているのを、五条は感じ取った。

「私がTVAという組織に拾われ、あそこで何を見て、何に絶望し……そしてなぜ、この『一本道』を選ばざるを得なかったかを」

 

夏油が静かに目を閉じると、彼から放たれる呪力の波長が、空間の壁面に張り付いたステンドグラスのような「記憶の窓」の一つを大きく拡張させた。

 

五条と、背後に立つ包帯五条、そしてデンジの視界が、強烈な呪力のフラッシュバックに飲み込まれる。

 

それは、五条が知る夏油傑ではない。

TVAによって「変異体」として処理されるはずだった、ある一つの極端な可能性の結末。

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