都会の夜に紅い蝶が優雅に羽ばたく。
淡く、妖しげな光を放ちながらヒラヒラと甘くとろける蜜を探して何処かへと。
この蝶を見ることが出来る人間は余り多くはいない。
※
それは夢か現か幻か……。
崩落した遺跡や石柱が至る所にある熱砂の大地で二つの何かが戦っていた。
一つはまるで
肩からはバイクのマフラーらしきパーツが飛び出し、頭頂からはモヒカンのような鉄板が伸びている。そして、一番の特徴は胸部中心に埋め込まれたように露出している紅い蛹のような物体だ。
「ヒャッハー! どいつもコイツも俺の邪魔する奴はぶっ殺す!」
左右の手で持った鉄パイプとチェーンを振り回して暴れ回るその姿は理不尽な暴徒さながらだ。この怪物、いや怪人の名はネガイア。ラフィアンネガイアとでも呼称しよう。
「ぶっ潰れろ!」
「させない」
唸りを上げて振り回されたチェーンが石柱を砕きラフィアンネガイアが戦っている相手に迫る。しかし、鋼鉄の鎖は鋭い真紅の剣閃によって切り払われる。
謎多き砂塵の戦場で戦うもう一人は女の声を発する仮面の者だった。
その腰には中心にグリップの付いた大型レンズと三角形を描く小型レンズの四枚の不思議なレンズから成るターレットに似たバックルのベルトが巻かれていた。
「大人しくしてもらえませんか? あなたの為にもなりませんよ、たぶん」
黒いアンダースーツの上から白鷺と騎士を象った紅白の装甲を纏い、左胸には円型のレーダーのような装置が組み込まれているようで淡い光を明滅させていた。
真紅の仮面には額を飾る白い三つ角と黒いバイザーの奥で輝く黄色い双眸があり、更には左肩の装甲から紅蓮色のぺリースマントが垂れている。
彼女の名は仮面ライダーフレイゼル。
人知れず破滅の脅威から世界を救う影の守護者の一人だ。
「俺に指図するんじゃねえ!!」
フレイゼルの言葉にラフィアンネガイアは逆上しながら鉄パイプを振り上げて襲い掛かる。彼女は右腕に装備した猛禽を模した籠手イーグレットアームドから伸ばした宝石のような真紅の刃で切り結ぶ。
「クソがあああっ!」
「ハッ! 甘い!」
怒りに任せて振り回される鉄パイプを滑らかな剣筋で捌くとフレイゼルはカウンターの蹴りを食らわし、続けざまに左右から二連の逆袈裟切りを浴びせる。
「アアアアアァァァッ! ムカつくぜ! 金払えばお客ってのは神様にでもなれるのか!? クソが! だったら人間も神もまとめて死んじまえや!!」
思わぬ劣勢に鬱憤は堪る一方で癇癪を起した子供のように己が抱える怒りをぶちまけるラフィアンネガイア。すると不思議なことに周囲の砂漠にも変化が起きた。吹き荒れる風は砂嵐となり、埋没しかけていた朽ちかけの遺跡群に醜悪な石像などが追加されていくではないか。それもそのはず――この熱砂の大地はラフィアンネガイアの心象を核として生み出された一種の異世界なのだ。
「
「ウヒャハハハハハ! 体の底から力がドバドバ溢れてくる気分だぜ!」
肩のマフラーから排煙を夥しく吐き出して、勢いを増して暴れ回るラフィアンネガイア。彼はフレイゼルだけでなく石像から砂丘まで目に入り、触れられる物ならば何でもよいとばかりに破壊して狂ったような哄笑を上げる。
そんな怪人の様子に困ったような声を呟いたのは戦いを有利に進めているはずのフレイゼルの方だった。
彼女の焦りには理由がった。
何故ならネガイアが生み出したこの心象異世界ダウンフォールワールドは成長をする異世界と呼べる代物なのだ。そして、恐ろしいことに完全に成長を遂げたダウンフォールワールドは現実世界に深刻な損害を与えてしまう。
