シオン達のいた3階の教室棟から体育館へは外に続く渡り廊下を渡らなければならなかった。野ざらしにされたコンクリートを蹴る足は嫌でも汚れる。乾いたローファーの音を鳴らしながら、あなたは口を開いた。
「ギャルゲー理論ってあると思うんだ。」
「は?」
「え?」
「あ、ごめん。素で反応しちゃった。」
シオンはあなたの頭が急におかしくなったと思ったらしい。どうも失礼なクソガキだと内心悪態をついたが、彼女の愛嬌に許すことにした。
「つまり、我々が敵としているリア充と言う集団だけど、属性の他に条件というか、上位での枠組みってのがあると思うんだ。」
「キモイぞー塩っ子。聞いてあげるけど。」
「おい、イチャイチャしないでくれよ。」アキラの言葉はスルーされる。
「姉やらツンデレやら教師ってのもあるけど、年齢っていうのも加味しなきゃいけないんじゃないか。」
「えぐいストレート変化球投げるな、お前。」さすがのアキラも引いていた。
「ウワ~」と嘆くようなシオンの声を腕で押しのけたあなたは、冷めた目線など怯むことなく持論を展開する。
「いわゆる下級生、同学年、上級生。この学園で言えば一年、二年、三年ってやつさ。」
「ホントにギャルゲージャン。なんだっけ?ラブプラス?」
ここでアキラの疑惑は確信に変わった。同じ話題を出してもアキラと塩っ子とではシオンの反応が大きく違うのだ。半信ではあったが、ここにきて静かに自分の直感に蓋をする。
「その通りよ、シオン。いつも話しているリア充ってさ、みんな同じ箱なの。」
「どういうこと?」
「同じクラス、同じ学年、同じ部活、同じ通学路。その枠を超えて年齢に囚われることなく皆に受け入れられるコミュ力を持つ者が、真のリア充なんじゃないかな。」
「それお前じゃん。」とアキラは内心ツッコむ。喉まで出かかったその言葉を飲み込むとアキラは代わりに結論は何か、とあなたを軽く詰める。
「何が言いたい?」
「さっき話してた候補者、ノエルは一年、生徒会の二人は3年、ころね先生は教師。」
「あ、ころね。まだ入れるんだ。」
「そこはほら、外れた時のリスクヘッジということで。」
3人は体育館の踊り場まで来ると、階段を下りて2階の入口へと下り始める。
「同級生がいないんだよ。」
話を聞いていた二人はキョトンと目を丸くする。そしてすかさずシオンが言葉を挟む。
「2年次でいるかな。アイツに落ちる奴。」
「シオンちゃん刺し過ぎよ。」
「ピャー。」
「ピャーじゃねえ!」
学年を跨いだフィルターというものがあったおかげで辛うじて4人の候補者を選出できたのである。
少し納得していたアキラは「では、だれだ?」と眉をしかめた。
「同じ学年で交流のあるやつだろ?俺たちの学年は特に動くことないから、コミュニティーを行き来する必要もないし、そんな陽キャと言うか、コミュ力お化けいるか?」
思わず感情的になったあなたは声を力強く抑える代わりに、思わず手がアキラに向けられる。
「だからこそ、絞られると思うんだ。」
そうこうしているうちに3人は体育館の入り口まで到着していた。
体育館には既に剣道部とバスケ部が汗を流しており、ワックスがけのフローリングにはひときわ光が反射していた。これが学園が上履きを採用しない理由の一つであり、生徒たちが体育館へ上がる際にはローファーを脱がなくてはならない。本来は特別な場合を除き、彼女たちの様に靴下も厳禁でスニーカーかスリッパを持参しなくてはならないのだ。
喚起のために開けられた扉からは、屋内にいても外で活動しているサッカー部とテニス部の声が聞こえてくる。
尋ねてきた一行は三者三様に目をつける箇所が違っていた。アキラはその場にワタナベがいないことを即座に見切った。曰く「あのガリハゲはすぐ目立つ。」のだそうだ。
シオンの眼先には、中央で仕切りのように天井から垂れ下がっている網がある。そこから奥が剣道部の敷地で、手前がバスケ部の練習スペースとなっていた。
どうやらバスケ部は休憩中らしく、顔を知る後輩二人が仲良くビブスを靡かせながらシュートを決めている。彼らはあなたを見るとニコニコと駆け寄ってきた。
「先輩!」と声をかけるその姿はまるで客人をもてなす家人のようだ。
「とうとう入部っすか。」
「ちげえよバカ、ワタナベはどうした?」
「ナベ先輩なら休憩入った途端にケータイ持って外行っちゃいましたよ。」その証言にアキラは一瞬のうちに雷鳴が脳内を轟かせる。
「告白イベだ。」
「は?」思わずシオンと声が被る。
「じゃなかったら休憩とは言えスマホ持って外に行かないだろ。」
その意見には半疑的はあなた達だったが、少なくとも見られたくないことがあるのは確かだ。何かを察した後輩はワタナベの向かった先を指で刺すと、善は急げと言わんばかりにアキラは駆け出した。
「邪魔してくる。」
「うわ、サイテー。」
シオンの言葉はその場に残った塵にしか聞こえない。
すると後輩は声を小さく確かめるようにあなたに話しかけた。
「例の件っすか。」
「ソ、君たちのタレコミのおかげでね。」
「で、こちらが紫咲先輩っすね。」
「んだ、知っているのかね。」
「噂は聞いてますよ。天音が動いてましたもん。」
シオンはバツが悪そうに下を向くが、その表情はどちらかと言うと恥ずかしそうにしていた。
