忘却の底で、君を待つ   作:冬獅郎

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小指の熱

 午前六時。

 無駄に広いシステムキッチンの真ん中で、私はフライパンと格闘していた。

 最新式の換気扇が回っているけれど、漂うのは甘く焦げた醤油と砂糖の匂い。

 

 ジュウウ……。

 

 菜箸で突っついた黄色い塊が、また形を崩そうとする。

 端の方が茶色く焦げ付いているのを、私は強引に内側に巻き込んだ。

 

 昨日の夜、久しぶりに早く帰ってきたママに教わった通りに、予習もしたはずだった。

 ボウルに卵を三つ割り入れ、白身を切るように混ぜる。砂糖は大さじ二杯。塩ひとつまみ。上等な出汁を少し。

 手順は頭に入っているのに、本番に限って指先が震えて、火加減がうまくいかない。

 

 卵焼きを皿に逃がすと、次は赤いウインナーだ。

 包丁で足が八本になるように切り込みを入れ、油を引いたフライパンに放り込む。

 パチパチと油が跳ねる中、炒められたウインナーの足がクルンと広がり、不格好なタコの形になった。

 

 お弁当箱にご飯をぎゅうぎゅうに詰める。デンジ君はよく食べるから、多めに。

 その隣に、少し歪んだ卵焼きと、赤いタコさんウインナーを並べる。

 隙間を緑と赤の野菜で埋める。

 

「……できた」

 

 菜箸を置いて、完成したお弁当を見下ろす。

 そして、ふぅ、と長く息を吐いた途端──胃の腑が冷たく縮み上がるような不安が襲ってきた。

 

 ──これ、大丈夫かな。

 

 客観的に見ると、明らかに不恰好だ。

 卵焼きは焦げてるし、タコさんの足は一本ちぎれてるし、全体的に茶色っぽい。

 料理本に載っているような、キラキラしたお弁当とは程遠い。

 

 もし、蓋を開けた瞬間に『なんだこれ』って笑われたら?

 もし、一口食べて『まずい』って残されてしまったら?

 デンジ君は優しいから口には出さないかもしれない。でも、無理して食べている顔なんて見たくない。

 

 迷った末に、まな板に残っていた卵焼きの焦げた切れ端を摘んだ。

 恐る恐る、口に運ぶ。

 

 ジャリッ。

 

 焦げの苦味。

 けれど、その直後に舌の上に広がったのは、脳が痺れるような強烈な甘さだった。

 

 ……甘すぎる、かも。

 

 正直、パパが連れて行ってくれるお店で出るような上品な味じゃない。

 焦げの苦さと、砂糖の甘さが喧嘩しているような、不器用な味だ。

 失敗作、と言われても仕方がない出来栄えに、自信がしゅるしゅると萎んでいく。

 

 けれど。

 昨日のことが頭を過ぎる。

 私が冷蔵庫の余り物で作った、なんの変哲もないおかゆ。

 それを彼は、『うめえ』と目を細めて、最後の一粒まで綺麗に平らげてくれた。

 

 あの時の、本当に嬉しそうな、飾り気のない笑顔。

 あの顔が、もう一度見たい。

 

「……食べて、くれるかな」

 

 独り言が、広いリビングに吸い込まれていく。

 不格好だけど、一生懸命作ったことだけは、きっと伝わるはずだ。

 私は祈るような気持ちで、お弁当箱の蓋を閉めた。

 

 パチン。

 

 留め具の鳴る音が、今日の私の勇気のスイッチだった。

 鞄に入れると、ずしりとした重みを感じた。

 それは、ただの食料の重さじゃない。

 私の、期待と不安の重さだ。

 

「……行ってきます」

 

 誰もいない玄関に声をかけ、私は夏の朝の光の中へと足を踏み出した。

 

 

 

 

 

 *****

 

 

 

 

 

 あれから二週間が過ぎた。

 俺の生活は、劇的に変わったと言っていい。

 

