五条悟―神聖時間軸の剪定者―   作:ルルルだ。

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19話 在り続ける者:オリジン編 1

視界が切り替わる。

むせ返るような血の匂いと、焦げたアスファルトの臭いが鼻を突いた。

 

そこは、炎に包まれた新宿だった。

だが、呪霊の姿はない。建物を破壊し、アスファルトを真っ赤に染め上げているのは、ただ純粋な「暴力」と「呪術」の痕跡だった。

 

見渡す限りの屍の山。

その全てが、非術師たちの骸だった。

 

瓦礫の山の頂上に、一人の男が立っていた。

袈裟を血に染め、髪を振り乱した夏油傑。

彼の周囲には、数千、数万という呪霊が統率された軍隊のように控えており、空を黒く覆い尽くしている。

 

『……終わった』

 

夏油は、血に濡れた掌を見つめ、震える声で呟いた。

『ついに、成し遂げた。……猿は消え去り、この国は、呪術師だけの楽園になる』

 

それは、五条が知る正史では「百鬼夜行」に敗れて潰えた大義。

だが、このタイムラインにおける夏油は、何か決定的な運命の掛け違いによって五条悟を退け、計画を完全に遂行してしまったのだ。

非術師が消滅したことで、新たな呪霊はもう生まれない。彼の理想郷が、夥しい血の代償の上に完成した瞬間だった。

 

だが、夏油の顔に達成感はなかった。

親友を失い、人間性を捨て、修羅に堕ちた果てに手に入れた景色は、ただひたすらに虚無で、孤独だったからだ。

 

『これで、よかったんだ……。もう誰も、理不尽に死ぬことは……』

 

夏油が独り言を呟いた、その時だった。

 

――カチリ。

 

『……?』

夏油が振り返る。

彼から十数メートル離れた空中の座標が、突然、長方形に切り取られた。

そして、オレンジ色に発光し、光の扉(タイムドア)が形成される。

 

『呪霊の転移か? いや、呪力ではない……!』

特級呪術師としての本能が、即座に警戒を促した。彼は数体の特級呪霊を前面に展開し、臨戦態勢をとる。

 

オレンジ色の扉から現れたのは、重厚な装甲服とフルフェイスのヘルメットを被った数名の兵士(ミニットメン)だった。

そして、その後方から、茶色いスーツを着た初老の男が、タブレット端末を片手に歩み出てきた。

 

『アース-JJK-662。……ひどい有様だな』

アルコットは、周囲の屍の山と血の海を一瞥し、ハンカチで鼻を覆いながら顔をしかめた。

『一人の変異体のエゴによって、惑星規模の生命体が間引きされたか。タイムラインのレッドライン突破を確認。……直ちに剪定作業に入る』

 

『何者だ、お前たちは』

夏油が低い声で威嚇する。彼の背後で、呪霊たちが唸り声を上げた。

『私の楽園に土足で踏み入るというなら、ただでは済まさないぞ』

 

アルコットは、夏油の方を見向きもせず、手元のタブレットを操作し続けた。

『我々は時間変異取締局(TVA)。神聖時間軸から逸脱した「過ち」を修正しに来た清掃員だ。……君の言う楽園とやらも、数分後には虚無の塵となる』

 

『過ちだと?』

夏油の額に青筋が浮かぶ。

彼がどれほどの血と涙を流し、親友を手に掛けてまで成し遂げた大義。それを、見ず知らずの背広の男に「過ち」と断じられたのだ。

 

『呪霊操術・「極ノ番・うずまき」』

 

夏油は一切の容赦なく、背後に控えていた数千の呪霊を一つに圧縮し、アルコットたちに向けて放った。

特級呪術師の全力が込められた、地形を消し飛ばす極大のエネルギー波。

 

だが。

 

『タイム・カラー作動。対象を1/16秒でループさせろ』

アルコットが小さく指示を出す。

 

ミニットメンの一人が、手にした装置のボタンを押した。

 

『――ッ!?』

 

夏油の視界が、コマ送りのようにブレた。

放ったはずの『うずまき』のエネルギーが、空中でピタリと静止している。

いや、違う。静止しているのではない。

『うずまきを放つ直前の動作』から『放った直後』までの数秒間が、ビデオテープを巻き戻すように、何度も何度も永遠に繰り返されているのだ。

 

『な……にが、起きて……!』

夏油の意識はハッキリしているのに、肉体が同じ動作を強制的にループさせられている。呪力が全く意味を成さない。空間ごと切り取られ、時間の牢獄に閉じ込められた感覚。

 

『無駄だ、変異体。君のエネルギーは非常に特異だが、我々の時間干渉技術の前では、どんな超能力もただの物理現象に過ぎない』

アルコットが、ループし続ける夏油の眼前まで歩み寄ってきた。

 

『君の世界は、これよりリセットチャージによって完全に消去される。君が殺した人間も、君が創ろうとした楽園も、最初から存在しなかったことになる』

 

アルコットの言葉は、夏油の心を根本から叩き割るのに十分だった。

自分の罪も、大義も、全てが「無意味」だったという宣告。

 

だが、アルコットはそこでタブレットの画面をフリックし、奇妙な提案を持ちかけた。

 

『しかし……君のその「呪いという概念を統率する能力」。それは、我々の局にとって非常に魅力的なツールだ。現在、このセクター・フリンジでは異常な分岐が多発しており、清掃員の手が足りていなくてね』

 

アルコットは、ループに囚われてもがく夏油を見据えた。

『どうだ? このまま世界と共に虚無の塵となるか。それとも、TVAのエージェントとして働き、君という個体の存在だけは維持するか。……選ばせてやろう』

 

屈辱。絶望。そして、理解の及ばない超越的な力への無力感。

夏油傑は、そのループする時間の中で、ギリッと唇を噛み破った。

 

『……私が、お前たちの、犬になると……?』

 

『犬ではない。管理側の特権階級だ』

アルコットは冷徹に返す。

『……来るのか、来ないのか。三秒で答えろ』

 

夏油は、血に染まった自分の手を見た。

ここで死ねば、本当に全てが無に帰す。ならば、この訳の分からない組織に潜り込み、そのシステムを利用してでも、自らの存在意義を見つけ出さなければならない。

 

『……行く』

 

夏油が絞り出すように答えた瞬間、時間のループが解除された。

彼は膝をつき、激しく咳き込んだ。

ミニットメンが容赦なく夏油の腕を取り、重厚な手錠をかける。

 

『賢明な判断だ』

アルコットがオレンジ色のタイムドアを指し示す。

『歓迎しよう、夏油傑。TVAは君の入局を歓迎する。……チャージを起動しろ』

 

兵士の一人が、瓦礫の上に紫色の光を放つリセットチャージを設置した。

夏油がタイムドアに引きずり込まれる背後で、彼が全てを犠牲にして創り上げた「呪術師だけの楽園」が、音もなく端から溶解し、消滅していく。

 

(……この時、私は全てを失った)

(だが同時に、私は『世界の裏側』を知る機会を得たのだ)

 

幻影の記憶の中で、現在の夏油の静かな声が響く。

 

オレンジ色の光を抜け、TVA本部へと足を踏み入れた夏油傑。

それが、彼が『在り続ける者』という神へと至る、狂気と絶望に満ちた旅の始まりだった。

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