あら、また会ったわね、これで二回目かしら。そりゃあ、こんな田舎の無人の釣り堀に貴女みたいな美人がいたら印象に残るわよ。——そうね、魚が掛かるのを待ちながら、またおしゃべりするのも悪くないわね。
——……ええ、そう、歩き方で?へえ、そんなことでわかるなんて、貴女って軍人?——そう、周辺国の……そうよね、その髪の色を見れば一目瞭然だもの。
お察しの通り、と言いたいけど私は軍人なんて褒められたもんじゃない、くそったれな民間軍事会社に学校を出てから働いていたの。労働環境も仕事量も、なにより上の人間が最っ高に腐ってた。
でもいいこともあった。家族以外であんなにいい人らに出会うこと、この先ないだろうって思うくらいの大切な仲間たち。今でも名前と顔、そして一緒に働いていた頃をはっきり思い出せるもの。……だから、一時期は本当に辛かった。
ごめんなさい、こんな話で。もっと別の——聞きたい?変わってるわね。でも不思議、あなたが相手だとまるで抵抗が湧いてこないもの。
詳しいことは言えないけど、当時の私たちはその会社を辞めることが、社会的な死と同義だった。仲間には三等……実家が力ある子もいたけど、そんな子も例外じゃない。それでも私は会社から逃げ出したかった、それ以上に仲間たちを逃がしたかった。
なんでかって言われれば、その前に、二人の仲間を亡くしたの。一人は入って間もないチビっ子で放っておけない子。きっと、田舎から出てきたばかりの頃の私に重ねてたのでしょうね。でも銃を握らせれば頼もしかった。
もう一人は、隊で一・二位を争う問題児だったわねえ。人の言うこと頼み事、何でも断れない子で雑用ばっかもらってくるアホの子。なまじ能力があるから次々処理できて際限なく引き受けて、私はその始末にあっちこっち振り回されて。……でもそんな日々が、嫌いじゃなかった。
……話が逸れたわね。そんな大切な仲間を、会社は意図的に奪ったの。……許せなかった、でもそれと同じくらいに、他の仲間を同じく亡くすことが怖くて。いつ切り捨てられるかわからない、でも庇護もないのにどうすれば。そんな迷いが、あの攻囲戦で最悪の形になってしまった。
周辺国の人間なら知っているでしょう?十七年前のカゾルミア首都での戦い。そう、一回目のほうよ。私はその時、会社の方針で周辺国側で戦った。……今でも覚えてる、夜闇から突然鳴り響いた銃声、次々とハチの巣になっていく友軍部隊。不幸にも私たちは敵精鋭である溶鉄部隊の餌食になった。攻め手だからって油断してたの、きっと。
私は仲間たちを指揮して……最初にクラサフカだった、寝不足が祟ったのかも。銃を構える前に頭を撃ち抜かれて倒れこんで、即死だったのは幸い、なんて口が裂けても言えない。
それを見てアブレックが思わず声を上げて、敵の銃口がそっちを向いた。横合いからリシチカ、さっき喋った問題児の一人がアブレックを庇って撃たれたの。そこでようやく反撃に転じて、私たちはリシチカをカバーしながら、アニタが動けないリシチカを物陰に引っ張り込んだ。
アニタは動揺しながらもリシチカの容態を叫んで、腹部からの出血はどうにかなるもんじゃなかった。泣きじゃくるアニタにリシチカは、大嫌いなあんたらは向こうに行って!って叫んで、座り込んだまま敵へ銃を撃ち始めた。
その意図を汲んで私は撤退を決めたの。冷たいわよね?口では大切と言っておきながら、簡単に見捨てるんだもの。——泣いてなんかないわよ……。
でもアニタのやつが嫌だ嫌だってグズって、エクトルが舌打ちしながら引っ張ってきた。
抵抗するアニタを私は平手打ちして怒鳴りつけた。ここでみんな死ぬか、生き残るよう動くか選べって。
その発破にはっとなって、ようやく撤退に移れたの。最後に見たリシチカは、こっちを振り返ることもせず、一心不乱に敵へ撃ち続けてた。
でも進んだ先では他部隊を殲滅した別動隊が迫っていて、側面からの銃撃に私たちはついに進めなくなった。
そうしたら今度はアブレックが敵を引き止めるって言いだして。責任を感じているならやめろって言って、言い合いになりかけたところでエクトルが割って入ったの。弾幕を張れる銃種の自分こそ相応しいって。実際は物凄い憎まれ口だったけど、理に叶った具申を私は受け入れた。また泣きそうになったアニタを、あのエクトルが抱きしめて励ましたのよ。“泣き虫な貴女にはこんな所、似合いませんよ”って。