 昼休みのチャイムが鳴ると同時に、俺は席を立つ。

 教室の喧騒を背に、廊下へ出る。

 数秒遅れて、後ろのドアからレゼが出てくる。

 俺たちは少し距離を空けて、同じ方向──屋上へと向かう階段を目指す。

 

 ガチャリと重い鉄扉を開けると、そこは俺たちの聖域だ。

 給水塔の裏。

 真夏の太陽が容赦なく降り注ぐ灼熱のコンクリートジャングルだが、ここだけは不思議と風が通り抜ける。

 俺たちは並んで座り、レゼが広げた風呂敷包みの中身を分け合う。

 

 今日の弁当は、鶏の唐揚げだった。

 ニンニクと醤油の匂いが、俺の空っぽの胃袋を鷲掴みにする。

 

「……いただきます」

 

 俺は獣のようにかぶりついた。

 サクッとした衣の中から、熱い肉汁が溢れ出す。

 美味い。

 脳髄が痺れるほど美味い。

 スーパーの半額弁当や、パンの耳をかじっていた頃の俺は、もういない。

 この二週間で、俺の身体には肉がついた。

 風呂に入るたびに浮き出て見えていたあばら骨は薄い筋肉に覆われ、カサカサだった皮膚には油分が戻った。

 

 ──でも、不思議だ。

 

 毎日変わる豪華なおかずよりも、なぜか一番最初に食った、あの焦げ付いた卵焼きの味が、今でも舌の奥に残っている。

 苦くて、やたらと甘かったあの味。

 あれが一番、美味かった気がするなんて言ったら、レゼは怒るだろうか。

 

「……デンジ君、口についてる」

 

 隣でサンドイッチを食べていたレゼが、くすりと笑って俺の口元を指差した。

 俺は慌てて手の甲で拭う。

 

「わりぃ。……これ、マジで美味いわ」

 

「ふふ、よかった。作りすぎちゃったから、全部食べてね」

 

 レゼはそう言うと、満足そうに目を細めて空を見上げた。

 入道雲が湧き上がっている。

 その横顔は、教室で見せている冷ややかな"高嶺の花"とは別人のように柔らかい。

 俺だけに見せてくれる顔。それが嬉しかった。

 

 

 

 

 

 *****

 

 

 

 

 

 雨の日は、少し事情が変わる。

 屋上には出られないから、俺たちは誰も来ない渡り廊下の階段の踊り場を使う。

 薄暗く、埃っぽいコンクリートの空間。

 窓ガラスを叩く雨音が、俺たちを世界から切り離すカーテンになる。

 狭い踊り場で肩を寄せ合い、二人だけの秘密基地みたいに弁当を広げる。

 湿気を含んだ空気の中で、レゼの髪から漂う石鹸の匂いが、晴れの日よりも濃く感じられる。

 そんな時、俺は自分がどうしようもなくレゼに飼い慣らされていることを自覚させられるのだ。

 

 満たされる胃袋。

 安定する精神。

 けれど、それと反比例するように、俺の胸の奥には焦りのようなものが溜まっていった。

 

 俺は、貰ってばかりだ。

 飯も、優しさも、この時間も。

 レゼは金を受け取らない。見返りも求めない。

 それが余計に、俺を惨めな気持ちにさせた。

 俺はペットじゃない。対等な人間でありたい。

 いつかレゼが俺に飽きた時、捨てられるのを怯えるだけの存在にはなりたくない。

 

 だから、決めていた。

 この夏休み、バイトをしまくる。

 今の体力なら、工事現場だろうが引越し屋だろうが、なんだって出来るはずだ。

 金を稼いで、レゼをどこかへ連れて行ってやりたい。

 いつも貰っている弁当の礼に、美味いもんを食わせてやりたい。

 あるいは、彼女が行きたがっていた海や、祭りに連れて行ってやりたい。

 

 そう思っていた矢先のことだった。

 

 

 

 

 

 *****

 

 

 

 

 

 七月上旬。

 教室の空気が、湿気で澱んでいた。

 ホームルームの終わり際、担任がけだるげに一枚のプリントを俺の机に放り投げた。

 

「おいデンジ。……なんだこの点数は」

 

