刑罰:学園都市キヴォトス征服支援 作:霧霊旅団のしたっぱ
夜闇に足音が響く。
誰かが近づいている?──違う、これは自分のものだ。誰かに導かれるように、歩かされているような感覚。だが、不思議なことに嫌悪感は無い。
不意に自分の足が止まると同時に声がした。
「──久しいな、"先生"。君との限りある逢瀬を惜しむ気持ちはあるが、今回は手短に話そうと思う。至急届けるべき警句があったものでね、無茶をさせてもらった」
いつの間にか、目の前にティーテーブルが広がっている。
そこに座っているのは百合園セイア──トリニティ総合学園の生徒会組織『ティーパーティー』の当代ホスト。つまり生徒会長である。
彼女は現在入院中で目覚めていないとのことだが、自分が補習授業部の顧問になってからなぜかこうしてしばしば"夢"のような空間で言葉を交わすことがあった。
立って話を聞いていたが、仕草で促されたため対面の椅子に座ることにする。
慣れない優美な卓について、やや気まずい思いがよぎった。
「久しいって……一昨日にも会った気がするけど……」
「あぁ、そうだったかい?君にとってはそうなのか。いやどうも良くない、常習的に明晰夢を観測していると時間というものへの解釈がどうも連続的でなく感じてしまう……しかし、今は私のことはいいんだ」
セイアは小さくかぶりを振るうと、空を見た。
釣られて目線を上げると、星々が瞬いている。有名な星も星座も、自分がキヴォトスに来る前いた場所と変わりはない。
どこで誰が見上げても、そこに映るのはきっと同じ空なのだろうと思う。
「君はツァーヴなる人物を知っているか?」
不意にセイアが切り出した話題は、自分にとって全くもってピンと来ないものだった。
「いや、知らない……生徒?名簿に目を通した限りそんな生徒はいなかったと思うけど」
「生徒ではない。では、ゲヘナの"食人鬼"の噂は?」
「食人鬼?そりゃまた穏やかじゃない名前だね。いや、たしかそんな怪談があったような気も……」
"食人鬼"……確かにそんな存在がいるのではないかという話を、ゲヘナに足を運んだ時に聞いたことがあったような気もしないではない。
話していた生徒の数も少ない上に何とも曖昧な話だったため、よくある怪談の類だと考えていたが……。
「万魔殿情報部が統制して外部に秘匿しているのだから知らないのは当然か。端的に言おう、ゲヘナ学園自治区に実在する"食人鬼"ツァーヴは、キヴォトスの外から来た男だ。ヘイローも存在しない」
「外から!?それにヘイローも……それってつまり私と同じ……?」
「立場としては、類似している。彼は連邦生徒会長の存在を知らないと言っていたし、どこまで君と同じなのかは判然としないがね」
「"言っていた"……?その言い方、まさか」
こくりとセイアが頷く。
「私の前では情報の秘匿など意味を成さない。彼について知るのも……直接接触することも、容易だった」
「直接、ってどうやって……いや、セイアならできるのか」
「ああ、ご明察の通りだ。今の君と私のように、彼の夢に入り対話を試みたのだよ」
危篤状態にあるセイアがそんな危険な橋を渡っていたということに、背筋が冷えるような感覚を覚える。
だが、そういったことにいちいち言及することはセイアにとって望むところでは無いだろう。
彼女のためにも情報共有を急ぐ必要がある。
「"試みた"って、話せなかったってこと?」
「いや、彼はミカに負けず劣らずおしゃべりで、聞いたことには全部素直に答えてくれたよ。答えすぎてくれて、そのせいでやや体力を持っていかれたほどだ。しかし……要領を得ないのだ。彼の発する言は大半が冗談なのか本音なのか明瞭としない。……ただ、彼自身の性質はいくらか分かった」
セイアが記憶を辿るように頭を押さえる。
「幸いにも羽沼マコトの下から離反する様子が無く、彼女の影響により今すぐ先生に直接危害を加えることは無いだろうが……何をしでかすか分からない。その上、羽沼マコトは彼に明確な"目的"を与えてしまった」
