326年
降りしきる雪は、鉄錆の匂いが染み付いた首都の広場を白く覆い隠そうとしていた。しかし、そこに集った群衆が放つ熱気は、雪が地面に届く前に蒸発させてしまうかのよう。
今日、クーデターによって政権交代を為した人物による演説があるということで多くの国民が集まっていたのだ。
周辺国、連合は革命主義者の増加により社会不全に陥りつつあった。
その革命主義者にも変化が起きていた。片方は政府の打倒を訴え暴力も辞さない元からの過激派。もう片方は最近増えだした、デモを中心として国の抜本的改革を訴える穏健派。国民の半数が後者を占める現状に、政府は最悪の手段をとった。過激派・穏健派の区別をせず、軍を出動させ自国民に対して機械兵を投入したのだ。
契機は四年前、国を揺るがすレベルの汚職事件に端を発す。これにより国民の信を失った政府は政権交代を実現するも、なりかわった政権は正真正銘の売国集団という不幸を引き当てる。
これにより資本も人的資源も外国に流れ、軍は予算を減らされ国防力は低下した。なにより経済の悪化を招いて失業者の増加、それに伴う治安の悪化が革命主義者の増加を招き、武力弾圧によってより政府への憎悪が募るという悪循環に陥った。
国民は自分たちの救いを求め、政府への怒りをため込む、そんな時だった。
突如、首都にて局所的な停電が発生し、謎の武装集団によって政府中枢が占拠される事件、クーデターが発生した。政府から治安維持・軍への要請のための連絡手段も絶たれ、停電が復旧する頃には政府首脳陣は諸王国へ逃亡し、この事件の首謀者がマスコミの前に姿を現す。
「私がこのような企てを行ったのは本意ではありません。しかし、この国に住まう一人の人間として、権力を国から預かる公職の者として、もはや看過することができなかった」
国の“内”と“外”の治安を掌握する、新設された情報統括局局長に就任していたデジクは、国民に事を起こした経緯とこれからのことについて語った。
逃亡した首脳陣の不正と悪行を公表すると同時に、配備されていた機械兵と秘匿する電熱線の情報開示。これらの使用を止め、破棄を宣言した。
そして他国へのメッセージとして前政権の借款を引き継ぐとともに、首脳陣を匿うなら容赦しない方針を示す。また実務を担う行政および弾圧に与した軍に対して、協力するなら前政権での行動を咎めないとした。
そのうえで国民に対して信を問いたいとして、その演説を行うのが今日であった。
首脳陣が逃走した政府中枢であった官邸のバルコニー。今、そこにはクーデターの象徴である赤い巨大な旗が翻り、それを握る一人の女性が立っていた。妙齢というには盛りを過ぎただろうに、驚くほど若々しい。
しかし今の姿には艶めいた美よりも、圧倒的な力強さを感じて止まない。それはまるで抜き身の鋼。今しがた敵の肉を切り裂いた血濡れの刀剣の如き美だ
スタリナ。
かつてデジクと呼ばれた、他人の顔色を窺い愛想笑いしかできなかった少女。
しかし今、彼女が纏っているのは質素なカゾルミアの国民服でも、スパイ養成施設の汚れた囚人服でも、帝政国家の金で仕立てた瀟洒なドレスでもない。装飾を一切廃した緑色の軍服。それと同じものを群衆の幾人も纏っている。
彼女がゆっくりと一歩前へ踏み出し、マイクを握る。
広場を支配していた喧騒が、まるで魔法にかけられたかのように一瞬で静まり返る。数万の息遣いが、その言葉を待って止まった。
「国民の皆さん…………いや。—――虐げられ、踏みにじられてきた我が同胞よ」
そこにいるのは役人としてのスタリナではなく為政者、未来の独裁者としての彼女だった。
その声は低く、しかし驚くほど通って広場全体に響き渡った。それはデジクの頃の諂った声音ではない。心の蔵まで残響し、聞く者の魂を直接掴み取るような魔性を帯びた調べだ。
「我々は長い間、教えられてきた。『弱いことが罪である』と。理不尽を押し付ける強者こそが正義であり、我々のような弱く持たざる者はただ頭を垂れ、嵐が過ぎ去るのを待つしかないのだと。ただ奪われることを受け入れよと。不条理な理に、愛する者の身を任せよと」