 ペラりと紙をめくる。

 昨日の数学の小テストだ。

 そこには、赤いインクで殴り書きされた、暴力的な数字が躍っていた。

 

 『12』

 

「……別にいいじゃないっすか。本番じゃねえし」

 

 口を尖らせると、担任は眼鏡の奥の目を鋭く光らせた。

 

「よくない。来週は期末テストだぞ」

 

 担任は教壇に戻りながら、クラス全体、いや、俺に向けて宣告した。

 

「今回の期末テストで赤点を取った奴は、夏休み返上で補習だ。特にデンジ、お前はこのままだと数学と英語が危ない。……もし赤点を取ったら、夏休み中は毎日学校に来て、みっちり絞ってやるから覚悟しとけ」

 

 毎日。

 その単語が、俺の脳内で木霊した。

 

「……先生、毎日は無理っす。俺、バイトの予定詰め込んじまったんで……」

 

「学生の本分は勉強だ。赤点を取るような奴にバイトをする資格はない」

 

 担任はにべもなく切り捨てた。

 

「補習をサボれば進級に関わる。……いいのか?」

 

 脅しだ。

 言い返せなくて、唇を噛み締めた。

 進級できなきゃアパートを追い出される。それは困る。

 だが、それ以上に腹が立ったのは、俺の夏休みの計画が台無しになりかけていることだ。

 

 補習が毎日あるってことは、昼間の現場仕事には入れない。

 時給の高い肉体労働ができなきゃ、稼ぎは半分以下だ。

 それじゃあ、家賃と食費で消えちまう。

 レゼを美味い店に連れて行くことも、花火大会に行く金も、捻出できねえ。

 

 また借りを返せねえままなのか。

 

 

 

 

 

 *****

 

 

 

 

 

 放課後。

 誰もいなくなった教室で、机に突っ伏していた。

 12点の小テストが、クシャクシャになって床に落ちている。

 

「……クソが」

 

 来週の期末テスト。そこで赤点を回避できなきゃ、俺の夏は終わる。

 でも、どうすりゃいいんだ。教科書を見ても、暗号にしか見えねえ。

 

「……デンジ君?」

 

 不意に、鈴を転がすような声が降ってきた。

 顔を上げると、レゼが立っていた。

 彼女は床に落ちた小テストを拾い上げ、その悲惨な点数を見て、ふっと眉をひそめた。

 

「……12点かぁ」

 

「……なんだよ。笑いに来たのかよ」

 

 顔を背けると、レゼは静かに俺の前の席に座り、俺の顔を覗き込んだ。

 

「期末、ヤバそう?」

 

「当たり前だろ。……夏休み、バイト入れてたんだよ。金稼いで……その」

 

 お前に何か返したかったんだ、とは言えなかった。

 

「……いろいろ、やりたいことあったんだよ」

 

 拗ねたように言うと、レゼは少しの間、俺の目をじっと見つめた。

 それから、ふわりと微笑んだ。

 

「そっか。……じゃあ、赤点なんて取ってる場合じゃないね」

 

「あ? だから無理なんだって。俺の脳みそじゃ……」

 

「無理じゃないよ」

 

 レゼは身を乗り出した。

 夕日が彼女の背後から差し込み、その姿を逆光で縁取った。

 

「私が教えてあげる」

 

 その言葉が、鼓膜を震わせた。

 

 ドクン、と心臓が不自然に跳ねる。

 

 目の前の夕焼けが、一瞬だけ青白く滲んだ気がした。

 肌にまとわりつく教室の湿気た空気が、急にひんやりとした水の感触に変わる。

 鼻孔を突く、ツンとした塩素の匂い。

 そして、重力から解き放たれて浮遊する俺の身体を、誰かの温かい手が支えている感覚。

 

『──私が全部教えてあげる』

 

 脳の奥底で、同じ声が反響する。

 懐かしくて、どうしようもなく切ない、水底のような響き。

 思考が白く染まっていく──。

 

 

「……デンジ君? 聞いてる?」

 

 顔を覗き込まれ、ハッと息を呑んだ。

 水中の幻影が弾け飛び、再び西日の差す教室が現れる。

 

「……あ、ああ」

 

 慌てて目を擦った。

 冷や汗が背中を伝う。

 今のは何だったんだ。幻覚か?