「その心の荒みよう。あなたも理不尽に苦しむ側の人間だったんだと思います。でも、あなたのその甘く危険な
迫り来る破滅へのカウントダウン。
それだけは避けなければならない。
それが彼女の使命。
奮起するフレイゼルは速やかに雌雄を決すべく勇ましく砂塵を蹴って駆ける。
「走れ! ジェットファルコン!」
間合いを詰めながらフレイゼルは左腕を突き出すと装備された双翼を模した白い盾が展開。翼を広げたハヤブサめいたブーメランとなって飛び出した。
「ぎゃあっ!?」
不意打ちを食らってよろめくラフィアンネガイアに赤刃を掲げて烈火の如くフレイゼルが強襲する。鋭い横一閃を皮切りに四方八方から一撃離脱の斬撃を幾度も繰り返し厳つい屑鉄の鎧で覆われた怪人を乱れ切りにしていく。
「ぶった斬ります! はあああっ!」
「あぎゃあ!? クソクソクソ! ざっけんなよぉおああ!?」
左肩のマントをたなびかせ、強烈無比な斬撃の包囲網を作り出すフレイゼル。激しくも優雅なその動きはまるで剣舞を踊るが如くだ。
「いま……バスターモード! 食らえ!」
ダメージの蓄積により隙だらけになったラフィアンネガイアに対してフレイゼルは一蹴り入れて距離を取ると宙空にて刀身が収納されると同時に展開したイーグレットアームドの四門の銃口から強烈な光弾を撃ち込む。
「グオォ……オオオ!?」
銃火をまともに浴びて全身から火花を噴いたラフィアンネガイアはゆっくりと崩れ落ちて両膝を地面につく。
「決めます」
好機と睨んだフレイゼルはベルトのバックル斜め右から飛び出しているグリップを一度引いてから押し込むことで大技を放つためのスイッチを起動させる。
【ハーソルエナジー! チャージアップ!!】
ベルトから電子音声が鳴り響くとフレイゼルの全身にエネルギーが駆け巡り、平時はバイザーで隠された仮面の双眸が眩い光を放つ。
「フレイムダッシャー! GOOOOO!!」
裂帛の気合に呼応するようにフレイゼルの背中には左肩のマントと対を成すような紅い光の翼が形成されるとそのまま火の鳥のように突撃。ラフィアンネガイアに渾身の左ストレートのパンチを叩き込んだ。
「がっはあ!? ア、アア……クソガアアアアアア!!」
灼熱の鉄拳を食らったラフィアンネガイアは大きく吹き飛ばされ上空へと跳ね上がると未練の絶叫を轟かせて異界の空に爆発四散した。
「……いた」
戦いに勝利したフレイゼルはその余韻に浸ることもなく、ネガイアが消滅した空に目を凝らしていた。すると彼女の視線の先、緩やかになっていく砂嵐の狭間に紅い蝶が弱々しく羽ばたいている姿があった。
フレイゼルは腰に巻いたハーソルドライバーから虫眼鏡型ガジェット・ハーソルルーペを取り外すと静かにレンズの中に蝶を捉えてグリップに取り付けられたスイッチを押す。すると遠くを羽ばたく紅い蝶を包み囲むように球体の虫籠が出現して蝶をあっという間に捕獲した。
「ふう……キャプチャークリア、です」
フレイゼルは一足飛びで未だ空を浮遊している蝶を捕らえた光の虫籠を回収するとようやく安堵の息を漏らした。
この紅い蝶、カオス・バタフライこそがネガイアやダウンフォールワールドを生み出した全ての元凶だったのだ。
放っておけば現実世界を理不尽に崩壊させる恐れがあった異世界の浸食はこうして今回も仮面ライダーによって防がれたのだ。
「はふーがんばったぁ」
自らの任務の完了を念入りに確認してフレイゼルは変身を解いた。