セイアの声が遠く聞こえる。
視界が暗くなっていく。酩酊しているような……微睡むような奇妙な感覚だ。
ティーカップの置く音や遠くの木々のざわめきの音は段々小さくなっていっているというのに、セイアの声だけは脳を揺さぶるようにように鮮明に響いていた。
「彼には最大限の警戒をしてくれ。彼の精神構造は……言わば異形だ。人の形をしているが、人間だとは思うな」
◆
万魔殿の会議室にて、議員たる幹部やその直属の部下が勢揃いしていた。議題は当然目下最大の大仕事──"エデン条約"についてである。
「各所への面通しも済ませ、いよいよ調印式を控えるのみになりましたね。この前のトリニティとの会談でのマコト先輩の言動には中々冷や冷やさせられましたけど……」
「ふん、あそこまで来て代役を立てるような腑抜けにはいい薬になっただろうさ」
「あ、あはは……」
進行の言葉に対し憮然と返すマコトに向けて、大げさな溜め息が会議室を走る。
なんだかんだマコトのイエスマンの多い万魔殿でそのような態度をとる人間は一人しかいない。棗イロハである。
「代役じゃないです。言動はこの際棚に上げるとしても事前に伝えられていた相手方の人物を間違えるのは論外ですよ。トリニティとはいえ、客人なんでしたから相応の対応というものをですね……」
「剣先ツルギでもティーパーティーでも無いのなら、代役と変わらん」
「……はあ」
これ以上の問答に意味は無いと判断したのか、イロハは生返事を返すのみであった。
マコトはそれを知ってか知らずか、大仰に髪をかき上げると宣言した。
「しかし、トリニティさえ始末をつけられればゲヘナに口出しできる勢力などまずいなくなる。我々の天下ももう目前と言ってもいいだろう!」
「……別にトリニティがいなくなるわけでもゲヘナの傘下に入るわけでも無いですよ」
マコトはイロハの言葉に鼻を鳴らした。
どうせいつも通り勘違いでもしているのだろうとイロハは結論付け、当日はより目を光らせておくことを改めて強く決意しながら長い溜息を漏らす。胃が痛くなる思いだった。
その後、当日の日程等についての確認も終わり、進行が締めに入る。
「では、何もなければこれで今日の会議は終了とさせていただきたいと思います」
「すいません、私から一ついいですか?……ツァーヴについてです」
そのタイミングで、普段はツッコミ以外やる気のないイロハが珍しく挙手をしていた。
マコトはそれを聞いて少し眉を顰める。
当然イロハに対する嫌悪ではなく、イロハが提示した議題の人物のことを考えてのものだ。
「ツァーヴがどうした?また何か新たに問題でも起こしたのか」
「いえ、今のところは無いですけど……ほら、デリケートな時期でしょう?マコト先輩はちゃんと手綱を握っておいてくださいよ。具体的には、調印式の前はもちろんこれからしばらくはツァーヴがトリニティと関わるようなことは絶対に無いようにしてください」
イロハは珍しく真面目な顔でマコトをハッキリと見て強く言う。
「立場上どうしても外からの助力を借りずに万魔殿で管理する必要はある癖に、あいつ……マコト先輩以外の言うことをあまり聞かないので」
「えっ、そうなのか?……あぁ、なんというかツァーヴの命令の仕方にはコツがあって……」
「用件だけを端的にって奴ですか?それでも適当にあしらわれたって報告が多いですよ。まあ、実際のところ命令系統上はマコト先輩以外は上司というわけでは無いんですが……」
イロハは少し目線を中空に彷徨わせた後、どこか気恥ずかしそうに口を開く。
「正直ツァーヴ本人のことは信用できませんが、これでも私は"マコト先輩の人を見る目"はそれなりに信頼してるつもりです。まさか彼がスパイなんてことは到底思ってないですけど、色々疎いのは事実なんですし軽率な行動も目立ちます。うっかり妙な刺激を与えて問題の起爆剤になるようなことは無いようにしてくださいね」