 心臓の早鐘がうるさい。

 

「……悪い、ボーッとしてた。……頼むわ。俺の脳みそ、叩き直してくれ」

 

 頭を下げると、レゼは不思議そうに小首を傾げたが、すぐに「よし」と小さくガッツポーズをした。

 

「任せて。……スパルタでいくからね」

 

 その笑顔には、どこか悪戯っぽい光が宿っていた。

 

 

 

 

 

 *****

 

 

 

 

 

 放課後の図書室は、世界の果てみたいに静かだった。

 古紙の乾いた匂いと、微かな埃の匂い。

 窓の外ではアブラゼミが鳴いているが、分厚いガラスに隔てられて、遠い耳鳴りのようにしか聞こえない。

 

 カリカリカリ……。

 

 シャーペンの走る音だけが、等間隔に響く。

 

「……そこ、計算ミスしてる」

 

 隣から、冷静な指摘が飛んでくる。

 レゼの指導は的確で、無駄がなかった。

 俺がどこでつまづいているのか、俺自身よりも理解しているかのように、先回りしてヒントを出してくる。

 おかげで、食わず嫌いだった数式が、少しずつ意味のある羅列に見えてきた。

 

 ……けど。

 問題は、数学の難易度じゃなかった。

 

「……ここ、因数分解の公式忘れてるよ」

 

 レゼが身を乗り出し、俺の手元にあるノートを指差す。

 近い。

 彼女の黒髪がサラリと肩から滑り落ち、俺の腕にかかる。

 ふわっと漂う、甘い石鹸の香り。

 制服の袖越しに伝わる体温。

 首元の黒いチョーカーが、白すぎる肌の上で異様な存在感を放っている。

 

 ドクン、ドクン。

 

 心臓がうるさくて、数式どころじゃない。

 生唾を飲み込んで、視線をノートに縫いつけた。

 

「……分かった、分かったから。……そんな近づくなよ」

 

「え? 近くないと見えないでしょ」

 

 レゼは平然としている。

 こいつ、無防備すぎる。それとも俺のことなんて、男として見てないのか?

 

「……なあ」

 

 話を逸らすために、ずっと気になっていたことを口にした。

 

「その首のやつ……学校でも外さねえよな」

 

 レゼが自分の首元に触れる。黒い革のチョーカー。

 

「これ? ……これはね、首輪なんだ」

 

「首輪?」

 

 素っ頓狂な声を上げると、レゼは少しだけ目を伏せ、自嘲気味に笑った。

 

「うん。……悪いこと、いっぱいしちゃったから」

 

 冗談なのか、本気なのか。レゼの声色は曖昧だった。

 悪いこと、ってなんだよ。万引きか? 喧嘩か?

 俺には想像もつかなかったが、その時の彼女の顔が、雨の日に捨てられた猫みたいに寂しそうに見えた。

 

 上手く言葉が返せねぇ。

 気の利いた慰めの言葉なんて、俺の辞書には載ってない。

 でも、その悲しそうな顔を見たら、ほっとくことはできなかった。

 

「ふーん……」

 

 頬杖をついて、手持ち無沙汰にシャーペンを回す。

 

「……俺は、レゼと一緒にいるほうが楽しいぜ」

 

 レゼが瞬きをする。

 ズレた返事をしている自覚はある。レゼの過去の罪と、俺の今の楽しさは何の関係もない。会話になっていないかもしれない。

 でも、俺の脳みそが弾き出した答えは、それしかなかった。

 

 沈黙が落ちた。

 やがて、レゼが「ふふっ、あははっ」と噴き出した。

 

「……そっか。……ありがとう」

 

 その笑顔は、さっきまでの寂しそうなものじゃなく、もっと自然で、柔らかいものだった。

 それを見たら、急に自分の言ったことが気恥ずかしくなってきた。

 