光が弾けて消えるとそこにいたのは青を基調としたサイバーチックなボディスーツでスレンダーながら胸元は確かな膨らみがある瑞々しい肢体を包んだ鮮やかなオレンジ色をした長髪の少女だった。目元こそ切れ長で涼しげだが顔立ちそのものはどこか気が抜けたような、あどけない可愛らしいものだ。
「ん……蝶の捕獲及びに現実改変の阻止を確認。キャプター01これより帰還します」
『了解した。こちらも帰還シークエンスのアシストに入る。お疲れさん』
少女は腕時計型の多機能ガジェットでどこかへ連絡を取るとふわりと浮遊した後に光を放ってダウンフォールワールドから退去した。
訪れる無音。世界を構成する核と呼べる存在を失ったことで残されたこの砂漠のダウンフォールワールドは力を失い光の粒子となって霧散するように消滅を開始する。それは繭や蛹が孵化することなく朽ちていくかのようにどこか哀れで呆気ない光景だった。
※
「んお!? あれ……俺、寝てたのか」
某県某市某所。
夜の公園のベンチで居眠りをしていたファミレスバイトの青年は悪い夢を見ていたかのように血相を変えて飛び起きた。
彼こそが運悪くカオス・バタフライの宿主として寄生されてダウンフォールワールドを生み出していた張本人だ。無論、彼自身に自覚もなければ明確な悪意すらもないのだが……。
「うわぁ寝汗やば……背中痛てぇ……けど、なんかスッキリして楽になった気がする」
ラフィアンネガイアが憤慨していたように現実世界での彼は社会で働く中で数え切れない理不尽に晒され、鬱憤が溜まっていたのだろう。
だからこそ、破滅を招く紅い蝶は彼の荒んだ心に誘われて、より悪質に歪めてしまったのだ。
「帰って風呂入ってちゃんと寝よう。ご褒美だ……今夜はちょっと良い酒でも飲んじゃお!」
彼の日常が劇的に変わることはない。
大変な日々が明日も待っているのだろう。
しかし、厄を落とすという例えではないが心の濁りを取り除かれたことで青年はどこか溌溂とした様子で自らの家路へとついた。
そして、そんな青年の姿を物陰から見ていた人影があった。
「よし。よかった」
『もう……宿主にされた人物の経過観察なら私たちでやっておくっていつも言っているのに』
「好きでやってるから平気。自分へのご褒美」
人影の正体は現実世界の01だった。
青年の様子を見届けた高校の制服らしき格好の01は通信先で自分を案じ窘めるような口ぶりの女性の声に満足げに返して薄く口元を緩めていた。
「ふわ~~~……つかれた」
張り詰めていたものが解けて、気が抜けたのだろう。
01は大きな欠伸をこぼすと足元を微かにふらつかせて、しばらく屈んだまま固まった。
「わたしも帰って寝よ。いいかな?」
『もちろん。ごめんなさいね01、ここ連日働かせてばかりで』
「大丈夫。わたし、もう女子高生だよ? 若いし強いし元気だ」
『はいはい、そうね。事後処理はこちらでやっておくから帰ってゆっくり休みなさい。食事もしっかり摂るのよ?』
「うん。おやすみ雪乃」
通信相手と気さくなやり取りを終えると01もまた使命から解放されて、ほんの束の間をただの少女として水曜日の夜と言う日常へと帰っていった。
誰も知らないだろう。
この街一帯が先ほどまで原因不明の熱風と砂嵐に晒されていたことなど。
心象異世界の浸食による世界の塗り潰しが起きかけていたことなど。
これがこの世界の陰日向で営まれている非日常。
世界を破滅から守るために活躍する守護者たちの記録の一片。
※
木曜日の朝の街を走るバスの車内は会社や学校へ向かうサラリーマンや俺と同じく学生で混み合っていた。いつもこんな感じに混雑しているんだろうか?
