300年
カゾルミアが、滅んだ。首都の四方の門はすべて破壊され陥落した。
デジクが地獄を味わっていた時の第一次攻囲戦では門すら破れず、溶鉄部隊の奮戦に周辺国側は完膚なきに惨敗したそうだ。ゆえに二回目の今回は戦闘の前段階から、補給線や調略に重きを置いて進められたらしい。
最高指導者を始めとした首脳部は捕縛され、その身柄は周辺国へと護送される。
彼らはこれまでの所業を全世界に公表、大々的に処刑されるだろう。例え他国から非難されようが、そうでなければ周辺国の国民が納得しないのだから。
名高き溶鉄部隊は最後まで機械兵および周辺国の軍隊をてこずらせた。
しかし少数精鋭といえど増援のない籠城戦など愚策もいい所で、そんな中でも被害を増やした彼らは本当に強かったのだ。
「ああ、いてえよぉ……看護師さん。はやく、はやく何とかしてくれぇえ」
「待っててくださいね。順番に、順番に診ますから」
軍服を着こみ衛生兵を示す腕章をつけたスタリナ、デジクはトリアージに奔走していた。表面上は過去の自分を引き出して、戦場に不慣れな民間から徴用された看護師を演じている。
いくらこちらが優勢とはいえ、被害が皆無とはならない。機械兵が多いとはいえ無尽蔵とは言えず、そして民間人に扮した溶鉄部隊のゲリラ戦にて多くの被害が出ていた。
(以外にも工作防止の人員が少ない。外よりも私たちを監視するのが目的、なのかな)
存外、防諜としての仕事は少なかった。
あらかた重症患者の選別を終えたデジクは医師免許をもつ兵士、医官に呼び止められる。
「きみ!そうだ、そこの衛生兵!看護師だな?緊急の処置が必要な患者だ、補助をお願いしたい。来たまえ」
「は、はいっ」
兵士に引っ張られた医官に無理やり連れていかれる。自分のいたテントには重傷者もおり、それを放っておいてでも処置が必要な者とはいったい誰か?
そんな疑問を浮かべたデジクが辿り着いたのは歩哨が立つテント。剣呑な気配を感じながらも中に入ると、嗅ぎなれた鉄の臭いが鼻をつく。
「……!?」
一瞬、ほんの一瞬だけデジクの表情に素が出たが、誰も気づかなかったのは幸いだった。
(スネジンカ、さん!?……いや)
彼女が動揺したのは中にいた意識のないカゾルミアの女兵士を、恩人ともいえるスネジンカと見間違えたから。
しかしよく見ればそれはよく似た別の人間だとわかる。それ以前にスネジンカがこの世にいないことは他の仲間たちと同様、スパイになってからの調査で把握していた。
(もしかして)
その可能性に行き着いたデジクの隣で、テントの中にいた周辺国の将官が医官を睨んで命令する。
「この女を治療しろ。死ななければ意識不明でも手足がなくても、脳が無事なら構わない。何が何でも生かせ」
そして手術が始まった。デジクは動揺を鎮めて医官と作業に努める。
(嫌だ)
患者は重症であったが、命令の通りに生かすだけなら可能だった。
(嫌だよぉ!!)
