五条悟―神聖時間軸の剪定者―   作:ルルルだ。

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7話 かりそめの世界

赤黒い亀裂が、青空を無残に這い回っていく。

足元の枯れ葉は泥濘へと変貌し、木々は急速に立ち枯れていく。羂索が起動した「強制次元崩壊装置」は、この世界が回避し続けてきた巨大な呪力の負債を、一気に取り立てるかのように空間そのものを蝕んでいた。

 

「どうした? 動きが鈍いぞ、五条悟!」

羂索・五条が、崩壊していく空間の中心で嘲笑う。

その姿は五条自身と全く同じでありながら、纏う呪力の質感は粘着質で、底知れぬ悪意に満ちていた。

 

「他人のガワでよく喋る口だ」

五条は泥濘む地面を蹴り、瞬時に間合いを詰めた。

無下限呪術による絶対的な防御を纏いながら、呪力を込めた右拳を振り抜く。

羂索もまた、同じく無下限の防御を展開し、五条の拳を己の数ミリ手前で停止させる。

 

ガギィィィッ!!

 

互いの「無限」が衝突し、空間が凄まじい悲鳴を上げた。

本来なら決して交わることのない二つの不可侵領域が、全く同じ術式構造を持つがゆえに、摩擦熱のような青白い火花を散らして軋み合う。

 

「君の『無限』は綺麗すぎる。だから脆いんだよ」

羂索は至近距離で嗤い、空いた左手で印を結んだ。

「術式反転・『赫』」

 

五条も即座に反応し、同じ印を結ぶ。

「『赫』」

 

至近距離で放たれた二つの反発の力が真正面から激突し、爆発的な衝撃波が二人を弾き飛ばした。

五条は空中で姿勢を立て直し、音もなく着地する。だが、彼の六眼は、その爆発の余波が林の向こう――グラウンドの方角へ向けて広がっていくのを捉えていた。

 

「……悟! 何をしている!」

 

土煙を切り裂き、焦燥に満ちた声が響いた。

五条の肩が、微かに跳ねる。

 

崩れゆく木々の間から駆けつけてきたのは、夏油傑だった。その後ろには乙骨憂太、そして遅れて虎杖や伏黒たちの姿も見える。

彼らの目に映ったのは、赤黒く崩壊し始めた空と、荒れ果てた大地、そして――。

 

「……五条先生が、二人?」

乙骨が息を呑み、刀の柄に手をかけたまま硬直した。

 

夏油は鋭い視線で、五条(正史)と羂索・五条を交互に睨みつけた。

「どういうことだ。特級呪霊の擬態か? いや……呪力波形が全く同じ……?」

特級呪術師である夏油でさえ、六眼と無下限呪術を完全に再現している存在を前に、瞬時の判断を保留せざるを得なかった。

 

「やあ、傑。そして生徒諸君」

羂索・五条が、悪びれもせずに手を振った。

「見ての通り、私は偽物と交戦中だ。私の姿を騙る悪趣味な呪詛師か何かだろう。手伝ってくれるかい?」

 

「……ふざけるな」

五条(正史)の声が、地を這うように低く響いた。

彼の周囲の空気が、怒りでビリビリと震え始める。

 

「お前ら、下がれ! そいつは……」

五条が夏油たちに警告しようとした瞬間、羂索が動いた。

彼が狙ったのは五条ではない。まだ事態を飲み込めていない、虎杖たち生徒の集団だった。

 

「『蒼』」

 

羂索の指先から発生した強力な引力が、虎杖と伏黒の体を無慈悲に吸い寄せる。

「うわっ!?」

「なっ……!」

 

「させないよ」

夏油が瞬時に呪霊を喚び出し、生徒たちを引力から引き剥がそうとする。

だが、それこそが羂索の狙いだった。

 

「傑!」

五条(正史)は叫び、夏油を庇うように飛び出した。

羂索の真の狙いは、夏油傑の背後を取ること。五条と同じ顔、同じ声を持つ羂索は、一瞬の隙を突いて夏油の背後に回り込み、その首筋に手刀を突きつけた。

 

「動くなよ、偽物君」

羂索は、夏油を人質に取る形で五条(正史)を見据え、歪な笑みを浮かべた。

「少しでも動けば、この親友の首が飛ぶ。……ああ、君にとっては幻影かもしれないが、彼らにとってはこれが『現実』だ。そうだろ?」

 

