激闘!燃え盛れ怒りの灰! ~ルビコンで一番つええ犬~ 作:abubu_nownanka
傭兵支援システム『オールマインド』の整備ハンガーは惑星ルビコン各地に点在し、その総数は正確には把握されていない。
アイビスの火が惑星を焼き尽くしてから半世紀、いつ頃からこのシステムが息づき始めたのかも定かではない。しかしそれは今やルビコンに生きる独立傭兵にとっては必要不可欠な存在となっていた。
高度に暗号化された通信回線を用いた依頼の仲介。各種最新鋭兵器の迅速な調達。自動化されたドローン群による正確無比な機体整備。果ては作戦領域への長距離輸送手段さえ手配する。
正体を探ろうとした者たちはいた。そしていずれの試みも途中で調査の糸を絶ち切られた。辿れるのは発注を受けた下請け末端企業や土着民の組織集団、遠隔操作された無人の建設機械群ばかり。それ以上は霧のように掴めない。
背後に何らかの星外企業が存在することは明らかだったが、戦線が激化する最中にも『完全中立の傭兵支援プラットフォーム』を貫く彼らは、いつしか戦地にありがちな傭兵ビジネスとして受け入れられるに至る。惑星封鎖機構も、アーキバス・コーポレーションも、ベイラム・インダストリーも、ルビコン解放戦線も。誰もがこの不気味なまでの"中立"を黙認したのだ。
だが、鋭敏なる者たちは感じ取っていた。オールマインドの窓口となる無機質なAIコンシェルジュの声の奥底に、単なるビジネスを超えた並々ならぬ意思が介在していることを。
◇ ◇ ◇
整備ハンガーの内部は人間の整備員の存在を極力排除した空間だった。
照明は必要最低限。天井から無数の梁とトラスが張り巡らされ、そこから垂れ下がる無数の整備アーム、ケーブル、冷却ダクトがまるで血管のように絡み合い視界を細かく分割する。空気は冷たく、鉄と油と冷却液の匂いが混じり、肺に刺さるような無機質さを帯びている。金属的な軋み、発動機の重低音と油圧サスペンションの屈伸は絶え間なく響くが、そこに工廠めいた耳障りな喧騒は無い。
そして一際巨大な構造体、その中央に半ば埋没するようにして一機のAC──汎用機動兵器:アーマード・コア──が鎮座していた。
鉄の巨人は整備の只中にあり、オーソドックスな人型のシルエットを見て取ることは難しい。手足は太い固定クランプに締め上げられ、関節を動かす余地は与えられていない。接続された冷却パイプからは時折蒸気が細く立ち上り、整備アームが忙しなくフレームの隙間を這い回り、小型ドローンが損傷部位に取りつき溶接トーチの火花を散らす。頭部センサー群もまた保護カバーで覆われ、顔を覆い隠された巨人はこの鉄の胎内でただ鈍く光るだけの無表情な塊と化していた。
そしてモノ言わぬ鉄塊の更に内側。身じろぎもままならない窮屈なコクピット・シートには、このACの主、"強化人間:C4-621"が深く身を沈めていた。
現在は待機モード。狭い空間を電装系の仄かな青白い光だけが漂い、コンソールパネルがパイロットからのコマンド入力を待つようにゆっくりと明滅している。機体ジェネレーターの火は落とされており、密閉性に優れたコクピット内はほとんど無音に近い。
ただ聞こえるのは機械に補助された規則正しい呼吸音。
彼──もしくは強化手術により生理機能までも歪められた彼女──は微動だにしない。胸の上下もほとんど視認できないほど微かで、その佇まいは、ここが死を待つ重病人を収容した医療ポッドの内部であるかのように錯覚させる。
元より狭さを気にするような肉体的自由は持ち合わせていなかった。それでも薄く開かれた瞳の奥にチラつく赤い瞬きは、たった今も彼の体内を情報導体"コーラル"が駆け巡っていることを示唆していた。
強化人間。
彼らの知覚能力は常人を遥かに超え、その反射神経は超音速戦闘に苦も無く対応する。感覚は鋭敏を極め、わずかな振動、温度変化、電磁ノイズさえも即座に戦況情報として把握する。その拡張された処理能力が、複雑無比なるACの機体操縦を可能とし、鉄の巨体をまるで己の手足の如く操るのだ。
だが、「一般兵士を一流パイロットに」というのは体の良い謳い文句に過ぎない。少なくとも最初期の強化人間技術は「人間を機動兵器の生きた演算装置に作り替える」ことに他ならなかった。
産み出された実験動物たちの末路は惨憺たるものだ。精神崩壊による廃人化、肉体の拒絶反応の耐えがたい苦痛、果ては手術台から起き上がることすら無く息絶える者──。成功したとしても何らかの後遺症を被ることは確約されていた。技術がようやく安定したのは、はるか後継の世代になってからのこと。旧型に位置する第四世代型のC4-621も、長い闇の系譜に連なる存在だった。ACパイロットとしての戦闘能力と引き換えに支払った代償は、あまりに大きい。
