たまにグダるかも
薄暗く、所々に亀裂の走ったコンクリートの鳥籠
その天井近く――背丈の二倍はあろうかという高さに穿たれた小さな格子から、月明かりが細い刃のように差し込んでいた
白く冷たい光は部屋の中央だけを選ぶように照らし、そこから一歩外れた空間は、濃く沈んだ闇へと沈殿している
明かりの乏しい場所だからこそ、影は墨を流したように深く、重たく、壁や床に絡みついていた
その闇の中に、ひとりの人物が横たわっている
人影はゆっくりと上体を起こし、軋むベッドの上に腰を下ろした
虚ろな瞳は、冷えきった足元へと落とされる
焦点の合わない視線は、まるでこの世界のどこにも己の居場所を見つけられずにいる大人のようだった
すべてがどうでもいい――そう言い聞かせ続けた末に辿り着いた、乾ききった諦観。
そのとき
どこからか、錆びついた蝶番が擦れるような音が響いた
カツ……カツ……と、革靴が硬いコンクリートを叩く音が、遠くから反響する
音は壁に跳ね返り、方向を惑わせながら、じわじわと近づいてくる
やがて足音は輪郭を持ち、確かな存在として耳に届いた
隣で、止まる
「おい、厄災の狐。飯だ、終わったら回収ボックスに入れるように」
低く冷えた声が、無機質な空間を震わせる
だがベッドの人影は微動だにしない
ただ、瞳だけがゆっくりと声の方へ向けられた
足音がこちらへ移動し、目の前で止まる
「新入り、飯だ」
カラン、と乾いた金属音
使い古された緑色のプラスチックトレイが、差し込み口から滑り落ちるように部屋へと入ってくる
乾パン、ジャム、豆と何かが混ざった得体の知れない惣菜、パック牛乳
それはまるで軍用食MREのような、温もりを拒絶した食事だった
「また保存食ですか。相変わらず矯正局はケチですね」
透き通る、どこか愛らしい声が空間に木霊する
月光に揺れる影の中、しなやかな尾がふわりと揺れた
「あら?」
厄災の狐と呼ばれた者が、小さく声を上げる。
「前はいなかった人ですよね?」
おそらく格子に両手をかけているのだろう
声は反響し、まるで耳元で囁かれているかのように近い
「ああ、そうだ……日車ヒロミという」
ぶっきらぼうに告げる声
人影――日車ヒロミは、俯いたまま名を差し出した
「う〜ん、私達どこかで会いましたでしょうか?」
「それもそうだ。君がトリニティを襲撃して、正義実現委員会に拘束された時。検察官として、君の収監日数を提言していた」
「トリニティ……あぁ、ちょうど一年前ですね。検察官というのは確か、トリニティ総合学園正義実現委員会に所属する独立委員で、刑事事件において捜査を行い、起訴・不起訴を決定し、裁判で公訴を提起して有罪を立証する“公益の代表者”でしたっけ?」
長く複雑な言葉を、彼女は息継ぎひとつせずに言い切る
「テロリストなのに博識なんだな……」
「失礼ですよ! これでも最近は控えめなんですから」
ぷん、と拗ねたような気配
善意も悪意も薄い、ただ気まぐれな子供のような感情の波
「それより、聞きたいことがあるのですが……」
日車は小さく息を吐いた。彼女が何を問うのか、分かっているように。
「なんだ?」
「なぜ矯正者を閉じ込めるところに、貴方のような人がいるんですか?」
空気が凍る
もともと冷たい部屋だったはずなのに、心の奥底から温度を奪われる感覚
日車はもう一度、深く息を吐いた
「──最近、どうでもよくなってな。この歳にもなって、グレてしまったというわけだ」
掠れた声には、怒りと哀愁が滲んでいる
燃え尽きた炭のように、赤くもならず、ただ黒く冷えている
「ふーん。まぁ私にはどうでもいいことですがね」
「じゃあ何故聞いたんだ」
怒りはない、ただ純粋な疑問
「気になっただけですよ。貴方の顔は見えませんが……前の貴方には、もう少し覇気があった。芯があったように感じたのですが」
「……ですが?」
「今は、無いように感じますね」
その言葉の後、沈黙が数秒続く
「そうだな……もう芯は……死んでいる」
日車は自分の手を見る
それはまるで、見えない鎖に繋がれているかのように重たかった。鉄球を引きずる囚人のように、持ち上げた腕は鈍く、頼りない
「……では、私はこれで行きますね」
いつの間にか牢の前に立っていた厄災の狐が、じっと日車を見つめる
「ああ」
「…………」
彼女はくるりと踵を返す
だが数歩進んだところで立ち止まり、背を向けたまま問いかけた
「捕まえないのですか?」
無邪気な子供のように。しかし、核心を射抜く探偵のように。
返ってきた言葉は、ただひとつ
「いい……」
その言葉には確かに芯はなかった
折れた心は元には戻らない
それは砕けたガラスではなく、
一度燃え尽きて灰となった正義だった
平気で5000文字かける人どうなってんのよ