五条悟―神聖時間軸の剪定者―   作:ルルルだ。

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8話 羂索:オリジン編 1

五条悟の意識は、情報の濁流に呑み込まれていた。

二つの「六眼」が至近距離で衝突し、互いの脳内に干渉し合った結果生じた、記憶の強制共有。

五条の視点は、彼自身の肉体を離れ、名状しがたい他者の「視神経」を通じて、ある光景を見下ろしていた。

 

ひどく、血と鉄と、焦げたコンクリートの臭いがする。

 

見下ろしているのは、完全に崩壊した新宿の街並みだった。

無数の高層ビルが原型を留めずへし折れ、アスファルトは巨大な刃物で抉り取られたように幾重もの亀裂を走らせている。呪力の残滓が、まるで陽炎のように大気を歪ませていた。

 

そして、その瓦礫の山の中央に、一人の男が横たわっていた。

いや、「横たわっている」という表現は正確ではない。

 

腰から真っ二つに両断され、上半身と下半身が残酷な距離を空けて転がっている、白髪の男の死体。

 

(……僕だ)

五条の意識が、粟立つ。

それは、彼が歩まなかった「もう一つの可能性」。

呪いの王・両面宿儺との決戦において、空間を断ち切る斬撃をその身に受け、敗北し、死亡した世界線の自分自身の無惨な姿だった。

 

その死体を見下ろす視界の主――羂索は、歓喜に打ち震えていた。

 

『惜しいことをする。……いや、私にとってはこれ以上ない僥倖か』

 

夏油傑の姿をした羂索が、血だまりの中を歩み寄り、五条の上半身の傍らにしゃがみ込んだ。

宿儺は既に別の獲物を求めてこの場を離れ、周囲には誰もいない。歴史上、最も濃密な呪力がぶつかり合ったこのグラウンド・ゼロは、皮肉にも今、最も静かで安全な特異点となっていた。

 

『肉体の鮮度は申し分ない。脳の損傷も最小限だ。……夏油傑の肉体には愛着があったが、乗り換えるだけの価値が、これにはある』

 

羂索は、夏油の額にある縫い目に指をかけた。

ブチッ、ブチッ、と糸を引きちぎる音が、五条の意識に生々しく響く。

頭蓋骨が外され、中から脳髄が――自立歩行するための小さな手と、不気味な口を備えた「羂索の本体」が這い出した。

 

五条の意識は、そのおぞましい寄生体が、自分の顔をした死体の頭部へと這い寄り、鋭いメスのような呪力で頭蓋を切り開く様を、ただ見せられ続けていた。

拒絶することも、目を背けることもできない。

自分の脳が引きずり出され、代わりに異物が脊髄と神経の束に繋がり、肉体を掌握していく感覚。

 

(やめろ……!)

声にならない五条の叫びは、記憶の持ち主である羂索の歓喜の波に掻き消される。

 

『繋がる。繋がるぞ。……神経パルス、呪力回路、肉体の記憶。全てが、私に流れ込んでくる……!』

 

ズンッ……!!

 

その瞬間。

羂索の視界――すなわち、新たに開眼した「六眼」の視界が、世界を劇的に変貌させた。

 

『……ッ!!!?』

 

羂索の脳に、宇宙の全てが雪崩れ込んできた。

空気中の原子の振動、数キロ先の蟻の足音、大気圏外から降り注ぐ宇宙線の軌道、そして、世界を構成する呪力の「色」と「形」。

目を開けているだけで、致死量の情報が脳細胞を焼き切ろうと暴れ狂う。

 

『あ、ガ……ァァァァッ!!』

 

千年以上を生き、数多の呪術師の肉体を渡り歩いてきた羂索でさえ、五条悟が常日頃から知覚している世界の情報量に、一瞬発狂しかけた。

これが、彼が「反転術式による脳の常時修復」をしなければ生きていけない理由。

彼が常に「最強」であり、「孤独」であった理由。

全てが見えすぎる。全てが分かりすぎる。この世界は、彼の目にはあまりにもノイズが多すぎるのだ。

 

だが、羂索は天才的な呪詛師だった。

彼は即座に「反転術式」を回し、焼き切れる脳細胞を再生させながら、六眼の知覚フィルターを自身の精神に合わせて調整していく。

 

『ハ、ハハ……。なるほど、君はこんな世界を見ていたのか、五条悟』

 

羂索は、血まみれの五条悟の顔で、恍惚とした笑みを浮かべた。

 

『素晴らしい……! 呪力消費が実質ゼロ。あらゆる術式が原子レベルで理解できる。これなら……!』

 

羂索は、切断された自分の下半身を引き寄せ、断面を合わせた。

無下限の呪力操作による完璧な細胞の接着。そして、反転術式による肉体の完全再生。

両断されていた五条悟の死体が、瞬く間に「生きた羂索」として蘇る。

 

彼はゆっくりと立ち上がり、自身の両手を見つめた。

力が溢れている。これまでの千年で得たどんな器よりも、強大で、完成された肉体。

 

『もはや天元との同化すら、過程に過ぎない。この力があれば、私は――』

 

羂索が、その「無限」の力でこの世界をどう蹂躙するかを思考し始めた、その時だった。

 

空間が、不自然な音を立てた。

呪力ではない。彼が今手に入れた「六眼」をもってしても、全く未知のエネルギー波長。

 

彼から十数メートル離れた空中に、長方形のオレンジ色の光が切り取られるように現れたのだ。

 

『……なんだ、あれは』

 

羂索は目を細めた。

光の扉(タイムドア)の中から、重装甲のアーマーを着込み、フルフェイスのヘルメットを被った兵士たちが数名現れた。彼らの手には、タイムスティックが握られている。

 

兵士のリーダー格が、手元のテンパッドを見て、羂索を指差した。

 

「ネクサス・イベントを確認。対象の死亡という確定事項が覆り、異常な分岐へと進行中。……変異体を拘束し、このタイムラインを剪定する」

 

『変異体? 剪定?』

羂索は小首を傾げた。

千年の知識を持つ彼にとっても、全く聞き覚えのない単語。そして、彼らが纏っている装備は、この地球の科学技術とは次元が違うものだった。

 

「抵抗は無駄だ。時間変異取締局の名において、君を連行する」

 

兵士たちが、無機質な足音を立てて羂索を包囲する。

普通であれば、彼らの持つタイムスティックに触れた瞬間、対象は虚無へと強制転送され、歴史から消去される。

 

だが、彼らが相手にしているのは、ただの変異体ではなかった。

六眼という「全てを見通す目」を手に入れた、最悪の探求者だ。

 

『時間、取締、局……。なるほど。私の知識にない組織、未知のテクノロジー。そして、この世界の理から外れたエネルギーの匂い』

 

羂索の蒼い瞳が、兵士たちの持つタイムスティックと、腰に下げられたテンパッドの構造を、原子レベルで「透視」し、解析していく。

 

『……君たち、どこから来たんだい?』

 

羂索の唇が、三日月のように吊り上がった。

 

『私の知らない「外側」の宇宙から来たのなら……君たちの脳みそ、是非とも解剖させてほしいな』

 

TVAの剪定部隊は、自分たちが「処理すべきバグ」だと思っていた存在が、全マルチバースを脅かす最悪のウイルスへと変貌する瞬間に立ち会うことになった。

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