イロハは言いたいことは言い終えたと告げると、他に意見を出す人物もおらず、つつがなく会議は終了する。
粛々と参加していた面々が退室していく中、マコトは席から立つ様子もなく何やら神妙な表情で資料を手に取っていた。
その様子を見て一人の部員が声をかける。
「マコト議長どうかなさいましたか?何か……」
「いや、気にしないでくれ。少し考えを纏めるために一人になりたい」
残っていた部員たちはやや心配そうな顔を見合わせるが、そう言われては下がらざるを得ない。
会議室の面々がマコトを残して全員退室する。マコトは資料に落としていた視線を上げ、大きく伸びをした。
そのままおもむろに立ち上がると、会議室の扉に向かい鍵を掛ける。
改めて座りなおすと、小さく呟いた。
「ツァーヴ、いるんだろう?出てこい」
静かな空間に、マコトの声だけが響いた。そのまま数分の静寂が訪れる。
空調の静かな駆動音がハッキリと聞こえるほどだった。
「……なんてな。まああいつもそこまでではないか。いや、少し買い被りすぎていたか?」
マコトが少し赤くなった顔を隠しながら誰に言うでもなく誤魔化すように捲し立てると、どこから響いているのかもわからない忍び笑いが聞こえてきた。
マコトは周囲を見渡すが、人のいる気配は無い。
「おい、揶揄うな!」
マコトが怒鳴ると同時に天井の通気孔が外れる。
音もなく部屋に降り立ったツァーヴは、当然のような態度で無遠慮にマコトの対面の椅子に座り込んだ。
「ごめんごめん、マコトちゃんが気づいてもないのにキメ顔で呼んでくるもんだからちょっと面白くなっちゃった」
「……いや、安心した。私が存在に気付けるようでは意味が無いからな」
マコトはさっきの取り乱しようが嘘のように不敵な表情を浮かべる。
ツァーヴの言葉通り、マコトはどこにいるのか察していたわけではない。ただ、ツァーヴが蚊帳の外でジッとしていられる性分ではないということを理解しているだけであった。
マコトの見立てとして、ツァーヴはよく自画自賛する通り自分の能力に絶対的な自信を持っており、更にそれを他者に誇示することを好んでいる。端的に言えば『凄いやつだと思われたい』という、どこか子どもじみた功名心を持ち合わせているようであった。
「で、何?さっきのイロハちゃんの進言を受けての説教?」
ツァーヴは愉快そうな顔を一転させ、つまらなそうな呆れ顔をする。
よく表情が変わるが、どれもどこか過剰だとマコトは思う。
「お前にとっては喜ばしいことに違う。ご所望ならしてもいいが?」
「じゃあ無しで」
ツァーヴはあっけらかんとそう言うと、退屈そうにあくびをした。
「一つだけ聞いておくが、お前はなぜ私以外の万魔殿の連中の言うことを聞かないんだ?……いや、違うな。お前のことを考えるなら……なぜ私に従っている?命を救われた恩か?」
「まさか!オレ、恩とか貸し借りとかよくわかんないんだよね。だってオレっていつも人を助けても返ってきたためしがないから。罵詈雑言なんて当たり前!まあ、恩なんてものがあるなら今頃億万長者だしね。改めて本当にオレってお人好しだなあ」
どこかズレた道徳観を言ってくるツァーヴにマコトはやや辟易とするが、当然そこをつついても改善することなどありえないということはもう分からされている。
「……そうか。では、結局なぜ私の命令は聞く?」
「そりゃもう、マコトちゃんのことを本当に尊敬してるからでしょ!マコトちゃんの言うことならちょっと無茶でも聞きたくなっちゃうよね」
ツァーヴはいつも通りの、どこまで本気で言ってるのか分からない軽い調子で答えた。
マコトには適当におだてているようにしか聞こえない。
(……が、案外そういうものなのかもしれないな。キキッ、私のカリスマというものはやはり凄まじい……!)