スタリナは広場を埋め尽くす労働者や兵士たちの一人ひとりと目を合わせるように、ゆっくりと視線を巡らせた。
痩せた日雇いの男がいた、寡婦となった女がいた、戦場で片腕を失くした老兵がいた。
「私は知っている、あなたたちが流した涙を。私は知っている、あなたたちが誇りを奪われ、その怒りさえも飲み込んできた日々を。……なぜなら、私もまた、そうだったから!!」
彼女の語気が強まる。それは演技ではない。奥底で今も黒く煮え滾っている、299年の捕虜収容病院のベッドで誓った情念が、言葉となって溢れ出していた。
鬼気迫る姿にて演説を続ける女の熱が、聴衆へと伝染していく。
「私に『弱者であるから奪われる』と宣った男がいた。私に『理不尽を押し付ける立場になれ』と嘲笑った世界がある。……よろしい。ならば、私はその教えに従おう! 我々はこの瞬間、弱者であることをやめよう!!正しき怒りを胸に、 我々を裏切り私腹を肥やし、英雄たちを使い捨てにしてきた腐敗した連中へ、今こそ理不尽を叩き返してやるのだ!」
一人の兵士が感極まり万歳と叫ぶ。そして一人、また一人それに続いていき、雷鳴のような大合唱となって広場を震わせた。そして群衆の振る赤い旗やハンカチであったり布切れであったりが、荒れ狂う海のように赤き波濤を作り出す。
スタリナはその光景を、冷徹なまでの静寂を湛えた瞳で見つめていた。
彼女は理解していた。「他人からの頼みを断れない」というかつての自分の性質は、今や「民衆の渇望を国家の意志へ変換する」という、独裁者としての才能へと昇華されたことを。
彼女は民衆に愛されているのではない。彼女という『鏡』に、民衆が自分たちの憎悪と希望を投影しているに過ぎないのだ。そしてスタリナはその役割を完璧に演じきってみせんとする。
踊ってやろうとも、たとえ血の泥濘の舞台であろうと。この身が峰より谷底へ転がり落ちる日まで。なぜなら私は
「我々の進む道は血に塗れていくだろう。だが、恐れるなァ!!」
マイクを床に投げ捨て、女性らしからぬ大喝が広場に響いて聴衆の耳と脳を震わす。
「私がその先頭に立つ!私を信じるな、私が掲げる『鋼の秩序』を信じよ! 自由などという弱者の幻想は捨てろ! 我々に必要なのは、奪われたものを取り返す力だ!理不尽に屈する者は逃げよ!鋼の如き連帯を此処に!!」
彼女は赤き旗を、天を衝かんばかりに空高く掲げる。
その瞬間、民衆の興奮は頂点に達した。
口々に解放の歓喜と、報復への渇望の雄たけびをあげている。もはや政治集会ではない。それは一人の女を神に、あるいは悪魔に祭り上げるための儀式だった。
演説を終えバルコニーから室内の闇へと戻ったスタリナを、側近たちが畏怖の念を込めた敬礼によって出迎えた。幾人かは神を見るかのような崇拝の視線を向けている。
「見事な演説でした、同志スタリナ」
細身の同志の震える声に、スタリナは片手を上げて応える。
彼女は歩を進め、部屋にある姿見の前に立った。
そこには二十七年前の自分が、デジクが映っていた。悲し気に眉を下げ涙を瞳に貯めた少女が、鏡越しの世界から口を開閉している。その言葉は届かない。
(そっちに行っちゃ駄目とでも言っているのか。行き先が地獄だとでも?すでに今立つ此処こそが地獄なんだよ、デジク)
人が私に理不尽を押し付けるなら鋼でもって迎えよう。
国家が相手ならば国民と兵器でもって出血を強こう。
そして世界と秩序が阻むのならば、すべてをつぎ込んでも壊してやる。
暗く澱みきった碧眼は底に、二度と浮き上がらぬ昏き底に墜ちた。
振り返って外から聞こえる、歓声というには暴力的に過ぎる民衆の産声に耳を傾ける。
「さあ、やっと始まりだ」
それは育ち切った理不尽への憤怒が、世界を巻き込む巨大なうねりへと変貌を遂げた瞬間だった。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。
書いてて思ったんですが、私がSS書いてるとマルフーシャが惨い目にあってる気がします。
次回作があれば、マルフーシャがハッピーな結末に挑戦したいです(なるとは言っていない)。
溶鉄&救国SSがもっと増えることを願って後書きとしたいと思います。