五条悟―神聖時間軸の剪定者―   作:ルルルだ。

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20話 在り続ける者:オリジン編 2

TVA本部での時間は、夏油傑にとって緩やかな拷問だった。

終わりのないペーパーワークと、灰色のペースト状の食事。そして何より、彼から「呪術師」としての誇りと力を削ぎ落とす、無機質な物理法則の檻。

 

『夏油、次の処理対象だ』

 

アルコットがデスクにファイルを放り投げる。

夏油は、TVAの制服である茶色いスーツに身を包み、首には呪力出力を極限まで抑え込む制御カラーを巻かれていた。

ファイルを開く。そこには、赤文字で「レッドライン突破間近」と記されたタイムラインの座標と、崩壊していく日本の映像が添付されていた。

 

『アース-JJK-310。虎杖悠仁の死刑が早期に執行され、それに激怒した五条悟が呪術監層部を皆殺しにしたタイムラインだ』

アルコットはコーヒーを啜りながら、虫の死骸でも見るような目でモニターを見た。

『五条の暴走により、日本国内の呪力バランスが完全に崩壊。結果として特級呪霊が連鎖的に発生し、国家機能は消滅した。……放っておけば、その膨大な負のエネルギーが隣接するタイムラインにまで悪影響を及ぼす。直ちにリセットチャージを設置してこい』

 

『……承知した』

 

夏油はファイルを閉じ、テンパッドとタイムスティックを腰に下げた。

彼がTVAに拾われてから、どれだけの「時間」が過ぎたのかは分からない。だが、彼は既に何十、何百という「ifの世界」を自らの手で剪定してきた。

TVAにとって、彼はただの便利な『清掃員』だった。呪力という特殊な因果を持つ世界には、呪力に精通した者を送り込むのが最も効率が良いのだろう。

 

タイムドアを抜け、指定された座標に降り立つ。

 

そこは、焦土と化した東京だった。

空は血のように赤く、ビル群は飴細工のようにひしゃげている。

そして、瓦礫の山の上に、かつての親友、五条悟が座り込んでいた。

彼は目隠しを外し、血に濡れた手で、虚ろな空を見つめている。彼の足元には、数え切れないほどの呪術師たちの死体が転がっていた。

 

『悟……』

 

この五条悟は、正史の彼とは違う。圧倒的な力で全てをねじ伏せた結果、守るべきものを全て失い、ただ虚無だけを抱えて壊れてしまった五条悟だ。

 

『アァァァァ……』

五条の周囲から、彼が殺した術師たちの残留思念が寄り集まり、巨大な呪霊へと変貌しようとしている。

 

(……見ろ。これが『可能性』の果てだ)

夏油の脳内で、冷酷な計算式が弾き出される。

 

TVAのデータベースでマルチバースの構造を学んだ夏油は、ある一つの絶望的な真実に辿り着いていた。

セクター・プライム(マーベル世界)の住人たちには、物理的な超能力や魔法がある。だが、彼らの世界には『呪力』という、人間の負の感情を動力源とする重篤なシステムが存在しない。

 

しかし、セクター・フリンジ(呪術廻戦などの世界)において、マルチバースが許容されるということは、すなわち『無限の呪いの増殖』を意味する。

運命が分岐すればするほど、そこには「選ばれなかった後悔」「理不尽な死への恐怖」「圧倒的な絶望」が新たに生み出される。

それらの負の感情は、タイムラインごとに特級呪霊や悪魔を際限なく生み出し、最終的にはどの世界も、呪いの飽和によって自壊する運命にあるのだ。

 

夏油は、手元のリセットチャージを起動した。

 

『ご苦労だったね、悟』

夏油は、狂ってしまった親友に向けて、静かに装置を投げ落とした。

紫色の光が爆発し、壊れた五条悟ごと、血に塗れた東京が端から溶解していく。

 

夏油はタイムドアをくぐり、無表情のままTVAへと帰還した。

 

