ここから物語の確信に触れる部分が多くなってきます。
未読の方はご注意を。
では本編へ。
取調室の鉄格子越しに、新野ニノは完全に壊れていた。
アクアの録音と、春の頬に残った鮮明な打撲痕。
言い逃れのできない暴力の証拠。
だが、彼女を追い詰めたのは警察の追及ではなく、娘である春が放った最後の一瞥だった。
「…ねえ、お母さん。私の本当のお父さんは、誰?」
春は、マジックミラー越しにアクアが見守る中、取調室に特例で入ることを許された。
その瞳には、かつてないほど濃密な、万華鏡のように歪んだ星が渦巻いている。
「教えてよ。私の中に流れている、この『嘘』の半分は、誰のものなの?」
春の問いかけに、ニノはガタガタと震えながら、喉の奥から絞り出すように笑った。
「…菅野良介。あいつよ。…アイを殺した、あの男よ」
衝撃の事実。
ニノと良介は、かつて交際していた。
だが、良介の心は次第に「B小町の不動のセンター」であるアイへと狂信的に傾倒していった。
「私を見てたはずなのに。あいつ、アイのことしか話さなくなったの。…だから、教えてあげたのよ。アイの居場所を。あの子が、どれだけ私たちを裏切っていたかをね!」
ニノの告白は止まらない。
アイを刺した良介。
その背中を押したのは、恋人を奪われたニノの、あまりに醜く、あまりに純粋な「殺人教唆」だった。
春は、その言葉を客観的に聞きながら、自分の指先を眺めた。
(…あはは。私、アイさんを殺した人の子供なんだ)
アイを殺した男と、その男を唆した女。
その間に生まれたのが、新野春という「アイの偽物」だという、あまりに出来過ぎた、質の悪い喜劇。
取調室を出た春を待っていたのは、壁に背を預けて立ち尽くすアクアだった。
彼は、春が「自分の仇の娘」であることを知ってしまった。
春は、ふらふらとした足取りでアクアに近づき、その胸に額を預けた。
涙はもう出ない。
ただ、自分の存在そのものが、アクアの復讐を汚す「毒」であることに、耐えがたい悦びと絶望を感じていた。
「…お兄さん。聞こえたでしょ? 私、アイさんを殺した男の娘なんだって」
春は、アクアのシャツを強く握りしめ、顔を上げた。
その瞳の星は、もはやファンシーな輝きを失い、どろどろとした暗黒の光を放っている。
「…ねえ、私を殺す? それとも、一緒に地獄に行ってくれる?」
アクアは、春の細い肩を掴み、力任せに引き剥がそうとした。
だが、彼女の瞳に宿る、自分以上に深い「絶望」を見て、その手が止まってしまう。
「…お前には罪はない。…だが、俺はお前を見るたびに、あの日を思い出すことになる」
「いいよ、それで。…忘れないでいてくれるなら、憎まれてもいい」
春はアクアの手に自分の手を重ね、強引に「ほしの瞳」の暗示を流し込む。
それは他人に向けた「肯定」ではなく、自分への執着を刻み込むための、呪い。
「お兄さん。私は、お父さんの代わりに、お兄さんに償ってあげる。…一生かけて、お兄さんの『一番都合のいい妹』でいてあげるから」
新野ニノの逮捕と、その背後にあるアイ殺害への関与。
このニュースは、芸能界を根底から揺るがす爆弾となる。
だが、その渦中にいる新野春は、不敵な笑みを浮かべていた。
彼女の「自立」は果たされた。
しかし、その先にあったのは、アクアという唯一無二の光を、自分の闇で塗りつぶし、独占するという新しい「執念」だった。
「…さあ、いこうか、お兄さん。…B小町の、次のステージへ」
春の瞳に浮かぶ星は、もはやアイのコピーではない。
愛と憎しみの果てに生まれた、世界で最も醜く、最も美しい「復讐の星」だった。
ニノが警察車両で連行され、署内の喧騒が遠のいた廊下。