マコトが自分で納得していると、ツァーヴの声が届く。
「それで、改めて聞くけどいるかもわからないオレを呼んだのは何?こんなことを聞くためじゃないでしょ?」
「ああ、当然だ。というよりも、むしろ説教の逆だ」
「逆?」
「お前、以前私を尾けていたといったな?」
マコトは獰猛な笑みを浮かべた。
自らの発想の正しさに微塵も疑いのない、自信に満ち溢れた笑いである。
「その卓越した隠密技術を活かして、諜報活動をしてもらう。喜べ、出しゃばる機会をおあつらえ向きに用意してやる」
ツァーヴもそれに応えるかのように、いつも通りの癇に障るような軽薄な笑顔を浮かべる。
マコトは何度も見せられる中で、この笑みがツァーヴにとって自然な笑い方なのだということを薄っすらと理解した。
「そういうの早く言ってよ。待ってたんだ」
◆
何処かもわからぬ赤い部屋。
そこに、奇妙な容姿の3人が集まっていた。
「私の計画は、私個人の力で達成できます。マエストロの助力には感謝しますが……"黒服"、あなたは首を突っ込まないでくださいよ。"先生"に入れ込んだせいでみすみす"暁のホルス"を逃した間抜けですから」
頭部を覆う羽のような複眼に赤肌をした女は、眼前の"黒服"に向けて明らかな嫌味を飛ばす。
"黒服"と呼ばれた、煙に覆われたような捉えどころのない頭を持つ男はまるで堪えていないかのように肩をすくめる。
「それは大変結構。そういえば……マダム、我々とは違うあの"外"から来た男のことはどう思いますか?あなたの計画の近くにいるようですよ?」
"マダム"は、黒服のその言葉に僅かに嫌悪を滲ませた。
「あなたが忠告をする立場ですか?先生のことなら、確かに彼は影響力こそ大きいですが……」
「違います。……『門から
"門"──しばしば、どこか知らぬ彼方より"何か"を召喚してくる扉。彼らにとっても、それの実態は明らかでない。
「彼で"門"から来た人間は二人目ですね。いやはや凶兆か吉兆か……」
黒服の言葉を聞いてマダムは失笑をこぼす。黒服はそれを無視して言葉を続けた。
「以前に門から現れた者には頭に角があり、彼は"食人鬼"を名乗っている。面白いと思いませんか?まるで門の先にあるのが、地獄のようではありませんか」
「門の向こうは鬼が跋扈する世界だと言いたいのか?はは、それは笑えるかもしれない」
黒服と"マエストロ"と呼ばれる双頭の木人形が談笑するかのように言葉を交わしているところに、マダムはどこか苛立ち混じりに口を挟む。
「彼の存在が何を示唆しているのかを考察するのは自由にしていただいて構いませんが、個人としては警戒には値しないと思います。行動を見ていても無軌道でゲヘナという檻程度に収まる器に過ぎないようです。力も、既存兵器に頼らねばならない以上、出力は限界があります」
「クックックッ、存外よく調べているではありませんか。その上でそう考えるのならそれもまた一興。我々に殺される程度なら、大した存在ではなかったということです。ですから……」
「どうした?」
「いえ、なんでもありません」
黒服は、この場では言うべきではないとして言葉を飲み込む。
彼がよもや、ゲマトリアにすら危害を及ぼせる存在であってほしい、そしてマダム──"ベアトリーチェ"如き打ち破ってほしいなど……顰蹙を食らうに違いないのだから。