317年
夜間特急の特別一等客車。そこは周辺国が誇る平等と友愛とは無縁の、金と権力が作り出した人工的な鉄の移動楽園。
貴賓車両にて男と女がティータイムかのように洒落込んでいた。
(本当に、気障な男)
毒を心中で吐いたデジクの見た目は、黒い長髪を緩い三つ編みにして後頭部に結い上げたもの。女性物の地味なスーツとストッキングに身を固め、そこに伊達メガネをかけていた。
そして相対する男は三十路ほどの青年。上等な黒いスーツに金髪のオールバックと甘いマスクの、異性受けのよさそうな伊達男。
デジクにとっては別口の雇用先、周辺国のさらに外側に位置する帝政国家の窓口である役人。
かつてのカゾルミアと対立していた周辺国は、力と歴史をもった帝政国家と諸王国にさらに囲まれていた。
大国の思惑に操られた周辺国の一部の国により、決して一枚岩になれないのはそうした事情であることは想像に難くない。
デジクは帝政国家からの秘密の支援を受けながら、連合である周辺国を内側から食い荒らす「二重スパイ」としての顔を完成させていた。
「相変わらず、鉄の錆びた匂いがしますね」
「ふうむ……すまない!レディの前なのに身だしなみが足りなかったようだ謝罪しよう。しかし今は有事、どうかご容赦願うよ」
その返答は、目の前の男は見た目以上に暴力を行使する事実があった。
デジクは帝政国家の工作担当官、伊達男からのおべんちゃらを聞き流しながら、窓外に流れる荒廃した原野を眺める。
テーブルの上には、周辺国の特権階級ですら目にすることのない外洋異国の陶磁器ティーセット、芳醇な香りを放つ紅茶と焼き菓子が用意されていた。
艶やかな赤い唇が純白のティーカップに触れ、琥珀色の紅茶が吸い込まれていく。
帝政国家の国際的な影響力の威圧を察知しながらも、かつての断れない少女はこの贅沢を、当然の権利として享受する優雅さを身につけていた。
「ところで、我々の助力は正しく機能しているかねミス?」
伊達男が銀のティースプーンでカップをかき回しながら問いかける。その視線は親愛という薄っぺらなラベルを張り付けた損得勘定が見て取れた。彼女を協力者というより割のいい道具としか見ない傲慢さが隠せていない。
「ええ、おかげさまで。私の所属する諜報部、その上層部の
デジクは淡々と答える。彼女が今やっていることは、極めて危険な綱渡りだ。
自国に対して工作員の指令役として飼われつつ、更にその手綱を握る飼い主を排除、組織の後釜に入って影響力を強める。帝政国家のバックアップのおかげで年単位でその計画を短縮できていた。その代価に周辺国の内部情報を横流し、潤沢な資金と高度な装備、そしていざという時の亡命権を確保していた。
「あなた方の支援には感謝しています。ですが、あまり私たちを安く思わないでいただきたいですね」
デジクは彼の差し出したマドレーヌを優雅に拒絶し、別の焼き菓子を摘む。他国の高官に対して明確な「NO」を突きつけたのだ。その声には、相手の喉元に冷たい刃を当てるような静かな威圧感が宿っていた。
男は一瞬だけ表情を強張らせた後、気圧された事実を誤魔化すように笑う。それに気づかないふりをして彼女は続けた。
「私はこの国を掃除したいわけでも、そちらの犬になりたいわけでもない」
「貴女を犬の様に傅かせればさぞ気分がいいだろうね。……なあミス、あなたは何をもってそのように私たちに協力するのか?ぜひともお聞かせ願いたい」
指を組んで笑顔を向ける気障男が水を向けた。女は口を開いて、
「“一人でできる仕事に関してはすごく要領がいいですよね”」
「うん?」
「昔、褒めてくれた人がいたんです。だから私はこの仕事を続けられる」
初めて見た女の微笑に男は呆けて返す。
「いまいちピンと来ないが、あー……もしかして誤魔化しているのかな?」
「そうですね。秘密があった方が、女性は魅力的だそうですから」
「ハっ!ミスが言うとまさしく真実だね」
伊達男が皮肉気に笑う。デジクはそれを雑踏の音楽のように聞き流し、ハンドバッグからマイクロフィルムを取り出しテーブルに置く。
「電熱線汚染の患者を一人、そちらの医療機関へ入院させる手はずはどうなっていますか?そのために、この電熱線の機密情報を渡す約束だったと記憶していますが」
「無論、手配済みだとも。我が国の医療技術は世界一!学術的な考察は専門家に任せようとも。どうか大船に乗った気持ちで任せてくれたまえ。……しかし、君がわざわざ条件に入れるVIPとは、いったいどんな人物なのか興味が尽きないねぇ」