アクアは、壁に寄りかかる春の細い肩を掴んだまま、戦慄していた。
良介は、アイを神格化し、その裏切り(子供の存在)に耐えられず刃を振るった、身勝手で直情的な狂信者だった。
だが、目の前の少女――新野春は、それとは根本的に質の違う「狂気」を宿している。
「…お兄さん、そんなに怖い顔しないで。良介の血が、私の中に流れてるのがそんなに嫌?」
春が、アクアの頬に冷たい指先を這わせる。
その瞳に浮かぶ「ほしの瞳」は、もはや他人を騙すための道具ではない。
自分という存在を繋ぎ止めるための、唯一の縋りどころのように激しく明滅している。
「あいつは、アイさんを殺して自分も死んだ。…でも私は、死なないよ。お兄さんの隣で、一生かけて『アイさんの偽物』を演じ続けてあげる。それが、私の償いだから」
アクアは、春の瞳の奥を覗き込み、背筋に寒いものが走るのを感じた。
良介には「アイへの愛」という歪んだ動機があった。
だが、春には何もない。
自分の意志も、欲望も、人生への執着さえも。
彼女にあるのは、母・ニノに上書きされ続けた「アイの残像」と、それを客観的に眺めながら「嘘」で塗りつぶしてきた、空っぽの器だけだ。
「…お前、自分が何をしているか分かっているのか。良介より、お前の方がよっぽど不安定だ」
アクアの声が震える。
良介は「点」で爆発した。
だが春は、自分という存在を削りながら、周囲を巻き込んで「線」で崩壊していく。
彼女が一度「嘘」を真実だと思い込めば、その瞳の暗示は世界を、そしてアクア自身を永久に狂わせかねない。
「…不安定? そうかもね。私、自分がいつ消えちゃうか、自分でも分かんないもん」
春は、アクアの胸に顔を埋め、クスクスと不気味に笑った。
その笑い声には、少女特有の愛らしさと、深淵を覗き込むような底冷えする恐怖が混在している。
「だから、お兄さんが私を捕まえてて。…私が『新野春』でいられるように、ずっと私を監視しててよ」
春はアクアの腕を、折れんばかりの力で握りしめる。
それは「助けて」という悲鳴ではなく、「お前も道連れだ」という呪詛に近い。
アクアは悟った。
彼女を守ることは、毒を抱え続けることだ。
だが、アイを殺した男の娘であり、その事件の最大の被害者とも言えるこの少女を、今の彼は突き放すことができない。
「…分かった。お前が壊れる前に、俺が食い止めてやる」
アクアが絞り出すように告げると、春は満足げに目を細めた。
その瞳のファンシーな星が、一瞬だけ、真っ黒な闇に染まった。
「嬉しい。…ねえ、お兄さん。明日からのB小町の練習、もっと頑張るね。…アイさんよりも、もっと『本物』みたいな嘘を吐いてあげるから」
翌日。
苺プロのレッスン室には、何事もなかったかのように「みんなの妹」として振る舞う春の姿があった。
ルビーに甘え、かなを弄り、MEMちょと自撮りをする。
しかし、そのパフォーマンスは昨日までとは明らかに違っていた。
「親しみやすさ」の裏側に、触れれば指が切れるような、研ぎ澄まされた刃のような鋭さが混じっている。
(お兄さん。…私を、ずっと見ててね)
鏡に映る自分の瞳を見つめながら、春は心の中で呟く。
彼女の「ほしの瞳」は、今や日本中を欺くための武器から、アクア一人を自分という地獄に繋ぎ止めるための、究極の「愛(嘘)」へと進化を遂げようとしていた。
「…お兄さん、本当にいいの? こんなことして」
苺プロの寮の屋上。夜風に吹かれながら、春はアクアのコートの裾を指先で弄んでいた。
アクアが出した結論は、最も合理的で、かつ最も劇薬な解決策だった。
「お前を野放しにすれば、いつ誰を壊すか分からない。…なら、俺が監視する。仕事でも、プライベートでも、お前の『一番近く』に居続けてやる」