口元の表情が隠れるマスクをつけていてよかった、でないと噛みしめて切った唇からの血に気づかれていた。
手術中、自分の心の中での叫びが止められなかった。彼女を生かすことが、将官の言った言葉が、かつての施設で再利用された者たちの末路が。
ありえないはずの、スネジンカが加工されていく光景を幻視してしまっては、目の前の女性がそうであろうがなかろうが、脳部品になる未来を許すことが出来なくなっていた。
(———死なせなきゃ、ダメだ)
逃がすことは不可能だ。重傷で、生きながらえるのでやっとの状態でどうしろというのか。
しかし自分が直接手を出すのも、一緒に逃げるのも不味い。防諜任務である今、目立った動きは相互に監視しあっている他のスパイに気取られる。
いくつかの計画を思い描いているうちに手術は終わり、女兵士は生命維持装置に繋がれてかろうじて生かされた。明日の朝一の便で近隣の都市まで護送されるそうだ。
緊急の手術を成功させた医師は一息ついて自分のテントへ戻っていった。デジクもテントを出ようとした時、歩哨である兵士たちの声を耳にする。
「……なんで敵の兵士、それもあの溶鉄の英雄なんぞに手厚くするんだ。みんな、痛み止めすら足りずにのたうち回って死んでったのに。この女には最新の設備と、貴重な輸血が注ぎ込まれて。大した手厚い処置だよ、冗談じゃねえ」
「知るかよ。大方、噂通りじゃねえのか?それなら溜飲も下がるんだが」
「噂だろ?どうせお偉方の満足の為に生かされたに決まってる。かの英雄を這いつくばらせて、そんな下らないことのために、みんな死んでいったんだ」
その会話の中、溶鉄の英雄という言葉でほぼ確信した。彼女こそが、スネジンカが探していた義姉のマルフーシャであると。
心が急速に冷えて、動揺するデジクが沈んで冷徹なスタリナが戻ってくる。
そして気弱な表情を貼り付けテントから外へ出る。
「兵士さん、お疲れ様です。おかげさまで彼女の命は助かりましたよ」
デジクは二人のばつの悪そうな表情に気づかないふりをして、テント内の生命維持装置を指差した。
「この機械が彼女を繋ぎ止めています。もし……万が一にも、彼女が意識を取り戻して暴れて自分で管を抜いたら、すぐに警報が鳴ります。警報はあのランプがついている限り大丈夫なので、もし消えていたら近くのオン・オフのボタンを押してあげてください。音が鳴らず放置すれば数分で命に関わります。その時は、絶対にすぐに医師を呼んでください。いいですね? 放置は厳禁です」
念を押すように重々しく告げた。二人は一瞬の間をおいて、表情を完全に消したまま深く首肯した。その無機質な頷きが何を意味するのか、デジクはすべてを理解した上で踵を返した。
その夜、かの女兵士が死亡した。どうやら一時的な覚醒で自己抜去したようで、その手には酸素吸入管を始めとした各チューブが握られていた、事になっている。
運悪く動いたときにアラームのスイッチがオフになり、歩哨の兵士も気づくことが出来なかった、らしい。その兵士は罰として前線に送られ、事の露見を怖れた将官によって、捕縛そのものが初めからなかったことにされた。
デジクや医官にも口止めがされたがそれだけで、誰も真実にはたどり着けない。例えその絵図を描いて実行した者がいたとしても。
命令されたデジクは死体収納袋を手にテントへ入る。
「これで、よかった」
スネジンカに似た、冷たい彼女を袋に丁寧に入れる。目こそ閉じられていたが、その顔は血や土汚れの付いたまま歪んでいた。
「よかったんだ」
ファスナーを顔に向かって閉めていく途中で、止めた。意味のないことをと思いながらも、デジクは持ち歩いている変装のための小道具を取り出す。
洗顔布で亡骸の顔の汚れを優しく拭ってから、お湯がないため手のひらの温もりで冷たい顔をマッサージする。そうして表情を整えてから乳液で乾燥した肌を潤わせ、ひび割れた唇に紅を引く。焼け焦げて短くなった眉毛と睫毛も補った。
「誰にも見られないけど」
エンゼルケアを施した彼女を目の前に、どうしてカゾルミアのために戦っていたのだろうかと考える。久方の化粧に女らしくなった彼女を一瞥、今度はそのままファスナーを閉じた。
任務を終えて戦場を後にしたデジクは一人ごちる。
これで彼女が機械兵の脳部品に加工されることはない。なぜなら設備の整った工場で加工されるまで脳死であってはいけない。血の通わなくなった脳は急速に劣化し、加工に耐えられなくなるからだ。
しかしその迅速に判断できる事実こそ、彼女が常人ではなくなった証左とも言えた。かつてのデジクなら、決してこの選択は下せなかっただろう。
上層部への報告は電信越しで簡素なものだった。
スパイになって一年が経過したとはいえ、市井に紛れての情報収集や連絡係が主なもので、だからこそ今回の戦地での任務は難敵だろう、そう考えていた。
任務を終えたデジクが戻ってきたのはセーフハウスの一つ。化粧を落としクレンジングを済ませ、ユニットバスにてシャワーを浴びた後に自分の素顔を鏡に映す。