にこやかに、しかし爬虫類染みた探る雰囲気は弱みを握れないか、デジクにプレッシャーをかけているのだろう。状況としては弱みを差し出したようなものなのだから仕方ない。
「詮索は無用に願います。信頼という無形の財産は取り返すのに貴重な時間を浪費するもの。それがなければお互いにとって不幸な事が、例えば……もう半分の条件である電熱炉の情報が、なぜか海の向こうの大国へなんて」
カゾルミアの遺産である電熱線。それは最高のエネルギーパフォーマンスと最悪の汚染をまき散らす悪魔の技術だ。現状は周辺国の独占物であり、警戒する他国から拡散防止条約が要求される劇物。
これは交渉ではない。脅迫だ。
各国が汚染を防げと表面上は声高に訴えど、軍事技術にせよエネルギー問題に生かすにせよ、喉から手が出るほど欲する電熱線というエネルギー資源の情報。
かつて他人の顔色を窺って愛想笑いに終始していた少女は、今や「情報の価値」を高値で売り付ける解を導き出す計算機へと変貌していた。
「……ふんっ」
この場で初めて見せた伊達男の苦虫を噛み潰した顔は、武闘派らしい獰猛なものだった。
本国と連絡を取ると言って引っ込んだ伊達男を見送り一人となった。何の気なしにガラス越しの外を見やる。車両が元国境を越え、灰色の旧カゾルミア領へと入る。
かつての戦争、そしてカゾルミア首都進攻によって蹂躙された国土はいまだ荒れ果てていた。そこに機械兵の残骸による重金属と電熱線の汚染も重なり、果たしてこの大地が豊穣を実らせる未来が来るのだろうか。
車内の照明が電圧の不安定さでチカチカと瞬き、窓に己の顔が浮かび上がった。そこにはかつての少女の面影は残っていない。
三十の半ばを過ぎた大人の女、物憂げな表情も相まって香り立つ色気を隠せていなかった。
くすみゆくエメラルドグリーンの瞳の奥にある冷えた鋼のような景色。揺るがぬ思いは、らしくない過去の懐古をガラスに反射する
「懐かしい」
かつての狭いブルーピーコックの寮で、仲間たちと食卓を囲んだ光景が見えた気がした。
「……じゃがいも、美味しかったな。紅茶やお菓子なんかよりも、ずっとずっと、ずっと」
299年
ブルーピーコックの給料日は賑やかだ。税金で引かれるとはいえまとまった金銭は人の心を明るくさせるのだから。
「どうしよぉ……」
しかし例外もここにいた。デジクは金欠であった。実家の母親の懇願という実質命令の手紙に従って、給金のほとんどを仕送りにしてしまったのだ。
これまではそんなことがなかったのに、どうやら長期に渡る戦争の影響は、プライドの高いデジクの母親も膝を折るほどになったのか。
寮は会社負担とはいえ、これでは武器の新調や楽しみであるゴシップ誌の購入どころか、一カ月の間まずい戦闘糧食生活である。
「デジクちゃん?」
「ちょっと、どうしたのよデジク?」
へうぅ……と、ツインテールをしょげさせ廊下にへたりこんでいたデジクに声をかけたのはアブレックとダチカだった。
彼女らも普段より明るいようで、給料日の祝福は万人の労働者に訪れる福音なのだ。
「ダチカさんに、アブレックさぁん」
「何?また雑用でも抱え込んだの?」
「お金……なくて」
「あらあら、今日は給料日よデジクちゃん?」
訊ねたアブレックへデジクが事の次第に答える。それを聞いてダチカは呆れ半分、哀れみ半分といった表情だ。
「実家への仕送りってのは、まあ否定しないけど。でも困窮するくらい送ったら本末転倒でしょうがっ」
「ご、ごめんなさいぃ」
ダチカの叱責にデジクは半泣きで眉をハの字にする。それを頬に手を当て見ていたアブレックが口を開く。
「送ってしまった物はしょうがないわ。……ねえダチカちゃん、せっかくだしアレしない?」
「えぇ……今日、給料日なのよ?なのにアレって。せっかくだしもっといい物を食べたいんだけど」
「いいじゃないの。私、奮発してとっておき持っていくから、ね?ええと、寮に残っているのはスネジンカちゃんとクラサフカちゃんよね。一緒に呼んじゃいましょ」
「しょうがないわねえ」
「え、え……?」
アブレックは来た道を戻り、何もわからぬデジクがダチカに引っ張られ辿り着いたのはスネジンカとデジクの部屋。
そこに入った先では、スネジンカが銃器の手入れを行っていた。
「おかえりなさいデジクさん……とダチカ先輩?」
「お邪魔するわよスネジンカ。いきなりだけどこの部屋でアレやってもいいかしら?」