朝っぱらから元気にお喋りしているグループもいればイヤホンから漏れる音量で音楽を聴いているのもいる。周囲の雑音なんて我関せずとスマホと睨めっこする人もいれば、新聞や文庫本を読んでいる人もいる。
長方形の箱の中は随分と多様性で溢れ返っているなと柄にも無くそんなインテリか哲学家っぽいことを自分が考えてみるのは乗り慣れないバスの息苦しさと人混みの圧迫感への気晴らしだ。自転車をカッ飛ばして浴びる風の気持ちよさがもう恋しい。
『次は英陣学園前……』
いつの間にそんなに走っていたのか目的地のバス停名がアナウンスされて降車ボタンを押そうとすると俺が手を伸ばすよりも早く他の誰かが押したことでピンポンと音が響く。流石、ベテラン勢のよく訓練された早業だ。
しばらく待っていると無事にバスは決められたバス停で止まり、出入り口のドアが開かれる。すると自分と同じ学校の制服を着た男女がぞろぞろと慣れた様子で降りていく。
「バス通学のみんなはこれを毎日やってるのか……うん?」
常連たちの流れにはとても混じることは出来ないから最後にのんびり降りようと待っているとそいつの姿は不意に自分の目に映った。
「くー……すー……」
オレンジ色の髪に丸眼鏡をした同じ高校のセーラー服をきた女子が幸せそうな顔をして座席に座ったまま眠っていた。なんとなく制服は真新しいし一年生なのか?
「なあ、おい。おーい。起きろってえ」
「んにゃ……はえ?」
断りもナシに知らない女子に声をかけて、あまつさえ体に触れて起こすことに後になって何とも言えない緊張が襲ってきたのは別の話だがとにかく俺は自然と華奢な肩を揺らして居眠り中のその子を起こしていた。
なかなか起きてくれなくて、どうしたものかと思っているとまるで童話の眠り姫みたく、その子の瞼が開いて琥珀色の綺麗な瞳がレンズ越しに俺をぼんやりと見ていた。
「やば…‥寝ちゃってた。バスいまどこ?」
「起きたか? 運転手さんに待っててもらってっから、とにかく降りるぞ! ゆっくり立て」
まだ夢み心地の女子の腕を引いてそそくさと降りるとバスは運転手の心情を現すようにあっという間にバス停を発って走り去っていく。
「あぶなかったー」
「すみませんでした。わざわざ……でも、どうして?」
「そりゃあ……アレだ。おんなじ学校のやつだったから起こしただけだよ」
「それだけ、です?」
眼鏡の女子は俺の返事になんでか不思議そうに小首を傾げて頭の上に?を浮かべているようだった。え、なに? 今時の女子高生は寝過ごしているの起こすのにもマナーや作法がいるのか?
「なんだぁサボる気だったヤツかお前?」
「ち、違いますよ! 学校大好きです。無理かもですが皆勤賞志望です」
ようやくこの眼鏡女子の大きな声を聞いた。
やっと眠気が覚めたらしい。
バスの中では口半開きで眠りこけてたからちゃんと見てなかったけど、さっぱりとした感じで結構カワイイ感じがする。
「乗り過ごして参ってるやつを見るよか、取り越し苦労でも助けて安心した顔見る方が気分良いだろう? じゃあな。俺もう行くから遅刻すんなよー」
「あの! お名前、教えてくれませんか? ちゃんと名前を呼んでお礼したいので」
だらだらと要領を得ないお喋りを無駄に続けてお互いの気分を台無しにしたくなかった俺は淡白な人付き合いを心がけていることもあって適度なところでその場を立ち去ろうとした。だけど、眼鏡の女子は大きな声で俺を呼び止めて、変わった要求を出してきた。
驚きはしたけど、彼女にはちゃんと大事な意味があるんだろう。
だったら、それぐらいお安い御用だ。
「
「はい。助けてくれてありがとうございました。操助先輩」
「どういたしましてだ」
「
「……おう」
眼鏡の女子——いや、アンジュはそう言ってぺこりと深く一礼した後に脱力系のふにゃっとした笑顔を見せていた。不思議な後輩に懐かれたのかもしれない。
そして、思えばこの些細な出来事から俺の運命は大きく動き出していたんだろう。
バタフライエフェクトというやつだろうか?
この時の俺はそんなことが起きるだなんて露知らず、修理に出した自転車が早く戻ってこないかとそんなことを考えていた。