ウマ娘ストーリー・another   作:灯火011

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第11話『完全なる観測者』

 都内の超高級ホテルから一歩外へ出ると、12月の凍てつくような夜風が二人の間を吹き抜けた。

 

 エントランスには、学園へ戻るためのハイヤーが既に、黒光りする車体を滑らせて待機している。だが、ジェンティルドンナはすぐに車へ乗り込もうとはせず、夜空を見上げてふうっと白く長い息を吐いた。

 

「……それにしても」

 

 彼女は、隣で自身のタブレット端末を開き、明日の朝食のタンパク質量を再計算している無機質な男の横顔を、流し目で捉えた。

 

「先ほどの、父への啖呵。見事なものでしたわ。……『彼女以外のデータを処理するメモリは存在しない』。そして、父のことを『お義父様』と」

 

 ジェンティルドンナは、からかうような、しかしどこか試すような甘い響きを声に混ぜて、男に一歩すり寄った。

 

「貴方、私のことを……()()()()()で見ていらしたの?」

 

 トレーナーと担当ウマ娘という一線を越えた、生涯を共にする伴侶としての目。並の男であれば、この絶対女王の至近距離からの問いかけに狼狽し、顔を赤らめるか、あるいは言葉を濁すだろう。

 

 しかし、男はタブレットから視線を外すことすらなく、淡々と答えた。

 

「……当然だ」

 

「あら」

 

「お前のコンディションが完璧に保たれるのであればな」

 

 男の指が画面上で淀みなく踊る。

 

「あの男は、日本を動かす権力者だ。中途半端な覚悟や誠意など見せれば、必ず後から『親心』という名の不要な干渉(ノイズ)を挟んでくる。……それを完全に封殺し、お前のトレーニング環境を不可侵の領域として確立するためには、俺が『生涯の全てを懸けてお前という個体を管理し尽くす』という、最も極端で狂気的な事実を叩きつけるのが、統計学的に最も効率的だった。それだけのことだ」

 

「……ふふっ、なるほど」

 

 一切のロマンチックな感情を排した、あまりにも論理的すぎる解答。

 

 要するに、彼はジェンティルドンナへの『永遠の愛』を誓ったわけではなく、ジェンティルドンナの『完璧な走りを永遠に観測する権利』を死守したに過ぎないのだ。

 

「呆れた完璧主義。……じゃあ、仮にの話ですけれど」

 

 ジェンティルドンナは、ハイヤーのドアに手をかけながら、ふと足を止めた。

 

「いつか私が現役を退き、ターフから降りたなら。……この関係性はおしまい、ということかしら?」

 

 走るための計算式が必要なくなった時、彼はどうするのか。ただの『抜け殻』となった彼に、自分を繋ぎ止める理由は残るのか。

 

 

 その問いに対し、男は初めてタブレットから顔を上げ、ジェンティルドンナの瞳を真っ直ぐに射抜いた。その目には、いつもの冷徹な計算だけでなく、底知れぬほど深く、重い『執着』が宿っていた。

 

「……当然だ。俺たちは『トレーナー』と『担当ウマ娘』ではなくなる。その契約は、事実として終了する」

 

「……そう」

 

「だが」

 

 男は、ジェンティルドンナに一歩近づき、一切の揺らぎのない声で告げた。

 

「お前がターフから降りたからといって、お前という『完璧な生体構造』がこの世から消滅するわけではない。歩く時のストライド、筋肉の収縮、呼吸の深さ。……お前が生きている限り、俺の眼球は、お前という存在の完璧さを計測し、計算し、少しのノイズも許さずに修正し続ける」

 

 それは、プロポーズよりも遥かに重く、狂気に満ちた宣言だった。

 

「俺たちは、トレーナーと担当ではなくなる。ただ『完璧な観測者』と『完璧な被写体』になるだけに過ぎない。……そこに、世間一般が言うところの『恋愛』や『交際』といった、曖昧で非論理的なラベルが必要か?」

 

 明確な、恋愛感情の否定。だがそれは「愛していない」という意味ではなく、「そんなありふれた言葉では、俺の異常なまでの執念と絶対的な関係性は定義できない」という、強烈な誇りの裏返しであった。

 

 ジェンティルドンナは、目を丸くした。そして、堪えきれないように口元を手で覆い、肩を震わせた。

 

 恋愛でも、交際でもなく。ただ、生涯をかけて彼女の全てを計測し、狂気的に尽くし続けるという、絶対に逃れられない呪いの契約。

 

「……ふふっ。いいえ、十分ですわ」

 

 ジェンティルドンナは、最高に心地よい音楽でも聴いたかのように、満足げに微笑んだ。

 

「ええ、全くもって十分。……貴方のその異常な執念の前に、安っぽい言葉など不要ですものね」

 

「理解したなら、早く車に乗れ。外気に晒される時間が3分を超えた。これ以上の体温低下は、明日の代謝効率に悪影響を及ぼす」

 

 相変わらずの調子でハイヤーの奥へと乗り込んでいく男の背中を見送りながら、ジェンティルドンナは、車の外で一人、再び夜空を見上げた。

 

(……とはいえ)

 

 彼女の脳裏に、先ほどの男の言葉がリフレインする。

 

『恋愛や交際といったラベルが必要か?』

 

 彼女自身、今はまだターフでの覇道に全てを懸けている。世間並みの恋愛など、自分の強大な覇気の前にはひどく退屈で、無価値なものに思えていた。

 

 だが、もし。

 

 もし、いつか自分がターフを降り、誰かの隣で歩む未来があるのだとしたら。

 

「……最低でも、()()()()には、私に狂気的に尽くしていただきませんと……」

 

 彼女の口角が、妖艶に、そして傲岸不遜に吊り上がる。1ミリのズレすら許さず、権力者の威圧すら意に介さず、ただ自分の全てを完璧にエスコートし、敗北の責任すら全て背負ってのける。

 

 そんな異常な男を『最低基準(スタンダード)』に設定してしまった以上、もはやこの世界に、彼女の隣を歩ける男など他には存在しないのだ。

 

「……ふふ。私の覇道も、随分と高く、そして狭いものになってしまいましたわね。……ほほほっ」

 

 自らが仕掛けた罠か、あるいは彼が仕掛けた呪いか。どちらにせよ、もはや決して解けることのない極上の絆の重さに、絶対女王は一人、心地よい笑い声を冬の夜空に響かせた。

 

 そして、彼女もまたハイヤーに乗り込み、狂気的な完璧主義者が待つ座席へと、当然のように身を委ねるのだった。

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