石造りの重厚なアーチをくぐり抜けた先。
カフェテリアには、スパイスの効いた肉の匂いと、焦げたコーヒーの香りが充満していた。
丸天井の下、高い鼻梁と色素の薄い髪を持つ学生たちが、プラスチックのテーブルを囲んでノートを広げている。
飛び交う巻き舌の異国語。
少し前まではただのノイズだったその音の羅列も、今では意味を持つ言葉として鼓膜に届いていた。血を吐くような思いで単語帳を丸暗記した甲斐があったというものだ。
窓の向こう。
九月の乾いた風が、白樺の黄金色の葉を揺らしている。
短い秋の始まりを告げる、少し肌寒い外気。
それと対照的な、暖房の効いた室内のぬるい空気の中で、椅子の背もたれに体重を預けた。
「大学ってさァ、どこの国でもあんま変わんねぇのな」
テーブルに頬杖をつき、目の前で分厚い専門書を睨んでいる学生の群れを見やる。
隣で、マグカップに口をつけていた小さな肩が揺れた。
「ふふ、なにそれ。日本の大学、行ったことないでしょ」
鈴を転がすような笑い声。
つい先ほどまで、売店で流暢なロシア語を操っていた彼女が、鼻先をくすぐる甘い石鹸の香りと共に、紙袋をトレイの上にことりと置いた。
「これ、ピロシキ。お肉がいっぱい入ってるやつ」
「サンキュー」
紙袋を掴む。
一口かじると、サクッとした生地の中から、胡椒の効いた熱い肉汁が舌の上へ溢れ出した。
咀嚼し、飲み込む。
胃袋が内側からカッと熱を持つ。
マグカップの黒い液体を流し込む。
泥みたいに濃くて苦い。
顔をしかめると、隣から角砂糖が三つ、放り込まれた。
カチャリ、と陶器の底で甘い塊が溶ける音がする。
「……ねぇ。こんな寒い国まで追いかけてきて、本当はちょっと後悔してるでしょ?」
ふと、隣から落ちてきた声。
マグカップの縁をなぞる白い指先が、微かに止まっている。からかうような響きとは裏腹に、長い睫毛が伏せられ、顔に落ちる影が少しだけ濃くなった。
「まーだそんなこと言ってんのかよ」
乱暴に手を伸ばし、隣の小さな頭をわしづかみにした。
そのまま、紫の混じった黒髪をぐしゃぐしゃと乱雑に撫で回す。
「わーっ、ちょっと、痛い、痛いよ!」
首をすくめて抗議する声。そこに怯えや悲壮感は微塵もない。
「後悔なんかするわけねぇだろ」
手を離す。
ひどく乱れた前髪の隙間から、潤んだ翡翠の瞳がこちらを見上げていた。
「どこに居ようが関係ねえよ。……俺は、今のこの生活が気に入ってんだからよ」
その言葉に、彼女の唇がゆっくりと弧を描く。
誰よりも綺麗で、どうしようもなく穏やかな笑顔。
「……ふふっ。デンジ君は、本当に変わらないね」
「当たり前だろ、一生変わんねぇよ」
角砂糖が完全に溶け切ったコーヒーを、最後の一滴まで飲み干す。
テーブルの下で、小さな手が伸びてきた。
無言で指を絡ませる。
少し冷たい指先が、掌の熱を吸ってじんわりと温かくなっていく。
どんなに外の世界が冷え切ろうとも、この繋いだ手から伝わってくる脈拍の熱だけは、決して奪われることはない。
果てしなく続く異国の秋空の下で、ここだけが、俺たちの帰る場所だった。