「……あー! もう! 休憩!」

 

 俺は大げさに伸びをして、シャーペンを放り出した。

 

 椅子に背中を預け、天井を見上げる。

 レゼはくすりと笑い、窓の外へと視線を移した。

 夕焼けが終わりかけ、空が群青色に沈んでいく時間帯。

 その横顔を見ていると、ふと、胸の奥の"重み"がまた顔を出した。

 

 弁当を作ってもらい、勉強まで見てもらっている。

 俺は、レゼの時間を奪うことしかしていない。

 

「……なあ」

 

「ん?」

 

「お前さ……こんなことしてて、いいのかよ」

 

「こんなこと?」

 

「俺の世話だよ。……弁当作って、勉強教えて。俺はレゼに何も返してねえぞ」

 

 レゼがこちらを向く。

 その翡翠の瞳を直視することができなくて、自分の手のひらを見つめた。

 

「……気にしなくていいよ。私が好きでやってることだから」

 

 彼女の声は軽やかだった。

 まるで、息をするように当然のことだと言わんばかりに。

 でも、それが俺には逆に重荷だった。

 

「俺はヒモになりてぇわけじゃねえ。……借りを作ったまま生きんのは、なんつーか……性に合わねえんだよ」

 

 金もない。頭も悪い。

 返せるものなんて、この薄汚れた身体くらいしかない。

 そんな無力感が、言葉の端々に滲み出る。

 

 沈黙が落ちた。

 レゼはしばらく何も言わず、ただじっと俺を見ていた。

 やがて、困ったように眉を下げ、ふわりと笑った。

 

「……デンジ君は、デンジ君だね」

 

「なんだよそれ」

 

「ううん。……そういうところ、嫌いじゃないよ」

 

 彼女は窓枠に肘をつき、頬杖をついた。

 その瞳の奥に、何かを迷うような、揺らめく光が見えた気がした。

 

「じゃあ……一つだけ」

 

 彼女は悪戯っぽく人差し指を立てた。

 

「一つだけ、私のお願いを聞いてくれる?」

 

「……お願い?」

 

「そう。……でも、今はまだ秘密」

 

 彼女は立てた指を自分の唇に当てて、静かに微笑んだ。

 

「いつか私がお願いしたら、その時は……絶対に断らないでほしいの」

 

 レゼは俺の目を覗き込む。

 

「それが、お弁当と勉強代。……どう?」

 

 俺は眉をひそめた。

 

「なんだそれ。……高い壺を買わせるとか、変な宗教の勧誘とかじゃねえだろうな」

 

「ふふ、違うよ。……もっと、簡単なこと」

 

 彼女は目を細め、遠くの空を見つめた。

 

「簡単で……でも、私一人じゃできないこと」

 

 その声は、消え入りそうなほど小さかった。

 まるで、その"お願い"とやらを口にすること自体を恐れているような。

 俺には、彼女が何を考えているのか分からなかった。

 でも、彼女のその横顔があまりに儚くて、断る言葉なんて出てこなかった。

 

「……分かった」

 

 俺は彼女の指に、自分の小指を絡めた。

 

「壺以外なら、何でも聞いてやるよ。……俺にできることならな」

 

「本当? 絶対だよ?」

 

「絶対だ。破ったら針千本飲んでやるよ」

 

 指切り。

 子供じみた約束。

 細くて冷たい彼女の指が、俺の指にしっかりと絡みつく。

 冷房の効いた図書室の中で、触れ合う小指の熱だけが、やけに生々しく残った。

 

「……ありがとう、デンジ君」

 

 レゼは満足そうに笑い、指を離した。

 俺はその笑顔を見て、胸のつかえが少し取れた気がした。

 これで少しは、対等になれただろうか。

 彼女の願いを叶えることで、この借りを返せるなら、安いもんだ。

 

 俺は、その"お願い"の中身を知らない。

 ただ、どんなことを言われても、全力で叶えてやろうと決めた。

 

 窓の外では、陽が完全に沈み、群青色の夜が始まろうとしていた。

 夏はまだ、終わらないと信じていた。

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