するとアブレックは更に言い募ってきて。リシチカの食い止めていた敵部隊も合流すればエクトルだけじゃ抑えきれない、自分も残るって。……これだからインテリは嫌いなのよ小賢しいったら。
我慢できなかった、私だってみんなを、仲間を好き好んで置いていってるわけじゃないのにって。でも今度はアニタが私の腕を引っ張ったのよ。行こうって、ひどく冷静になってたのを今でも覚えてる。……この時点であの子、何をするかって決めてたんだわ。
奇しくも同期だけになった逃亡も、崖に追い詰められて終点だった。その日は新月で星明かりしかなかったけど、ひらけた場所のせいで追手の顔がよく見えたの。
その顔立ちに思わず私は呟いてしまった、スネジンカ……?って。
相手はその言葉に動きを止めた。次の瞬間、私は崖へ突き飛ばされたの。スローモーションのように重力に引かれる私はバカみたいに目を見開いてその犯人を見た。
私を突き落とした格好のまま、笑顔のアニタの口が“生きて”って動いたと思うのは、私の願望かしら。
崖上を見られない角度まで落下した所で銃のマズルフラッシュの光が見えた。それでアニタがどうなってしまったのか理解できて、私は叫びながら落ちていき、意識が途絶えた。
結果だけ言えば、生き残ったのは私だけ。崖下の川に叩きつけられた衝撃で気絶して、運よく流された先で気がついた私は手持ちの物資を確認してから、逃亡した。会社も味方もすべて投げ出したのよ。無意識に追い打ちの兵を警戒して平野を避けてただ進んだ。その間は何も考えられなかった、考えないようにしてたんでしょうね狂ってしまうから。
紆余曲折あって辿り着いたのは私の実家、その入口の前までたどり着いて私は気絶したの、緊張が切れて。でも目が覚めた時に母親と弟と妹の顔を見て、私は子供に戻ってしまったかのように泣いた。泣いて泣いて眠って、そして起きた時にようやく家族と話せた。
会社の方針とは言えカゾルミアに敵対した事実を喋って、自分がここにいれば家族に害が及ぶことにようやく気づいた。だから早晩出ていくことに決めたけど、お見通しだったのか家族は私を家から出さなかった。
それでも私は家族を説得して、徴兵されて亡くなった父が使っていた炭焼き小屋に潜伏することで妥協してもらった。そうして私は戦場に立つことなく、穏やかな生活を享受した、なんてことになるはずなかったわ。
PTSD、トラウマがね残ったの。夜中になると葉擦れの音が銃声に、自分以外の気配は敵兵の殺意に思えて、神経が昂ってしまう夜が続いた。あのまま家にいたら、誰かしら撃ち殺してたと思う。
そして体が限界になって気絶するように眠りに落ちると、戦場に残した仲間たちが語り掛けてくる夢を見る。痛い、苦しい、なんでお前だけ、助けてって。
正直あの頃は昼や夜の感覚が曖昧で、記憶も飛び飛びだから回復できるくらいには狂っていたのね、きっと。
そんな日々が半年ほど続いた。ある日、下の弟が炭焼き小屋を訪ねて来て言ったの。戦争が終わる、最高指導者が捕まってカゾルミアが負けたって。姉ちゃんも戻ってこれるよって嬉しそうに。ええ、第二次攻囲戦で周辺国が勝利したやつよ。
その日を境にピタっと夜間のPTSDが治った、我ながら現金なものね。悪夢は、終わらなかったけど。でもその頃には随分とそれを受け入れてたわ。いつでも迎えに来てね、あの世で一緒になったら一杯おしゃべりしようねって。
それでも夢を見ないに越したことはないから、その頃は倒れるまで実家の畑で仕事してたわね。
同じく農作業する家族の三倍四倍、周りが止めるのを無視して働いて働いて働いたの。父から受け継いだ丈夫な身体が幸いして故障はしなかった。でもある日、採れたじゃがいもを市場に卸に行く途中で気絶して事故を起こしたの。その時、通りがかった人に助けられて、その縁で一緒になったのが旦那よ。それを何より喜んでくれたのが家族だった。母親は特にね。