「……悟? お前、本当に悟なのか?」

首元に刃を突き立てられながらも、夏油は目の前に立つ五条(正史)を見つめていた。

その瞳には、疑念よりも深い、友を案じる光が宿っている。

 

五条の胸の奥で、何かが軋んだ。

かつて彼自身の手で引導を渡した親友。その手が血に濡れる感触は、今でも魂に焼き付いている。

目の前にいるのは、TVAの言う「バグ」だ。正史を喰らう寄生体。消さなければならない幻。

頭では分かっている。だが、夏油傑の声が、体温が、そこにある。

 

(……だから嫌だったんだよ。こんな任務)

 

五条は、黒い目隠し越しに、羂索と夏油を見据えた。

「……おい。その汚い手で、傑に触るな」

 

「おや? 怒っているのかい?」

羂索は夏油の首元に少しだけ力を込めた。一筋の血が流れる。

「君の弱点はそこだ、五条悟。君は最強でありながら、常に『誰か』を必要としている。このかりそめの世界でさえ、君は過去の亡霊に囚われているんだよ」

 

羂索は嘲笑った。

「さあ、どうする? 君がリセットチャージを起動しないなら、私がこの世界からエネルギーを吸い尽くすまでだ。この親友も、生徒たちも、全て干からびて死ぬ。……君が彼らを殺すか、私が殺すか。どちらにせよ、結末は同じだ」

 

「……」

五条は深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。

周囲の崩壊は進んでいる。空の亀裂からは、紫色の異次元の光が漏れ出し始めていた。

時間が、ない。

 

「……傑」

五条は、人質にされている夏油に向かって、静かに呼びかけた。

「ごめん。ちょっと痛いかもしれないけど、我慢してくれ」

 

「……悟?」

夏油が目を見開く。

 

五条の右手に、かつてないほどの濃密な呪力が集束していく。

術式反転『赫』と、術式順転『蒼』。

それらを衝突させ、仮想の質量を押し出す複合術式。

 

「虚式……」

 

羂索の表情が強張った。

「正気か!? この至近距離で放てば、夏油傑も巻き込まれるぞ! 君は幻影だとしても、彼を殺せるのか!」

 

五条の唇が、微かに弧を描いた。

「僕を誰だと思ってる?」

 

五条は両手の指を弾いた。

「『茈』」

 

放たれた紫色の閃光。

それは、全てを消し去る仮想の質量。

だが、その軌道は羂索の予測を裏切っていた。五条は、羂索と夏油を「直接」狙ったわけではない。

彼が狙ったのは、羂索が展開している「無下限呪術のバリアの境界線」そのものだった。

 

ゴオオオオオオオオオッ!!!!

 

紫の光が空間を抉り取りながら、羂索のバリアに激突する。

「チッ……!」

羂索は夏油を突き飛ばし、全呪力を防御に回さざるを得なかった。

夏油の体が吹き飛び、乙骨が間一髪でそれを受け止める。

 

「今だ!」

五条は瞬速で羂索の懐に飛び込んだ。

彼が選んだのは、遠距離からの消去ではなく、ゼロ距離での確実な「破壊」。

 

「甘いよ、五条悟!」

羂索もまた、防御を解いて迎撃に出た。

全く同じタイミングで、全く同じ威力の『黒閃』が、二人の拳から放たれる。

 

ドガァァァァン!!!!

 

黒い火花が、崩壊する空間の中心で炸裂した。

二つの「六眼」が、至近距離で互いの存在を捉え、二つの「無下限」が、互いの情報の海を強制的に接続し合う。

 

その瞬間だった。

空間に、あり得ないほどの「情報の特異点」が発生した。

 

「……ッ!?」

五条の視界が、白く焼き切れた。

六眼の処理能力を超えた情報が、脳髄に直接流れ込んでくる。

それは、目の前にいる「羂索・五条」が経てきた、別のタイムライン、別の次元の履歴だった。

 

五条の意識は、肉体を離れ、狂気と混沌に満ちた「別の過去」へと引きずり込まれていく。

 

 

 

――視界が切り替わる。

そこは、血と瓦礫に塗れた、見知らぬ新宿の街並みだった。

足元には、真っ二つに両断された「自分自身」の死体が転がっている。

 

そして、その死体を見下ろしながら、額に縫い目のある男が、狂喜に満ちた声で笑い声を上げていた。

 

『素晴らしい……! これが、六眼の視界か!』

 

五条悟の脳内に、最悪の知能犯が辿った「マルチバース侵略のオリジン」が、再生され始めた。

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