「えっ?別にいいですけど、急ですね」
ダチカは肩を狭くしたままのデジクの肩を叩いて答える。
「この子お金がないのよ。給料日なのに」
「ええ?もしかして防衛のバリケード代でですか?最近値上がりしてますもんね」
「ぇぇと、何というか……」
デジクか口ごもっていると、ドアを開けて何やら入った袋を持ったアブレックとクラサフカが現れた。
今日のクラサフカは枕を抱えて眠そうで、どうやら寝不足のほうのクラサフカのようだ。
「ここでじゃがいもパーティーするって聞いたけど~」
「じゃ、じゃがいもパーティー?」
聞き返したデジクにダチカが受け取った袋の中身を出す。そこには大量の洗ったじゃがいもが入っていた。
「私の実家から送られてくるものよ。金欠だったアブレックやスネジンカに芋料理を振る舞ってあげて、それをアレって呼んでたのよ」
「先輩のお芋、美味しいんですよね」
眉尻を下げて笑うスネジンカ。デジクはアブレックも見やる。大人の女として皆のお姉さんの役割を果たす彼女が金欠とは意外な気がした。
その視線に気づいたのか、恥ずかしそうにアブレックが笑う。
「私の実家、九等級国民でお金がね。デジクちゃんと同じく多めに送ってた時期があるの」
だからダチカにあの場で呼びかけたのかと、デジクは得心がいった。
「ふふっ♪それに今日は、私からいい物を提供します!」
そう言ってアブレックが取り出したのは銀紙に包まれた直方体、それを開くと黄白色の香しい物体が現れる。
それを見て、パン屋でアルバイトをしていたスネジンカが声を上げる。
「あっ!それ、バターですか?高価なのにすごいっ」
この御時勢に100%生乳で作られた有塩バターは貴重だ。それを惜しみなく一本丸々進呈するというのだ。
「ってことは、じゃがバターかな~。眠い中きた甲斐があるよ~」
目が覚めてきたのか、半目のクラサフカが嬉しそうにふにゃふにゃ万歳する。
「そ、そんな高価なもの、私のせいでっ」
思わずデジクは声を出すが、アブレックに頭を撫でられて止まる。
「いいのよ。きっかけがないとこういう使い方できないんだから。それに実家思いのデジクちゃんに、私からのプレゼントだと思って、ね?みんなで美味しく食べられれば、お姉さん嬉しいの」
そう微笑みかけられ、デジクの中は申し訳なさで一杯になる。そんなやりとりをしている間にダチカとスネジンカでじゃがいもの下処理を終えたようで、十字に切られたじゃがいもの中心にバターを落としていた。
そしてフライパンで火にかけていくと、溶けたバターが部屋いっぱいに食欲そそる脂の香りを広げる。
そうして出来上がったじゃがバターを人数分の皿にのせ、各々ナイフとフォークで口に運んだ。
「お、美味しいです先輩!」
「ふふん、当り前よ。なんてったって私んちの芋なんだから」
「とろけたバタ~、最高だね~」
ハフハフ言いながら食べる三人にアブレックが頬を緩ませる。
「デジクちゃんも——」
「う¨ぅ……ヒック」
そう言いかけたアブレックの視線の先で、デジクは芋を口に入れたままで大粒の涙を流していた。
頬を膨らませたリスのような顔のままで、滑稽なほどの泣き顔である。
「ちょ、ちょっとどうしたのよデジク!?詰まらせたの?!」
「デジクさん!お水、お水ですどうぞ!」
焦るダチカとスネジンカと、クラサフカもびっくりしたのか目を見開いて手を止めてしまっている。
受け取ったグラスの水を飲み干して、デジクは袖で無理やり目元を拭う。
「あ、あはは!ごめんなさい、あまりに美味しくて喉に詰まらせちゃってぇ」
「———そっか、今度は詰まらせないよう、ゆっくり食べてねデジクちゃん。お芋はどこにも逃げないし、ダチカちゃんがいくらでも焼いてくれるから」
「ちょっと!?一応、私はあんたたちの上司なのよっ。それなのに私ばっかりに焼かせて」
ダチカがウガーと吠え、スネジンカがそれを宥め、クラサフカは我関せずと二個目のじゃがバターに手を伸ばす。
喧々囂々な食卓の中で、アブレックだけがデジクの心中を慮るも黙っていた。
(あったかい、あったかいよぉ。私、みんなと一緒の職場でよかったよぉ)
まるでこのじゃがいもとバターに、彼女たちの思いやりが詰まっているようで、食べるたびに胸が苦しく一杯になっていく。
それがあまりに嬉しくて、デジクの目からほろりとまた涙がこぼれた。続けて口に運んだじゃがバターは一口目よりしょっぱく、とても温かかった。