それは、恋人という名の「精神的な檻」。
春の暴走を食い止めるために、アクア自らが毒を食らう覚悟で提案した「疑似恋愛」という契約。
「あはは! 傑作だね。…私まだ本当なら中学生だよ、お兄さん」
春は声を上げて笑った。
その瞳に浮かぶファンシーな星が、月光を浴びてチカチカと不規則に爆ぜる。
書類上は十六歳だが、実年齢はまだ中学生に差し掛かったばかりの子供。
けれど、その「嘘」さえも、今の彼女にとってはアクアを縛り付けるためのスパイスに過ぎない。
「いいよ。お兄さんの提案、乗ってあげる。…でもね、私、嘘をつくのは得意だけど、嘘を信じ込ませるのはもっと得意なんだよ?」
春がアクアの胸に一歩踏み込み、そのネクタイを指に絡めて引き寄せた。
「ほしの瞳」が至近距離でアクアの網膜を焼く。
「今から、これは『嘘』じゃなくなる。…お兄さんは私を愛してる。私はお兄さんの特別な女の子。…ね? そうだよね?」
「…っ、やめろ、暗示を…」
アクアは必死に抗うが、春の瞳の輝きは、良介の血を引く「執着」と、アイの影を背負った「天性」が混ざり合い、逃れようのない磁場を作り出していた。
春にとって、これが「疑似」である必要はない。
アクアが自分を監視するという「事実」さえあれば、その中身を自分の「嘘」で塗り固め、永久に「真実」として固定してしまえばいいのだ。
「…ああ。…そうだ。俺は、お前を離さない」
アクアの瞳の「黒い星」が、春のファンシーな色彩に侵食され、一瞬だけ濁る。
彼は、自分を犠牲にして春を制御するつもりが、逆に彼女の深淵に引きずり込まれ始めていた。
翌日の練習現場。
B小町のメンバーたちの前で、二人は「付き合い始めた」ことを報告した。
「ええっ!? 嘘でしょアクア! 春ちゃんと!?」
「…は? あんた、あんなに私を振っておいて、この『妹』を選んだの!?」
ルビーが叫び、かなが絶望の表情を浮かべる中、春はアクアの腕にぴったりと抱きついて、これ以上ないほど幸せそうな「完璧なアイドルの笑顔」を見せた。
「ごめんね、みんな。…お兄さん、私のこと放っておけないんだって。ね、ダーリン?」
春がアクアを見上げて微笑む。
その姿は、誰が見ても「恋する少女」そのものだ。
客観的に自分を見ているはずの春の脳内でさえ、もはや「演技」と「本心」の境界線は消失していた。
(…あはは。楽しいな。世界中を騙して、お兄さんまで騙して。…私、今、人生で一番『生きてる』感じがする)
春の瞳に宿る星は、もはやアイのコピーでも、ニノの執念でもない。
アクアという生贄を捧げることで完成した、世界を破滅に導くほど甘い「嘘の結晶」。
「…さあ、いこうか。私たちの、最高のステージへ」
春はアクアの腕を強く引き、B小町という名の戦場へと踏み出していく。
その背後で、アクアは自分が作り出した「怪物」の重みに耐えながら、二度と抜け出せない暗い泥濘(ぬかるみ)へと沈んでいくのを感じていた。
新野春。
彼女は「自立」を手に入れた。
母・ニノを法的に排除し、父・良介の罪を背負い、そしてアイの息子であるアクアを自分の「鎖」へと変えた。
日本中がB小町の新しいセンター候補として彼女に熱狂する中、彼女は今日も鏡の前で、自分さえも信じ込むほどの「とびきりの愛(嘘)」を瞳に宿し続ける。
「嘘は、とびきりの愛だもんね。…お兄さん?」
その問いに答える者は、もう誰もいなかった。
ただ、彼女の瞳の中で、ファンシーな星がいつまでも、不気味に輝き続けているだけだった。
ニノが逮捕された直後の初ライブ。
世間は「B小町の新メンバー、新野春の母親がアイ殺害の教唆犯だった」という衝撃的なニュースに沸き立っていた。
