最近部活で忙しい(;'-')
私の名は、日車ヒロミ。16歳、トリニティ総合学園二年生。
帰る家はない。
――いや、正確には“住む場所”はある。トリニティ総合学園居住区、その中でも静寂を金で買ったような別荘地帯だ。だが、あそこを家と呼ぶには、あまりにも生活の匂いが薄い。
恋人はいない。
キヴォトスでは百合カップルは合法だ。
決して作者の趣味ではない。決して。
所属は、正義実現委員会独立検察官。通称《JIP》。
両手を広げれば足りる程度の人数しかいない、正義の後始末係だ。
日付が変わる頃まで机に向かい、証拠と証言を並べ、嘘と本音を仕分ける。
煙草は吸わない。キヴォトスでは禁止されている。
酒はたしなむ程度。酔うためではなく、眠るために。
眠れない夜は、思考が止まらない夜だ。
睡眠時間が四時間を切ることも珍しくない。最近は救護騎士団の許可を得て、睡眠導入剤を服用している。
それでも朝は重い。
身体ではなく、意識が。
目を開けるたびに、昨日の言葉が脳裏で再生される。
だから私は、ミレニアム製のエスプレッソマシンで淹れた濃いコーヒーを流し込む。
苦味が舌を刺し、熱が喉を焼く。
それでようやく、世界に輪郭が戻る。
健康診断では異常なしと言われた。
すまない、嘘だ。
目の下の隈を見た救護騎士団の検査で、睡眠不足による内臓機能の低下と免疫力の減退が確認されている。
だが、数値に出ないものは、診断書には書かれない。
私の仕事を聞いて首を傾げる者もいるだろう。
簡単に言えば、校則違反者の罪を立証する仕事だ。
だが実際は、もっと曖昧だ。
トリニティには正義実現委員会がある。
彼女たちは武力行使において比類なき力を発揮する。
しかし、暴力は秩序を保てても、納得までは生まない。
だから《JIP》がある。
正義実現委員会から独立した権限を持ち、話し合いと証拠によって事実を切り分ける存在。
武力の影に隠れた感情のもつれを、法という名の定規で測る役割だ。
武力の正義実現委員会。
対話のJIP。
行政を司る生徒会――ティーパーティー。
外から見れば、完璧な三権分立。
……だが、それは《表》の顔に過ぎない。
私がトリニティに来た当初、胸に抱いていた願いは単純だった。
この嫉妬と怨嗟の渦巻く地獄で、弱者を救いたい。
今思えば、それはあまりにも青い理想だった。
ガラス張りの壁。
無機質な蛍光灯。
円形に穿たれた小さな会話孔。
私は、その向こうに座る一人の生徒と向き合っていた。
彼女は俯き、肩を震わせている。
蛍光灯の光は明るいはずなのに、部屋の隅は妙に暗く感じられた。
やがて彼女は、勢いよく顔を上げる。
その目は、涙よりも先に憎悪を湛えていた。
次の瞬間――
バンッ、と鈍い衝撃音が響く。
両手がガラスに叩きつけられる。
向こう側で待機していた正義実現委員会の生徒が、扉に手をかける。
「嘘つき……! アイツを有罪にするって、言ったじゃないか!」
叫びは、悲鳴というより呪詛だった。
怒りと落胆と、裏切られた信頼が混ざり合った声。
ガラス越しでも、胸の奥を掴まれる。
私は動かなかった。
ガラスに映る自分の顔は、驚くほど無表情だった。
彼女は制圧され、扉の向こうへ消える。
部屋に残るのは、衝撃の余韻だけ。
『面接は終了です。お忘れ物のないよう、ご退出ください』
機械的な声が空間を切り裂く。
椅子が軋む。私は立ち上がる。
「ハスミ、行くぞ」
困惑を隠せないまま、ハスミが後を追う。
公園のベンチ。
風が木々を揺らす音だけが、先ほどの怒号を薄めていく。
缶コーヒーを差し出すと、彼女は両手で包み込んだ。
「日車さ――」
「“ヒロミ”でいい、さんで呼ばれるのは慣れていないからな」
「……ヒロミさんは、いつもあのような言葉を?」
「・・・まぁいいか、質問に対しての答えだが・・・そうだ」
眉間に皺が寄る。
「何も思わないのですか?」
小さく息を吐く。
思わないわけがない。
だが、思ったところで結果は変わらない。
「ああいう時に寄り添えば、期待を与える。期待は裏切られた時、憎悪になる」
それを何度も見てきた。
証拠を捏造され、圧力を受け、真実がねじ曲げられる。
味方したはずの被害者にすら、恨まれることがある。
現在のJIPは九人。
そのうちの殆どが休暇中だ。理由は単純だ――耐えられなかった。
トリニティの裏側を、直視することに。
「なぜ…続けるのですか?」
何度も聞かれた問いだ。
「私は弱者救済を掲げているわけじゃない。ただ、おかしいと思ったことを放っておけないだけだ」
それは正義というより、性分だ。
「ハスミは目を瞑っていてもいい」
「……?」
「だが、目を背けるな。こういうことが確かに起きていると覚えておけ。対処するのは、私の仕事だ」
矛盾しているようで、していない。
知らなくていい。
だが、無かったことにするな。
「……わかりました」
彼女の声は、少しだけ強くなっていた。
私は立ち上がる。
また同じような面談が待っている。
同じような結末が見えている裁判も。
「あの!」
背後から声が飛ぶ。
私は振り返らない。
「また、一緒にカフェに行きませんか!」
一拍、空を見上げる。
雲ひとつない青。
あまりにも澄みすぎている。
「ダイエット中だろ」
手だけを振り、歩き出す。
背中に残る視線と、微かな笑い声。
この地獄のような場所で、
それでもほんの少しだけ、救われる瞬間がある。
それを認めるのは癪だが――
足取りが、わずかに軽くなっていたのは事実だった。
関係ないけど流刃若火の残火の太刀ってめちゃくちゃかっこよくない?