彼が強化手術を受けるに至ったのは、果たして自ら望んでのことか。止むに止まれぬ事情故か。それは彼の雇用主たるハンドラー・ウォルターでさえ、知り及ぶところではなかった。
いずれにせよ、後悔をしている。だからここに居る。再び自由な肉体を買い戻す為に。
ふと、薄く開かれた視界の端で赤い光が瞬くのが見えた。
『穏やかな夜ですね…。レイヴン。』
"レイヴン"。621の傭兵としてのコールサインを呼んだのは、女性の声だった。柔らかく、遠いようで近く、風に運ばれてくるような透き通った響き。
無線通信の類を受信した形跡はない。現在、この機体は整備ハンガー側のローカルネットワークにはアクセスしているが、更に外部の人間からの依頼やメッセージ送受信は必ず施設管理者であるオールマインドを介して行われる。唯一の例外として彼の雇用主のハンドラー・ウォルターとの直通回線が開かれてはいるが、当のハンドラーは"野暮用"で席を外していた。
それでも赤い光はコクピットの暗がりの中でゆっくりと脈打ち続け、声を届ける。その声は直接、621の頭蓋に響くようだった。
『空間を舞うコーラルの流れは、今はとても安定しています。あなたの身体の中でも、静かに巡っていますよ。』
最初は風凪ぐルビコンの澄んだ夜空のことを言っているのだと思った。あるいはここしばらくの戦闘の膠着を。そのどちらでもないと悟ると、621の胸の中で小さな笑いが起こった。ほんの僅か、コクピットに沈んだ頭が頷く。頷こうとしただけかもしれない。それでも"エア"には確かに伝わった。
ルビコニアンのエア。
そう名乗る声が最初に"交信"を行ったのは、621がコーラルの爆発的な奔流を浴びた直後だった。その時は単なる幻聴としか思わなかった。しかし彼女の助力を受け、いくつかの死線を超えるにつれ、いつの間にかその存在を肯定していた。そして後々に彼女が打ち明けた正体は"人"ですら無かった。
曰く、"コーラル意識体"。星外企業がこぞって利権を奪い合い、ルビコンを血みどろの戦場に変えている原因たるコーラルは、単なるエネルギー資源や情報導体ではなかったのだ。生命であり、意識の潮流そのものであると言う。彼女はその一部であり、"同胞"たちが人間の手で消費され続ける現実を憂いながら、それでも尚、人間との共生を夢見ていること。
人類が初めて異種の知性と対話した事例かもしれない――。しかし、そう考えた瞬間さえ621は遠い諦念のようなものを感じてしまった。脳を焼かれた一介の独立傭兵に過ぎない自分に何ができるというのか。仮にこの事実を科学者に訴えたところで何になるだろう?「旧世代型強化人間の後遺症にありがちな幻聴」「コーラル汚染による典型的な妄想症状」と一笑に付されるだけだ。
621の症状を知ったハンドラー・ウォルターでさえ、幻聴や精神的不調以外の可能性を考えなかった。もっとも、彼のまなざしは異常者に向けられるそれではなく、子を気遣う父親の態度に近かったが。
どちらにせよコーラルは目下『産業の根幹を変える夢の資源』なのだ。そういったものを人類がいかに貪欲に消費するか。仮にコーラルに意識や生命の存在を認めたとて、決して手放さないであろうことは歴史が何より冷酷に物語っていた。
それでも彼女は諦めず、今もまた、こうして語りかけてくる。
『ルビコンに生きる人々のことを考えていました。』彼女の声は、遠く漂うように柔らかい。
『間接的には、ずっと見てきました。人の営みを。頼りなく不安定で、しかし確かに熱を持ち、時に温かく、時に互いを燃やし尽くしてしまうほどに激しい…。それでもあなたを通じて改めて出会った人々は、特に新鮮で興味を惹かれます。ハンドラー・ウォルター、シンダー・カーラ、レッドガンやヴェスパーの人達。味方になる人、敵となる人も。もちろん、たまに様子のおかしい人も居ますね。』
好奇心が隠しようもなく滲み出ていた。形無きエネルギー生命体にとっては、肉体を持つ有機的な知性体は永遠の謎なのだろう。群体のようでいて、それぞれが孤立し、喜び、怒り、悲しみ、後悔を抱き、それでも前に進む存在。彼女はその一人一人を慈しむように観察し、未だどれ一つとして理解には至っていないのだ。
『レイヴン。今は、何を考えていますか?』
問いかけは静かだった。コクピットの暗がりで、赤い光がもう一度ゆっくりと脈打つ。見えざるコーラルの流れが、621の身体を優しく撫でるように巡った。
エアは彼の心の動きを常に注意深く観察していた。どれほど深く“交信”していても、思考を読むには程遠い。とりわけ人間の言語化以前の意識の源泉、心の奥底は捉えどころがない。それでも、先ほど挙げた名前の一つが僅かな波紋を起こしたことは興味深い反応だった。
しばらくして、返事が発せられた。