旦那も私の家の農業を手伝って、一番目の子供が生まれた頃に悪夢も見なくなった。ほっとすると同時に、無情な自分にも嫌気がさしたわ。そうして終戦してから十年がたっていたかしらね。生業の農業、羊と鶏の飼育、家事育児、母親の介護、弟妹たちの独り立ちの世話。私は時間に忙殺された。時間って優しいけど、それ以上に残酷なんだって思ったわ。死んだ仲間の思い出を容赦なく塗り潰してくるんだもの。
そんな私がなんでこんな所にいるかって?そうねえ……ここまで喋ったら、貴女には悪いけど吐き出させてちょうだい。血の病気になって、余命がもうないのよ私。
ある日、血を吐いて倒れて、旦那に病院に担ぎ込まれたの。結果は今言った通りで、そこの設備では治しようがないそうで。かといって治せる病院の伝手なんてあるはずもなく、あったととしても私の人生五回分くらいの稼ぎが必要で早々に諦めちゃった。
医者は大きな声では言えないがと前置きして、かつてカゾルミアで普及していた電熱線が原因じゃないかって。心当たりはあったわ。私は軍事会社で榴弾兵として電熱線の組み込まれた武器を使用していたから。
どうやら自分が先に逝くようだと冗談めかして言ったら、母には泣かれ旦那と弟妹たちに怒られてしまって。子供たちは、みんな泣くのを我慢して黙り込んでた。正直、これが一番堪えたわねぇ。
そんなわけで、一人になる時間を気を回して作ってくれた家族に甘えて、釣りの真似なんてしてるわけよ。長々と私だけ喋っちゃって悪いわね。あなたにこうしてお話できただけで、ここに来た甲斐があったって感じちゃう。何かお礼を——えぇ?逆にお礼ですって?!ちょっと意味が解らないんだけど……って開けちゃダメ?なんでよ、っていうか帰る!?仕事の時間だから?はぁ、まあ宮仕えの忙しなさは理解できるけど、ずいぶん急ねぇ。
じゃあまた今度会える?おしゃべりしてるだけで余命が延びた気がするもの!あはは、ここ笑うところよお姉さん。うん、そうねまた今度!また会いましょうね!
…………行っちゃった。不思議ねぇ、二回しか会ってないのに昔から知ってるみたいに気安くしちゃっ————あっ!?
317年
ダチカは女性から貰った鞄を誤って落としてしまう。偶然に開かれた入口から、見慣れたものを発見する。
「……じゃがいも?なんで?」
見慣れる以上に食べ慣れたものを手に首をかしげる。
「まだ中にあるわね……おっ、バターじゃないこれ!嬉しいわね~…………!!?」
心臓が止まるかと思った。バターに続けて出てきたもの。青い鶏冠をもつ横向きの雄鶏のエンブレム。忌まわしくも、温かい仲間との思い出の印、今は存在しない民間軍事会社ブルーピーコックの社章だった。
(なに、これ……こんなの渡してくるなんて、あの女は一体)
しかしダチカははっとする。一緒に入っていたじゃがいもとバター、そしてエンブレム、思い出した!
(うそ……うそ、うそうそ!?あの人、もしかして)
たまらず走り出す。痛む心臓を無視し、脱げたサンダルをそのままに、彼女は女の歩き去った方向へ駆ける。
(クラサフカとアブレックは間違いなく戦場だ。スネジンカは、公式に死亡が確認されてる。なら——!!)
息せき切って釣り堀を出たが、そこには見慣れた田舎道で目当ての人はどこにもいなかった。
辺りを見回し、見回し、ダチカは俯く。そして顔を上げると叫び始めた。
「こんの、馬鹿デジクううううううう!!生きてるなら生きてるって、もっともっと早く来なさいアホぉぉぉおぉ!!しかもなによ!?ものすんごく綺麗になってぇぇぇぇ!こちとら子供産んでから贅肉が取れなくて悩んでるくらいなのにぃぃぃぃ!!」
膝に手をつきながらぜいぜいと息をきらせ、つばを飲み込んでまた叫ぶ。
「なによこれっ!!カッコつけて、芋とバターなんて!!私が忘れてたら、あんたトンだ大間抜けじゃないのよぉぉぉぉ!!」
ダチカの足元で砂地が湿った円を描く。
「な゛ん゛で名乗らながっだのよぉ!!私が、みんなを見捨てたがら゛あ?!それなら……ぞれなら面と向かっで、責めてよぉ」
ついに座り込んですすり泣いてしまう。それでも彼女を慰める存在は現れなかった。
ようやく泣き止んだその顔は酷いものだった。しかしそれ以上に消沈した姿で、とぼとぼ歩き出す。半分無意識に向かったのは自宅の方向だ。
家が見えてくると、見慣れぬ自動車が止まっていることに気づく。ダチカは思わず走りだす。
(デジク、デジクッ!!あんたなんでしょ!?)