「で?当てはあるんですか?」
「全くないからこうして聞きに来たのよ。」
「俺たちの勘なんですケド、いいですカネ?」
自分を知る後輩が自ら意見を言って来ようとする姿が嬉しかったのか「教えて教えて」と彼女は勢いを取り戻して食いついてきた。
「多分なんすけど、ここに顔を出す人だと思うんですよ。」
「ほーう」
「今日みたいにいろんな人が来る日に先輩調子に乗ってダンクかましたんすよ。」
シオンは自分の背が決して届かないであろうゴールシュートに眼をやる。確かに彼のような長身ならば届くかもしれないが、ワタナベの身体能力的には無理があるように思えた。
「で、ジャンプした瞬間に脚攣ってました。」
「は?」
「倒れて悶絶してましたよ。」
彼曰く、その姿は誰かにアピールしていたのだと言った。その日は練習開始早々ニヤニヤとしており、先輩風を珍しく吹かせていたのだそうだ。
「見とけよ、青春謳歌してやるから。」と言った後でのインシデントだったという。
その場には剣道部や各種マネージャー、準マネージャーまで揃っており、ワタナベのうめき声にみんなが反応していたのだ。
「アクシデントじゃないんだ…。」
「人災っすよあんなの。自業自得っす。」
その時、何者かが気配なくシオンの背後に忍び寄った。彼女が気付いたのは段々と暖かい体温を感じ始めた時であり、振り向いた時にはすでに遅かった。
シオンの頭部に向けて勢いよく棒状のものが振り下ろされる。ピタッと広い額に半紙が挟まるくらいの位置でそれが止まる。
竹刀だった。
振り下ろしたのは白銀ノエルである。決して傷をつけない体育会系の挨拶であった。
彼女の濃い緑色の瞳は、ニカッと笑った瞼に隠れる。
「わあ~シオン先輩だあ!」と頬に滴る汗も気にせずピョンピョンと小さく飛び跳ねる。シオンも「ノエちゃん!」と嬉しそうに彼女の手を取った。
遊びに来てくれたと思った彼女は先輩二人を歓迎したのだ。以前シオンが「ノエルはママみたい。」と言ったように滲みだされる母性は男女問わず気を狂わせる。その出所はどこかはあなたには察しが付くが、どこからか圧を感じて、あえてそこから目をそらしたしまった。
「部活始まってからずっと動いていたから、汗だくになっちった。」
道着は汗で滲み出しているが、ノエルは臆せずシオンとあなたから距離を取らない。その部分にシオンは疑問を感じたが、すぐに以前合同稽古をしたという話を思い出した。
「体育会同士、汗は気にしないのね。」とボソリとつぶやくのだった。
「ところでノエちゃん、今休憩?」
「そー。水もロッカーだから取りに行くのしんどいぜ。」
彼女いわく貴重品は全て別室で保管しているというのだ。
「スマホもか。」
「当たり前太郎です。この一時間はデジタルデトックスでした。」
つまり直前でワタナベにメッセージは送れないということだ。
「ノエルは白っと。」
「…塩っ子先輩。」
あなたが思わずつぶやいた言葉にノエルはにらみを利かせる。
「シオン先輩の前で下ネタはいけないと思います。」
グルグルと頭が稼働し、脳みそが二回転するとようやくその発言の意味が理解できた。
「…下着の色の話だと思ってる?」
「だーんちょお…。」
と、次々と投げられる二人からの冷めた反応に、自分の失言に気が付いたノエルは下を向いて肩を震わせた。
「下着の色がなんだって?」と話題に入ってきたのはファイルに何かを書き足していた大神みおだった。
ワイシャツの折り目を綺麗にスカートに納めた彼女は生徒会の活動一環として体育館へと来ていたのだ。
「やめてよ、下級生に悪い影響与えるじゃん。」
「いや、言ったのノエルなんですケド…。」
「言い訳しないの!」
みおは挨拶もほどほどに、ポケットからデジカメを取り出して一枚写真を撮った。デジタルの記録に生徒たちの生活風景が追加された。
「ほら、文化祭やるでしょ。いろいろと写真撮って来いって言われててね。」
「みおちゃん大変だー。」
シオンの力のない声に内心微笑みつつ、顔をしかめる。
「スマホがね、バッテリー寿命来ちゃったみたいでずっと充電してるの。」
「え?じゃあずっと使ってないの?」
「うん、午後から充電中。」
一人納得したように高い天井を見上げる。それから確かめるようにあなたに目線を向けると、しばし沈黙が訪れた。
「え?なに?ウチ何か言っちゃった?」
「みおちゃんさー。ワタナベって知ってる?」
突然の人物名にみおは小さく驚き「え、うん」と答えた。
「バスケ部でしょ?この前ここで蹲ってた。」
ノエルも誰の事か思い出したらしい。女子二人の反応に一番受けていたのはバスケ部の後輩二人だった。
「あの先輩、ワタナベっていうんだ。」
「そうそう」とみお。
その時のみおは生徒会としてではなく、お世話係りに近いマネージャーとして体育館へ顔を出していた。丁度その日は観客が多く、多くの女子マネや他の部活の人間もチラホラいたという。
「フブちゃんは?」
「いなかったよ。夫婦池行ってた。」
「え?どうして。」
「なんか金のザリガニ釣りに行くって。今日も行ってるよ。」
確かにこの場には第3候補のフブキはいない。
シオンはあなたに小さな顔をゆっくりと向けると「行ってみる?」と一言尋ねる。
事情を知る後輩たちはニヤニヤしながらさり気なく道を開けるのだった。