覗き込めば、自分ではない得体のしれない存在に思える錯覚を覚えた。
(スネジンカさんに、似てたなあ)
茶色の髪も顔の作りも。スネジンカが成長していれば、ああなっていたのだろうかと想像をする。
「あ、あれ」
自分の手が震えていることにデジクは気づく。次いで頭部の血液が急激に下に降りていく感覚、貧血を覚えて強烈な眩暈と吐き気に襲われた。たまらずしゃがみ込み、便器に抱き着くようにしてえずく。
世界が回る錯覚を覚えながら、デジクはなぜこんなことになっているか戸惑う。
(毒、薬物?いつ、どこで?ああ、こんなところを襲われれば)
何とか平衡感覚だけでも取り戻さんとするも、こんどは全身から冷や汗が驚くほど噴き出す。
横寝の態勢のままで症状に耐え、冷や汗が収まってくるにしたがって体調が戻ってきた。
体を起こし壁に背を預けて呼吸を整える。
「今のって……」
心当たりのないそれは、かつての地下の座学にて習った症状を思い出す。血管迷走神経性失神。極度の緊張・ストレスによる低血圧からの失神症状。
「私が、何に対して?……っ」
頭に浮かんだ可能性を打ち消し、冷や汗を拭いて身支度を済ませ浴室を出る。
何もない空っぽの部屋、生活感がまるでない。ポストに溜まっていた封筒の類は、シャワー前に不審なものが仕込まれていないかだけチェックしてデスクに重ねていた。
椅子に座ってそれらを検分する。
目ぼしいものは何もないか、そう思った矢先、最後の一通に目がとまる。なんの変哲もない税金納付の案内に見えるが、デジクらスパイの間だけで連絡を取り合う特殊な暗号が仕込まれていた。
慎重に封を開け、三つ折りの手紙の一枚目と添えられた写真に目を走らせる。
「は、ははっ、生きてたぁ……生きてたんだぁ」
間延びしたかつての口調で天井を仰いだデジクは、久しく感じなかったじわじわとした感情を覚えた。
添付された写真はある地方都市の蚤の市だろう風景。多くの人が写り込み何を撮りたいのか不明瞭だったが、隅の一人の女性を見る。
ずいぶん痩せていたが、その顔立ちは決して忘れることはない。
「ダチカさんが、生きてたぁ」
会いたい、今すぐに会いに行きたい。生きててくれてありがとう、私も生きてた会いたかった!話したいことがたくさんあるんだ。
会いたくない、人殺しもウソ塗れなのもバレたくない。それにスパイになった身の上で会って、上層部に目をつけられれば破滅だ。
デジクはへたり込んで、矛盾する精神に脳が磨り潰される苦しみに呻く。しばしの静寂が部屋を支配する。
「会わない。けれど今後も状況を監視しよう。だって、みんなみんな、一回目の戦いで死んじゃった。ダチカさんだけ、生きててくれたんだもの。あの時よりは、あの時よりはずっとマシ」
呟きながら二枚目の内容に目を通そうとした。
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一年前の299年、前回のカゾルミア首都攻囲戦のこと。デジクが地下にいた時のものであり、彼女がスパイとして地上に出た時には終結していた。カゾルミア側の勝利という結果で。後日、探っていた情報を彼女は見つけ不覚にも思考がフリーズした。
民間軍事会社ブルーピーコックの複数部隊が攻囲戦で壊滅したというもの。それに伴い社は解散したという事実を。これを知った時にデジクの心は千々に乱れた。
「……そうだ、そうだよぉ。みんながまってるよぉ」
焦点の合わぬ目でにへらっと笑うデジクがある決断をしようとした時、添付されていた写真が視界に入って意識が切り替わった。
分捕るように両手で握りしめたその写真は複数人の男たちの記念撮影のようで、ブルーピーコックの親会社のものだった。その一人の顔を、デジクは忘れたことがない。
『仲間の犠牲を無駄にしたくなければ嘆いている場合じゃない』
「ごめん、みんなごめん。死ねない、私は絶対死ねない。だってここで死んだら、あの日のことが、スネジンカさんが助けてくれたことが、私が殺した人たちが、全部嘘に、無駄になっちゃう」
そう言い聞かせ、不本意にも仇敵の男の存在がデジクの意識をこの世につなぎ止めた。
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その時のことを思い出して、デジクは己の心が滾っていることを自覚する。
「まるであの日の焼き直し、でも今日はいいニュース、本当にいいニュース」
デジクはそう繰り返しながら二枚目の手紙の内容に嗤う。
己に説いた仇敵の男、彼が周辺国の公共機関にて働いているという情報だった。灯台下暗しとはこのことか。
「でも、まだ手が届かない。それにこいつだけは、こいつだけは生半可な理不尽じゃダメだ」
己の身すら焦がさんとする怒りがデジクをつき動かす。その果てに何があるかは、未来を見た者にしかわからない。