汗まみれになったダチカを前に車のドアが開く。
「ズヴョズダチカ様でしょうか?」
しかしお目当ての人物はおらず、初対面の大柄な男が車から現れた。突然のあいさつに目を白黒していると夫が家から出てきて、慌てた様子で話し出す。
なんでも電熱線による後遺症の治療法を研究する病院から被検体の公募があり、このたびダチカが選ばれたという。
並行して治療も受けられ費用もかからず、むしろ治験扱いのため日給まで出るという。
人のいい田舎育ちの夫はこれで助かるとすっかり舞い上がっているが、ダチカはまるで胡散臭い申し出に眉を顰めていた。
それに気づいたのか定かではないが、男はダチカに囁く。
「今回の公募について、ズヴョズダチカ様を推薦された方から言伝を預かっております『じゃがバターのお礼』だそうです」
「ちょっと!?それ詳しく教えなさいよ!!」
大の男の胸倉を掴んで揺する妻の姿に、夫が慌てて止めに入っていた。
そこからはるかに離れた車道を一台の高級車が走行している。運転席に細身の男が一人、後部座席には髪が灰青色のデジクが無表情で葉巻をくわえ、書類に目を通している。
男はハンドルを握ったまま口を開く。
「同志、よろしかったのですか?」
「リスクが大きいことは承知している。確かにこれは私のアキレス腱だ。同志を一人、彼女に張り付かせるのが戦力の低下だということも——」
「そうではありません。あそこで、直接打ち明けられてもよろしかったのではないですか?」
葉巻の先が揺れた。
「中途半端なのです。抱え込むなら赤子のように、腕の中から逃さぬようすべきです。それをあのような、迂遠にも程がある。戦友なのでしょう?信頼すべき友は黄金よりも尊い、私はそれを貴女に教えられた」
「私にとっての戦友は、あの地下から今日まで、共に生き延びるお前たちだけだよ同志」
「では、彼女のことは」
デジクが肺一杯の紫煙を吐き出す。
「『思い出』だよ。思い出はいつまでも美しく飾っておきたい。そんな綺麗な思い出は欠けさせることはもちろん、血腥い私の手で汚すなどもってのほかだ」
「なるほど。存外、繊細なのですね同志スタリナ」
少しも揺れない男の口調に、彼女はそっぽ向くように葉巻を吸う。
「それで、作戦のほうはどうなっている?」
「内務に潜り込ませた者らの工作により、目標の自白さえ引き出せれば完了です。調書および証拠・証言につきましても捏造済みです」
「結構だ」
「奴らは現場を知らなさすぎる。飼い主が、犬の能力を凌駕する必要がないと言われればそれまでですが」
「しかしご褒美も寄越さず犬を蔑ろにする飼い主なぞ、逆襲されても構うまい」
ニヤリと、デジクは頬を緩ませ笑む。それはまるで肉食獣が歯を剥きだす様だ。
「私に理不尽を押し付けた者は何であろうと許さん。それが国であっても、必ず最後には叩きのめしてやる。まずは前菜の老害共から平らげよう。メインディッシュはその後だ」
途中経過の報告書に目を通し終えたデジクは、添付されていた写真を握りつぶす。皺が寄って見づらくなったが、それに写る人物は壮年の男性、仇敵の男の写真だった。
握りつぶした写真を灰皿に入れて葉巻を押し付ける。紙の焦げる臭いが車内に広がり、運転していた男の鼻に皺が寄った。
「同志」
「すまんすまん。写真だけで我慢しているのだ、わかってくれよ」
ひらひら手を振ったデジクが、新しい葉巻に火をつけた。