苺プロの楽屋は通夜のような静けさだったが、春だけは違った。
彼女は震える手でアイの衣装を纏い、鏡に映る自分を、冷徹なまでに客観的な視線で見つめていた。
「…春。無理に出る必要はないわ。今日は休んでも…」
ミヤコの言葉を、春は静かに遮った。
「ううん。今、出なきゃダメなんだ。…私の中に流れている『人殺しの血』も、お母さんの『執念』も。全部、ステージで燃やし尽くしてこなきゃいけないから」
ステージの幕が上がった瞬間、会場を包んだのは歓声ではなく、刺すような「拒絶」の視線だった。
「殺人者の娘」「アイの敵」。
無数の誹謗中傷が視線となって突き刺さる。
だが、イントロが流れた瞬間、春の瞳に異変が起きた。
これまでの、誰かを騙すためのファンシーな星ではない。
自分の存在を否定する世界への怒りと、それでも「ここにいたい」と願う絶望的な渇望。
それが、良介の狂気と混ざり合い、瞳の中でどす黒く、けれど激しく明滅する「漆黒の星」へと変貌したのだ。
「…あ、あの子…」
舞台袖でアクアが息を呑む。
春が歌い始めたのは、アイの代表曲。
しかし、その歌声はアイの模倣を遥かに超え、聴く者の心臓を直接掴むような、危ういまでの「生(なま)」の感情に満ちていた。
春は踊る。
指先ひとつ、視線ひとつに、自分を追い詰める世界への「復讐」を込めて。
彼女は客観的に自分を観察しながら、同時にその自分をステージ上で切り刻んで見せた。
(見てて、お母さん。あなたが作った『アイの偽物』は、今ここで死ぬよ)
サビに差し掛かった時、春の瞳の黒い星が、一瞬だけ真っ白な閃光を放った。
それは、嘘が真実を飲み込む瞬間の輝き。
罵声を浴びせようとしていた観客たちは、気づけば声を失い、ただ圧倒的な「光」に目を焼かれていた。
彼女が放つのは、アイのような「全肯定の愛」ではない。
「私を地獄から引きずり出して」という、魂の叫びだった。
曲が終わり、静寂が支配する会場。
春は肩で息をしながら、真っ直ぐにアクアがいる袖を見つめた。
その時、彼女の瞳の黒い星の端っこに、小さな、本当に小さな「本物の星」の欠片が宿った。
それは、ニノを切り離し、良介を乗り越え、一人の「人間」として産声を上げた瞬間の光。
「…すごかったわ。…あんた、本当にアイの娘じゃないのね」
ステージに戻ってきた春に、有馬かなが震える声でそう告げた。
かなは分かっていた。
目の前の少女は、アイを演じるのをやめ、「アイという怪物と戦う一人の少女」として、今、この場所に立ったのだということを。
春は力なく笑い、そのままアクアの腕の中に倒れ込んだ。
「…お兄さん。私…ちゃんと、新野春として歌えたかな」
「ああ。…アイよりもずっと、目が離せなかったよ」
アクアのその言葉が、ニノの逮捕でバラバラになりかけていた春の心を、かろうじて繋ぎ止めた。
ここから、彼女の「真実の星」への長い旅路が始まったのだ。
あとがき
父親は原作既読の方からしたら予想通りだと思います。
本作中で触れることは無いと思いますので補足しておくと
1.ニノが身ごもったことは良介は知りませんでした。
2.良介にアイ殺害をそそのかした時点でニノは自身が身ごもっており父親が良介であることは分かっていました。
(良介に自分たちに子供が出来たことを言えない状況になってしまったストレスが本作では殺人教唆の最大の動機になります)
3.子供には罪は無いと思い覚悟して産みました。
4.娘にアイのまねごとをさせたら予想以上に似てしまった。
思った以上の才能に歯止めが効かなくなる。
が本作の状況へ繋がります。
ニノの動機が原作とは少し違ってくるのでその分 ニノから春への風当たりも苛烈になっている、わけです。