 

 

『見事な働きだ、夏油』

アルコットが、処理完了の報告を見て頷いた。

『君の呪霊操術による陽動と、現場での状況判断能力は素晴らしい。やはり、あのセクターのバグ掃除には、あのセクターのゴミを使うのが一番だな』

 

アルコットの言葉には、隠しきれない優生思想と軽蔑が混じっていた。

 

『……アルコット分析官』

夏油は、首のカラーを指で触れながら、静かに問いかけた。

『最近、セクター・フリンジでの分岐が指数関数的に増加している。私の処理だけでは追いつかなくなるのも時間の問題だ。根本的な解決策はないのか?』

 

アルコットは鼻で笑った。

『根本的な解決? 君たちの世界は、もともと我々にとって「隔離された危険物処理場」に過ぎないのだよ。呪力だの悪魔だの、ひどく野蛮で不安定なエネルギーだ。……手に負えなくなれば、どうするか分かるか?』

 

アルコットは、手元のキーボードを叩き、巨大なモニターにセクター・フリンジのタイムラインの束を映し出した。

『セクターごと、時間織り機から切り離して虚無へ廃棄する。セクター・プライムに呪いの汚染が及ばないようにな』

 

夏油の瞳孔が、僅かに収縮した。

 

『君たちの日々の営みも、悲劇も、我々からすればただの数字だ。バグが増えすぎればシステムごとフォーマットする。それがTVAだ』

アルコットはコーヒーを飲み干し、立ち上がった。

『君は優秀な清掃員だ。廃棄の際は、君だけはこの本部に残してやってもいい。……さて、次のファイルの準備をしておけ』

 

アルコットが部屋を出て行く。

 

一人残された夏油は、モニターに映る無数のタイムラインの光の束を、じっと見つめていた。

自分の世界。五条が生き、生徒たちが生きる世界。

それが、あの背広を着た役人たちにとっては、いつでも電源を落とせる「ゴミ箱」に過ぎない。

 

(……冗談じゃない)

 

夏油の胸の奥底で、かつて「非術師を皆殺しにする」と決意した時と同じ、暗く冷たい炎が静かに燃え上がった。

 

彼は、自分が間違っていたことを悟った。

非術師を殺したところで、世界は救われない。

マルチバースが存在し、無限の可能性が広がる限り、呪いは形を変えて必ず世界を滅ぼす。そして、それを管理しているTVAは、自分たちの世界を虫ケラとしか思っていない。

 

(この狂ったシステムから、私たちの世界を隔離しなければならない)

 

夏油は、TVAの端末に自身の呪力を微量に流し込み、ハッキングを試みた。

首の制御カラーが警告音を鳴らすが、彼はそれを無視し、自らの肉体を呪力で内側から破壊し、再生させながら、強引にアクセス権を奪っていく。

 

モニターに、セクター・フリンジを束ねる専用の巨大な装置、『時間織り機』の設計図と、その中枢への座標が表示された。

 

(可能性など、不要だ。自由など、呪いの苗床に過ぎない)

 

夏油の脳内で、一つの完璧で、あまりにも残酷な「方程式」が組み上がっていく。

 

呪力の飽和を防ぎ、TVAに廃棄されず、世界がギリギリで存続するための『たった一つの正解』

それを維持するためには、全てのリスクを削ぎ落とし、誰か一人の規格外に、世界の全重量を背負わせる必要がある。

 

『……悟。私とお前が、笑い合える未来は、どう計算しても存在しないようだ』

 

夏油傑は、TVAの制服を脱ぎ捨てた。

彼は、机の上に置かれていたテンパッドを手に取り、その座標を「時の終わり」――時間織り機の最深部へと設定する。

 

『私が、神になろう』

 

誰にも理解されなくていい。誰にも感謝されなくていい。

ただ、あの青い春の記憶だけを胸に秘め、彼は自らを永遠の孤独へと幽閉する道を選んだ。

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